探索 2 ホルスの家
みちがどんどん細くなってゆきます。まだ日も高いのに、なんとなく、うす暗くなった気がします。そうこうしている内に、とうとう、まがりカドに行きあたりました。
立ち止まりそうなソル。ムキダシのまま、はだかで曝されている感じ。90度のまがりカドが、トラの口を開けてまっています。手すりの直角が、わきばらに食いこみそう。とうぜんクッションも、ガイド映像もありません。彼はカドの根本で、くの字で血まみれにころがっている、自分の死体のビジョンを見ました。
エリゼ一とその周辺には、影も死角もなく、刃ものまがいの鋭利な直角もありません。ちかごろの遠出にしても、こんな込み入ったところまできたのは、彼は初めてでした。ソルはまだ保険に期待していましたが、さっきから、ずっと無反応のままでした。ただ、前方を明るくてらしているだけです。
ゆくとも、ひくともできず、立ち止まることさえ、できないソル。ホルスの影に連結されたように、ズンズンひっぱられていきます。つぎつぎ自分の足がくり出されてゆくのを、彼は見ているしかありませんでした。
カンオンがその意をくんだのでしょうか、まばゆいばかりの光量を、彼の眼前にはなちました。おかげで目蔵のまま、そこを通過できました。ホルスがそのまぶしさに、ビックリしてくれていて、たすかりました。
ひくい屋根の小ぶりな建物たちが、あたり一面に密集していました。いつか共有の資料映像でみたような、なつかしさをともなわない異質な風景。その中に彼は、まぎれこんでいました。バラバラな色と形のレゴと、それをかこった個人所有を主張する、グレーのレンガ。凸凹したモザイク積み木のコドクなむれが、びっしりとひろがっていました。
エリゼそだちの彼にとっての建物とは、ある場所に、ある目的で、まとまってたてられた、高層の構造群でなければなりません。彼は一戸建の家屋というものを、映像によらず、肉眼ではじめて見ました。家並というものを、はじめて見たのでした。
しかし、それよりソルの目をうばったのは、道の惨状でした。なにしろ、チャコールグレーの地面はツギハギだらけ。とくに左よりは、かなりヤバイ。ネズミ色のカベとしてだけ立っているカベ。ブロックベイとよばれるそれは、キケンな死角をつくっているだけで、彼にはそれが、存在する意味がわかりません。ムキダシのブロックベイのカドは、ギザギザざらつき、花型の空洞には、あきカンがはまっていました。なかにはコンクリートがくずれ、まがった赤茶の鉄棒が、あらわになっているものもありました。ラクガキされた、ゆがんだガードレール。そこから三角につき出た、なぞの金属片。地面は小石がゴロゴロ。カンバンがわがもの顔でおかれ、花や植木鉢のひなだんが、公道にはみ出し、色あせた自販機が、コンセント入をれっぱなしのまま、ほうちプレイを続行中でした。それやこれやが、もとからせまい道を、よりいっそう、せまっくるしくしているのでした。
視界をさまたげるものは、地上にとどまりません。頭上では、きゅうな傾斜によって、屋根瓦が雪崩落ちてきそうだし、パラボラやお魚のホネみたいなアンテナが、ギリギリハリガネでしめつけられ、その犀利な金属線が、風をトコロテンのように切っていました。塗装のハゲた信号機は、ひざしで見づらく、電柱とともに紙だらけ。際限なく剥がされては貼りつづけ、層になっています。黒く太い電線の束が、空中でこんがらがってたわみ、頭にのしかかってきそうでした。
それら危険物にとりかこまれ、ソルの神経は、クタクタにすりへっていきました。さいごに彼にとどめをさしたのは、自転車の上にのった、他人の布団でした。
怪物がひそんでいそうな迷路の旧市街を、ホルスにみちびかれ、ス―パー堤防にそってすすんでいきます。
とおくの鉄塔から、ちかくの鉄塔へ、じゅんぐりに波をうって送られてくるケーブル。それらがいったん、ここで集約されています。ぐるりと、とりかこんだ錆びた金網。それをコーティングしていた水色のプラスティックが、ひびわれて、あらかたなくなっていました。人丈をこす枯れススキと、青いススキの群生。なげこまれた生活ゴミ。道路にたおれかかった、開花まえのセイタカアワダチソウ。やぶの中のクワが灌木となり、茂っています。水のはってない田んぼと、荒れ果てた放置田の中に、ポツンと変電所がありました。
金網の中は、まるで白黒のSF映画に出てきそうな景色。ギザギザの角の白い碍子、錯綜する電線、三角に組み上がった鉄骨の柱。すぐ横には小さなため池があり、変電所とつながった金網で閉ざされていました。
池の外にも、中にも、子らがいます。子らが凧上げをして、あそんでいました。
ソルはギョッとしました。とうとう、鳥のむれが来襲してきた。自分の妄想が実現になった、と思ったからです。よく見ると、コンクリート小屋のわきの金網に、穴があいています。がざつに切られ、おしひろげられていて、かなり前に空けられたようでした。
ほんものと見まごう、飾り羽をつけた凧。ジョッキー服のようなハデな凧。ギョロリと目玉のついた三角形の凧。こしをクネらせ、下半身を強調した女体型の凧。それぞれ思い思いの凧を、子らが上げています。どの子にもカンオンがついていないのは、とお目でもわかりました。
だんだんちかづいてゆくと、あっちこっちに、凧の残骸が見られます。電線にぶら下がっているもの、変電所の中に墜落して、機械に引っかかったもの、有刺鉄線につきささったもの、骨組みだけ水面から出ているものもあります。おそらく、そうとうな数の凧が、池の底にしずんでいるはずです。
でも、ソルがほんとうにおどろいたのは、凧や、その散乱ではありません。開けられた金網の穴といい、そこからの子らの出入りといい、なによりもそれが、長い間放置放任されつづけてきたことが、おどろくべきことでした。作為の不作為というより、たんにズボラで、そのままなのです。この御時世に未開でありつづけられる。そのことが驚異なのでした。
「バサバサバサバサ」
羽をふるわせ、一つの凧が急降下を開始します。となりの凧に、ケンカをけしかけるため。おいつ、おわれつ、急旋回をくりかえしています。子らのくりだす糸が、まひるの太陽の下、チラチラ細長く輝いています。ソルはむき直り、ホルスの影法師を早足でおいました。
ソルはつかれていました。ボーッとしていました。車に長くのった後みたいな、まだゆられているような、そんな微熱っぽさが、ぬけ切れませんでした。ホルスの家は、スーパー堤防を見うしなって少したった、高圧線の鉄塔の真下にありました。一戸建の二階屋で、リフォームした壁の漆喰には、浅く亀裂が入っていました。ペットボトルをのせたブロック塀が陣取った、クラッシックスタイルでした。彼は今、そのホルスの家にいました。
エリゼの子であるソルには、ここは暗闇でした。せまい部屋には家具の山がそびえ、壁の絶壁が立ち塞がり、階段は切り立った断崖のけわしさを見せ、天井には暗雲がかかっていました。家中いたるところに死角があり、不吉さと不気味さの影が、いくえにも重なっていました。
彼はずっとイライラしっぱなしでした。なぜだかカンオンが反応しません。ホルスに気どられないよう、小声でなにをいっても、ウンともスンとも返しません。空気をよんだのか、マナーモードにでも入ったのでしょうか。世界との接点であり、体の延長でもある器官、その重要なカンオンをうしなったことにより、非常な不便さと不快さを感じていました。
その一方で彼は、自分の瞳孔の変化に気づきました。大きなネコの目みたいな分かりやすさで、萎んでいたものが、だんだん広がって、暗がりになれてゆくのでした。欠落と痛みは、存在の輪郭を際立たてます。暗闇の中で、彼は目を身体として意識しました。
「カラカラカラカラ……」
薄暗闇のどこかで、なにかが、カラカラなっています。ときおり部屋の中に微風がふき、ヒヤッとします。ソルには心あたりのない「すきま風」とよばれる現象でした。彼は冷たい風の出所をさぐり、ハメゴロシでない窓を発見しました。くっついているはずの窓と窓枠との間に、わずかなスキマを見つけました。
暗さと、さむさと、つかれが重なると、いつものパターンで、不安と罪悪感が涌いてきました。理由もなく、自分がこの家の、シミになった気分がしてきました。この家の方が彼の中で、シミとして、広がっていくようでもありました。今までの経験上、このシミはとうぶん消えないのは、分かりきっていいました。そう思うと、ますます気がめいってくるのでした。
悪くなりすぎたものは、よくにしかなりません。とりあえず休憩はとれたので、体力だけはジワジワ、水位が上がってきました。というより、体の状況が、心に反映しているだけなのかも。
さっきから、鳥のはなし、ばかりしていました。他になにも、わだいがなかったからです。コトバのシッポに、つぎのコトバの頭をくっつけ、またべつのをくっつける。やみくもにペダルをこぐように、ハナシのためのハナシをつづけます。関連性のうすいものを関連させ、はなっからそうであったように、自分で自分を納得させます。つかなくてもいい小さなウソをつき、しゃべりつづけていると、なんだか、だんだんハラがたってきました。そのうち、顔が赤らんできました。
「なんでコッチばっか、しゃべってなきゃ、いけないんだ?」
と思うと、なんだかいつもの彼に、復讐されているようでした。そう感じてか、いっそう血の気が顔に上がりました。
ホルスは、ほとんどしゃべりませんでした。聞いているだけです。たまーに、あいづちをうつていど。二つ三つ単語で返すだけ。
「なんとかいえよ、ゴルァ!」心の中で、ののしるソル。彼はしだいに、不安になってきました。やましさをおぼえつつ、あいての知能レベルを、うたがいはじめたからです。
シュッと、引き戸があきました。完全に意識を、はなすことにうばわれていた彼は、状況においつけず、うろたえます。
「いらっしゃい」
おじいさんが、おぼんをもって入ってきました。
「あ、ども」
小声で。
「よろしかったら、どうぞ」
テーブルにおくやいなや、ホルスが手をだし、ボリボリ食べだしました。
おじいさんは終始、笑顔でした。帰りぎわにホルスがよばれ、おかしをくわえながら、彼は出ていきました。
二人がさり、ソル一人がのこされました。
さっきはビックリしました。じつは、彼がもっともおそれていたのが、うちの人との遭遇だったからです。はなすことに気をとられすぎていて、無警戒でした。かえってそれで、よかったのかもしれませんが。
ホルスのおじいさんは、ソルから見れば、しわくちゃでした。まるでタレントを生身で見た感じか、4K、8Kの画面で見た感じに、ちかいかもしれません。おじいさんはサンリ・オのキャラクターがえがかれた、ピンクのスウェットの上下をきていました。彼の目には、しめって重く、ヤボッたくうつりました。
エリゼや、クララン市の中心部、その主要地域の大人たちは、わたしたちから見たら、いちようにわかく見えます。せだいをとわず、みんな、にたようなかっこうをしていました。どちらかといえば、大人が子に合わせている、といった感じ。わかさは、この時代にあって、きしょうな価値であり、また商品でもありました。
ソルはテーブルに目をむけます。オレンジジュースとクッキーが、金属枠のガラステーブルの上、おぼんにのっておいてありました。
――冷蔵庫の紙パックには、リアルなオレンジのイラストが描かれ、果汁10パーセントとあります。クッキーの箱には、代用小麦粉、小麦粉、ショートニング、代用砂糖、人工甘味料、ホエイパウダー、乳製品、代用食塩、膨張剤、乳化剤(大豆レシチン)、香料等と表記されていました――。
彼はなんの感慨もなく、テーブルの上のそれらを、じっとみつめていました。
しばらくした後、りょう手をつくと。
「フウー」
と大きく息をはき、のびをしました。やっとわれにかえり、彼はあらためて、まわりを見まわしました。
密閉された箱部屋。圧迫されるような、息づまる暗さとせまさ。この小さな箱体は、ホルスのルーム。ホルス一人の所有物でした。場所を独り占めすることへの感慨が、彼におしよせます。昔風でいえば、ここはホルスの城でした。
見まわせば、モノ、モノ、モノ、モノ。そのおびただしい量。あふれかかえる、ホルスのもちモノ。組立て棚にかざるともなく、むぞうさに陳列された、ガチャガチャの小さいフィギュア。ギッチギチの新古書の紙マンガ。棚の天板から天井まで、びっしりつみ上がった箱は、塗装のひつようのない、NGノーマルグレードのガンプラ。紙の戸の端がやぶれ、その上に褪せたリアルな紙の壁紙がはられています。多人数の若年アイドルグル―プの写った、ポスターとよばれるものです。それのカモフラージュとしての意味に気づいたのは、だいぶ後になってからでした。カラーボックスからはみ出た、ふりだしの釣竿。それに黄色い糸をまきつけブラ下がった、ホコリまみれの凧。とにかくモノ、モノ、モノ……
ソルは、モノとは量のことかと、めまいをおぼえました。また「モノって、もっていることが大事なんだ」とも思いました。それもいっぱいに。彼はホルスのモノにあてられ、一時的にモノ酔いしていたのでした。
「いったい、自分のモノってなんだろう?」彼は思案しました。ゆいいつ自分にあるのは、カンオンだけでした。でもホルスにはなくても、エリゼなら、そんなのみんなもっています。それにカンオンは、映像や音の情報をあたえてくれるだけで、形や重さをともないません。彼はなんだか自分が、カラッポ、みたいな気がしてきました。その一方でホルスにはない、目に見えない、充実があるような気もするのでした。もちろん、錯覚ですが。
ホルスといる時、このヘヤの中で、見ないようにしていた場所がありました。ホルスは自分のヘヤにつくと、もち手のないスーパーの買い物カゴをひっくりかえし、オモチャを畳にぶちまけました。
手足のないロボット、シャシーだけの車のラジコン、ゴムのキャタピラのとれた戦車、つながった両翼のパーツと、それと分離したジャンボの胴体、レゴとその部分パーツ、なんかのネジ、おれたクレヨン…… ガラクタの山が、一山できました。
空になったスーパーのカゴの中に、紙の新聞をしき、カゴのフタに、たたんだダンボール(1.5リットルのミネラルウオーター)をおき、重しがわりに紙のマンガ雑誌をすえました。あっという間でした。ガジェットにあふれたホルスのヘヤの中で、そくせきでつくった鳥カゴでした。
ヘヤのすみで暗くてよくわかりませんが、鳥カゴから、たまにカサカサする気配がします。だれも見ていないのに、警戒心のつよいソルは、なかなか立ち上がって、ちかづこうとはしませんでした。ただ、時間だけがすぎてゆくのでした。
ようやっとホルスがもどってきたので、ソルは、はなしをきりだすことにしました。
「あの、その、あの鳥のことなんだけど、ちょっといいかな」
「聞きたいことがあるんだけど、あれってもしかして、ケガとか病気とか、もってないかな?」
ホルスは、とうに廃刊になった、色のついた紙(印刷せんか紙)の厚い、マンガのマガジンをよんでいます。裏表紙に、値札がいくつも汚くはってありました。
「もしそうなら、ここにおいといちゃ、マズイんじゃないかな」
ホルスはやっと、こっちをむきました。
「もしかしたら、くるんじゃないかな。だれか」
ホルスの顔の中心から、不安の色が広がってゆくのが見てとれました。
「くるって……。だれが?」
ソルはだまっていました。彼がしるわけがありませんが、沈黙が効いてるみたいなので、そのままだまっていました。
「鳥もってちゃ、いけないの?」
「ケーサツとか、くるの?」
彼はさっきまで、ホルスにハラを立てていましたが、きゅうに、自分がイヤになってきました。
「ケーサツか、どうかはしらないけど、それはト―ロクされてないだろ。足にカンとかつけていし」
カンオンでかじった、なまじっかな知識をおりまぜます。
「その鳥はたぶん、ヤセーじゃないかな」
「ヤセーって、なに?」
え、そこから? と彼は思いましたが、そういわれてみると、それがなんなのか、彼は答えることができません。
「ようはその、なんてゆうか、その、人にたよっていないってことさ」
ソルは、たよっていない、というコトバにフリーズしかけます。ホルスは自由民=依存民の子でした。対してソルは、自立民の子でしたから。
「ようするに、人にかわれていないってことさ、エサとかもらってないんだよ。かんりされてないから、どんな病気もっているか、しれないよ?」
早口でまくしたてましたが、色々気にしているのは、ソルだけでした。ホルスはそれどころではありません。
「他人にうつしたりして、メーワクかけちゃ、いけないんじゃないかな?」
ホルスはむごんで、鳥を見ています。
また、ダンマリかよ。ないしんイラつくソル。
「ヨボーセッシュとか、うけてないだろ」
「ヨボーセッシュ?」
「注射のことさ」
「お金だって、かかるんだぜ」
ソルはなんだか、死にたくなってきました。
「注射したら、かってもいいの?」
「さあ、ト―ロクもしてないし……」
しるかよ、てめぇーのカンオンに聞け! 彼は心の中でどなりました。それはエリゼの子たちが、切れたときに、よくつかうフレーズでした。私たちでしたらさしずめ、しらんがな、ググれカス! といったところでしょうか。
「注射して、ト―ロクしたら、かってもいいの?」
なんでこいつ、きゅうにジュ―ジュンになってんの? ちょっとおどろき、ホルスのきょくたんな変化に、たいおうしきれないソル。
「いや、さっきからカンオンのちょうしが、なんかわるいんだ。しらべられないんだよ」
つごうのいい時にカンオンがつかえなくて、たすかりました。一つ分のウソをへらせます。
「そのー、きみはその」
「そもそも、ト―ロクできなんじゃないかな……」
「……」
「……」
ホルスは、じっと鳥を見ていました。ソルも鳥を見ていました。
ドアノブにさわった手を、ひっぱったスソでぬぐいながら、きざはしのきわに歩みよります。暗い階下は、妖気がみちていました。行きとちがって、帰りは一人。ソルは片側だけあるカベに、ぴったり、りょう手と体を、くっつけをつけます。側対歩(同側の手足が同時に出る)のようりょうで、ゆっくり、しんちょうに、下りていきました。
まえをむいたまま、階段がまだあると思って足をつくと、あたまに電気が走りました。終点です。
うす暗がりの中、リビングの方から音がします。げんかんにむかう、とちゅうの戸があいていて、ソファにいるおじいさんの背中が見えました。光のもれる物理画面から、われたような低音質がこぼれます。目にわるそうな、単調で強い色み。デジタル処理された、セル画のアナログ映像。画質と音質の粗悪なコンテンツ。それは大時代な、ロボットアニメの動画でした。
その映像は、ソルのカンオンのコードに引っかかる、残虐で暴力的なシーンがふくまれた、古い作品でした。番組のさいごに「作者がすでに故人で――」とか「とうじの社会状況を鑑み、原作の意志を尊重して――」とかいった、ただし書きがつくようなものでした。たびかさなるロビー活動による著作権延長をへて、権利を失効した無料放送でした。
彼はぬき足さし足で、そのそばを後にしました。
げんかんを出てすぐ、ホルスによび止められました。
「これ、かぶってけって、」
まっ赤なフェルトのフードを、手わたされました。おじいさんからなのでしょう。ズッシリと重く、あやうく落としそうになりました。ホルスはさくっと、家にもどりました。つっ立ったままのソルは、彼らの真意がはかりかねました。
鳥はいったん、ソルがあずかることにきまりました。おくる手はずは彼のカンオンがすませ、登録には時間がかかることを、再三再四、ホルスに、ねんをおしておきました。
カンオンをもつものは、その空気のような絶対的信頼から、故障やそれによる待機など、しんぱいする必要はありませんでした。カンオンとは、一般情報と個人情報の集積であり、それを共有し、人にいかすものでした。一方それは物理的な存在でもあり、偏在的自個として、あまねくありました。万一こわれても、分身でもあり本体でもあるカンオンが、そこらじゅうにちらばっています。その宿主のしらぬ間に、新品と入れかわっているか、ちかくのカンオンが代行するので、なんの不安要素もありませんでした。およそ、人間がいけるところで、カンオンがカバーしていない場所は、事実上どこにもありませんでした。ただし、カンオンみずから、そのはたらきをブロックしないかぎりにおいては――という、だれもよんだことのない仕様条件に、前もってみんなが同意していたはずでした。
どっと、つかれました。まだ帰り道があるのです。きた距離の半分、まるまるのこっています。とりあえず、ソルは歩きだしました。こんなに足が重たいのは、はじめてでした。