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3.奴隷魔術

 救われたことには彼は感謝しているが、信じられない点が一つある。


「ご主人様のためならば、エリアルはなんでもしちゃいますよ?」


 服を着崩して挑発してくるエリアルは子どもでありながら扇情的で、厳しい環境を生き抜いて得た積み重ねを一眼で感じさせる。

 美しい、ひたすらに美しいと、彼の語彙力が死滅していた。

 そんな発情期真っ只中の中年親父特有の邪な考えを過ぎらせている場合ではないのが現状だ。

 出会って間も無い、それも敵対していた少女が他人に抱くなんて、どうにかしているからだ。


「ご主人様はよく一人でお考えになるようですね。このエリアルも好きですよ。ご主人様にどのようにご奉仕するのか、日夜考えるようになっていますからね。奴隷ですから」


 不信感を抱いたテムズは魔術的な要素を疑ってみた。

 自分から奴隷を志願してくるような人間は見たこともない。

 経済的な余裕が無く、魂を売ることもいとわないくらいに追い詰められているならまだしも、彼女にはそんなことをする必要も無くすような後ろ盾の存在が匂っている。

 もとい、彼女が属している盗賊団のリーダー自体は組織を円滑に回せるくらいには財政的に潤っていて、部下たちにもそれなりの報酬を与えて首を繋いでいるのが常だ。

 どう考えても、外見から察せられる性癖とかまで考慮してどのように歪曲しても、これまでに向けてきた感情が殺意のみだったエリアルは奴隷落ちを望むようには思えなかったのが、テムズとしての考えだ。

 こうしたテムズの結論は揺らがず、確固たる地盤を構築していた。


「ご主人様と一緒じゃないといや!」


 エリアルは片時も離れようとせず、テムズに接着しているのが常となっている。

 離れろ離れろ離れろ、うざい、暑い、痛い。傷口に塩を塗り込んでくるなと、彼は呪詛のように呟く。

 そんな劣悪な環境が鬱陶しさに拍車を掛ける中、テムズは砂漠をさまよう旅人のように一歩一歩、エリアルという重しを付けた足を踏み出す。


「これに関してはお前がいると足手まといだ。飯や介抱してくれたことには感謝が尽きないが、今の俺にはやらなきゃいけないことがある。その邪魔は許さんぞ」


 彼の剣幕に慄いてか、エリアルは目を潤ませながら渋々と、縛りつけていた腕を放していく。

 こうして無理にでも引っ付いてくるエリアルを振り解き、資料を片っ端から探ると、これしかない、と思わせる魔術回路が描かれたぼろぼろの布が目に入る。


 くたびれているのを気にさせない、なんとも煌びやかで整っている魔法陣は一寸たりとも狂いが無く、まさしく完成された品を表していた。

 壁に刻まれているものと酷似する、いや、同じであろうそれは王都式に由来する、精巧な術式で表された正真正銘の魔術だ。


 王都式を採用していながら、彼にはこの術式自体を書物などで見た覚えが一切無いのが、きな臭さを増長させる。

 それがあまりあって、なお美しさがテムズの目を奪う。均整から造形までをこだわり抜いた珠玉の術にはまたとないであろう、善悪を超越している術者の“感情”が込められていた。

 人間の本能や思考回路を司る部分、それすなわち脳を侵し、思考機序を改変する作用があったようだ。


「これ、この洞窟を掘った人が構築した魔術式ですよね」


 真っ先に浮かんでいたテムズの疑問が晴れた気がする。

 彼としてはエリアルの意見を断定するには早計な気もしている。

 これには一理どころではない確固たる証拠がひしめいているからだ。

 テムズは散らかっている本や巻物を掻き集め、拡げてみる。

 中には難解そうな言語も含まれており、解読自体には時間を要することが必至であるのは明確だ。

 ここは簡単に、さっと目を通すことに留める。 それぞれの筆跡は見事なまでに似通っており、洞窟を構築した魔術痕からもこれらの術式に類するものだと判る。

 これほどのまでに高い類似性は偶然では説明がつかないことから、同一人物であることを示唆していた。


「今夜はもう遅いですし、眠った方がよろしいかと」


 脳を魔術で侵されたエリアルは術者に従うように思考を描き換えられた、奴隷同様の存在に成り果てている。いやはや、彼女が認めるからには奴隷なのだろう。

 その証拠は彼女の唐突な行動の変化だけでも充分過ぎる情報量を知らしめてくれていた。


「ああ、もう外がこんなに暗くなっているのか」


 調べ物の虫になったのが災いし、外の時間をついつい忘れていたテムズは、自らの失態に頭を掻いていた。


「明日に響くし、眠るとするかな」


 明日のことは明日の自分に任せるとする。

 万全の自分になるために彼は英気を養い、長くなるであろう療養生活の明日に備えることにした。


「ご主人様が食べやすいように木の実を磨り潰しておりますので、少々お待ちください」


 昨夜の、大量の砂糖を口に含んだような甘々な介抱に始まり、今朝始まった食事の支度。 

 敵が情けをかけるにしても、何の脈絡もなく助けようとするだなんて。これは魔術の仕業に違いない。

 そのように彼は訝しむ。

 例え聖人であろうとも得をしたいだのと、少々ながらでも理由付けはそれなりにあるだろうに、彼女の場合はセオリーなんて最初から知らない、あるいは破綻させているかのように、一切の他意は介在していない、無償の愛を追究していた。


「はい、あーんしてください」

「大丈夫だ、自分で食べられる」

「怪我人が無理をしてはいけませんよ」

「むぐっ!」


 昨夜から感服するくらいに彼女は執念深く、抱き着いたのを追い払っても再びまとわり付いてきていた。

 丹念に実を擦り潰して、怪我人の小さな口にも食べやすいように熟慮、果てにはテムズが喉をつまらせないように肉眼に血の気を濃く迸らせている。

 普通は恋人であろうと他人をこんなに愛せるはずがない。今朝の時点から、次第にエリアルの考え方に異常性を垣間見るようになってきた。


「ご主人様のごっくん、よくできてますよ。この調子でいきましょう」


 その異常性はおそらく、決して敵にはならないと断言できるだろう。敵になるのなら、急に味方になったあの前提から破綻を起こしてしまうからだ。

 エリアルは訝しんでいる彼の気も知らず、彼の些細な成功に大袈裟な拍手を贈ったり、実の処理にはまるでシェフのような丹念な職人気質を見せていたりと、彼を祀り上げることに関しては不気味なほどに余念がなかった。


「どうですか、甘いですか? しっかり味見をしたので甘いとは思いますが。甘くなければすぐに新しいものをお持ちしましょう」

「大丈夫だ、大丈夫。落ち着いてくれ」

「かしこまりました」


 怪我人一人では四苦八苦していたであろう食料調達も、エリアルのおかげでこなせたことであるし、ひとまずは彼女のしつこさに甘んじてみようと肩の荷を下ろす。

 ともあれ、エリアルの感情の起伏が織り成す激しい緩急には疲れてくる。

 相変わらず、持参していたヘラですり潰した木の実を丹念な様子でスプーンを使って掻き集め、テムズに食べさせようと頑張っている。


「ご主人様、お口を開けてください」


 死んだような目で笑いながら、延々と同じ動作をしている彼女からは驚くほどに人間味を感じなかった。

 じっと見ていたらまた気がおかしくなりそうだ。

 どぎまぎし続けるだけの自分に我慢ならなくなったテムズは、興味本位で彼女に飽きないのかと聞いてみた。


「ご主人様のために頑張って働くのは奴隷としての責務ですから、むしろやりがいしかありません」

「そ、そうなのか」


 元が敵であることは今更として、こちらが怪我しているとはいえ、こんな子どもから延々と搾取をするのはいかがなものかとは、一瞬だけではあったが彼は考えた。


「なんか搾取みたいだよな」

「そのようなことはご主人様が気に留めることではありません。お気になさらずに」


 そんな経緯がどうあれ、あちらが洗脳されているという、つい判明した事実。

 そこから芋づるに疑問を浮かべ、考察するだけ時間を浪費しているものだと、死にかけた経験から達観の境地へ到達していた彼からすれば一目瞭然。

 わずかばかりに残された良識が見せてくれる最後の悪戯と解釈するべきだ。


「ご主人様が美味しそうに食べてる……ふふふ、あたしの生きる意味が強くなった」


 彼女のあの異様なテムズへの執着は彼女の生死をも分けるようで、彼がいなくなろうものなら死にそうなくらい、彼女の意思そのものは限りなく希薄となり、テムズへの依存の念を代わりに強めている。


「その目……」

「ああ、これですか?」


 エリアルが二つ持つ瞳の一つ、左目には件の魔法陣が宿っている。テムズは冷静になって見たことで、ようやく気づいた。


 彼女は彼の指摘したそれにはすでに知っている模様。

 エリアルとは案外別々に行動を取っていたもので、大方近くの湖に水を汲みに行った際にでも自身に刻まれた刻印を見たのだろう。

 罪悪感からこれを解除するにしても、仕込んだ術式が複雑怪奇であるために、未だ一介の魔術師にやれというのは、いささかどころかかなり骨が折れるというものだ。


「これはご主人様に付けてもらった“証”ですよ」


 それどころか、パーティメンバーへの復讐を考えていたこの男へ恵まれた力は天恵とも言うべき代物。

 仮に簡単に解けそうなものだとして易々と捨て去るなんて、奇跡を地獄へむざむざと投げる偽善的な良識よりも、悪意を存分に孕んだ復讐心がいかようにしても勝る。

 彼ら、彼女らへのあまりの憎しみにせっかく用意された無傷の木の実を一個手中に収めながら、そのまま砕いてしまう。

 彼女は彼の暴虐を良しとし、予め汲んでいた水を汚れた手へ注いでくれた。


「ご主人様、美味しかったですか?」


 木の実を食べ終わったら彼女の膝元に寝かされる。何の感慨もない敵でしかなかった少女に手厚くもてなしを受けているのがどうにも不思議でならないテムズは困惑するばかりだ。

 特に過程があったのではなく、はいご主人様、いきなり囁かれながら傷の手当てを受けている。

 あらゆるシチュエーションを想定した熟練の魔術師でも鼻を明かされるのは必然にも等しいことだ。


「ご主人様、次はあたしをどうしたいですか? 何でも、しますよ」


 何でもする、彼はその言葉にピンと来る。やはり彼女を利用しない手はない。

 鳥や獣、それに人喰い魔獣がうようよとうごめいている森の一角を、冒険者としての血が歩くように促してくる。

 散歩のかたわらで、このような仕打ちを受けた経緯を同行してくれている彼女へ、望み通りあますことなく話した。


「概ね貴方の事情は把握しました」


 こめかみに青筋を浮かべ、眉間にはしわを寄せている。

 彼女は目に見えるほどの怒りのあまり、大木を素手で殴り、その幹をささくれ立たせた。

 出会って間もないはずのエリアルとテムズは感情を寸分の狂いもない、まるで鏡写しのように後は静かに共有させていく。

 洗脳が導き出したであろう、力の解放。古今東西の魔術をもってしても、これほどの出力の解放をできるのかと言わんばかりに、その木は内部の半分に至るまで、殴られた部分から空間が切り開かれていた。


「ご主人様はそいつらが許せないと、そういうことでしょうか」


 エリアルが水を汲んできたという湖のほとりで二人は休憩がてらに座り込み、話に没入する。

 そこは魔獣の一体である怪魚が根城としており、水面へ小魚を追い立て、湖から飛び跳ねながら大きな口で食い、再び水中へ戻っていく。弱者がいくら足掻いたとて、最後に笑うのは強者となるのは半ば宿命のようなものだ。

 弱肉強食における分かりやすい見本をあまりにも美しく、そして汚らしく見せつけてくるこの世界には、心底から反吐が出た。


「お前が良ければ復讐に協力してくれないか」

「はい、貴方を苦しめた奴らを全員殺せば良いんですよね。承知しました」


 エリアルは薄目で笑いながらおもむろに立ち上がり、怪魚へ向かって突撃を敢行する。

 水面に浮かぶ小さな岩を足場に、時には水上に足を着けては離し、足場代わりにしているという離れ業もやってのける。


 すごい。


 元々物事を言葉で表すことに必要な語彙力が話下手ゆえに枯渇している彼であるが、今回は一際その酷さが溢れている。 

 怪魚は危機察知に長けており、敵意をあらわにして近づくエリアルを長い髭から感知し、すかさず振り向く。


『がぁぁぁぁあ!』


 口を大きく開き、水を飲み干す勢いで吸い込んでいる怪魚は獲物が自ら飛び込んでくるのを、動かずして待っている。


 動く必要性はこの怪魚においては無に等しい。


 動かなくても大抵の獲物は為す術無く餌食になるほどの地力での格差があるのだから、無駄に労力を割くのは考えものというのが、あれの出した結論ということになる。


 怠惰で、傲慢で、強欲。他意などなく我欲のままに時を貪り食っているのが、今も小魚や水棲生物を大量に飲み込んでいるあれの本性。

 あの魚はただ楽をしたくてあそこまで肥え太り、生物の上位に君臨するために不可欠な力を手に入れた。


 あいつが産み出した水流の処刑場に飛び込もうものなら、人間の身体など流れのままに飛ばされ、一口で丸呑みにされてしまうだろう。


「あたし、ちょっとだけ強くなったんだ。まだまだ物足りないけど、あの時と比べたら格段にさ」


 行く手を変えず、まっすぐに怪魚の口内へ突撃していく。胆の据わり方など、もはやそのような単純な理を、あの奴隷は難無く超えていた。


「ここに見せますは盗賊デッドフォックスが紅一点、エリアル・ローアが剣の舞」


 どこからともなく剣を取り出し、一気に攻撃態勢を強める。

 待ち受ける怪魚は彼女が醸し出す真性の敵意に呼応し、自らに抗おうとする矮小な人間を迎え撃とうとする、まさしく王者の威風を漂わせている。


 俺の縄張りに入った敵は容赦無く叩き潰し、喰ろうてやる。


 あの魚もエリアルに敵意を込めた目線を定め、水が波を立て、木がしなるほどのけたたましい叫びを上げる。これが襲撃の合図となる。

 怪魚が先手を打ち、巨体に似合わない素早い動きをする。必要性が無いから緩慢で億劫にしているのであり、必要とあればいくらでも素早く動ける。

 これにはエリアルも反撃する間も無く餌食となる。

 巨大な暗闇を映す口が彼女を正面から覆い尽くし、再び青空を拝む頃には、人間の形を保っていない未来が濃厚であろう。


「いきなり飛び込んだと思ったら勝手に死にやがった」


 獲物を捕食し、舌を鳴らしながら水底へ帰って行こうと尾びれを躍らせようとしたのだが、肝心のそれがどこへやら消えていた。

 テムズは遠目からこれに気づき、驚きに身体を動かせなくなりながらも、気を張り巡らせる一環での意識の流動だけは止めなかった。

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