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6.とてつもない成長

 後に残るのは、内外問わない血塗れで狂気に笑うエリアルだけであった。

 エリアルがイビルギガンテを一人で倒したその事実に、彼の胸中は喜びの音色に慟哭している。

 こいつは強い。その事実はより盤石となる。

 魔術の増幅分が彼女の肉体に寄与し、人間の領域を逸脱しているのはこれまでの立ち回りから察していた。

 勝利までは予見できなかった。


「イビルギガンテを一人で倒すとは、あまりの驚きに声も出なかった」


 イビルギガンテは強いという先入観に囚われていたのは確かであり、人間が一人であれから勝利を掴むのは厳しいと決め付けていたのもまた事実となる。


「はぁ、なんとかやりきりましたよ」


 エリアルが息を荒くするのを、肩で息をしているのを、テムズは始めて目撃していた。

 頑張りを褒めて欲しそうに、物欲しそうな目配りでこちらを時折見てくるエリアルに、不慣れからぎこちない笑みで迎える。


「俺たちですらかなり手こずったあいつにたった一人で勝ちやがった」


 彼女の膨れ上がった実力は、勇者なんてもう超えている。

 あの謙遜は嘘なようで、持っている実力には自覚もあったとしか思えないのが、これまでの態度や行動には表れていた。

 あんな大見栄をきれたのは、そういった要因が根底に差していたのは確定的であろう。

 エリアルは身体に付着していた血を拭きながら切り株に座り、一息吐いている。

 死闘を繰り広げた後の徒労感とは異なり、老人が優雅に茶を啜って肩を休めているような、軽い雰囲気をまとわせている。


「ふわぁぁ」


 両手を振り上げながら、大きく口を開き、まどろみに落ちていくような細い瞳が、彼の昂りをも巻き込んで堕落させてくる。


 この期に及んで可愛らしく振る舞う彼女は卑怯者だ。

 しかしながらそれでも心惹かれる魅力らしきものが、人間らしく浮かせた足を振っていた。


「死にかけておきながら、よくあくびなんかできるよな」


 彼女にいつまでもしてやられるのは男が廃る。

 やってきた安寧に置かれたことで安らぐ気持ちで、頭に雲やら花やらを浮かべていそうな年頃の女の子の頰を突く。


「勝つのはあたしですからね。特に緊張なんかもありませんでした」


 テムズも過去にイビルギガンテとはやりあった経験があったが、あくまで勇者がいなかった頃は複数のパーティ単位で仕留めていた。

 勇者パーティでさえ、一つのパーティ内でポジションをもって連携を進めて、ようやく撃破できるか否かが左右される。

 一人であんな巨獣を討伐できるのは鍛え抜かれた勇者など、実力と実績も伴っているギルドの精鋭たちくらいなものだ。


「ちょっと疲れました」


 とても少し疲れた、では済まされない傷とそこから来る出血。

 テムズに向ける屈託ない笑みなどより、痛みなどはあまり気にしていないようだ。

 戦いが終わって気が抜けた途端、無理をしていた身体は崩れ、ダメージに悲鳴を上げているのは確かであった。


「あたしにもさすがに強敵でした。身体中が骨折、出血だらけです」


 エリアルは止まらない血が身体を蝕んでいても、笑顔を絶やさないでいる。

 彼女の言う通り、右腕は変な方向へひしゃげており、頭からはかなりの出血が起きている。

 笑って流せるほどには、予断を許さない重傷がエリアルの命を脅かしていた。


「あいつは一人では歯が立たない猛獣だ。よく勝てたと今でも思っているよ」


 持っていた水を疲れた彼女に飲ませながら、回復魔法の準備を進める。

 普通の人間ならたっぷりと苦しみ抜いて死ぬ程度の状態だ。

 それでも彼女の魔力はこの運命に逆らって母体を守るために力を集めている。

 さすがにこのまま手を拱いていたら死んでしまうのは決まりきったことだ。

 そこを回復魔法で後押しさせてもらえば、これで死から全快する方向へ舵を切るはずだ。

 準備がてらに先程の働きを心から労うと、これが純粋に伝わったようで、身体を傾け、柔らかくて温かいほっぺを押し当ててきた。


「ご主人様に魔法、早くかけてもらいたいな」


 穢れたとは思わせない純真な瞳で真心を照射するエリアルの期待を裏切るわけにはいかない。

 一方で、戦力を欲する利己的な考えから言わせてもらえば、せっかく我がものにした貴重な武力をつまらない葛藤で無駄にするのは釣り合いが取れていないのは明確だ。


「強くなるには強い敵とたくさん戦うのが近道です。おかげで経験値がたくさん手に入りました」


 彼女はこれまでこそ矮小な悪党に過ぎず、力だって実際そこまで強いわけではなかった。

 むしろかなり弱い部類に入っていると見てまず間違いは無い。

 魔力も異常に上がっているとはいえ、才能がものを言う魔法方面で、体術を得意とする一端の盗賊が使いこなしているとまでは言いがたい。炎魔法以外はてんでなっていないまである。

 彼女においては、身体能力に寄与を促す力の使い方が格段に上手くなったとでもいうべきだろう。


「はぁ、何がともあれ楽しかったです」


 エリアルを人間たらしめた、その人間らしさが魔術で消え去り、狂気と無謀な行動を兼ね備えるようになったことから、彼女には臆面というものが消え去っているというのが目に見えて判ってくる。


「ためらいなく敵を殺すことはすなわち、国で武器として扱われる俺たち冒険者の大方が辿る末路に倣うということだ」


 人を満足に殺すには、華があった人間味とは決別する必要がある。

 テムズも敵国の間者とは数え切れない死闘を演じ、これを征してきた。手に付いた見えない血は数知れない。

 もうこれを気にせず、日常生活を送れるようになれば、いよいよ末期だ。人の心など持ち合わせていないとまで断言できる。

 表では世界の希望と謳われ、崇められるあの勇者サイガでさえ、裏では測り知れない数の命が糧となり、冥界をうごめいている。


「あたしはご主人様のお人形です。殺せと言われたら何の感慨も無く敵を殺すことはいといません」


 操り人形であるエリアルが、彼の容赦の無さに心酔し、傾倒していくのは必然とさえ思える。


「殺すことなんか、もういつでも実行できてしまいます」


 テムズは人の心を感じさせないこの発言に際し、胸中を震わせる。

 異常性が甚だしい成長とどんな理不尽なことにさえ従い、実行する優れた最高の付き人を得た。


「なおさら手放すなんてとんでもない」


 テムズは回復魔法の放つ優しい光で彼女の患部を包み込む。

 傷はすぐに修復を開始し、骨折も出血もただちに止まる。

 こんなトカゲもびっくりな回復力にはたまげて腰を抜かしてしまいそうになるテムズの表情は強張っていた。


「なんて早さだよ」


 戦いに向ける姿勢としては、敵を殺すことに直結さえする冷血な心を会得したのは、物理的に力を得ることとは比べものにならない利点を彼女に与えていた。

 あのような大物にも手が届いたのだと、テムズは特筆したものを持たない者ならではの非凡な思考ながら推測してみせた。


「ご主人様、傷をできる限り治してもらえると助かります。最低限動けるようになるまでやっていただければそれで充分ですから」

「もう動けるくらいにはなっているぞ」

「ありがとうございます。よし、身体もしっなり軽くなってきています。回復魔法って凄いんですね」

「いや、お前が凄すぎるんだよな」


 傷を治し、魔獣狩りを敢行する意思を強める彼女を止める手立てはない。むしろ力を増してくれるのならと、諸手を挙げて奨励する弱者の立場にある。

 現状、力不足の彼には危険性を負ってでも最後に迎えるべき勝ちに固執する必要があった。


「これなら勇者にも確実に勝てる確証が出てきたな」

「だから言ったでしょう? あたしなら、あたしだけが、貴方の夢に寄り添えるのです」


 エリアルに感化され、怪我で萎びていた彼に再び熱量が注がれていく。

 失敗を恐れていては、あの憎き勇者へのリベンジは果たせないままだ。復讐心とは裏腹に、一度転落して至った現状が尾を引き、怯えていた彼にも、ようやく新たな勇気を踏み出す一歩が与えられた。

 エリアルを極限まで鍛え抜く最短ルートとして、強力な魔物を短時間で仕留めるのが理想となっているのは明確。

 現実的に考えたら、次に同じような魔獣と戦えば、満身創痍のあの身体では間違いなく死ぬだろう。


「まさか、まだやるのか」


 しかしながら、エリアルの自信にはどことない不思議な安心感があった。彼女に頼めば何でも殺してしまいそうな、無理難題であろう事象への期待。

 誰かの手を借りてでも憎き敵を討ち滅ぼしたい。淡い期待をもってして傾倒していく男がまず間違いなくこの場において、恥を晒している。


「はい、もちろんです。力をもっと高めなければ。まだまだ無駄が多いので」


 テムズは彼女から言われた通りにし、彼女の怪我を汎用的な回復魔法≪ヒール≫で癒してから

 彼自身が本調子でないことも合わさり、あまり治療事情は芳しくなく、半端な形でしか治癒はできなかった。

 しかしながら、彼女の自然回復量が異常性を検知しており、身体を動かす分には支障は消え去っている。

 彼女は先程まで一寸先にも動かせなかった手を動かせるようになり、得意の高速移動もお手のもの。

 戦いをして立ち回れるだけのコンディションは構築できているのも確認できている。

 要望には応えられたといっても差し支えはないだろうし、彼女自身、彼に頭を下げていたので結果としては好例だと考えられる。


「これだけ治れば十分です。続きを始めましょう」


 この森の魔獣を狩り尽くさんとするほどの勢いで魔獣を見つけては、手当たり次第に殺していくエリアルの力は段々と高まっている。

 あんなものはもはや人間の成長速度ではない。

 一体倒すたびに動きは洗練され、一発防ぐ、または食らうたびに攻撃への攻略法を瞬時に掴む学習能力を披露する。

 もしかしたらこの魔術は単なる洗脳の術式ではないのかもしれない。彼の鋭いだけで先へ続きにくい勘がそのように告げていた。


「お前たちの動きはもう見抜いたよ」


 エリアルの動きは、テムズの目では追うことすら困難な領域に到達している。

 血飛沫によって位置を判別することで、影が見える程度か。


「俺の目じゃ、追うので精一杯だ」


 魔獣が跳梁跋扈するこの森をひたすら突き進み、凶悪なイビルギガンテや、偶然見かけたベヒモスにも単身、進んで挑んでは殺していく。

 肉塊が飛び散り、あらゆる方向から彼が見ていない獣たちの断末魔が絶えず木霊する。

 着ていたローブも血塗れで、その獣臭さに再起不能。

 戦い足りないエリアルは軽快に動くための包帯を身につけ、フードを脱ぎ捨てる。

 盗賊装束以来の露出度全開な服装で立ち回るようになっていた。

 見えているふくらはぎには、盗賊組織の所属となる刺青が刻まれており、改めて彼女が各地の金品を追い求める盗賊であることを確信する。

 何よりも恐ろしいのは彼女がやはり、短時間で動きを最適化していくこと。

 怪我は次第に負わなくなっていき、それぞれ三体目に挑む頃には、ほぼ無傷でその敵を殺すようになっていた。


「まあ、こんなものでしょうかねぇ、ご主人様」


 エリアルの異様な戦闘技術の口上に、テムズは恐れ慄き、堪らずに唾を飲んだ。

 エリアルは夕暮れから夜になるまでの短時間に実に千もの魔獣を狩り、その中には強大な魔物も含まれている。単純に数以上の経験は積んだと見て、まず間違いはない。


「盗賊団デッドフォックス」


 返り血の雨を浴びながら、天を仰いでいる彼女の露出したふくらはぎが映す件の刺青は、指名手配もされている悪名高い盗賊団デッドフォックスを示す。

 デッドフォックスは奴隷売買、金品強奪を生業とする分かりやすい盗賊集団だ。

 それゆえに多人数にわたる構成員と、傘下である下位盗賊団を指揮するほどの巨大な組織力が周りの国からの干渉を巧みにかわしている。

 アジトの所在は掴めておらず、ギルド連盟も彼らを捕まえる決め手には欠けている。

 エリアルはそんな組織の構成員における一人だというのだ。

 もっとも、かつての実力や口振りからして、尻に敷かれている下っ端であるのは言うまでもない。


「ありゃ、見てしまいました? もうそこにはもう一回しか戻らないのであんまり気にしないで下さい」


 刺青を見られたことに気づいても、彼女は特別変な言い訳をしたりはせず、フランクに接してくれる。

 デッドフォックスの仲間を気にかけたりとか、そんな様子も一切無い。

 彼女の視線はテムズが映る方向へ預けられたままだ。


「一回は戻るのか」


 彼女の目先に掲げる展望では、一回アジトへ戻ろうと考える余地があった。

 仲間に会いたい、盗賊団の仕事が恋しくなった。

 今彼に抱き着いている彼女にそのような情があるとは到底想像することもできない。


「それはそうでしょう。近いうちに奴らを騙して、活動資金となる金銀財宝をを全部掠め取るのですから」


 デッドフォックスのメンバーは盗賊の中でも特に仲間同士の信頼関係が厚いことで有名であり、捕縛に勤しむギルド連盟もそこを見くびって鼻を明かされることも多かったようだ。


「もうみんな要らないので殺しましょうかね。あたしの仲間、いえ、ご主人様として関係を結んでいるのは貴方だけです。さてさて、どうやって騙しましょうか。楽しみです」


 かつてのメンバーであるエリアルはむしろそれを利用し、奴らから財を奪い取ろうとしており、話に聞くような仲間意識は彼女においては限りなく希薄になっていた。

 黒い笑みを浮かべながら、かつての仲間を嵌めるための策謀を巡らせる彼女。

 絶対に裏切らない味方でありながら、こうも、何度も恐ろしいと思わせるのは魔術の効力が強過ぎるのか、はたまた彼女における下っ端ゆえの劣等感が知らず知らずのうちに報復を望んでいたのか。

 それらは当事者でない彼には知るのもおこがましい話だろう。


「ノルマをこなしたフリをして戻ってから、邪魔な奴を片付けてはいサヨナラ。あはっ、単純ながら、これが一番ですねぇ」


 すっかり、二回にわたり血に塗れてしまった彼女たちが向かう先は、拠点となる洞窟。

 空腹や疲労は一日中の移動や戦闘でひとしおとなっていた。

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