迷路 1 狂集団
いくら堤防ぞいを歩いても、中々その上の道、天端にのぼる階段を見つけられません。それどころか、しだいしだいに、はなれていってしまいます。だんだん彼は、あせりはじめました。
少し肌寒くなってきました。もう、うでがいたくって、しかたありません。彼は意をけっして、かかえていた赤いフードをかぶりました。なんだかちょっと、におうような、におわないような。でも、かまわず歩きだします。上半身だけでもあたたかくなり、重さも分散されて、いい感じになりました。
もはや堤防は完全に見うしなっていました。足のウラがやけどしたみたいに、ヒリヒリします。ただやみくもに、にぎやかな方へ、明るい方へ、すすんでいました。もう陰の多い、民家の密集地へもどりたくありません。今いるせまい道から、大通りらしき、ひらけた空間が見えます。しぜんと、足がそちらにむきました。
「キーーン」
「バァーーーーーーーーーーーーーーーン」
「キーーンィーンィーン」
音われの悲鳴が耳をつんざき、シンバル? の雷鳴が轟くと、また音われの共鳴でおわりました。
紫が脳裏にチラつき、火薬のような異臭が、ほのかに鼻をつきます。音のショックに誘発された共感覚でしょうか? 異なるものが一遍に、彼におしよせました。
大通りに見えたのは、じつは橋のたもとでした。車が一台も走っていないので、歩行者天国みたいに見えます。赤に黒い斑点のある、ナナホシテントウ柄の街灯が、もう照っています。太陽の下、脱色された街灯の光と、褪せた月あかり。ま昼の空に、太陽と月と街灯が、パワーバランスを無視した三つ巴で、かがやいていました。
フェンリル大橋は、新市街と旧市街をつなぐ生活道路として、また港までの幹線道路として、ターマ川とスモウ川の合流地点にかけられました。橋の欄干は七色の虹の弧を等間隔でえがき、やわらかい擬似大理石をあしらった、ベンチがすえられています。ところどころ、空中にふくらんだスペースがもうけてあり、七色のパラソルのかかった、まるいテーブルとイスのセットがおかれています。川を眼下に望み、吹きぬける涼風をあじわい、夏祭りには花火のパノラマの絶景を楽しめます。フェンリル大橋は、クララン市にとどまらない重要なインフラの要として、また市民に潤いと憩いをあたえる場として、○○××年起工し……
ソルは竣工プレート横の記念碑から、目を上げました。
頭上には木調の横柱が、わたされています。はらわれた枝の黄土色の年輪と、緑に萌えた対の葉っぱ。光沢のある蔦が、それにからまっています。アンバランスに大きな葉っぱにのったカエルが、大きく四角く口をあけています。電光掲示板が明滅して、交通情報や盗難情報、もよりのお買いもの情報やタウン情報をおしらせしています。 別枠のマドで、地元FMの放送風景、お天気やスポーツニュースなどを流していました。
道のりょうわきに、直立したキリンの首が整然とならんでいます。一れつにならだ、黄色と黒のまだらの柱に、太陽拳みたいな白い顔。一頭一頭のクビには、色ちがいのチョウネクタイがまかれ、そのむすび目のまん中には、監視カメラがしこまれていました。
こうさてんの明るい童謡に、かぶせるよう防災無線がなりひびきます。自治体からの連絡事項。もえないゴミの日のおしらせ、50代の行方不明ミドルの外見的特徴、ふりこめ詐欺への注意喚起。薬局と併設した食品スーパーからもれる、エンドレスなコマーシャル。いろいろな店の音楽、音楽、音楽。選挙カーのウグイスBBAの声……それらのスキマをぬって、かすかに「ゴウゴウ」と、うなる音が聞こえました。欄干のわずかなスキマからのぞくと、ターマ川とスモウ川が、おたがいの色をまぜず合流していました。
「バァーーーーーーーーーーーーーーーン」
「ツァカ、ツァカッ、ツァカ、ツァカ、トットン、トン」「ツァカ、ツァカッ、ツァカ、ツァカ、トットン、トン」
シンバルの後に、タンブリンの音がつづきます。橋のたもとにいるソルの反対側から、とお目に、もやにつつまれた黒の一団があらわれました。
仮面やマント、ベールにスカーフなどで顔を覆った、黒装束の一行。レバノン杉風のお香を燻らし黒衣に纏わりつかせ、前ぶれもなく奇声をはっし、わめきちらす。それぞれてんでバラバラ踊り久留って、ノミのようにピョンピョンはねまわって、寝転ろがって四肢を痙攣させ、ピーンと固まって硬直する。頭からかぶった、重っ苦しい黒マント。銀の腕輪金の腕輪ジャラジャラならし、翻るたび、紫の裏地が目におどります。神輿車を覆う紫のビロードは、雷と鷲の 金の刺繍をほどこし、さらにそのまわりを銀の薔薇でフチどる。下地が見えぬほど色とりどりの旅行宝石をもった、蓮華の装飾座台。さらにそれへ巻きつけたLEDチェーンライトが、エレクトリカル・パレードみたいに、チカチカまたたいていました。
巨大な黒い聖石、隕石が、座台の上にのっています。ずんぐり角ばった玉ネギ型で、レンタルされた工事現場のバルーン投光機が、光をあてています。呪文めいた文言にまじって、一つだけ剥がせなかったのか、「安全十第一」とありました。
もうもうと焚いたドライアイスには、お香のエッセンスがまぜられ、ドラ、シンバル、タイコ、ラッパ、シストラ、フリュートなどをかきならし、よくわからない声明か呪文を唸り、時々、絶叫を上げ、奇行でもって、見る人を威嚇しています。
太陽神の象徴のような黒石のまわりを、長裾のチュニック、長いフリギア風の三角帽子をかぶった司祭らしき人物と、それに首輪をつけた宦官っぽいのが、ドンキ臭ただよう衣装をまとってとりまいていました。
一人の青年? が、黒い陽物石のてっぺんにのぼると、後ろむきにまたがってしなだれかかります。石をさすったり、こしをずらしたり、もてあそぶたび、ふれた面から内部にむかって、白い稲妻が閃きました。
目のまわりになぐられた痕みたいな化粧をほどこし、ものうげに片手で鴉羽色の髪をすくい上げると、その黒いヴェールを垂らしてあざとく目をかくすしぐさ。チラチラかいま見せるその目は、厚い氷河の下でチロチロしている龍の舌先。そのカラコンの輝きは、気ままに爆ぜるエメラルドの燠火。ゴルフボール大の頭に深緑のモスリンをかぶり、シリアシルク風の緋色のセパレートを身にまとう。あらわな幅狭の腰のクビレは、フォトショ後なみの異様な細さ。ムキダシの四肢は、蛍光灯ほどの白いぼうきれ。
首、手首、足首、各部首のクビレには、白金色の蛇と細い銀鎖が絡みつき、指が足りないくらい、はめられた金色の指輪には、擬似宝石がちりばめられています。雪白の膚は、赤い血管と青い血管が立体的《3D》に透けて見え、その面を、冷たい蒼白い線が雨のように走っていました。
死のような美しさをたたえたその人を、信者たちは「完全さま」とよび、あがめまつりした。いちおう彼としておきますが、男なのか女なのか、よくわからない人物でした。19世紀末の象徴派とされる画家ギュスターヴ・モローが好む、冷たく人工的で退廃的なビザンティン・ツワイライトの世界。そこからそのまま、ぬけ出て来たような風貌と雰囲気があり、とりまき連中は、かぎられた予算と時間内で、そのイメージをうまく演出していました。
完全さまをシンボルとし、仮面やマントで姿をかくし、ときに奇声を上げ、街をねり歩く狂集団。リーダー不在で帰属性をもたぬ集まり。あくまで自然発生的で、あくまで烏合の衆。それをほこりとし、むしろ強みとする。現地集合現地解散を旨とする、名なしの通りすがり。仮想空間を否定しつつも、それによらねば集まれない集団と揶揄され、利用されるのではなく利用しているのだと言いかえす、匿名のアノニマス。
名のることより、名自体をこばむ彼らの信条教条は、「闇の復活」もしくは「闇の復興」でした。とくに、心の闇の復興をかかげ、黒のルネッサンスと称していました。あるかなきかのごとくの具体性にとぼしい、彼らの主義主張は、ファッションとして、一部の若者文化にとり入れられていました。それを戦略として深読み迎合し褒めそやす、一部の老いたる進歩的知識人《お花畑》たちと、さらにごく一部の、危険視する自称教養人たちがいました。それ以外の大多数は、無関心でした。
欄干に手をかけたまま歩く、ソル。まだ引き返せるほどの十分の距離がありますが、なにかに束縛されているかのように、欄干のレールにそって、前へ前へ進みます。
優柔不断にみえても、主体性という責任をなげ出し、いいわけじみた客観で見れば、ちがって見えます。彼には「禁止」の呪縛が、かかっていたのです。つねに、なにかに監視されている、自分を視ている自分がいるのです。詩人のまわりに、きまぐれな精霊や美神がいるように。ソクラテスの背後に「汝~するな」という、禁止のダイモニオン(神的な存在)がいたように。
ソルは、おじいさんからもらった赤いフードを、まぶかにかぶり直し、歩調をくずさず歩いていきました。