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08. 過去からの告発

 自然公園から帰宅したセシリアは、真っ青な顔で執務室へ向かった。気分が悪く、足元がフラフラするが、歩き続ける。


 様子のおかしいセシリアを心配した侍女が、寝室で休んではどうかとしきりに勧めてきた。けれど、いつになく頑なに、セシリアは聞き入れなかった。


 ノックもせず扉を開けて、執務室へ入っていく。仕事の手を止めた父と兄が、驚いた顔をセシリアへ向けた。二人が何か言う前に、掠れた声で意志を伝える。


「サイラス様とは結婚しません。娼婦か物乞いになろうと思います。いかがわしい年寄りの愛人に、売り飛ばして下さって結構です」

「セシリア……?」

「何を言っているんだ、父上も俺も、そんなことは……」


 唖然とする父と兄に、セシリアが悲しそうに眉尻を下げた。


「駄目なのですか? サイラス様と結婚しないといけませんか? でしたら、お兄様、縄を……荒縄をくださいませ」

「荒縄なんて、どうするんだ?」

「え? 決まっています。聞き分けがない娘は、いずれ首を吊らないといけないんでしょう? だったら、早いほうがいいわ……結婚する前に済ませてしまったほうが……。わたし、上手くできるかしら……?」


 父と兄が戦慄する。セシリアの華奢な体が、ぐらぐらと揺れていた。緊張の連続のためか、貧血を起こしたセシリアは、視界がきかなくなり、その場へ倒れた。


「セシリア!!」

「大丈夫か、セシリア! 誰か、医者を連れてきてくれ! 妹を寝室へ運ぶぞ」


 ウィンクル伯爵家は大騒ぎになった。大至急、主治医が呼ばれ、ゆっくり静養すれば回復するだろうとの診断を受けて、ひとまずは落ち着いた。だが、これで問題解決とはならなかった。


 あまりにセシリアの様子がおかしく、言動が異常だったためだ。


 ウィンクル伯爵家の領地は田舎だが、この地方では中枢を成す名家のひとつである。素朴な暮らしを送っているのは、それが家風というだけで、実際は裕福だ。経済規模で競り合えるのは、隣領のオルグレン伯爵家くらいである。


 そんなウィンクル伯爵令嬢セシリアの縁談だ。年齢も十七歳で、デビュタントから一年しかたっていない。サイラスと破談になったところで、嫁ぎ先などいくらでもある。


 たとえ独身を通したところで、悲惨な末路はたどらない。領地内に小さな家でも建てて生活するか、貴族向けの修道院へ寄進して、のんびり暮らせばいいだけである。


 また、なんの因果か後妻に嫁ぐ未来があったとして、王国有数の穀倉地を運営するウィンクル家が、いかがわしい貴族と縁故を結ぶ意味が無い。

 そんなセシリアが小悪党の愛人になるなど、あり得ないことだった。


 ウィンクル伯爵夫妻と長男リチャードは頭を悩ませた。


「だいたい、荒縄で首を括るなんて、セシリアはどこから思いついたのでしょう、父上」


 淑女が自ら死を選ぶとき、たいていは服毒である。首を括るにしても、やけに荒縄にこだわっていたのは何故なのか。疑惑は尽きず、こたえは出ない。



 セシリアが臥せっている間に、家族が動いた。


 伯爵とリチャードは、使用人たちへ聞き取りを行った。だが、良家の使用人だけあって、代々仕える古参の者か、その縁者しかいない。


 たおやかな令嬢へ、戯言を吹き込んだ不届き者はいなかった。むしろ、各自が心に引っかかっていた、婚約者への些細な不審が露わになった。


 サイラスの訪問後は、セシリアの食欲が落ちること。きつい口調で何か言っているのが聞こえた気がして、応接室を覗いたが、殊更にこやかに婚約者から追い払われたこと。去年の聖レオーナの日に、セシリアが青い顔で焼き林檎を作っていたこと。彼女がうっかり落としたという、応接室の床に散らばった焼き林檎を掃除したこと。


 そして、使用人の中でも信頼のあつい侍女が、自然公園で受けた無礼を、包み隠さず証言した。



 青くなった伯爵夫人は、侍女と共に娘の私物をあらためた。年頃の娘の私物を漁るのは気が引けたが、今回ばかりは躊躇している場合ではない。


 残念ながら、セシリアは日記をつけておらず、子細な情報は得られなかった。けれど、飾り箱の中から、リボンで束ねられた手紙が出てきた。


 幼馴染との友情に後ろ暗さのないセシリアは、親友からの手紙を焼き捨てたりせず、大事に保管していたのである。


 手紙の所々に、水滴のような滲みがあった。綴られた労りの言葉を、泣きながら読んだためだろう。


 差出人の記名は、ただ『クレム』とだけ書いてある。クレムは手紙の中で、たびたび『奴』と指す人物について非難しており、『シシーが受けた仕打ち』を家族か、せめて侍女に相談すべきだと遠回しに勧めていた。


「……ボルカ卿に会いに行く。リチャード、先触れを出すよう、手配してくれ」

「はい」


 沈鬱な表情で息子を見送ったウィンクル伯爵は、執務室の机を見下ろした。使用人の証言をまとめた調査結果と、クレムからの手紙の束が載っている。

 やがて、抽斗から一通の古い手紙を取り出した。


 五年前、伯爵宛てに届いた匿名の手紙だ。子供らしい拙さが筆跡と文章にあらわれている。匿名の手紙を読んだ伯爵は、しばらくサイラスの様子を注意深く観察した。だが、多少そっけない程度で問題は無かった。

 匿名の手紙は、誰かのいたずらだろうということで、片付けてしまったのだ。


 父親としての慎重さが、処分を躊躇わせていなければ、とっくに暖炉へくべていただろう。伯爵が軽々に問題無しと判断した時期は、『奴』が『シシーの姉さんにいれあげて良い子ぶっている馬鹿野郎だ』と、クレムが怒っている頃だと推測できた。


 伯爵は匿名の封筒から便箋を取り出し、手紙束を見やる。手紙の束は、正体不明の親友クレムからのもの。

 ただ一人のセシリアの味方だ。やり取りした手紙の中で、沈黙の誓いは破らないと、何度も『シシー』へ約束している人物。


 手紙束の横へ、便箋をそっと置いた。


 ────サイラス・ボルカは、林檎パイをわざと床に落としました。シシーを虐めているんです。どうか、助けてあげてください。奴をシシーに近づけないで。


 便箋に綴られた切実な文章は、手紙束の筆跡と一致していた。


「君だったのか、クレム。誓いを破って、しらせてくれたんだな……」


 伯爵は悲しそうに顔を歪める。娘の苦悩を想い、神の罰という迷信を省みずに手紙をくれた、クレムを想った。

 両手に顔を埋めて、わきあがった痛みをじっと堪える。


 セシリアを見捨てず、励まし続けた誠実なクレム。そんな子供が、親友との誓いを破ってまで送った告発文。


 クレムが出した助けを求める手紙は、長い時を隔てて、ようやくウィンクル伯爵に届いたのだった。

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