追い詰められて
夏休みが訪れていた。
神奈が危ない目にあってからの日々は、忙しく、流れるように進んで行った。
事件が立て続けに起こっていた学校は、いつも慌ただしくなり、三年のクラスではほとんどが自習になった。翔也の葬儀も行われて、もちろん僕たちは参加した。翔也の家族とも顔見知りだったけれど、一言も言葉を交わすことはなかった。
これまでにいろんな事がありすぎて、学校のメイン行事である期末テストも、まったく身が入らなかったけれど、あまり気にする余裕もない。高校三年の夏が勝負という事も分かってはいるけれど、心に余裕がなさすぎる。
終業式では、いつも以上に安全にこだわっているような校長の話を聞きながらも、周りで何かが起きるかもしれないと神経をすり減らしていった。いつも以上に退屈な話が長く感じる時間を過ごした。
三人は僕なんかよりもっと辛かったと思う。自分の命に関わるような何かが起きるかもしれない。常にそう考えて生活する事の精神的負担は計り知れない。
一真はすっかり人相が変わってしまっていた。頬がこけて、目が落ちくぼんでいる。
神奈は明るかった性格が嘘みたいに、いつも怯えて過ごしている。
異変が起き始めた頃は気丈に振舞っていた恵里香の顔からも、笑顔が消えてしばらくたった。
心配した三人の家族が病院に連れて行った事もあったけれど、身体には何も問題がなかったらしく、やっぱり精神的なものが大きな要因になっていたのだと思う。
翔也が死に、一真、神奈と立て続けに危険な目に合ってからは、皆口には出さなかったけれど、神様の存在を疑わなくなっていたと思う。そんな突拍子もない存在を現実に感じてしまうほどの異変が起きていた。
僕は絶対に三人を守ろうと誓っていた。
周りからの虐めにただ怯えて、頼りになる幼馴染たちの陰に隠れていただけの情けない自分。いつまでもそのままではいられない。変わらなければいけないと強く思った。今変わらなければ、また大切なものを失ってしまう。
出来る限り三人から目を離さないようにして、学校にいるときは常に一緒にいたし、休む事が多くなった三人の家までよく通う事にした。僕にとっては三人が一番大切で、神様なんかに渡したくないと強く思った。
そうして僕たちは大きな事件もなく夏休みを迎える事になる。相変わらず、形代に包まれた髪の毛の束が落ちている事もあったけれど、そのくらいはもう気にしていなかったし、夏休みまで三人が怪我をすることなく無事でいてくれた事に心の底から安堵した。
それで気が緩んでしまったのかもしれない。
夏休み初日、恵里香が怪我をしたという連絡を受けて、僕は自分の迂闊さを後悔することになる。
急いで恵里香の家に向かうと、一人なのか、自ら出迎えてくれた恵里香は、左腕に包帯を巻いていた。
「恵里香、それ……」
「うん、病院で縫ってもらったの」
そう言って包帯で白くなった腕を見せてくれる恵里香。よく見ると、一部ガーゼが貼ってあり、包帯はそれを固定しているみたいだった。大きさからみて、かなりの数縫ってある事は用意に想像出来た。
「昨日の夜、あの状況をどう説明すればいいのか、ただ私が見ている前で包丁が勝手に動き出して、あり得ないよね普通なら。でも本当なの、びっくりして咄嗟に腕で庇ったら……こうなっちゃった」
恵里香は困ったように笑っている。痛々しくて見てられなかった僕は俯いた。
「恵里香、ごめん」
「優君が謝る事ないよ」
「でも、ごめん。皆を守るって決めてたのに」
「優君が沢山心配してくれてた事は知ってるよ。本当に嬉しかったの」
「けど、結局恵里香には怪我を……一真と神奈の時は傍にいれたのに」
「いいんだよ。私は怪我をしただけだから……翔也君みたいにはならなかった、から」
最後の方は声が震えていた。顔を上げると、恵里香の目が潤んでいる。
「だ、大丈夫。うん、私は、だい、じょうぶ」
「恵里香、無理しないで」
「無理なんて、あ、あれ、おかしいね。泣くつもりなんて、なかった……のに」
「泣こうよ。感情を殺してたら、本当に壊れちゃうよ」
「ぅ、ぅう……怖かったぁ」
「うん、よく頑張ったね」
「優君、怖かったよぉ」
「恵里香、生きていてくれてありがとう」
抱き着いてきた恵里香は声を殺して泣いている。僕は少しでも落ち着けるように、ゆっくりと背中を撫でてあげる事しか出来なかった。恵里香の体温を直接感じて、生きていてくれた事に本当に安堵する。
怪我をしてしまったから、良くはないけれど、恵里香の言う通り怪我で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。
一真や神奈の時は、確実に怪我だけでは済まなかったはずだった。恵里香も、少しでも違う場所に怪我をしていたら危なかったかもしれないけれど、誰もいない時に怪我で済んだのだのは、考えようによっては運がよかった。
その後は一真と神奈を迎えに行って、恵里香の家に再度集合した。
空気は最悪。前までは、幼馴染メンバーで集まった時に静まり返る事なんてなかったけれど、今は誰も自分から話そうとはしない。皆疲れ切った表情をしていて、重苦しい空気を身体から発しているみたいに見える。
僕は少し前までの、楽しかった日々を思い浮かべていた。
笑顔と話声で溢れていたあの日々とは何もかもが変わってしまっている。人数だって足りないし、残っている人も、皆別人みたいに人相が変わってしまった。
実際に身の危険に合い、一度はそれを回避したとはいえ、恵里香が怪我をした事を知った一真と神奈は、最近はめっきり表情に乏しくなった顔を歪めていた。実際に怪我をした恵里香の衝撃はそれ以上だろう。
僕たちは限界を迎えようとしていた。
「ねぇ、もう一度、行ってみない?」
沈黙が支配する部屋に恵里香の声が小さく響く。
恵里香は俯いたまま、一真と神奈も反応がなく、聞いているのかも分からない。再び、少しの沈黙がやってきて、どうしてかこの話を終わらせちゃいけないと思った僕は、恵里香に聞いてみることにした。
「どこに?」
「……あの神社に」
その恵里香の言葉には、さっきまで廃人のようになっていた二人も反応して顔を上げた。その表情には恐怖が張り付いている。
「絶対に嫌! あんな神社に行ったせいでこんな事になってるかもしれないのに、なんでまた行かなきゃいけないのよ!」
「オレも、行きたくはない」
ヒステリックに叫ぶ神奈と、ただ短く答える一真。二人の返答に恵里香はまだ俯いたままだ。
「恵里香、どうして神社に行きたいの?」
話を進めてくれることを待っているかのような恵里香に、僕はまた疑問をぶつけてみた。すると、俯いたままだった恵里香が顔を上げる。
「あそこに行けば何か分かるかもしれないから」
「何か分かったところで何? 行けばアタシら助かるわけ?」
「分からないよ。けど、何も分からないままじゃ、何も出来ないでしょ?」
恵里香に見つめられた神奈は、少し気まずそうにして口を閉じた。恵里香の言葉にもっともだと思ったのかもしれない。実際、僕もそう感じた。何も分からないままじゃ、どうすればいいのかも分からない。
「行ってみようか」
「優人⁉ 本気?」
「うん。どうせ、他に出来ることもないし」
「けど、危ないかも」
「それは、どこにいてもそうだよね。それに、もう皆限界だよ。このままじゃ壊れちゃう」
「そんな、こと……」
最後まで神奈は言えなかった。壊れそうな自覚も、皆が壊れそうな認識も持っているからこそ、ないとは言い切れないのだろう。だからこそ、何か出来ることはやるべきだと思った。
「でも、神奈の言う通り危ないかもしれないから、僕だけが行ってみるよ」
「優君、私も行くよ」
僕が善は急げと立ち上がると、恵里香もすぐに立ち上がった。
「アタシは……アタシも行く! どこにいても怖いし」
しぶしぶ決断した神奈も続いてくれた。あとは一真だけ、僕としては、一番憔悴している一真には本当に無理はしないで欲しいと思っていたけれど、皆に続くように立ち上がってくれた。
「オレも行く」
短いけれど、少し力がこもっているように感じた。
四人で頷きあう。
何が起きるか分からない。それでも僕たちは神社に向かうことにした。




