9.エリアルの元アジト
最早ドラゴンにも迫るだろう力を一盗賊が持っている事実を、論理的思考を基とする彼は信じられず、幻覚にでもかかってしまったのかと錯覚するほどだった。無論、彼女は力を隠しており、今は弱々しい盗賊娘に成り済ましている。
「とんでもない奴だな」
案内を受けている鬱蒼とした道中は魔獣に食い荒らされた人肉や人骨が散見されるようになる。
一つ間違ってもこいつらのように、惨めな死に方はしたくない。下手をすればああなっていた可能性が頭を過り、身震いを起こす。
「ご主人様、あれがあたしの住処だった場所です」
魔獣を薙ぎ払ったその先にて、エリアルの案内を経てデッドフォックスの縄張りに到達した二人。
複雑に入り組み、魔力を有する厄介な魔獣も多く出る辺境。道を知る者でなければ近づくことはおろか、探知すらままならず、テムズの提示する策に乗り気じゃないながらも縄をかけた彼女は、アジトがある洞穴の中に入っていった。
「きひひ……」
「おう、エリアルか」
「ただいま、カムラ! クソが……ご主人様以外があたしに声かけんじゃねえんだよ」
エリアルは小さく低い声で汚らしい言動を走らせている。こんな裏表のある人間、いやだ。所々、小さな嫌悪感を見せる黒い女は猫を被りながら、この場を切り抜けようと奔走する。
「なんか言ったか?」
陰口が聞こえたようで、今度は耳を澄ませながら尋ねてくる門番カムラ。
おとぼけた様子ながら、なんたる気迫か。一盗賊に納めておくにはもったいない武力を、あの男は有している。
「ううん、面白いものをたくさん見つけて、ついつい喜びで独り言を」
「そうか、ではその成果、ボスに成果を報告してもらおう」
エリアルと似たような格好をした屈強な男に案内され、アジトの奥へと連れて行かれるのだった。
木の幹をくり抜いて、地下へ拡げられているアジト。これだけ徹底されては、ギルド連盟が血眼になって探して見つからないのもうなずける。見つけにくい地形に魔獣の臭いや魔力が邪魔をし、その住処でもある。行って来いと言われても行きたくない場所筆頭だ。
連盟が目星を付けた時期もあり、追手を派遣した時期もあったが、案内もなしではギルドお抱えの連中らは森を抜ける術も知らないままに魔獣に食い殺されていく。
「その男は?」
「えっと、お宝を巡って争った魔術師。中々強かったんだ」
「へえ、魔術師ごときに遅れを取らなかったのなら、お前もやっと一人前ってところか」
カムラのテムズを馬鹿にした言葉に、エリアルは表向き喜びながら、内心では殺意に湧き立っているようであった。張り付いた笑みが、すっかり慣れ親しんだテムズには偽りだと分かるのだ。
道すがら、彼らが拐ってきたと思しき子どもの奴隷たちが閉じ込められているところに出くわす。生きる希望を失い、ただ使い潰されるだけの肉人形として売られるのを待つのみの彼らはどうなるのだろうか。
この世がもたらす絶望の片鱗を心の片隅に置きながら、彼は第一に目的を果たすために、顔を向けることなく通り過ぎていく。
「ダメダメなエリアルが強くなる。感慨深いものだな」
テムズたちは岩肌が所々突き出している廊下を歩きながら、ようやくアジトの深部に到達した。その先の、お世辞にも絢爛豪華とは言えないボロ椅子で踏ん反り返っている大男は魔獣から拵えたであろうド派手な盗賊装束に身を包んでおり、膝を着くエリアルとテムズを高みから見下ろしていた。
彼と比較すると、エリアルは何分の一にも満たないサイズで、そんな彼女が手の平にすら乗っかってしまうと錯覚するくらいだ。
「ボス、こちらが今日集めてきたアイテムです」
エリアルが袋をポーチから取り出し、中に入った宝を見せる。それらをじっくりと拝んでいた彼はその価値に驚いたのか、目を見開いて笑った。
「ほう、魔術的な価値はかなりのものだな。知っている奴に売れば金貨100枚は下らない」
これらの資料には今は失われて再現のしようがなくなっていた魔術構築の技術が多分に含まれていた。
古代王都式に、魔女の文字を合わせて完成させられており、かつ人にも扱えるように調整が施されている。
そのことをおそらく知っているこの男もただ者ではない。
魔術師は拡散を防ぐため、技術の秘匿を必ずやっている。
それこそ、見る目が肥えていなければ単なる文字列にしか映らないように不要な文字を挟む細工をされていたり、いずれもブービートラップであり、特定の解読をしなければただの紙切れだったりする。
魔術道具の価値を見抜ける者がそこらに跋扈する、目先の利益しか考えないような盗賊にいるとは、テムズは思わなかった。
答えは簡単、このデッドフォックスはただの盗賊風情ではないという事だ。
ボスは彼女が提出したアイテムを全て控えていたカムラに預けさせる。
「その魔術師、冒険者か?」
「はい、彼もそう言っています。腕が立つので道具の解読に使えると思い、連れて来た次第です」
エリアルはいかにもそれっぽい事を言って彼女にとっての元ボスを誤魔化す。彼女を侵した魔力の気配は鳴りを潜めていて、身内をこうして欺く事に対しても弊害はない。
「……牢にでも入れておけ。時期が来たら連れて行く」
ボスは組織に良い働きをしたと認めた彼女に褒美を与える。
「これは……」
「金貨3枚だ。お前の好きな事にでも使えば良い」
働いたとはいえ、金貨を与えるとは気前の良さが別格なこのボス。
その上彼はエリアルの頭を撫で、褒め称えた。
「本当に良くやったぞエリアル。次も期待しているぞ」
「あたしはまだまだ未熟ですが、ボスの期待に応えるために頑張ります!」
これからも邁進して欲しいというメッセージと共に、強面にそぐわない笑みで彼女を部屋から送り出す。
部屋から出てテムズを連れて行く際、エリアルの態度はガラリと変わった。
ボスを尊敬していた初々しい表情は何処へやら、アジトの岩壁へ唾を吐きかける程の苛立ちを募らせている。
「ああ、うざったかった!」
気持ち悪そうにしながら頭を払う彼女の華奢な足が岩を簡単に砕く様は、昨日までの鍛錬の片鱗を思い起こさせる。
目を覆うその下に影を宿し、怒り狂う彼女であったが、牢に入っていたテムズを見たとたんに赤くなっていた顔色が元に戻り、態度も別人のように柔和になる。
「あ、あたしのご主人様だ」
今は誰も見ていないため、エリアルは奴隷状態で接してくる。
その扇情的な眼差しは女というものを知らない彼をすでに虜にしていた。
「ご主人様、昼食を食べませんか」
エリアルはボスから昼食を提供する役割も兼任している。戦闘面が疎かならば、雑用をやってのけろ。彼からの新しい切り口の提示であった。
外でやったのと変わらず、牢の中でスープを食べさせてくる。
背に腹は変えられず、恥を忍んで彼女からスープを貰うテムズ。
雑穀を適当に混ぜて作ったチープながらも食えないことはない、無難に作られた味に助けられ、特別癖もないのでその完食は簡単だった。その分面白みが薄いのが欠点となる。
「おうエリアル、わざわざ捕虜に飯食わせてんのか? それにしても中々に手厚いな。そんな奴適当で良いだろうに」
食事中に横槍を入れてくる盗賊の野郎が一人、エリアルの肩を掴む。
牢に入れれば済む飯を、わざわざエリアルの手で食べさせているのが目に映ったからだろう。彼は焦った様子だった。
「ちょっと邪魔しないで。良いところだから」
「捕虜に不用意に密着するバカがいるか」
「あ?」
エリアルは不満そうな声を漏らすが、彼は手を放さず、彼女を引っ張り出そうとする。捕虜に何をされるのか分からないのだ。
彼の行動は正しいと言わざるを得ないのだが、エリアルに対しては主人の昼食を邪魔する害意にしか映らない。
「それに言いたいけどご主人様が捕虜? さっきから礼儀がなっていないよ」
「エリアル? ぐあっ!」
ためらいもなく、エリアルが横に薙いだ短剣が男の腹を捌く。血を流す彼は倒れ伏し、そのまま動かなくなる。
「ご主人様への不敬、身の程を知れ、下郎が」
まだ死んではいないようだが、エリアルがついに仲間に手をかけた以上、うかうかしてはいられなかった。
エリアルが元仲間を手にかけてしまった。
理由はエリアルの主人であるテムズに不敬を働いたから。
エリアルにはそれだけの単純な動機があれば、武器を振るうには充分過ぎた。
「がはっ!」
口から血を吐きながら、信じていただろうエリアルに斬られた盗賊は床に倒れ伏した。その様を見下ろし、嘲笑うエリアル。
「ご主人様に逆らうからこうなるんだよ」
空気を吸うようにさっと吐き捨て、彼女は残った食事をテムズに食べさせる。生きてはいるようだが、血を吐いて死んでしまった人間の側で食べるなど、良識が希薄ながらも、それなりには備わっているテムズには気が引けた。
「ご主人様、あーんして下さい」
エリアルにはご主人様しか見えていないので、問題にはならない。辛い、だとか、気持ち悪いだとか、主人に奉仕するために不必要な感情は軒並み廃棄されている。
「そろそろ虫が来そうですね」
過敏に反応しているのか、両脇に携えた二本ある短剣の一本に手を掛け、振り向き様に一周、剣を横へ薙いだ。
「何事だ、貴様!」
笑顔の彼女から一口貰ったところで、騒ぎを聞き付けた盗賊連中が大挙して駆け付けてきており、討伐隊を統率する一人の男がエリアルの剣を止めていた。
仲間との信頼を重んじる盗賊に裏切りは許されない。
殺す。彼らが裏切り者のエリアルを裁くための方法はそこへ集約されていた。
エリアルは転がっている元仲間に腰を下ろし、あまつさえ捕虜に優しく振る舞っている。
粛清せずしてデッドフォックスの秩序は崩壊の一途を辿る。
ならば彼らが取るべき行動に、選択の余地などありはしない。
「組織にあだなす裏切り者は殺せ! 生きて返してはならん!」
仲間を裏切っているのは明白の行為を、彼らが許すはずもなく、剣を引き抜き、粛清にかかる。
両手に頑丈な縄をかけられたままのテムズにとって、命を取られるかもしれないその緊張感は計り知れず、迫りくる脅威に呑気に食事を堪能している場合ではなかった。
「乗り込め! エリアルを殺すのだ。男も抵抗するようなら殺して構わん」
盗賊たちは裏切り者に穢された組織の尊厳を守るため、数で圧殺するために狭い牢屋に乗り込む。
対するテムズの味方はこの事態を引き起こした張本人のエリアル。
夕陽に落ちるような黄色に煌くバンダナを巻いた黒髪の少女は使い込んだ短剣を膝から取り出し、牢屋の奥から手前へ、一気に駆け抜けた。
「あはっ! 今までのあたしならこの中の誰にも勝てなかったけど、今なら」
「ぐえ、ぐぎゃぁぁぁ!」
「がぁぁぁぁあぁぁぁぁ!」
「ば、ばかな……」
熟達を必要とする重い武器を軽々と操る彼らが、彼女の通り抜けざまに一斉に倒れる。
返り血を浴びたエリアルは自分の高まっていた力に対して、あからさまに酔っていた
小柄な身体を持ち味に舞う彼女の持ち味はとにかく速度に尽きる。
その野性味溢れるけだもののような動きは、テムズだけでなく仲間をも心惹かせる。
奴隷となった彼女が織り成す高速の世界に、誰も追い付けていなかった。主人であるテムズでさえもだ。積み重なる死人連なる瓦礫の山へは見向きもしない。
「あたしたちの愛を育むための食卓が汚くなってしまいましたね」
人を斬っても物怖じ一つしていない、つい最近生まれたばかりの見た目はひよこ、中身は悪魔な鋼の猛者。
「ご主人様、さすがにこれでは気分を害しますし、場所を変えましょうか」
一人だけでも、死体が転がっている場所での食事など正気の沙汰ではない。
エリアルの仕事柄、劣悪な環境下での食事は当然なのだろうか。獣肉といい、盗賊と魔術師ではカルチャーショックが度々起こる。
洗脳による良識の欠如となると、命令してもやってくれるのか疑問である。
「最初から気分は悪かったがな。ともかくもう飯は食ったし、本陣強襲と行こう」
ベテランの魔術師テムズ。彼は敵に魔法を向ける際、何らかの思考を挟む。人間を攻撃するのは躊躇いが出る。現実逃避が無ければとても堪えられる光景ではない。しかしながら彼女にはそういった箍が存在していない。
迷いが無い兵士そのものを、鮮やかな赤を被った彼女は体現している。
誰もが、喉が手が出るほどに欲する戦闘における最強の駒は感情に左右されないのが至高となる。
それを達成している彼女はたとえ狩り損ねた敵であろうと容赦しない。
「逃さないよ」
小柄で軽い彼女の身体が存分に活かされる、天井や壁を自由に行き交う我流の戦闘の型。多人数が相手でもあれだけ圧倒した
「ボス、裏切り者が、仲間をみんな……ガァァァァ!」
「ご主人様、みんなやっつけました! あたしを褒めて欲しいです!」
「それはボスを倒して、金品を根こそぎ奪ってからだ」
血に濡れることは全て彼女がやってくれる。明らかに間違った安堵を覚えるテムズはそれが誤ちを犯しているのを認めながら、彼女に頼りきる。
育てた彼女に任せきり、彼は決して手を汚さずに目的を遂行する。たとえそれを彼が望まなくても、彼女の強さは強硬してしまうだろう。
ならば任せてしまえ。緩んだ自分が自分にささやく。
エリアルに縄を解いてもらい、自由になった彼は死体が積み重なった牢を脱出する。
「復讐のためになら、なんでも利用する。俺は一度死んだ。ここを潰すのはその一歩を踏み出すために過ぎない」
エリアルの裏切りはすでにアジト中に轟いていた。彼女を殺すそのためだけに、あらゆる場所からデッドフォックスの構成員が所狭しと襲いかかってくる。
「鬱陶しい奴らだ」
数十人という数を無視しながら、狭い通路を抜けてボスの元へ戻るのは現実的に不可能に近い。そうなると、残るは策など弄さない、力による殲滅ただ一つ。
「ご主人様、いかがしましょうか」
指示を仰ぐエリアルへお望みの言葉を。
殺せ。この一言が、小娘を悪魔も殺す鬼へ変貌させる。血に濡れた剣を払うと、それは新たな血を求め、啜るためにうごめく。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
凶刃が盗賊の首根っこを十字に斬り裂き、張り倒す。そいつは瞬く間に命の灯火を消し、盗賊たちの間に怨嗟を呼び込む。
「よくも仲間を!」
「エリアルは完全に乱心した。殺して裏切りの罪を禊がせるのだ」
「ボスの目の前に裏切り者の首を持っていけ。そうすれば幹部へ昇進させてくださるそうだ」
デッドフォックスの威信のため、またあるいは昇進という名の組織における地位向上への欲求のため、単純に仲間への弔いのため。
それぞれの思惑が交錯する中で、エリアルだけが一人、組織を捨て、滅ぼそうと一人舞う。胡蝶のごとく踊り、跳ねながら、恨み、呪ってくる醜き肉の壁を、揃わせてから一気に斬り裂く。
一輪の花と見紛う、咲いて散る鮮血が地味だった岩肌を生々しく、鮮やかに彩っていた。
形だけの肉塊どもは言葉も失くして倒れ伏し、血溜まりで死を演出し、エリアルはそれを踏みにじる。最初から誰かの意図など関係なかった。独裁者エリアル、ただ一人の思想こそ正しい。
「じゃあ次はクソなボスですね!」
廊下に蔓延る雑兵どもを徹底的に薙ぎ払い、エリアル曰く、宝物庫があるとされるボスの部屋を目指す。
「頼むぞ。お前だけがあいつを倒せる」
病み上がりのテムズでは、カムラよりも上の猛者であるボスを倒すのはかなり厳しく、敗色濃厚だ。
喧嘩を売って返り討ちに遭っては恥も良いところだ。やるからには確実に勝ちに行くために、戦力の投入は怠らない。
「うひひ、ご主人様に頼られている。あたしが、この、あたしが!」
残酷で単純なエリアルは頰を綻ばせながら、感情の起伏に合わせて身体を揺らしていた。
「倒したらなでなでしてやるからな」
「ふわぁ、なでなで! エリアル、ご主人様になでなでしてもらうのが一番好きになりました」
一回やっただけのものにご執心、迷いもなく飛び付き、最終局面への気合を存分に高めていく。