02. 望まれた縁談
セシリアはウィンクル伯爵の娘として誕生した。伯爵には三人の子供がいる。第一子の長女アルマ、第二子の長男リチャード、そして末っ子が次女セシリアである。
勝ち気で機知にとんだ姉と、快活で行動的な兄。しかし、セシリアはというと、大人しい気質の物静かな少女だった。
「セシリアを、ボルカ卿の次男と婚約させようと思うんだ」
そう言い出したのは父だ。
「まあ。いい縁談じゃないですか。ボルカ子爵ご夫妻なら、きっとセシリアを可愛がってくださいますよ」
母は手放しで賛成した。ボルカ子爵は、学生時代からの父の友人だ。互いの領地もそれほど離れていない。遠方の貴族より、地元の人間にセシリアを嫁がせたいというのが、両親の強い希望だった。
また、母もボルカ夫人と馬が合い、茶会に呼んだり呼ばれたりと懇意にしている。子爵夫妻とは気心の知れた関係で、結婚後、内気な末娘が舅や姑にいびられる危険は低かった。
「次男って言うと、ジェイムズの弟ですよね、父上。確か、サイラスって名前だ。セシリアより二つ年下だったかな」
「二、三歳くらいなら、妻が年上だって構わないだろ」
「そうですね。弟の方はあまり知らないけど、兄のジェイムズは良い奴ですよ。年上にも年下にも、男女問わず親切なんです。あいつの弟なら、きっとセシリアを大事にしてくれるんじゃないでしょうか」
兄のリチャードも、笑顔を浮かべた。
かつての伯爵とボルカ子爵のように、ウィンクル伯爵家の嫡子リチャードとボルカ子爵家の嫡子ジェイムズは、同じ学校で学んだ親しい友人である。
弟サイラスについては名前を知っている程度だが、ジェイムズの弟なら間違いないと、太鼓判を押してくれた。
「でも、子爵家の次男でしょ? 結婚後のセシリアの暮らしはどうなるのよ。生活の保証は?」
眉をひそめたのは姉のアルマだ。勝ち気で華やかなアルマは、セシリアと正反対の性格で、物怖じせず発言する。
誰かと喧嘩になると、辛辣にやり込めるところはあるが、口下手な妹には攻撃的にならなかった。むしろ、セシリアが困っているとき、真っ先に気付いて庇ってくれるのが姉のアルマだ。
「ボルカ卿は子爵位の他に、男爵位も持っておられてね。その男爵位と領地を、結婚を機にサイラス君に譲るつもりでいる」
「へえ。それで、その領地は問題なく運営されているの?」
「ああ。土地が痩せているとか、そういった不都合は無いよ。結婚した後、セシリアが借財を背負わされるなんてことにはならないから、安心しなさい、アルマ」
「ふうん、ならいいけど。だけど、男爵家ねぇ……」
たとえ貴族家の生まれだろうと、嫡男以外は平民になるのが普通だ。勉強して一代限りの法衣貴族になるか、親から爵位を譲ってもらうしか貴族の身分は維持できない。
「確かに家格は下がるが、ボルカ子爵家の分家になるわけだし、条件は悪くないんだぞ」
「そうよ。こんなにうちの希望に添う縁談は、今後あるかどうか分からないんだから。わたくしは賛成ですよ」
「姉さんは、文句ばっかりだな」
「当然でしょ。セシリアの未来がかかっているのだから、多少しつこく条件確認したっていいじゃないの」
苦笑する両親、呆れる兄、唇を尖らせる姉。和やかな朝の光景だった。
妹の将来が、男爵夫人というのが、姉は物足りない様子である。しかし、そこまで貧しくもない経済規模で、懇意にしているボルカ家ならいいかと、アルマも渋々納得した。
「どうだい、セシリア。この縁談を進めてみても大丈夫かな?」
父に問われたセシリアは、眉尻を下げて俯いた。
ボルカ夫妻なら知っているし、優しく接して貰っていた。また、ジェイムズも兄リチャードの友達として、何度か泊まりに来たことがある。ジェイムズは、物知りな話上手で、感じが良い少年だった。
だが、サイラスには、会ったことがない。いくら家族が善良でも、その少年の人柄とは無関係ではないだろうか。慎重なセシリアは、会ったことのない相手を、あまり信用できなかった。
けれど、父の信じきった笑顔を見てしまうと、自分の意見が言い出せず、曖昧に微笑んだ。
「わたし、縁談なんて……よくわからないわ」
「ははは、そうだな。まだ子供だもの、わからなくて当然だ」
「……わたしには、まだ婚約は、早すぎはしないかしら?」
「いやいや。本当に良い条件なんだよ。みんなも賛成みたいだし、このまま話をすすめるぞ」
きっとサイラス君となら、仲の良い夫婦になれるよ────そんな明るい言葉をかけられる。父だけではなく、ウィンクル家の全員に共通する意見だった。
返事が出来ないセシリアだけが、居心地悪く下を向いていた。
セシリアとサイラスの縁談は、順調に進んでいった。たった数日で条件の調整が終わる。正式に婚約が結ばれたのは、セシリアが十二歳、サイラス十歳のときだった。
この国の成人は男女ともに十六歳だ。サイラスが成人し、セシリアが十八歳になったら結婚する予定となる。
最初の顔合わせは、聖レオーナの祭日にしようと提案された。両家の親密さの証拠だろう。
どうせなら縁起のいい日に。良い思い出になるようロマンチックに。せっかくだから、結婚式も聖レオーナの祭日にしよう。そんな、本気交じりの冗談まで出たほどだ。
将来の伴侶になる少年は、いったいどんな人だろうか?
消せない不安を残しつつも、セシリアだって女の子だ、素敵な結婚に憧れていた。婚約が結ばれてしまうと、無垢な少女らしく、期待に胸を高鳴らせる。
両親やボルカ子爵夫妻のように、円満な家庭をつくりたい。そんな夢を見ていたのである。
そして、顔合わせの前日。
こっそりしのばせた贈り物でポケットを膨らませたセシリアは、散歩してくると言って家を出た。農地ばかりの田舎だ。治安がよく、領地内での行動制限は緩い。
気を付けるよう言い含められたセシリアは、親友に会うため、待ち合わせ場所へ向かった。明日の婚約者との顔合わせについて、相談しようと思っていた。
けれど、正確な行き先と、親友に会うという目的について、誰にも話さず出かけたのだった。