7.強さの誇示
エリアルは洞窟にて、汲んだ月明かりに照らされながら、換えの服に着替える。
戦いの渦中に身を置く都合上、清潔感を保つための盗賊服はたくさん替えを用意しているようで、先程と見た目には大差無い姿となっていく。
着替えにおいて恥ずかしがることはまず無い彼女は、彼にむしろ見せつけるように振る舞っている。
「ご主人様、そっぽ向いているのはなんでですか?」
「いや、女の裸を見るのはあれでな」
「ご主人様は女とお付き合いしたことは無いのですか?」
テムズから見られても恥ずかしがる素振りは見せない。むしろ堂々と構えていた。
主人には見た目通り、身も心もほとんどが素っ裸な彼女は彼が戸惑っているのを目に映すと、身悶えを起こす。
テムズは男としての経験には欠けており、かけらも興味を持たないはずが、この未熟さがかえって彼を蒸し暑くする。
目を細めたエリアルが首筋を舐める。
滴り落ちていく汗を舐めているようだ。
普通に気色悪く思うテムズとは対極を示す彼女にとっては当たり前で、日常生活の一環として嵌められている。
「ご主人様も男の人なのですね。ご主人様なら、あたしの肌に触っても全然構わないのですよ」
真っ当な感性を持つ人間には分かりようがない慎ましやかな趣も、魔術で常識的思考を全て外されてしまった彼女には理解が及ぶのだろうか。
考えるだけ無駄でしかなさそうだと思わせる立ち振る舞いだ。
全身を預けるように寄り掛かる小さき半裸の女にテムズは鼻の下が伸び、頬を赤らめる。
「ご主人様と結婚……そそるものはたくさんあると思っています」
「出逢って間も無く結婚とか、まともな考え方ではないぞお前……」
「奴隷であるあたしの世界観ではこれが常識なのですよ」
洗脳によって剥かれた心には、性別の垣根を越えた濃密な触れ合いなどものともしない胆力があった。
エリアルはヘソを出した腰を押し当て、以降離れようともしない。
まろび出る彼女への劣情が男を苛ませている。
悶々とする蒸れた身体が息を炎のように下から上へ、覇気を漂わせる。
「ご主人様が段々とあったかくなっていく。女の子が好きなのですね」
エリアルはテムズの顎を触りながら、その感触を、温もりを、極上の高級品に心を奪われたかのように嗜んでいた。
「俺は決してそんなことは」
「ご主人様は嘘吐きです。そこは悪い癖かと、あたしの立場からでも申せますよ」
奴隷であると抜かしながら、下手に出るばかりのその態度ではおくびにも出さない影での発言の強さが、彼から言葉を失わせる。
「ぐっ……」
認めてしまえば、テムズのストイックな心構えが偽りのものとなる。
他の全てを捨て、魔術の道を進む気構えが、虚像となる。
気位の高さに定評がある彼には、女になびく隙など無いと自負し、他人にも知らしめてきた。
「嘘吐きは、あたしみたいな泥棒の始まりですよ」
彼女の甘言は固く締まった肉のような彼の内面から感情の腑を引きずり出す。
思ってもみないはずの激情が、たくさん漏れ出してくる。
勝手に定めていたのであろう、頑丈なルールが急速に破られ、本性をあらわにしていく。
「俺は、女が、女に好かれたかった。でも、こんな魔術しか能が無い男を好くような奴なんか」
肌を擦り合わせられたあげくに全身で固められ、満足に腕や足も上げられなくなる。
そのまま押し倒されると匂いを嗅がれ、さらに増長していくエリアルは頰をより赤らめ、目にハートを浮かべて欲情していた。
ついに、ついに彼は内に秘めた中身を洗いざらい吐露する。
彼の趣味は大概の人間には受け入れられない代物であり、女はおろか、誰からも見向きもされない。
腫れ物として見られ、疎外感を受けた経験は数知れず、彼のそうして傷んだ心は次第に殻を被られる。
元から利己的な彼は自分だけの自由な空間を作り出し、そこに自らを監禁していた。
自分だけの幸せのために追及を続ける。
この生き様が彼をどこまでも高みへと引き上げていく。
「ご主人様、こんな盗賊の小汚い身なりですが、何卒よろしくお願いします」
寝かされた隣には、美少女。風によって背後に下げているお下げが束になって彼方を乞うように揺らめいている。
あまりに唐突な彼女から起こる流れに、無抵抗にも乗せられ、あまつさえ目を滑らせる。
状況がいまいち飲み込めないテムズ。二人の空腹が鳴る頃、エリアルは気分転換にと、ディナーの準備に取り掛かろうとテムズから離れ、そそくさと動き始めた。
「ご主人様のような方がパートナーで良かったです。近くの町に行ったらすぐに結婚しましょうか」
洗脳で植え付けられた偽りの愛をまるで本物のように扱う。この事にはおそらく気づいているにもかかわらず、こんな口で物を言うためにペースを崩される。
語弊があった。事実を上書きした偽りであろうと、魔術はこれを真実だとし、エリアルに語り掛ける。
エリアルは知っていたとしても、洗脳に恭順し、快楽を追い求めるのを何においても優先事項に据える。
「お前は女とはいえ子どもだろう。子どもに欲情する親父がそう簡単にいてたまるか」
テムズはエリアルの妄言を真っ向から否定する。独り身の彼にパートナーは要らない。利用し、利用される。報酬が介在する希薄な助け合いの関係で十分である。
「奴隷とご主人様との身分差婚、楽しみですね」
「こいつ、全然話を聞いてないな」
しばらくだんまりを決め込んでいるとさすがに摩耗してきたのか、テムズをチラチラと横目に収めながらではありながら、ようやく服を着る。洗濯を終え、太陽光であれだけ乾燥させた新品同等の品だ。
「おあずけですね! ご主人様のお気持ち、お察しします。ふわぁ、ご主人様にほっとかれて、弄られるのも好きぃ」
放っておいても好感度が上がる異常者に類する気質も相まって、なじりに対しても無敵に近い。
嫌われる方法があるなら知りたいくらいの溺愛ぶりには、多くの人間と出会ってきた彼にも非常に新鮮であった。
柔軟な一方で硬くもある難攻不落の城には持ち得る手札を切っても攻めようがなく、時間だけが虚しく過ぎ行く。
「エリアルの魔力、何もしていないのに上がっている。気のせいか?」
断続的に不穏になる事を言う彼女に対し、彼はそれでも耳を貸さずにいると、彼女はいつの間にやら汗水もない最初の姿に回帰していた。
ただ一つ違うのは左目に宿る魔術刻印。そこから生まれる力はやはり強大さを増している。
その魔力は突拍子もなく上昇しており、全身へもれなく寄与している。
「気のせいなんかじゃなさそうだな」
彼女の増した実力に比例して、術式も生き物のように適応しようとしているのか。魔術に精通したテムズでさえも不可解に映る光景であった。
「えへ、あたし、まだ強くなってる。でも、これからもっと強くなりますよ」
テムズが言って初めて、エリアルも力の上昇に気づいた。
無自覚な状態での力の底上げを軽く試してもらうと、剣の一振りで強風が巻き起こる。
足腰で踏ん張らなければ、この薄氷のごとき身体なんてたちまちに吹き飛ばされてしまうような強烈なものとなっている。
「木が幹から崩れましたね。ご主人様のお言葉もあって、ようやく実感に到達しましたよ」
着替えを終えてから、テムズにご飯を作ってくれるエリアル。
へそ出ししている露出度の高い盗賊装束は余計な汚れを清めたのも合わせて、テムズには非常に艶かしく映る。
今日の夕食は昼間に狩った魔獣を使ったゲテモノ料理ばかりであった。
イビルギガンテにベヒーモス、ゴブリンにブエル。小型から大型まで、選り取り見取りである。
テムズはそれだけの物量を前に、辺境ながら食糧には困らないにもかかわらず、まったく食欲が湧かない。
魔獣はしっかりとした処理を施せば食べられるものが存在する。今日狩った獰猛な三つの首を有する、鳥獣サイラスを始めとして狩ることさえできれば食通の冒険者も唸らせる優良な食材はごまんといる。
そんな美味をも台無しにする臭気の猛襲はエリアルの食生活に初めて遭遇したテムズには堪え難い。
もちろん、この手の魔獣は狩ることができたらの話であり、大概の身の程知らずは突っ走っては死に急ぎ、実際に死ぬのがほとんどなため、市場にて加工されたもの以外にはなかなかお目にかかれないのが実情である。
「はい、盗賊仕込みの魔獣の丸焼きです!」
天真爛漫な笑顔で魔獣の胴体、その一部を嬉々として渡してくるエリアルの表情。彼女の顔が他に向けられた時、表情は一変し、惨たらしく生を奪う悪魔へと変貌するだろう。
主人の前では童顔で可愛く、気立ても良い。
そんなエリアルがテムズのために丹精込めて作ったものは盗賊なりの大味な手料理であった。
「ご主人様、一緒に食べましょう?」
エリアルは今朝と同じように主人の元へ料理を運ぶ。
熱々の肉汁が焚き火の勢いをより強くしており、炎に飲まれるそれらが叫声を上げる度、空いた腹が醜い音を立てていた。
彼の本音が食い物を呼んでいる。求めている。ならば食わないわけにはいかない。
「ご主人様、お熱いのでお気をつけください」
エリアルに勧められ、テムズは魔獣の肉に恐れながらも食らいつこうとしていた。
「分かったよ」
結局、ものは試しだと思い、用意されたそれらを自分の糧にするために口へ運んでいく。
敵だったはずの盗賊に端から端まで赤ん坊のように扱われるなんて経験は、テムズにとっては産まれて初めてであった。
テムズどころの騒ぎではなく、心から全てにおいて気を許した美人に骨の髄まで持て囃されるなんて前代未聞だろう。
テムズにはそれなりの金が絡んでも彼に気を許した女はこれまでに一人もいなかった。
嘘吐きな上、趣味が悪辣なのが何より分かりやすい部分であろう。
「ご主人様、好き。エリアルのご主人様」
それどころか、金が無くなればはい、さようならだ。
この頃から打算で組んで、時折使い捨てられることが増えてくるようになってきていた。
エリアルにはそのような他意は存在していないため、自分を愛でてもらおうとついには彼の元に転がり込んでくる。
「ご主人様、どうかなさいました? 困りごとはこのエリアルにぜひお話を。ご主人様を困らせる悪い虫はこのエリアルが捻り潰してあげます」
金の切れ目が縁の切れ目で、一瞬にして疎遠になっていった悲しい過去がこの期に及んで炙り出されてくる。
今にして彼がこう思えば、女をまだ一人だけとはいえ侍らせているために笑い話で済んでいて、傷は少しずつだが癒えていた。
「ご主人様、あたしはまだまだ強くなれますよ。たくさん育てて下さい。あたし、いっぱい、いっぱい育ててくれさえすれば、誰にも負けませんから!」
彼女の強さはすでに強国の騎士団における一個師団に相当すると、イビルギガンテやベヒーモスとのあくなき闘争から得た知見から推察する。
数千、或いは数万の猛者たちがこの一人に結集されていると考えれば聞こえは良い。
しかもこれでまだまだ育つというのだから、テムズは末恐ろしさにたまげてしまう。
「そしてあたしが最強を誇示するためには、その大前提として完全復活したご主人様がいなければ始まりません」
エリアルはしきりに料理を食べさせようと迫ってくる。
怪我を早く治すためにも養分を摂るのが早いのは当たり前のことであり、先人たちはこれを弁え、実行に移してきている。
エリアルもその例に則り、一刻も早く象徴を復活させようと気を揉んでいた。