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2.あたしは奴隷ですよ

 本当についていなかった。そう言わざるを得ない切迫した状況に、テムズは現在陥っている。

 こんなところで誰とも知らない奴に殺される? 冗談じゃない。簡単に死んでたまるものか。

 彼は一つの決意を胸に、しゃかりきに手足を暴れさせるも、現状を打破するには何もかもが足りていない。

 死にかけながら、人生に一度出会えるかどうかの宝を見つけたと思ったら、今度は欲に目が眩んだ悪人に命を狙われる。

 まったく不幸どころか悲運とも言えるツキの無さには辟易するテムズであった。


「ギャンブルはそこそこ勝ちが込んでいたんだがな」

「ぺちゃくちゃとうるさいぞ。これから殺されるのが怖いから、現実逃避か? だとしたら頭がおめでたいにもほどがあるぞ」


 神はそこまでしてテムズを殺すことに躍起なのだろうか。一回あれだけの目に合わせておいていて、次は瀕死の重傷のところに刺客を差し向ける。

 そう邪推しても仕方のないあまりの運の無さには、テムズは嘆かずにはいられなくなっていた。


「まあ、殺せば済むことだ。あたしの仲間だって金品のために一人や二人殺してきたんだ。ボスはもっとたくさんだ。弱いあたしだってこいつくらい!」


 邪魔なテムズを殺してここにある宝を手に入れるという目的のため、剣を握りながら鬼気迫る彼女に対して、彼は後退りをし、少しでも間合いを開けようとする。

 身軽な装備をしたあいつには意味は無いだろうが、気休めにはなった。


「苦しんでいるのも忘れてしまうくらい、デカいのを打ち込んで殺してやる。あの世ではあたしに感謝するんだな」


 彼女も警戒を怠らないようで、じりじりと砂利を蹂躙しながら、しっかりと距離を詰めてくる。戦い慣れている分、ますます分の悪さが露呈するばかりだ。

 飛び掛かられたら一巻の終わりであり、かといってテムズから反撃する術も皆無。まさしく絶体絶命の袋小路に立たされていた。


「ま、待て! 話だけでも」

「問答無用! あたしの成功を邪魔する魔術師め、覚悟しろ!」


 真剣に構える盗賊娘が短剣を両手に迫って来る。どうやら彼女にも執念という類が身体の中を迸っていて、一人の怪我人の戯言になど一々耳を傾けるのも億劫なようだ。

 これを悟り、もう駄目だと半ば諦めたテムズはやけになり、目を瞑る。


「死ね!」


 彼女が叫んだ後、しばらくしても痛みも何も感じない。

 あまりの違和感に目を開かずにはいられず、閉じていたまぶたを開通させ、正面をおそるおそる見つめる。


「あれ、こいつが死ぬ間際のやつか」


 とっくにあの短剣で胴体を斬られていてもおかしくはないはずだ。なのに予知していた惨劇は起こらない。

 死んで天に召されたのともまた違う。生きているこの実感は本物だ。

 彼女はそもそも目の前で、斬り掛かってきている。その動きは非常にゆったりとしている。身を翻せばかわせそうな気がしなくもないが、自身の身体も動かない。彼女と同じく緩慢な動作であり、これでは死の運命から逃れることなどできそうにもなかった。


「全てがゆっくりに見えてしまっている」


 つまるところ、頭の働きだけがやけに冴え渡っている状態なのだろう。死の間際に、強過ぎる後悔の念が許した最期の瞬間。

 悲しいもので、最期は死にたくないとぼやきながら情けなく死ぬ道しかないのだろうか。

 そのような悲しみに暮れる彼の頭を、呪文のような怪しげな名称が過ぎっていた。

 助け舟を出そうとしている呪文の効力はいかほどか、これに賭けなければ死ぬしかない彼には、もはや縋るものも、失うものも、これから失うことがほとんど確約された命しかない。

 何かある事をすでに信用していない神に祈りながら、願う。


「喰らえ≪ブレイン・イーター≫!」


 近くの壁に刻まれ、さらには頭に過った文字をやけになったままに口遊む。

 自然と口が素早く動くのは、長年の修行の賜物だった。死ぬまでの僅かな間に活かされるのも考え物だと、彼は肩の力を抜き、死を受け入れようとした。


「……」


 彼が死を受け入れたものの、その瞬間らしき痛みも苦しみも中々訪れないため、閉じていた瞳を開ける。


「ご主人様……ご主人様……しゅき、あたしの素敵なお方。すぐに結婚したいです」


 そこにはご主人様と囁きながら、抱き着いている盗賊娘がいた。

 その瞳には野望のために溢れた活力がなくなっており、殺意も、それどころか殺意も伴っていなかった。

 小さな身体を懸命に擦り付け、彼に気に入られようと温もりを伝播させて、最初に失われた好感度を取り戻そうと躍起になっているようだ。


「うわ!」


 テムズは当然驚き、敵対から一転して馴れ合いを求める盗賊娘を引き剝がした。

 前方から力強く押され、尻からへたり込んだ彼女はすぐに持ち直し、よろよろとした動作で立ち上がる。


「ご主人様ぁ」


 またもや彼女に抱き着かれてしまうテムズは身体の節々のダメージを思い出し、激痛に苛まれる。


「いてぇ! うぐぁぁぁ!」

「ご主人様! しっかりしてください! あ、ああ、すごい怪我!」


 彼が傷において苦悶しているのを目にした盗賊娘は敵のはずなのになぜか、持っていた薬草などで応急手当を始める。

 下手に芽生えた正義感から情でも催したのだろうか、テムズには彼女の行動原理がいまいち理解できていない。


「ああ……ご主人様がいなくなったら、あたしは……うわぁぁぁ!」


 騒ぎ立てる彼女に耳を塞ぐテムズであるが、空気の揺れに呼応してうずく傷による痛みは正直に訴えられている。

 頭隠して尻を隠さないといった具合に、全身にあまねく傷から至る激痛が身の回りを過ぎっていた。


「うる……せぇ……ちょっと黙っていろ」


 頼むから迷惑を掛けないでくれ。彼の願いも虚しく、叫声は果てしない空にまで轟いていく。

 口を動かすことすらままならない中で、目の力で訴えるも、この少女は目を閉じて泣き喚いている彼女を止める術には足り得なかった。


「いやぁぁぁぁ、ご主人様!」

「ごほっ、ごほっ、声が耳障りなんだよ」


 発狂し、洞穴に反響する彼女の喚き声と傷の痛みが合わさり、いよいよ意識を保てなくなった彼は、微睡みの中に意識を放り出す。


「あ、ご主人様が起きなくなっちゃった」


 様子が変わった少女は据わった目であれこれと彼を目覚めさせるに足るであろう手立てを試してみるも、皆等しく失敗に終わる。


「たしかにこの方が訴えている通り、このままじゃ死んじゃうかも」


 彼女はおもむろに腰を上げ、一目散に外へ向かって駆け出していく。


「全てはご主人様のために」


 その笑みは魔獣も裸足で逃げ出すほどの邪悪な笑みを孕んでおり、これまでに見せていた敵意とはまた違う歪さを満たしている。


「はっ!」


 次の日に起きると、朝を迎えており、件の彼女は洞窟からいなくなっていた。

 本も奪われた形跡がなく残っており、致命的であった傷は彼女が使った強力な薬草により、痛みはありながらもほとんど塞がったようだ。


「いないならそれでいいか。結局あいつのせいで見事に死にかけたわけだし」


 殺すのを止め、むしろ怪我を治した理由は分からないが、とりあえず死の淵から助けてくれたことには礼を言うべきなのだろうか。彼は心にも無いことを考えていた。

 しかしながら、いなくなった存在に対してうだうだしていても時間の無駄であろう。

 彼はいなくなった彼女に関して、心にしこりを残したまま、まどろんでいる目を覚まさせるためにも、一旦外へと朝日を浴びに行く。


「あたしの大好きなご主人様ご主人様ご主人様、起きて来たのですね」


 まさかまさかの少女の登場に、テムズは腰を抜かし、柔らかな土に尻を預ける羽目になる。

 見上げた先には、いなくなったと断定していた彼女が料理を用意しているではないか。


「ひっ、お前帰ったんじゃなかったのか?」

「え、帰るってここがあたしたちの拠点ではないですか。変なご主人様ですね」


 後頭部で二つに結び分けられた黒きミドルヘアーを揺らす盗賊衣装の娘が大量の木の実を背負い込んでこちらへと歩いて来ていた。 

 神出鬼没で、かつ奇々怪界なこの娘の反応に、テムズは気がおかしくなってきそうだ。


「ご主人様は傷を治してさぞ魔力や体力を消費したことでしょう」


 軽装により軽快に動くことを重視した盗賊らしい、ヘソを丸出しにしている奇抜な服装を見間違うはずもない。

 森から無事に帰還した彼女は忌憚なく彼の元へ舞い戻り、柔らかくてつい抓りたくなるほっぺを擦り付けてくる。


「ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き……」


 あの時を境に、突然切り替わった態度は相変わらずで、策に嵌めようとしている気配もみじんも感じない。

 それならば手負いにやるには回りくど過ぎるし、そもそもが最初に殺してしまえばやる必要すら無いのだ。不可解な様がそこかしこに散りばめられている。

 百歩譲って目をつむってもなお、なおさらに彼女の行動原理は雲に隠れていて、読めない一方であった。


「ご主人様、朝食の木の実ソテーです。食後には傷を見せてください。お薬も持ってきましたから」


 朝いなくなっていたのは、英気を養える栄養満点な木の実を砕いて作ったソテーと、傷を完全に治す薬草を採ってくるためだと、盗賊娘は改まった表情で懇切丁寧に説明してくる。


「あのさ、盗賊さん」

「あたしの名前はエリアル・ローアと申します。奴隷には専用の呼称があった方が呼びやすいと思いますので、差し支えないようならばこちらを推奨いたします」

「じゃあエリアル。盗賊のボスから与えられたノルマとやらを達成して、帰らなくて良いのか?」


 盗賊を生業とする連中は量と質を両立、さらには遂行速度と、いずれも重視する効率重視の生き方を迫られるのはギルドで活躍する冒険者と変わらない。

 敵のはずの輩に与えられた仕事を遅らせてまで構っているのは、いくらなんでもおかしいとしか言いようがない。


「そんなもの、どうでもいい……」

「は?」


 耳がおかしくなったのか、それとも彼女がおかしいのか。

 何もかもが分からなくなってしまったまま、不用意に彼女へ再度問い掛ける。


「あたしの世界はご主人様だけになったので、そんなもの、もうどうでもいいです!」


 激昂に鼓膜を揺さぶられ、思わず耳を塞いでしまう。

 細めた目からは目から光が消し飛び、破滅的な思考の境地に到達している盗賊少女エリアル・ローアの姿がある。


「また傷に響くから止めてくれ」

「ごめんなしゃい! えへへ、気が昂ると叫んでしまうのがあたしの癖でして」

「つくづく迷惑な癖だな」

「あ、ご主人様に迷惑って言われた。もうあたしに生きる価値はありませんね」


 エリアルは涙を流しながらバイバイ、さようならと首に刃をかける。

 自殺において歯止めなんて無いようで、そのまま首を切り落とすつもりまんまんの勢いがついていた。


「……前言撤回、頼りになる女だよ」

「ふわぁぁぁぁぁぁぁぁ! ウレシイウレシイウレシイウレシイ! ご主人様に頼られるの好き!」


 ただの気狂いじゃないか。そう心の内で彼女の態度を怖がるテムズは、彼女の扱いに難儀する。

 その一方で、実際にはこう思った以上にソテーや薬を作り、命まで救ってくれた恩義がある彼女を無下にはできなかった。


「ソテー、お代わりくれないか」

「かしこまりました、ご主人様」


 どうやら耳がおかしくなったのではないようだと、テムズはそこだけはとりあえず自分が異常者に成り果てていないことに安堵した。

 先ほどまでとは打って変わり、彼からすれば清々しいくらいにデニス・サファテの上を行く優しさで包んでくれるエリアル・ローアという小さな天使はおかわりを即座に用意し、空腹を満たすことに寄与してくれた。


「なあエリアル、やっぱりさっきの言葉は嘘だよな」

「そこに触れちゃいます?」

「もちろんだとも。仲間のことだからな」


 おそるおそるテムズから聞いてみるだけでなく、ソテーを頬張りながら、チラチラ、そんな風に時折彼女の様子を伺っていた。最善は尽くす。


 頼む、嘘であってくれ。


 テムズの祈りは届くか否か。

 それを知らないような素振りの彼女は常時頰を和らげており、微笑みが眩しいほどに彼の身を焦がしていた。

 どんなに優しさに溢れていたとしても、腹に逸物を抱いているような奇特な奴は、テムズとて奇異の目で見るのは避けられない。


「ご主人様以外は殺したいくらい嫌いになりましたぁ。あたしの中で優先順位は切り替わったんです。ご主人様が一番上で、他はゴミですよ。分かりましたか? 伝わりましたか?」


 なんとも偏屈な序列になったものだと、彼は半歩どころか何歩も彼女から離れていく。


 やっぱり頭がおかしいじゃないか。


「それに一つ、訂正を加えなければなりません」


 エリアルはテムズの耳元までわざわざ顔を伸ばし、囁き始める。

 その速さは分身をその場に預けたようにさえ映るほどに機敏であり、熟練の冒険者として評価を得てきたテムズをも驚かせる。


「あたしは仲間じゃありません。奴隷ですよ」


 怖い。人間って表情筋があんな角度まで釣り上がるんだな。

 エリアルの態度、言葉ともに彼を怯えさせ、かつトラウマを縫い付けることに関して、彼女の心に関わる裁縫の腕は高いことを保障できる。


 褒められたことかといえば、全然そんなことはないのだが。


 テムズは不気味な彼女を側に、頭がおかしくなりそうになる。


「ははははっ、ひっ、ひっ、ひっ」

「いきなり笑って、どうかなさいましたか」


 テムズは怖さのあまり、笑いたくなっていく。笑わなければ恐怖を乗り越えられない。つまりまともでいられない。

 だから笑うのだ。現実から目を逸らすために。

 人間の防御本能は凄まじい。テムズは四十にもなって、人間の本能について改めて思い知ることになった。

 やっぱり頭がおかしい奴だった。そうとしか考えられないように、テムズは分かりやすく誘導されているかのような錯覚すら覚える。

 これまでからしてすでに何かの策謀すら匂わせるような都合の良さが滲んでいるから、なおさらだ。


「ご主人様の全てが好きなので、別に気にもしていませんが」


 エリアルは彼の懸念もよそに、笑顔を讃えている。

 その表情は屈託無く、裏も表もありはしない。ゆえに気味が悪いとする悪辣な感情が、彼の内心では感じられていた。

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