僕の現実
教室の窓から見える空は快晴だった。
七月になり夏が間近に来ている気配がそこかしこからしてくる中、まだ梅雨は明けきっていない。このところ毎日降っていた雨は、今日は中休みなのか、久しぶりの青空だった。
あまり出てこれなかった不満を爆発させるように輝いている太陽は、久しぶりに見るからかいつもより輝いて見える。
僕は、自分がよく天気に影響される方だと思っている。晴れている日は、なんだか元気な気がして無駄に外に出たくなる。曇りや雨の日は、どことなく身体が重くて、眠気がなかなかとれない。単純に気分の問題なのかもしれないけれど、自分にそんな傾向があることは知っていた。
その法則にのっとれば、今日は快晴、元気はつらつと気分が高揚している。
そのはずなのに、今の僕の心は陰鬱とした雲に覆われていた。
学校に登校してきてもう十分以上は軽く経過しているけれど、僕はまだ誰とも会話をしていない。会話どころか、軽い挨拶すらしていないし、誰とも視線を合わせていない。
窓際の一番後ろにある自分の席に座って以来、一人でずっと窓から外を眺めているのは、教室の中を見るのが怖いからだ。
正確には、教室にいる他のクラスメイトたちを見るのが怖かった。
机には『最悪の戦犯! 下野優人惨状!』とデカい文字で僕の名前が書かれていた。
他にも『面汚し』『お荷物優人』『お前のせいだ!!』などなど罵倒が盛りだくさん。他にもシンプルに『死ね』と隙間を見つけるのが大変なくらいに書き込まれていた。
一応消しゴムを取り出してこすってみる。結果は予想外にも消えてくれた。証拠を隠滅できるように消えるもので書いたのだろうか、それでも沢山の落書きを全て消すのは結構な労働だった。
必死になって消しゴムで机をこすっていると、半分程消したところで周りから笑い声が聞こえてきた。
楽しそうな会話ではない。笑っていることを隠すように、それでいてしっかりとこちらに聞こえる声量で何やら言っている。コソコソとした陰湿な声。
クスクスと漏れるような笑い声が、僕を囲むように教室中から聞こえてくる。笑われていることを自覚してしまうと、顔が熱くなってくるのを感じた。
机の落書きを消すという当たり前の事をしているはずなのに、どうしてか羞恥心がわいてくる。
僕は机の落書きだけに集中して、一心不乱になって消しゴムでこすり続けた。今だけは集中できる落書きに感謝したくなった。
会話はおろか目線すら合わせられないクラスメイトたち。
机に書かれた罵詈雑言の落書き。
バカにするような笑い声。
その全てが物語っている通り、僕は今クラス中から仲間外れにされている。もっと言えば虐められている。
別に小さい頃からずっと虐められているというわけじゃない。こうなったのは少し前からで、原因もはっきりと分かっていた。
僕たちは今高校三年生。高校最後の一年を過ごしている。この一年にある行事は、全て高校生活最後のものになる。試験、行事、そして部活もその一つ。
先月、大抵の部活動で三年にとっては最後になる大会が行われた。僕の所属していたサッカー部も例外に漏れず、部員全員でその大会に臨んだ。僕は補欠だったけれど……。
サッカー部は活躍を学校中から期待され、注目されていた。もっと正確に言うとエースが皆から応援されていた。カッコよくて実力もある学校中の人気者。そのエースがいるからこそ、いくつもある部の中の一つであるサッカー部は、他の部が比較にならない程、言ってしまえば過剰な期待をかけられていた。
この人の実力なら、この人がいるなら県大会で終わるはずがない、その上を充分に狙うことが出来る!と、男女問わず応援されていたし、先生たちも期待していたらしかった。
その期待を、僕が全部無駄にした。
順調に勝ち上がっていた僕たちサッカー部は、県大会の準々決勝にまでコマを進めていた。準々決勝の相手は強豪校だったけど、部の士気は高かった。そのおかげで試合は強豪相手にも引けを取らず、互角の展開で進んでいた。
そして、事故が起きた。
同点で迎えた後半戦も半分が経過した頃、スタメンの一人が怪我をしてしまった。その交代要員としてピッチに入ったのが、僕。
これまでずっと補欠としてベンチに座っていた僕にどうして出番が回って来たのかは分からない。最後の想い出として顧問が気を遣ったのかもしれないけれど、タイミングを考えて欲しいと思った。
大事な場面での急な出場に、結局僕は何の役にも立つ事がなく、一人分の戦力的ハンデを背負った状態になったこちらは厳しい状況に立たされた。流石のエースもそんな状態では得点を決めることが出来なかった。
試合は延長も動かず、PK戦に突入。皆気合が入っていた。鬼気迫る表情で一人一人、しっかりとゴールネットを揺らしていく。けれど、気合が入っているのは相手も一緒だった。一歩も引かずにシュートを的確に決めてくる。
どちらも譲らぬ手に汗握る名勝負。見ている観客は興奮していて、選手たちも闘争心に溢れていた。そんな中、有力な選手たちはすでに蹴り終わって、ついに出番が回ってきた僕は、脚の震えが止まらなかった。
動悸がして、視界が狭く感じた。立ちはだかるゴールキーパーが巨人のように大きく見える。今思えば完璧にのまれてしまっていた。
どこに蹴っても防がれる未来しか見えてこない。
頭が真っ白になったまま、聞こえたホイッスルに反応して僕が蹴ったボールは、ゴールポストを大きく超えていった。
相手のキーパーが一瞬驚いたような顔をして、すぐに笑い出した。
後ろから相手チームの選手たちが走って僕を通り越し、キーパーに押し寄せる。
僕はその光景をただ茫然と見ていた。
こちらのチームメイトは誰も来ない。後ろを振り向くのが恐ろしかった。
蹴る前以上に自分の身体が震えているのがわかった。
僕たちの三年間の集大成は、僕がシュートを外した瞬間、何の結果も残せずに終わったのだ。
僕のせいだ。
負けた原因ははっきりしている。過度に注目され、異常な程期待されていた分、失望も大きかった。皆の怒りの感情はもちろん僕に向いた。何より大きかったのは、期待されていたエースの活躍まで潰してしまった事。皆僕を許さなかった。
あの大会から少しして虐めが始まった。日に日に過激になっていく悪戯。机に落書きをされたのは今日が初めてだったし、今は誰に話しかけても無視されて、周りから笑われるようになってしまっている。
学校に来るだけでも辛かった。クスクス響いてくる笑い声を聞くたびに、自分が惨めに思えてくる。僕は別に心が強いわけじゃない。逆境に負けない強い闘争心もない。本当なら、もっと前に学校に来る事を止めていたと思う。
でも、そうはならなかった。僕はまだ学校に来ている。
それが何故か、その原因、いや、誰のおかげか、それもはっきりしている。僕の大切な幼馴染たちのおかげだ。
もう十年以上の付き合いになる。幼馴染たちは学校中から目の敵にされている僕の傍に寄り添ってくれた。それだけで何にも負けないと思えるくらい心強かった。
「お~す! 優人~!」
丁度机の落書きを消し終わった時、大切な幼馴染の一人の声が聞こえてきた。




