迷路 2 ダイ
ダイは高いところが好きでした。そこから見下ろす景色が好きでした。そういう自分を嘲っていました。装飾をほどこされた神輿に祀った、黒石の上に彼はいました。
「オレはまだ、こんなところで満足していやがいる。オレはバカだ。バカは高い所が大好きだ。その性根のイヤシサ、ヒクツサよ(笑)」
「オレにとってこんなところは、まったくふさわしくない」
「オレにかげりは、まだにあわない」
「オレはオレに対し、ただ、よろこばしい存在であらねばならない!」
これは今の心のさけびではなく、彼の基底であり、日ごろのトーンでした。
彼にとっての不安ふあんは未来ではなく、過去にありました。未来は必然の栄光つつまれており、過去は偶然の災難でした。今《努力》によって変わるべきは未来ではなく、過去の方でした。彼は自由民、ぞくにいう依存民の子でした。うらむべきは、彼の出自でした。
ダイのまわりには、カンオンがいませんでした。信者にいわせれば「完全なものにたすけはいらない、彼みずから破棄したのだ」というのが彼らの言いぶんでした。もともと彼をしらない人の方が多く、まれに知っている人は、口にださずとも、なんとなくさっしていました。かりにカンオンをもつ自立民だったとしても、わざわざ、すてたり、こわしたりするようなやつは、ただの変わりものか、目立ちたがり屋ぐらい。と思うのが大方だったからです。
ごく一部の、陰謀論好きの間で「彼はカンオンをすてたのではない、かくれたのだ」とか、「してやったり、彼はカンオンを欺いたのだ」とか「彼がその指にはめているのは、ギュゲスの指環だ」など、さまざま、ささやかれていました。
指環といっても物理的なものではなく、なんらかの情報サービスだという説もありました。
ギュゲスの指環のおはなしは、プラトンの国家にでてきます。
ある日のこと、ひつじかいギュゲスが、じしんによってできた洞窟を、ぐうぜん見つけました。こうきしんにかられ中に入っていくと、おくに青銅の馬がおいてありました。おなかの中に、金の指環をはめた死体がありました。彼はその指を切りおとし、身につけました。すると、自分が他人から見えない、とうめいな姿になっているのに気づいたのでした。
この後すったもんだあって、王様になるのですが割愛します。
ギュゲスの指環とは、そんなふしぎな言いつたえのある、魔法の道具でした。ただし、ダイのそれは、カンオンに対してのみ透明になるだけで、肉眼から消えるわけではないそうです。
カンオンをこわしたり、すてたりしたもの。また、ギュゲスの指環を手に入れ、世間とカンオンを欺いたものなど。いずれせよ自分の身のまわりに、それらしい心あたりのある人は、だれもいませんでした。あくまで、都市伝説でした。じっさいそれをやったら、その後どうなるか? だれもしらなかったし、クラランの上級市民《ふつうの人》は考えようともしませんでした。
カンオンから消えるという行為は、たいへん危険なものです。すべての商品の流通は、カンオンが、かならず介在しています。それをうしなうと生産活動はおろか、かんたんな消費活動さえできなくなり、有機的な社会関係をもてなくなるからです。とうぜん、すべての土地は管理されているので、狩猟採集や農業などによる、自給自足の余地はありません。ゆくゆくは、ナイフ一本から自主制作《DIY》しなければならないのです。保護ほごされぬ「カスパー・ハウザー」都会に遺棄された子への頽落、といったところでしょうか。
また形而上的な面において、あらゆる記録から消えるといことは、自由民、依存民ですらなくなるということです。事実上の、人間社会からの抹殺、消滅を意味しました。
それら、じったいのない幽霊じみたうわさ話は、フロイト的な意味での無意識、人々が自らにかくしたい願望「カンオンからの解放」のあらわれかもしれません。どうように、受け入れがたい現実への和解をもとめる生者が、故人に託したのが成仏です。抑圧は強制とはかぎりません。とくに内部へのそれは。カンオンという世間へのやましさが、心にフタをするのかもしれません。
フェンリル大橋の上で、とりまき集団にかこまれ、その中心の高みから、ダイはあたりを睥睨《見下ろし》します。黒から青へ、青から茶や黒や金の入りまじりへ。その渋滞は、とおく橋の両端までつづいていました。ダイはしぜんと笑みがこぼれます。それに気どられないよう、口もとをゆがめました。
狂団と聴衆との間に、青いベレー帽をかぶった集団がいました。聴衆といっても、たまたま、せきとめられた人がほとんどで、あとはプロ・エキストラですが。
ベレー帽の彼らはガーディアンとよばれる、自警団です。おもに民間有志のボランティアからなり、その構成員には人手不足のためか、少なからず、高齢者や女性などもふくまれていました。ガーディアンは後ろ手を組み、黒集団の後をゾロゾロついてゆきました。
キョロキョロしないよう、目だけで、ダイはあたりを見わします。チラリと、赤いモノが目のはしに入り、消えました。群集が、彼の動向をみまもっていました。
さわがしい信者を、ダイはかた手でせいします。けたたましい音がなりやみました。
しずかになったところで、おもむろに腰に手をやり、ホルスターからペットボトルをとり出します。ラベルの面が見えるよう高々とかかげ、透明なビンを人々にしめしました。
のけぞってそりかえり、ノドボトケをおどらせながら、グビグビ一気にあおってゆきます。
こぼさずカラッポになったビンを、ゆっくりと口もとからはなすと、空中で逆さのビンをとめました。ダランとうでを落としました。
しばしの沈黙。
天をあおぐよう、そらした上体。ダラリとたらした両腕。足にはさんだ黒石のてっぺんで、しばらく彼は、そのまま動きませんでした。
私語がなくなるのを、彼はじいっと、まっています。
聴衆がというか、たいはんは渋滞にまきこまれた通りすがりですが、不安にかられてザワつきだすと、彼はピクリと、わかりやすく反応して見せます。それから、ゆっくりと、動き出しました。
ぐらぐら上半身を水平にゆらし、クロールか背泳ぎのように、手で空をかきます。ひとしきりあがいた後、彼はかたひざを立て、ずんぐりとがった黒石の上に、すくっと立ち上がってみせました。
顔を上げ、りょう手で天をあおぎ、もったいぶった崇高な面持ちで、口をパクパクさせます。さも、今からなにか重大なことを、彼は語り出そうとしている。かのように見えます。
ふいにのけぞってフラつき、そのまま落下しました。
「ダァーーーーーーーーーーーーン」
コーナーポスト最上だんからのボディプレス。みたいなハデな音をさせ、神輿舞台の上で、ダイが大きくバウンドしました。
須臾の間の後、かけよる信徒、立ち止まる通行人、先をいそぐ通行人。
神輿車のまわりは、黒山の人だかり。昔の証券取引場みたいに、あわただしく身ぶり手ぶりをまじえ、おたがいの意志の疎通をはかっています。
しばらくもめていたかと思うと、信徒たちのカベがサァーと、いっせいにひきました。ひらけた舞台上で、むっくりと、こともなげに彼は立ち上がりました。
パチパチと、まばらに、はくしゅがおきました。
のこった一人からマイクをうけとると、まぶしそうにも、ねむそうにも見える目に手をかざして、ダイはあたりを見まわしました。
「みなさん、こんにちは」
フッと息をはき、笑みをもらします。
「なんか、ここ、まぶしくないですか?」
目をいっそう細め。
「あー、なんか、まぶしいですね」
あたりを、かくにんします。
「まぶしいですよね?」
耳に手をあて。
「まぶしくないですか?」
はっきりと。
「私は、まぶしいです」
ある人をさします。
「あなた、あなたは、どうですか?」
「光が多すぎると思いませんか?」
つぎつぎ、人をさしてゆきます。
「あなた、あなた、あなた、あなた」
「あなたは、どうですか?」
「お日さまの光だけで、十分だと思いませんか?」
ナナホシテントウの街灯や、キリンの道路照明灯、カエルの電光掲示板、ハデなホログラムのカンバン、LEDだらけの車、LEDの埋めこまれた道などを、さもメンドウなよう、おおざっぱに手をふりまわして、しめします。
「ああいった目に見える、手にふれられるもの、具体的なものだけ、いってるんじゃないですよ」
「見えるもの、聞こえるもの、さわれるもの、あじわえるすべて。まあ、われわれも大きな音をたてますが、今だけです(笑)」
「私が光といっているのは、たとえです。たとえばなしです」
「光とは、目からだけではなく、耳からも、鼻からも、口からも、触感からも入ってくる、外からの感覚刺激のことです」
「あらゆる文化、娯楽、スポーツ、コンサート、エンターテインメント・ショウ、イベント、ニュース、広告、政府広報、おしゃべり、ウワサ話、個人発信SNS、非営利活動、ボランティアにいたるまで。広義の意味での情報とそのコンテンツ。それに伝達するための道具、もしくは手段のことでもあります」
「ザックリいえば、メディアのことですね」
「それに、技術と科学をふくめた全体を、私は光とよんでいます」
それらの結晶であるカンオンについては、彼はふれません。
「わたしにとって光とは、外部からの過剰な刺激であり、また社会的に肯定的な価値をもつものです。生産的で、効率的で、合理的なものすべて」
ぐっと一口、水をのみました。
「ある時代において、その時代固有の基本的な考え方や、価値観があります」
「その枠組みを規定しているのは、社会の空気です。その時々の社会を構成している、ふつうの人たちの心のありように帰せられるのです」
しきりなおします。
「みなさん」
「われわれの、今いるここは」
「ここはどうしてこんなに、明るいんでしょう」
「今、わたしたちの生きているこの社会は、どうしてこんなに、まぶしいのでしょうか」
「だれの責任なんですか」
見まわして、しばらく、間をおきます。
「そうです、わたしたちの責任です」
「他に、だれがいるんですか」
フフッと、わらいました。
「われわれは、くいあらためねば、なりません」
厳粛な面持ちで、うつむきました。
「このかたよった状況下において、今のわれわれに必要なのは、ほんとうに光なんでしょうか」
「まだ、光が足りないというのでしょうか」
「足りないのはむしろ、闇。闇の方ではないでしょうか」
気をあらため。
「みなさん」
「闇によってわれわれは、かくされていなければなりません」
「過剰な光は目をつぶします。今やわれわれは、白い闇にとざされているのです」
少し間をあけます。
「われわれは、むきだしの現象には、たえられません」
「人間はありのままの現実に、ちかづけばちかづくほど、ニヒルへと、一見すると狂気とは見えない明るい狂気へと、その正気をうしなっていくのです」
「闇は心をためプールします。しかし、光は心を解放してしまいます。一個一個の体の細胞は、日々入れかわりますが、この私、この社会が、コロコロ変わるわけにはいきません」
「新しくすること、変えること、改革、解放維新、刷新」
「いったい、なにをそんなに、いそいでいるんでしょう? なぜ、われわれは、こんなにガマンができなくなったのでしょうか?」
「動くのでなく、《《ただ》》動くことに、今さらなんの価値があるのでしょうか?」
ここらへんでダイは、いつもの手ごたえのなさにみまわれ、フゥーと一息つきます。気もちをあらためてから、彼はしゃべりだしました。
「自由、平等、人権、倫理、環境 、そして労働」
「これらの、どこに出しても恥ずかしくない正当性。その合理性と有用性。生産性と、それを上げるための効率性の追求は、一見するとまったく文句のつけようのないものです」
「しかし、これら絶対的価値は、恣意的な勝利をえるための道具として、たびたび悪用されてきました」
大きく手をひろげると。
「みなさん、よく聞いて下さい。警戒すべきは、欲望でも、欲求でもありません」
にらみをきかして。
「価値こそが、問題なんです、人のほっするところの価値が」
「いいですか、みなさん」
「人は価値があるから、ほっするのではありませんよ」
やや、間をあけると。
「人間がほしがるのは、人間なんです」
「つまるところ価値とは、他者の羨望です。ただの違いではありません。他者の羨望がふくまれた違いなんです。価値をえるとは、モノをとおして、他者を保有することです。しょせん人間にとって、もっとも価値あるモノは、モノではなく、自分と同等のヒトだからです」
「一人では食べきれぬ量も、羨望をかいすると、質によって二人分以上食べられるのです」
「一人では消費しきれないモノも、高額なモノなら、他者の羨望というイメージを介在させることで、より多く消費できるのです」
「ほんらい、生命の本質とは、消費です。過剰に生んで、おしげもなく頃し、食べ、食べられます」
「その大もとのエネルギー源は、太陽の光です」
とつぜん、だれかを指さしました。
「あなた、おてんとさんから、請求書がきたことがありますか?」
「ないですよね。すごくないですか? なんたってあなた、ただ、なんですから(笑)」
オーディエンスから、少し笑みがこぼれます。
気をよくして、つぎの展開のための間を空けます。
「人は未来を夢見る生きものです。収穫のため計画し、自然であるところの、全体のながれをせき止めます」
「水を止め、森をはがし、定住し、一か所で一つのモノをつくりつづけます。それを人は、いやしくもためこみ、収奪しあうのです」
「モノはまだマシです。モノはずっと、ためてはおけませんから。場所をとり、いつかは腐りはててしまいます」
「だが、そうでないモノがあるんです。それは、コトバやお金です」
「とうしょ、それらはモノのかわりでした。物質の代用品であるそれらが、時代をおって、あまねく広まってゆきました。歴史的過程とは、現実の象徴化の密度のことではないのでしょうか?」
「そしてとうとう、われわれは、逃げ道をうしなったのです」
「物質という、リアルな逃げ道を」
「われわれの生み出した、この高度に象徴化された奇妙な現実は、もはや無意味な余白を、のこさなくなりました」
「物質は有意味にとりこまれ、もはや正気をとりもどす、たすけにはならないのです」
「すでに老いて戦争もできなくなったわれわれは、すべてを自前でやっていかなければならなくなりました。そこに悲劇による和解はありません。かたっぽの口角を上げるような喜劇があるだけです」
ここでいったん立ちどまり、一呼吸おきました。
「明日を思い、みずからじらし、計画し、ためこむ」
「イメージは快楽ともなりますが、地獄にもなります」
「他者をつなぎとめ、より消費する。そのための快楽が、効率性のための労働を生み、いつのまにか他者への奉仕となり、自分への放棄にいき着ました」
「おなじことをしても、あそびと労働とは、ことなります。今を尊重し没頭する生と、未来のために今を断念する自己疎外とは、ちがうのです」
ぐっと、力づよくこぶしを上げました。
「私たちは、このいつわりの解放から、解放されなければなりません! 光にかたよった、解放のための解放から、解放されなければなりません!」
「パチパチパチパチパチパチ……」
幹部が手をたたき、せきばらいしました。あわてて信者たちも手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。
「さもなくば、解放されっぱなしの底なしのカラッポのまま、いつまでたっても動機がたまらず、しなびた解放を、くりかえすことになるのです!」
「パチパチパチパチパチパチ……」
信者たちが、頭の上で手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。つられて観衆もたたきました。
「四六時中光にまみれ、無能な可能性をおいもとめ、字義どおりのコワイモノシラズによる敷居の低さによって、その場かぎりの行動があるのみです」
ダイは声をはっていましたが、だんだんヘタレてきました。心のなかで「あーもうマジうぜぇ、かえりてぇー」とボヤき出しました。彼はすぐに疲れてしまう、わるいクセがありました。それでも時給分のやる気をしぼり、声をからして訴ったえます。
「みなさん」
「おわかりでしょうか、みなさん」
「私はコトバの上のコトバでしかない、空疎な光を否定しているのであって、現実に根ざした、すべての生産性を否定しているわけではありませんよ」
キリッとなり。
「心の鏡を持たないものほど、鏡を見ることが好きです」
「あいまいであるコトバを、あいまであるイメージを、あやつり、あやつられる夢芝居」
「人のもつ表象機能で他人をダマし、みずからにも麻酔をうち、つごうよく自分にダマされる人間。一言でいえば感性の人たち」
「もはや、われわれの敵は、敵らしい姿をしていません。歴史のはじめから、そうだったのかもしれませんが」
「真の敵は、一見するとやさしい姿をしています。そのものは、ほんしんから自分にダマされているのであって、悪意も計画性もないので、エネルギー効率がすこぶるよろしく、無責任な人たちの共感もえやすいでしょう」
「敵は敵であることを引き受けてくれない敵であり、どこまでも逃げつづけ、薄弱なイメージによってしか自他と対峙できない、深淵をのぞきこむ勇気のない、否! 深淵そのものがない、克己心なき、光の弱者たちなのです!」
さいごの方はヤケになって、声がしゃがれていました。
「パチパチパチパチパ……」
一人の信徒が場ちがいなほど、ごうぜんと頭の上で手をたたいています。他のものは、へいたんな目で彼を見ていました。
「ちゅうとはんぱな理性は、音と意味のたわむれ、コトバの恣意性の餌食です。社会全体に実害をバラまく、狂気です」
「それにねばり強く抵抗できるのは、無邪気な子どものイノセンスではなく、理性の限界を予感しつつも、理性を軽蔑しきらず、やがて来るその敗北をしぶしぶ受け入れられる、疑心暗鬼な理性。それくらいしかないのです……」
とちゅうから、グダグダしりすぼみになってしまいました。
「パチパチパチパチパチパチ……」
指導的信者 が、頭の上で手をたたきました。プロ・エキストラも後をおいました。つられた一般の人も何人かたたきました。
ダイはチラチラ、扮装した幹部連中の顔色をぬすみ見ています。「あーもう、気に入らないなら、お前らがやれよー」と心の中でつぶやきながら。なんとか終わらせたかったのですが、いいかげん、やめるいいわけを考えるのも、おっくうになってきました。
彼はさっきからずっと、目のまわりがむムズがゆくって、たまりませんでした。がまんしていたけど、もうかまわずゴシゴシやりました。
風景が一辺します。素の景色のはしっこに色つきの空。ずれたテキストと見うしなった目じるし。カラーコンタクトがズレ、パニくるダイ。
「ヤッベー、もういいや、けっこうしゃべったし。もうこのへんでいいんじゃね?」と思ったやさき、目がチクッとします。あらたな文字が空中にうかびました。指示とテキストが、再読込みされました。
「ちぇっ」
彼は声にだしていいました。ナミダが片方つたい、ナミダごしに、お目つけ役がにらんでいるのが見えました。
ハイハイ、わかりましたよ。わかりましたよ。彼は覚悟をきめます。ペットボトルのフタをあけ、のこりの水を一気にのみほしました。
「プふぅー」
口をぬぐいつつ、空になったビンを高々とかかげます。
彼は首を左右にまわし、あらためてまわりを見まわしました。
「みなさん、これがなんだかわかりますか?」
「これは水です」
「ただのお水です」
「われわれが等しくおせわになっている、ターマ川の水です」
いわなくてもわかっているだろうと、なんども笑顔でうなずいてみせます。
「水は水ですが、ただの水ではありません。聖なる水――」
「ではありません」
口から下で笑います。
「もちろん、わるい水でもありませんよ」
また、おなじように笑う。
「これは、完全なる水です」
「水はどこにでもあります」
「空にも陸にも、もちろん海にも」
「水は空からふってきて、空中をただよい、しっけでわれわれをうるおします」
「すいてきが集中して水たまりができ、より低みへと下って川となり、地下にしみわたって、地下水脈となります」
「いくすじもの支脈が合流し、大きな流れとなって、やがて海へとそそぎこみます」
「そして、水はいたるところで蒸発し、天へとかえっていきます」
「水は、ありとあらゆるところを流れてきました」
「もしかしたら、わたしの中をながれる水は、かつてあなたの体の一部だったかもしれません。あなたの体の中をながれる水は、あなたの好きな人、きらいな人の一部だったかもしれませんね」
「水は私たちと同じように、経験をかさねているのです」
「水はすべてをしっています」
「水は善でも悪でもなく、すべてをつつみこみ、満たし、すべてをこえ、中庸へといたります」
「万人の上に公平にふりそそぎ、苦労をかさねながら、みんなの中を分けへだてなく、とおっていきます」
「やがて水は、だれからも必要とされる、全人的な広がりをもつにいたります。色やカタチというエゴをもたない、おだやかな存在へと、その成熟過程を完成させるのです」
「どうですか、あなた?」
ふいをつくように、一人をゆびさしました。
「ここに今、こうして今、この水はあります」
「私の前に、あなたの目の前に」
カッと、目をあけ。
「あなたの目の前に!」
ぐっとビンを持ち上げ、さらに彼女をにらみつけます。
「こうして、たどりついたのです」
テンションをさげながら、いいました。
「みなさん。ここに、これがあるということは、はたして偶然でしょうか」
「あなたは今、たった今、私と出会いました」
「この出会いの奇跡は、本当に偶然なのでしょうか?」
「私がここにいるのは偶然で、あなたがここにいるのも、ほんとうに偶然なんでしょうか?」
ブルンブルン、首を大きくふります。
「だんじて、ちがいます」
さらに大きな声を出します。
「だんじて、ちがいます」
「われわれの中を流れる水が、あなたと私を引きよせたのです」
ずっと目を見開いたまま、彼はつづけます。
「水とは、なんですか?」
「それは、正義でも悪でもない、真理でも間違いでもない、宗教でも科学でもない、思想でも哲学でもない、大人でも子供でもない、男でも女でもない、人でも動物でも植物でもない、精神でも物資でもない、生命があるとも、ないともいえる。そのどちらでもなく、どちらでもある」
「すべてをしり、すべてをふくみ、すべてをこえた、中立の中庸の、まん中である水が、私たちを引きあわせたのです」
「そう、水とは出会いなんです!」
「今日、わたしがあなたに会いに来たのでは、ありません」
「あなたが、私に逢いに来たのです」
「あなたという水が、私という水に、逢いにきたのです!」
「パチパチパチパチパチパチパチパチ……」
信者たちが頭の上で手をたたき、プロ・エキストラもたたきました。いつのまにか、信者にとりかこまれていた人たちも、やっぱりたたきました。信者以外のこった人影は、まばらでした。
彼はおおような手ぶりで、人々にそれをふるまうよう、うながします。おのおのに配置された信者がダンボールをあけ、てぎわよく、試供品のペットボトルの小ビンをまわしていきます。いあわせただけの人が、反射的に、となりの人に手わたしていきました。
彼は呼吸をととのえ、みだれた前髪をはらいました。目もとをほころばせ、おだやかな口調で、さとすようかたりかけます。
「たしかな効果は、ないかもしれません」
「保障はできません」
「すべては、あなたしだいです」
「あくまで、私個人の感想です」
「もうこれ以上は、なにもいいません」
「すべては、あなたしだいです」
「あきらめては、いけません」
「あなたは、かわれます」
「かわれるのです」
「あなたの運命は、あなたにかかっています」
「あなたの運命は、あなたの手によって、変えられるのをまっています」
「あなたの運命は、あなた自身で切り開くのです」
「すべては、あなたしだいです」
「もう一度いいます」
「すべては、あなたしだいです」
「あなたがきめるのです!」
いいおわった彼は、じゃっかん年をとったように見えました。
「パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ……」
「パチパチパチパチパチパチパチパチ……」
「パチパ……」
信徒が、もはや開きなおって、大きく腕をまわしています。それに答えた信者たちが、頭の上で、ことさら大きく手をたたいて見せます。プロ・エキストラも、これでおわりとばかり、おしみなく手をたたいています。かこいみの中の人たちも、おなじように、たたくのでした。
ソルはとおく、けんそうの彼方にいました。ケムリのニオイが、赤いフードにうつった気がしますが、もうどうでもよくなっていました。
やって来た道よりさらに明るい対岸は、真夏の昼の明るさか、それ以上でした。時間の経過をわすれさせます。おまけにカンオンが、今までの分をとりもどそうとばかり、ひっきりなしに、ガイド映像と音声サービスをくり返しています。すでに橋のとちゅうから、カンオンが復活していました。じゃまなライトはブロックずみでした。
ソルは、じっと手のひらを見つめます。今日一日中いろんなものをさわりまくって、表面がザラザラして、なんだか硬くなった気がします。あのホルスのおじいさんみたいに。
中途半端にふくらんだ、上弦の白い月が、東の青い空に出ていました。まだ日ぐれに時間はありますが、ソルの長い休日は、終わろうとしていました。