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這いよる危険


 屋上の手すりが落ちてきた事で、学校では軽いパニックが起きた。


 あの時、僕はとっさに一真に飛びついて押し倒した。そのおかげで、手すりが直撃することはなかったけれど、かすった破片で僕の腕からは結構な量の血が出ていた。


 一真は呆然としていて、口をパクパクさせながら声にならない言葉で喋ろうとしていた。

 駆けつけて来た神奈と恵里香は、状況を見てすぐに何が起こったのかを理解した。

 神奈は怯えたように震えて、僕たちの横に立ちすくんだ。

 恵里香は泣きながら必死になって僕の腕を押さえて血を止めようとしていた。


 結局、僕の怪我は大した事はなかったし、一真にも怪我はなかった。僕から離れた事を後悔しているのか「ごめん、ごめんね」と泣きながら手当をしてくれる恵里香をなんとか落ち着かせる。恵里香のせいじゃない事なんて明らかだ。


 落ちて来た手すりは、かなり錆びついていたらしいけれど、どうして落ちて来たのか詳しくは聞いていない。


 あの時聞こえた奇妙な音と、狙ったように一部分だけ落ちて来た手すりの事を考えると、あまりまともな原因が見つからないような気もしていたからだ。


 一真はすっかりと生気が抜けたようになってしまって、ただ呆然と治療を受ける僕を見ていた。


 最近は気丈に振舞っていた恵里香も、酷く泣きじゃくって、落ち着いた後はすっかりと静かになってしまったし、一番気力のありそうな神奈も、会話がワンテンポ遅れるくらいには動揺しているみたいだった。


 その日、僕たちは四人で固まって一緒に家まで帰ることにした。


 いつも一緒に帰っているけれど、分かれ道でそれぞればらけていた。それを近い順に、一真の家、神奈の家、恵里香の家と順番に送って行った。


 道中で、形代に包まれた髪の毛の束を何度も見たし、視線を感じたらしい三人が反射的に振り返る事も、少なくない数で経験した。


 帰り道、皆ずっと怯えていた。『神様に連れて行かれる』そんな言葉が現実味を帯びてきているように感じた。





 翌日。


 空には重苦しい雲が敷き詰められていた。見ているだけで陰鬱な気持ちになる。


 一真と恵里香は体調不良で学校を休んでいた。一応本人たちから直接連絡も持っらっているから、そこまで心配はしていない。昨日の事もあるし、休んで心を落ち着けるのは僕も賛成だった。


 神奈だけは学校に来た。家に一人でいる方が不安だったらしい。明らかに調子は良く無さそうで心配になる。二人もいない事だし、今日は神奈から目を離さないようにしようと、心の中で誓う。


 そうして迎えた一日は、僕の心配とは裏腹に、学校では特に何かが起こることもなく平凡な日常が続いた。最近よく見た紙包みもなく、神奈が視線を感じる事もない。


 昨日の手すりの件もあって、学校には警察や普段いないような大人たちも来ていたけれど、僕たちにはあまり関りなく、いたって静かなものだった。


 そんな平穏な日常に、神奈も少しずつ余裕を取り戻してきた。


「ねぇ、一緒にトイレいこ?」

「うん、行くけれども、廊下で待ってるからね」


 なんて言って、僕を揶揄っていたずらっぽく笑っている。なんだか、神奈が笑っているところを久しぶりに見た気がした。見慣れていたはずのその笑顔が、とても貴重なもののように思えてくる。思わず少し見惚れた。


 昼休みはいつもの中庭に行き、二人きりでお弁当を食べた。


 いつもは五人で……最近は四人で座っていた二つ続きのベンチがやたらと大きく感じる。


 湿度が高くじめじめしていた空気も、風がよく吹いてくれたおかげで、そこまで気にならない。天気がよくないけれど、最近の陰鬱な雰囲気が嘘のように安らげる時間だった。


「あ、そのちっちゃいハンバーグ美味しそう」

「一個あげようか? その代わり、優人の卵焼き頂戴」

「いいよ。交渉成立」

「んじゃ、はい、あ~ん」

「ぅえ⁉ いいよ、自分で食べるから!」

「何恥ずかしがってんの?」

「いや、普通にはずかしいよ。それに神奈のお箸だし」

「間接くらいで何よ。アタシは優人になら直接キスできるわよ」

「いやいや、それはもう少し恥じらいをですね」

「じれったいなぁ。アタシらの仲でしょ、ほら、あ~ん」

「うっ……あ~ん」


 お弁当のおかずの交換なんて、これまで何度もしてきたけれど、今日は何だか変に意識してしまう。きっと二人きりのお昼という珍しいシチュエーションのせいだと思うことにし、美味しそうなハンバーグを食べさせてもらう。残念ながら、変に意識したせいで味がよく分からない。


「じゃあ次は優人があ~んで食べさせてね」

「えぇ⁉ 僕もやるの⁉」

「当たり前でしょ? アタシだけ食べさせてもらえないなんて不公平じゃない」

「そうなのかもしれないけど、どうだろう?」

「ほらほら、早く、早く頂戴! ねぇ早く」

「うん分かった! 分かったから落ち着こうね!」

「んじゃ……あ~ん」


 神奈が目の前で口を開けた。何故か目は閉じていて、じっと待っている。ちょっとだけ開いたままの口に目を奪われていたけれど、神奈が物欲しそうに身体を揺らした事で我に返り、急いで卵焼きを突っ込んだ。


「ん~、まぁまぁね」

「……母さんに伝えとくね」

「ちょっと待って、冗談だから」

「……ふふっ、神奈慌てすぎ」

「ちょっ⁉ 酷くない?」


 慌てる神奈が可愛らしくて、思わず吹き出す。神奈も抗議しながらも笑っていて、しばらく二人で笑いあった。こんな軽いやり取りが、何よりも日常を感じさせてくれる。最近は身の回りで起きる事件に振り回されてしまい、皆が疲れ切っていた。いつも見ていた笑顔、久しぶりに見たそれはとても綺麗で、いつまでもこの笑顔を守りたいと強く思った。


「はぁ~、ちょっと休憩」

「ちょっ、神奈?」


 神奈がピッタリと身体をくっつけてきて、僕の肩に頭を預けて来た。身体に感じる温かな感触と、すぐ近くにある髪からいい匂いを感じる。突然の事に動揺したけれど、目を閉じている神奈が心から安らいでいるような表情をしていて、僕はじっとしていることにした。


「優人、頭撫でて」

「へ? えっと、はい」


 おっかなびっくりに神奈の頭に手を置く、痛くないように気を付けてゆっくりと撫でてみると、神奈は猫のように目を細めた。


「ん~気持ちいいねぇ」

「それは良かった」

「ちっちゃい頃はさぁ、アタシらインドアだったから、よく二人だけで一緒にいたよね」

「そうだね~。本読んだり、ゲームしてたね。で、たまに外で遊んでる三人を中から眺めたりして」

「そうそう、ホント懐かしいよね」

「そうだね」

「毎日が、こんな風に幸せだったらいいのにね」

「……そうだね」


 ゆったりとした風が僕たちを撫でるようにふいていく。

 二人だけの静かな時間。

 伝わってくる温かい感触がとても愛おしい。

 このまま時間が止まればいいと、心の中で思った。

 神奈が腕をまわして抱き着いてくる。


「もうちょっと、こうして幸せを味わってよう」


 僕たちは、お互いの体温を感じながら、授業ギリギリまで中庭で過ごした。




 心安らぐ時間を過ごしたあとも、何事もなく平凡な時間が続く。


 教室に戻った時も形代が落ちているような異変はなく、神奈が視線を感じることもない。相変わらず僕は無視されているけれど、それは別に気にならない。神奈と二人でいれる事の方が大切だった。


 授業が終わって、クラスメイトたちが教室から出て行っても、僕たちは遅くまで教室で喋り続けた。僕も神奈も、何も起こらない時間が嬉しくて、少しでもこの時間を満喫したかったからだ。


 誰もいない教室で、誰に気を遣うこともなく、二人だけの世界に浸る。そんな幸せな時間。


 けれど、楽しい時はあっという間で、気が付けば外が暗くなり始めていた。流石に夜に外を歩く気分にはなれなかった僕たちは、しぶしぶ教室を後にした。


 それでも名残惜しさを感じて、廊下を出来るだけゆっくりと歩いてみる。神奈も同じ気持ちだったみたいで、何も言わずに歩調を合わせてくれた。


 校庭からは、まだ部活動に励む生徒たちの声が聞こえてくる。何気なく外を見れば、野球部が気合の入った声を出して練習していた。


「ねぇ、手つなご」


 神奈の言葉に応える前に、手を温かい感触を感じた。


 神奈が手は柔らかかった。手を繋いだまま寄り添って歩く。何だかこのまま離れたくないような気持ちになった。


 どちらともなくお互いに笑いあう。はにかむような神奈の笑顔、その向こう側。校庭に面した窓の向こう側に何かが見えた――。





 咄嗟に神奈を抱き寄せる。


 その瞬間、窓ガラスが砕け散った。


 窓を割って侵入してきた物体は、神奈の頭をかすめて、そのままの勢いで壁に当たって落ちた。


 野球の硬式球だった。


 壁はボールの形に凹んでいる。


「嫌ッ⁉」


 嘆きに近い短い悲鳴を上げた神奈は、僕の胸に顔を埋めて震えている。僕も段々と状況を理解する中で手が震えて来た。少しでも遅ければ、神奈はいったいどうなっていただろう。ボールの当たった壁の凹みに目を向ける。頭が陥没している神奈の姿を想像してしまい、慌てて嫌な妄想をかき消す。


 壁から目をそらすと、僕たちのすぐ近くまで散らばっている割れたガラス片が目に入る。沢山のガラスが突き刺さり、血だらけで倒れている神奈の幻覚が見えた。


「ぅ、ぅう、う」


 恐ろしさに負けて、上手く声が出せない。


 一番怖いのは、このボールだった。


 校庭と校舎の間には事故防止のために高いネットが張られていて、しっかりと空間が区切られている。野球ボールが校舎に飛んでくることは、本当ならあり得ないはず。


 しかも、いくら硬式球とはいえ、窓ガラスを割って、その上壁にめり込む程の跡をつけるだなんて、いったいどれほどの威力があったのだろうか。


 ガラスが割れた音が聞こえたのだろう。遠くから騒がしい声が聞こえてくる。


 僕と神奈は、教師や他の生徒が駆けつけてくるまでその場を動くことが出来なかった。

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