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17話 魔術の異形

 エリアルが地面を踏み抜き、抉る。

 そこから滑るように駆けるその速度はダルクの目前まで一瞬にて、エリアルを運んだ。


「まずは一人」


 エリアルは盗賊ではなく、主人を代弁する復讐者。

 素早く首を掻き切ろうと、短剣を懐に忍ばせ、肉迫した状況下で素早く斬り上げる。

 殺すことに抵抗も無くなった彼女は引き上がった実力以上に、命のやり取りへ没入する才能を得ていた。

 彼の腹部から首までを、魚を捌くように切り開く彼女の剣だ。


「甘いぜ、嬢ちゃん」

「なんでなんでなんで、なんでご主人様のために死なないの?」


 エリアルの、闇も見紛う速攻はダルクに看破されていた。

 彼はエリアルの身長を優に超える木槌を、片手で軽々と操る怪物。

 その硬い柄で、彼女の短剣を折ってしまった。


「ご主人様の敵、死ななかった」


 折れた剣を一瞥した彼女の切り替えは早かった。

 人を殺す武器としての価値を失ったそれを投げ捨て、わきに差していた剣を引き抜く。


「この子、この前とまるで様子が違うわよ」

「理由は分からないが、他人の命を奪うことに抵抗はもう無いようだ。それに加えて身のこなしも獣のように洗練されている」


 勇者サイガもまたダルクと肩を並べ、剣を抜く。

 戦闘態勢に映った勇者から放たれる、修羅場を潜り抜けて身につけた覇気は、強くなり過ぎたエリアルの身体に生える爽やかな毛を久しく逆立たせた。

 前進し、エリアルが形成したテリトリーに踏み込む、

 その一動作だけで、空気は何重にも重くなり、エリアルの落ち着いていた神経を逆撫でする。


「勇者さんよ、手伝いは無用だぜ」

「馬鹿を言うな。お前は敵の実力が分かっていないのか」

「おぉ、勇者さんとあろうお方が、あんなちんちくりんに腰を抜かしておられるのか。無論、力は分かっているさ。あんな小悪党が持つには余りある魔力を感じるぜ」

「同感だ」


 エリアルは彼女の身の丈ほどのロングソードを無表情ででたらめに振り回す。

 それを為し得る腕力は硬い樹皮で覆われた木々を容易く薙ぎ倒し、彼女の実力を間接的に知らしめる。

 剣をやたらと振り回すのは、彼女の殺したい欲が逸っているからだ。

 エリアルはさっき失敗したのが尾を引いており、はち切れん気持ちを含んだ心に蓋をできないでいる。


「ご主人様、終わったらあたしの頭、なでなでして下さい」


 ちょっぴり力を解放した彼女はさっきよりもはるかに素早く動く。

 彼女という存在を世界が表現できていない。

 その姿を勇者を含めて、誰も捉えきれてはいないようであった。

 自身の長所を特に活かすような重い武器を背負ったダルクは、いくらパワーに優れていようと、身のこなしにはどうしても欠けていた。

 エリアルは影も形も失い、木を柱に森を縦横無尽に駆け回る。

 のびのびと誰にも邪魔されずに空を、地を野放図に走り抜け、敵の首を獲る機会を窺っている。

 その証拠として残るのは、足跡。木や、水分を豊潤に含んだ土壌を抉り、傷つけて生まれる前衛的な絵画が標となる。

 そして彼らを撹乱する罠へ発展していく。


「きゃ!」


 エリアルは姿を現す時、非戦闘員のデニスを捕らえた。彼女を蹴り飛ばして木に叩き付け、それから木もろともロングソードで串刺しにしようと剣を引いた。


「させるか!」


 サイガの剣が横から割って入り、エリアルの剣を弾き、そこへ更に火柱が立つ。カリムの魔法の仕業だ。

 二人の息の合った連携に対し、エリアルも堪らずその場から飛び退いた。


「あたしを忘れてもらっちゃ困るんだから」

「次からは覚えておくよ。その瞬間には死んでいるから覚悟しておいてね」


 洗脳により、人間性を喪失した濁った瞳にはその様が克明に捉えられていた。


「そう簡単にやられる俺たちではない」

「うひ、ご主人様、あたし、もっと頑張るね」

「さっきからご主人様ご主人様って、誰の事よ」


 テムズの復讐は勇者たちが、死に至る間際までには知る必要もないことであり、死にかけているところに突きつけ、顔を引きつらせたのを見て嘲笑うために最後まで取って置く。


「死に行く奴等に答える義理は無いよ」


 我ながら意地が悪いと、身体を宙に預けながら微笑していた。


「じゃあそんな危なっかしいお前を捕まえて、洗いざらい吐かせるための拷問をするとしよう」


 エリアルが気配に気づき、横を向くと、力自慢のダルクが木槌を振り下ろしていた。

 卓越した反応で素早く背後を取り、彼を真っ二つに斬り裂こうとする。


「しまった!」

「サイガさん、成功です」

「さっきまでの威勢はどうしたのか。聞いてみたいものだ」


 デニスから捕縛魔術が飛んで来る。不意を突かれたエリアルはまんまと魔術に囲まれ、上半身と足を縛られる。


「≪光縛の魔縄(ライトバインド)≫貴女を捕らえるにはこれしかありませんでした」

「一々横槍を入れてくれるね。面倒なことこの上ないよ」


 隙を突く形でエリアルを捕らえたのは魔力で構成された光の輪。

 それは、エリアルに有り余る力では制御をしようにもできない、封印術の一種であった。


「私だって頑張ればやれるんですよ」

「だから何? あたしにはどうでも良い事だよ」

「盗賊の癖にやけに図太いんだな」


 囚われ人はつまらなそうに口を、まるで何を含んでいるように動かしていた。奇妙な動作が気になった二人は謎に包まれた詳細を近くで確かめようとする。


「ぺっ」

「汚ねえ奴だ、いきなり唾を吐きやがった!」

「ダルクが挑発するようなこと言うから」


 エリアルが吐き出したのは口に含んでいた唾で、それが彼女を取り囲むメンバーの内、ダルクとカリムにかかる。

 立場を弁えていない、エリアルの舐めた態度にダルクは怒り、彼女の胸ぐらを掴む。


「この女!」

「ご主人様以外は全て穢らわしい魔獣と同列。ふふっ」


 エリアルの薄ら笑いに耐えかねたであろう彼は、固そうな拳を突き出し、彼女に殴りかかった。


「……あれ? 力が、抜けて……」

「どうしたの、ダルク……うっ、あれ、アタシも、なんか、おかし……」


 挫折すらも感じないエリアルは諦めを知らない。

 事前にとある木の実から耐性を得た彼女は麻痺毒を塗った含み針を口内に仕込んでいた。

 勇者の仲間が油断したこの瞬間を逃さず、それを唾とともに撃ち出し、毒を流し込む。

 

「ご主人様、あたしもちょっとビリビリしてます……」


 慣れれば耐性は得られるとはいえ、強毒なために完全防御にはならず、彼女の身体にも毒の作用が響いていた。

 それが分かっていてなお、彼女は愛というちぐはぐなこの手を使った。

 逃げる事を生業とする盗賊の普段なら使わないような、このような人道に反する奥の手も、敬愛する主人のためならば惜しみ無く使う。

 そんな彼女の頭の中には、主人が常に彼女を抱く姿が延々と綴られていた。


「ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様ご主人様……」

「やられたな、デニスは応急処置を頼む。俺はこいつから色々吐かせてみるよ」


 エリアルの目に、最早サイガは映っていなかった。

 彼女の目に留まるのは、その背後から迫る男。待望し、今すぐにでも縋りたい魅力を孕んだ男だ。


「久しいな、サイガ。いや、久しいというほどでもないか」

「お前は、まさか、死んだはずだ」


 復讐心を胸に宿し、降臨したテムズはフードを深々と被っている。

 だが、エリアルには匂いで彼がテムズだと分かってしまう。

 気配に、彼女のお腹の辺りが熱く、高鳴っているのが主人にも伝播している。


「ご主人様ぁ」

「わふぅ、わふわふ」

「可愛いだろう、両手に鼻という奴だ。俺の事を決して裏切らない、まさに真の仲間という奴だよ」


 テムズはエリアルを縛っていた魔法を≪ディスペル≫と呼ばれる破魔の魔法で解除、解放された彼女を手繰り寄せた。


 遂に勇者の前に姿を現したテムズの顔は黒々と宵闇を取り込み、白い光を放つ月明かりに照り輝いていた。

 健在なデニスとサイガは、変わり果てた彼の現状を飲み下せないでいるようであり、武器をそれぞれ構え直している。


「あたしのご主人様が来てくれました」


 囚われているエリアルは彼が側にいると分かるや、使えない足と腕に頼らない、地面を転がる形で驚く敵対者の合間を颯爽と抜け出した。


「二人も倒してくれたか。良くやったな」


 テムズは例によって仕事を果たしてくれたエリアルの頭を撫でてやる。彼が描いたシナリオからは外れた展開だが、それ以上に奴等を苦しめていたようなので、テムズには文句の一つも浮かびようがなかった。


「ご主人様、あたし鮮明に思い出したんです。あたしに付けた傷、これを付けてくれたのはご主人様だって!」

「はは、また頬をすりすりとして可愛い奴め」


 エリアルが腕に残っている傷を見せびらかしながら、舞い踊る。

 テムズの解除魔術にてエリアルの自由を奪う光の輪を取り去ると、その動きは更に激しさを増した。

 まるで飲んでいた毒が効いていないような軽いフットワークで彼の周りを駆け回り、最終的にはエリアルの腕にしがみ付く。

 

「本当にテムズなのか、あの化け物の盾になったんだ。死んでいないのはおかしい」

「ああ、死の淵から一度は蘇ってきたよ。だが理を破った代償として、もうこの世から肉体は消えたがな」

「どういう事なのか分かりかねます。貴方の身体はたしかにここにあります」


 テムズは自ら着込んでいたローブを勢いよく振り払う。

 そこに見せるは件の魔術の傀儡と化した、人間の肉体とは構造そのものが乖離している、もはや魔物と呼ぶべき男が下着以外は裸で立っていた。

 テムズの若々しく多量に生えていた髪は抜け落ちており、優男らしく細かった胴体魔力を取り込んだ結果、山のような筋肉が付いていた。


「この俺の姿を刮目していろ。直に分かる事だ」


 テムズの腕から黒い魔力が刃物のように発せられ、左手にそびえ立っていた木々をひたすらに薙ぎ倒す。


「あの強力な魔物と遭遇したとき、足手纏いだと盾にして切り捨てた男が、まさか魔物に成り果てるとはな。手段を選ばなければこの悪意が覆う世界を生き残れると言えば聞こえは良かった。しかし現実はそう甘くないということか」

「貴様も俺も、良くも悪くも腐った運命に翻弄された身だ。自分だけを悔いる必要は無いだろう。あの選択は間違いではなかった。俺がそのまま証人になってやろう」

「じゃあその刃を今すぐに納めろ。かつての仲間だった縁だ。ここは見逃してやる」


 サイガの忠告をテムズは無視し、黒き刃を彼の聖剣とかち合わせる。

 ああも擁護したにもかかわらず、テムズの殺意は本物であり、それが収まることも無いまま、悪戯に、悪辣に振り撒いていく。


「俺にも腐ってはいながら、矜恃というものがあってな。俺自身としてはお前たちの行い自体を咎める気は無くとも、殺されかけた奴と同じ世界で息を吸うのは御免なんだよ。俺が今後を生きるためには、俺の名誉を辱めたお前たちは邪魔でしかない」


 テムズの剣は次第に勇者を追い詰める。

 防戦一方のサイガに旧知の仲といえど容赦はせず、緩まぬ剣筋が彼の鎧にヒビを入れていき、テムズの復讐へのを一つ、また一つと満たす。


「ただ殺すだけではつまらなくてね。この身体になってから色々と思案したんだ。俺がお前のために主催する宴、ぜひとも受けてくれないか」


 木に背中を預けたサイガを追い詰めたテムズ。高揚していた彼は剣を大きく振り被り、慎重な彼らしからぬ隙を晒している。

 百戦錬磨の勇者はその隙を逃さず、勇者サイガの一閃が彼の成れの果てを斬り捨てる。

 それからすぐに彼の上半身と下半身は同一の存在を保てなくなり、上半身が下半身を滑るように崩れ落ちる。


「残念だがお前の申し出は断らせてもらう」


 事切れたのか物言わなくなり、散りとなるだけのかつての仲間を背に、サイガは厳しく言い放ち、残ったエリアルたちへ剣を向ける。


「そんなこと言わずにさ、あたしに付き合ってよ、サイガ」

「カリム、いつの間に」


 エリアルから毒を受けて動けなくなっていたカリムが意識を取り戻して立ち上がり、驚く勇者へ平然として話しかけていた。その安堵も束の間である。

 テムズが言っていた宴はすでに催されていたのだ。


「さ……い……」

「デニス!」


 麻痺毒で動けなくなっていたはずのカリムは仲間であるはずのデニスの背中を容赦なく剣で刺していた。

 深淵を覗いていない勇者には決して理解できない光景が、その場において支配圏を拡めていく。

 カリムが掴んでいた彼女の髪を放し、意識を失ったそれは地面に崩れていくのみであった。


「そんなこんなで、テムズはこのあたし、カリムとして貴方に復讐させてもらうとするわ」

「カリム、いや、テムズなのか……一体、何が起こっている」

「つくづく、無知は罪ってものだよ」


 倒したデニスに隠れていた彼女の左目には、それを裂くような黒いひびのようなアザができていた。

 そして右目にあった健在な宝石のような赤い瞳は鳴りを潜め、全体に魔術を刻み込んだ魔眼がその座を席巻している。


「もちろんさっきみたいに断らせないよ。これからあたしがたっぷりとあんたを苦しめてやるんだから」


 マントを靡かせる彼女は彼女らしい、軽口が自慢な男勝りの言葉遣いでありながら、中身は先程滅んだはずの悪魔そのものであった。

 人間のものか疑わしくなる、邪悪な本性を孕んだ笑みを携えながら手に持った剣で、ためらいなく彼の鎧を二つに引き裂いていた。


「ぐぁぁぁぁぁ!」


 勇者を上回る足運びがその後も逃げる彼を捕らえ続けて放さない。


「あは、良い声で鳴いてくれるわね。男のくせに情けないわよ」


 その力は万全でなくして、見る限りでも勇者を超えていた。

 テムズが身体を支配するカリムは容赦なく攻め立て、彼を追い詰めていく。

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