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06. 果樹園にて

「それで、今年の聖レオーナの日は、どうするんだ?」


 狩猟小屋でクレメントが尋ねてきた。シャツとトラウザーズにブーツといういでたちは、相変わらず貴族らしくない。


 十七歳のクレメントは、精悍な青年に成長していた。


「ジャムもクッキーも煮林檎も、全部美味かった。味見役なら、まかせとけよ」

「もう、クレムは食いしん坊ね」


 クスクスとセシリアが笑みを零す。塞いでいた気持ちが、瞬く間に晴れていった。

 聖レオーナの祭日が近付くと、不安でたまらなくなり、毎年クレメントに味見をして貰っている。


「今年こそ、サイラス様と話し合いたいと思っているの。だから、そのきっかけになるものを贈りたいんだけど、なかなか思いつかなくて」

「ああ、そうか。来年には、もう結婚だもんな」


 複雑な表情で、二人は口をつぐんだ。セシリアの結婚は、かけがえのないこの友情の、最終期限である。


 すでに二人とも成人済みのため、会う頻度は減らしていた。けれど、庭師を介した手紙のやり取りは、定期的に続けている。

 内容は近況報告や相談など、健全なものばかりである。


 セシリアにとって、クレメントとの交流は、唯一の心の拠り所だった。

 彼がいなければ、とっくに気がおかしくなっていたに違いない。


 けれど、あくまで独身だから続けられたことだ。夫のある身で他の男性と会い、秘密の手紙をやり取りするなど、非常識な行為である。


 勇気が無いセシリアを追い詰めず、ずっと支えてくれた大切な友達。彼と会えなくなると想像しただけで、胸が痛くてたまらなくなる。


 結婚してからの自分が、どうなってしまうのかを、セシリアはなるべく考えないようにしていた。


「……なあ、シシー。うちの果樹農園に来てみないか」

「果樹園って、林檎の?」

「うん。これまで料理を出して文句をつけられたわけだろ。だったら、原点に返って、林檎をそのまま贈ったらいい。それが、今の君の心境と、一番近いんじゃないか? 」

「林檎を、サイラス様に……」


 この国には、こんな神話がある。


 飢饉に喘ぐ貧しい土地。ぼろを纏った旅の老婆が、痩せこけた男に、小さな果実をひとつ与えた。男はそれを持ち帰り、愛する女にそっくり差し出す。女もまた、受け取るのを拒んで、男が食べるよう促した。

 結局、男と女は、その果実を二つに切って、共に分かち合ったという。


 老婆の正体は、愛の女神レオーナファウラ。


 本来の姿を顕現させた女神は、この男女を祝福し、様々な果実や穀物で、豊かに地上を満たしたという。


 そのときの果実が、林檎だと言われている。聖レオーナの日には、大切な人へ林檎料理を贈る。


 けれど、もっと正確には、林檎を分かち合って食べる風習なのだ。神話に倣い、そのまま贈る人も多く、失礼にはあたらない。


「沢山、摘んでいくといい。俺からのはなむけだ。サイラスのために、自分で採ってきたって教えてやれよ。それで、あの神話みたいな夫婦になりたいって、ちゃんと説明するんだ」


 訥々と、クレメントが言葉を紡ぐ。離別の辛さを押し隠した、切ない微笑みを浮かべながら。


「もし、そいつも君と同じ意見なら……これまでの嫌な態度は、ガキが突っ張って、素直になれなかっただけだろう。五年分のわだかまりはあるだろうが、そのときはもう、許しちまえよ。だって、夫婦になるんだからさ。君が婚約者としたいのは、そういう話し合いなんだろ?」

「ええ。そうよ、クレム」


 責めたいわけでも、謝って欲しいわけでもない。たとえ女として愛してくれなくても、かまわなかった。


 ただ、結婚するしか道が無い以上、家族として信頼関係を築きたい。今のままでは、名目上の夫婦としてさえ、共に行動できるか怪しいだろう。


「たとえ、相手が誰だろうと……君が幸せになれるのなら、できる限り協力するよ」

「ありがとう、クレム……」

「礼なんかいいって。週末は時間あるかい?」


 こうして、セシリアはオルグレン伯爵家が所有する果樹農園へ招待されたのだった。





 裕福な商家の娘といった装いのセシリアが、丘の上から果樹園を見渡した。

 クレメントと一緒に、馬に乗っている。横乗りしているセシリアが落ちないよう、彼が背後から手綱を握っていた。


「わあ、ずいぶん広いのね」

「君の領地の小麦畑と同じだよ。うちは果樹が主力ってだけだ」


 今日は、ウィンクル家の令嬢だとバレないよう、平民のふりをしている。農夫たちは貴族について、自分たちの領主くらいしか知らないのだと、事前に説明を受けていた。


 いつもの待ち合わせ場所へ、クレメントは馬で現れた。一頭の馬に相乗りし、目的地へ連れてきてもらったのだ。


 農園に到着すると、セシリアは農夫たちに歓迎された。祭日用の林檎の収穫で忙しいだろうに、不思議なほど迷惑がる素振りは無い。

 むしろ社交辞令抜きで、本心から喜んでくれていた。


「若様が恋人を連れてこられたぞ」

「ははぁ、あの御方が『林檎の君』か。初々しいねえ」

「ようこそ、若様の大事な『林檎の君』」


 和やかに声をかけてくる農夫たちに、セシリアは目を瞬いた。


「林檎の君?」


 焦った様子のクレメントが、耳を赤くして止めに入る。


「こ、こら! みんな仕事に戻れよ。このお嬢さんは、なんというか、俺の、とっ、友達だ!」

「ですが若様。お小さい頃から、聖レオーナの日に林檎を贈ってきたのは、この御方なんでしょう?」

「特別な子と一緒に食べるんだっておっしゃられて、毎年、手ずから収穫して行かれるじゃないですか」

「見合いもなさらず、縁談を遠ざけていらっしゃるのだって、きっと……」

「わーっ! わーっ!」


 農夫たちを追い払い、ばつの悪い顔をしたクレメントに、手を取られた。


「行こうぜ、シシー。あいつらのことは気にしないで」

「……え、ええ」


 頬が熱い。胸の奥が甘く痺れていた。その意味を考えてはいけないと、セシリアは目を伏せる。

 婚約者がいる身だ。サイラスと向き合う準備をするために、ここへ来たのだ。本来の目的を、忘れてはいけない。


 そういえば、こうしてクレメントと手をつなぐのは、何年ぶりだろう。おそらく、これが最後になる。


 骨ばった大きな手を、セシリアはキュッと握り返した。この先、辛いときに思い出せるよう、その感触と温もりを心に刻みつけていた。




 セシリアが持参した籠へ、クレメントが林檎を入れていく。セシリアもハサミを借りて、いくつか林檎を収穫していた。


「これくらいあれば、足りるだろ」

「うん、十分よ」


 この農園は特別なのだと、クレメントが教えてくれる。品種改良した果樹や、国外から取り寄せた苗の試験生産を行っているのだ。


 オルグレン伯爵と嫡男のクレメントは、この農園へ足を運び、生産にも積極的に関わっている。また、この農園では、信用できる者だけを働かせているという。

 あの親しげなやり取りは、長年培った信頼からくるのだろう。


 籠には、沢山の赤い果実。市場にはまだ出回っていない、味が良い品種の林檎を分けてもらった。


「いつもごめんね」

「急にどうした?」

「私、あなたに迷惑ばかりかけているわ……」


 これだけ親切にしてもらって、心苦しい。厄介なお荷物に過ぎないセシリアを、ずっと支えてくれた。その優しさにつけこんで、甘えるだけ甘えたあげく、結婚という自分の都合で放り出すことになる。


「迷惑だなんて、勝手に決めつけないでくれないか」

「…………」

「俺は、自分がしたいように行動してる。端からどう見えるかなんて関係ない。だからさ、謝らないで」


 クレメントの凛々しい顔に、笑みが滲む。痛みと幸福が入り交じった淡い表情に、ギュッと胸を塞がれた。


「クレム、わたし……」


 息をつめたセシリアに何も言わず、クレメントはハサミをあてて林檎をひとつパチリと採った。


「まだ、少し早いけど……聖レオーナの日、おめでとう」


 差し出された林檎。それを受け取ったセシリアを、目に焼き付けるように、じっと見つめてくる。


「……きっと、これが俺への罰なんだろうな」

「え?」

「いや、なんでもないよ」


 誤魔化すように、クレメントは首を横に振った。


「話し合いの結果は、手紙で教えてくれ。もし、サイラスと上手くいきそうなら、その手紙で最後にしよう。俺たちは、もう関わるべきじゃない」


 彼の言う通りだった。もう、接触してはいけない。不適切な感情を、きっと無視できなくなる。


「ねえ、クレム。私に出来ることは、ある? あなたのために、何か、できることは……?」

「あるよ」


 クレメントはセシリアにきっぱり言った。


「幸せになれ、シシー。君の幸せが、俺の望みだ」


 愛を象徴する赤い果実。


 セシリアがクレメントから受け取った林檎は、これが最後になるというのに、燃えるような赤い色で瑞々しく彩られていた。



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