暗闘
「あーもう、ちくしょう!」
「こんなことなら、とっくに、引きかえしときゃよかった!」
ソルはヘンに根気のあるじぶんに、ハラを立てていました。おくびょうなクセに根っからでもなく、どっちつかずで、ここまで来てしまった、ちゅうとはんぱなじぶんに。
なんだか細部にコダワリすぎたときみたいに、頭が散漫でまとまりがなく、時間の前後もアヤフヤになってきていました。7kmをすぎたあたりの不確かな記憶は、たしかにありました。でも、もしこの先7kmの表字をまた目にしたとしても、悲嘆にくれつつ、なんなく彼はうけ入れてしまうことでしょう。
立ち止まって仕切りなおしたい、となんども思い、けっきょくズルズル、ここまでやって来てしまいました。恐怖心を投影した「なにか」においつかれそうでしたし、なにより足を止めたときの、しずけさの耳鳴りが怖かったからでした。
さっき止まったとき――もう、だいぶ前に感じます――聞いたあの音。こちらにむかってやって来るような、こだまする孔内の反響。それはもしかしたら、気圧の変化による、ただの耳なりだったのかもしれません。でも、耳を圧迫するようなそれは、今にもうすっぺらい被膜のよう壁を破裂させ、天井を崩落させる、ぶきみな水音にも聞こえました。頭上の膨大な水の量と、わが身の小ささとに、彼のこころを深海の空きカンのように、きゅうっと萎縮しました。
クラランの音害に、どっぷりとつかって過ごしてきた彼ですが、「キーン」という無音の耳鳴りは、ホルスの家や、風の絶えた島で経験ずみでした。ここでのそれは「ごおぉぉぉ」といった感じで、さっかくなのか耳なりなのか、はんぜんとしません。海水の嵩は莫大で量りがたく、わきだす恐怖心はとめどもなく、おまけにこの暗闇です。けれどもここへきて、彼の心象は枯れていました。オートマティックな今までことなり、なぐさめとなる対象は出てこず、ひねっても、ひねっても、蛇口からはなにも出てきませんでした。漆黒の真空を埋め合わすことのできないそのつらさは、まるで潤滑油のきれた歯車みたいで、彼のこころは、なめるよう削られ摩耗してゆくのでした。
またしても、さっかく!
ソルはじぶんの感覚を信頼できず、気づくのにおくれてしまいした。反響にムラか、ノイズが生じているような気配がします。
呼吸を止め、耳をそばだてました。
目をこらすと、ポッツリのぞき穴のような点が見え、反射的にライトを消しました。
さいどライトを点け、カンオンをわしづかみ、左へとび上がりました。
壁棚にとびのって、あおむけとなりライトを消しました。
カンオンをかさねた手で、しっかりつかみ、外にもれるほど「ドッキンドッキン」となる心臓をおさえるため、つばを飲み下しました。
「コホッ、コホッ」と、せきこんでしまいました。小さくしようと、またさらに胸しめつけました。
もだえ苦しむうち、もみあげの根もとから、汗がポタポタしたたり落ちました。
「シャー」
という機械音がして、彼はハッと、われにかえりました。
はらばいに寝がえり、おそるおそる頭をもたげました。
音はすれど、なかなか、ちかづいてきません。
どうやら、それほどの速度は出ていないようです。
エリゼを深夜にぬけ出したとき見かけた、線路補修用の、ロボット車両を思いだしました。それは低速である区間をいどうし、とまったり、うごいたりをくりかえしていました。だれもいない真夜中の線路を、レールや照明をとりかえたり、金属疲労をみつけるために超音波探傷検査したり、一人もくもくと補修点検をおこなっていました。
じっさいそれは、お掃除用ロボットでした。清掃と簡易補修と安全点検もかね、無人のトンネル内を、時間ごとにパトロールしていました。それが時速30~40kmほどで、こちらにやってきています。天井や壁にはりつくことなく、ただひたすら、まっすぐ下道をとおってやってきていました。
立ち止まりました。
横壁にちかづいて上下を照らし、なにか、さがしているようにも見えます。またセンターラインにもどり走りだしました。
と思ったら、またきゅうブレーキ。立ち止まりました。どうやら一定間隔ごとの、壁龕のような壁のくぼみをチェックしているようです。やきもきして、彼はまたされました。
こともなく、ロボットは横をすぎてしまいました。
かくじつに光が見えなくなるまで、彼はしんぼうづよくまちます。
えんえんと、かなり待たされた気がしましたが、線香花火のような光点は、二三分後には消え落ちていました。
「……なんだよ。あせらせやがって」
足をそろえてしずかに着地すると、うすぐらいカンオンの灯りをたよりに、ソルは歩き出しました。
トンネル管理室。
ブル・アガべとラム・モラゼズは、コントロール室を占拠していました。女子と男のコンビで、二人ともグレイスーツでした。カンオンはついていません。二人の帰属する組織は、仕事中きまってお仕着せのように、ねずみ色の服を着用させることから、その業界ではグレイの組織とよばれていました。
それはある国民的アニメ「見た目は小人、頭脳は大人」からの、もじりでした。今やサブカルチャーは世代間をつらぬき、ジェネレーションギャップはただ、どのシリーズ、どのシーズンかだけでした。いわゆる現役時代(お子さま時代)のすりこみというやつです。
生き生きステイション(老人ホーム)の図書館には、イミテーション・ペーパーでできた、大き目A4サイズの大判漫画が、たなの大半をしめていました。ひらくと浮かび上がるシニア世代むけ3D広告、ロッカー型永代供養墓地や、ペットともにやすらかに眠れるマンション型墓地、生前遺書代行サービスなどにより、おやすく提供されていました。
「おっせーな。まだかよ」
「……」
「なに、グズグズしてんだよ。まったく、ガキ一人にかり出されて、こっちはいいメーワクだ」
「だいたい、なんでオレなんだ? 他にヒマなヤツ、いくらでもいたクセによ」
「……」
らんぼうなコトバづかいの方が女子のラム・モラゼスで、かもくな方が男のブル・アガべです。
「あ~あ、日曜日だってーのに、こんなオッサンと組まされて」
そういう彼女も、ゆうに30代後半をこえていました。二人とも革手袋をして、ラムは黒髪のおかっぱに透明なゴーグル、ブルはダンディな中折れ帽をかぶっていました。
ブルはデスク盤にブリーフケースをおき、デスク盤のモニターと、開いたブリーフケースのモニターの、りょう方どうじ、にらめっこしていました。
「おい、聞いているのか?」
「……」
彼が持参したのは、浮島の劣化版コピーでした。とうぜん機能はかぎられ、貧弱なものでしたが、このコントロール室を制圧して、使用痕跡を消すくらいのことはできました。
「おかしいな。計算だと、とっくに遭遇していても、おかしくないんだが……。もういいかげん、出口についちまうぞ」
「え、なんだって?」
「……」
「まーた、だんまりかよ」
頭蓋骨で音楽を聞いていたラムは、ポケットからメルシーのヨーグルト味をとりだし、つつみをポイすてしました。あまみが長もちするアメは、彼女なりのダイエット方でした。
二人の脊髄には、プラグのような組織独自のカンオンが埋め込まれていました。施術は組織に入ったときにおこなわれ、その痛みは、組織への忠誠を誓わせる儀式として、またその後の苦痛は、裏切防止の実益をかねるものでした。
さっき出ていったラムがもどってきました。手に午睡の紅茶ロイヤルミルクティー・ゼロをもっていました。
「チッ、よせといったろうに。証拠がのこる」
ラムは無視して、グビリとやりました。
「……」
彼女の態度の大きさは、性別によるマイノリティ特権と、若頭補佐の娘というコネからくるものでした。
「出口だ。もういちど引きかえす」
「なんだよ、いなかったんだろ? もう、いいだろ。どうせ引きかえしたって、おなじことだろが。それでいなかったら、どうすんだ。また、やりなおすのか?」
「そうだ。最低三回はやりなおす」
「はぁ~あ? ジョーダンじゃねぇぜ、やってられっか! あんなヲカマ野郎の言うことなんか、信じっからこうなんだ!」
けっとばして、イスをころげさせました。
ブルは懐から電子タバコをとりだし、スイッチを入れ燻らせました。ジョンソン・リバーオリジナルの、ナッツのような、あまいタバコ風味がただよいました。
「おい、おまえはいいのかよ」
「フー」
とふき、
「ここのじゃない」
と言いました。
「残存した微粒子は?」
「さて、しょうがない。長丁場になりそうだな」
「おい!」
ブルは、イスにふかく座りなおしました。
「おい!」
モニターを見つめるブル。
「……」
ふっと、冷静になったラムはお手上げのポーズをとり、せせらわらうように言いました。
「――いや、機械を信用しようぜ。おっさん」
わかい世代ほど、カンオン=機械に対する信頼感は絶大でした。それもムリからぬことで、科学てきにその確率的正しさは、すでに証明ずみでした。今まさにこの瞬間にも、その選択能力の合理性が、カンオンとそれを見まもる人間の監視者によって、再検証されつづけている、まっさいちゅうなのですから。すくなくとも、そう聞かされていました。
「社会のルールってやつを知らないのか? 手続きってもんがあるだろうが」
「社会って (失笑)。おれらカタギじゃねーじゃん。アンタバカなの市ぬの? (嗤)」
「この業界にはなんの保証もないんだ。それに、お前の保険でもあるんだぞ?」
じつは、今やどの組織に席をおくにしても、それは半分だけでした。それとともに、かくじの保険加入は強制的義務でした。なぜならその気になれば、アウト・オブ・ロウでも訴えをおこすのは可能でしたし、弱者保護の精神により、組織がわが負けることもザラだったからです。判例として、うしなった指に対する入院費や、慰謝料の支払い命令も下されていました。
「ろーがい(棒)」
ヘイタンよみするラム。
「こんな世界に、ルールもへったくれもあるか。バカじゃねーの」
「こんな世界だからこそだ。仕事には卑小さが必要なんだよ。ま、女には分からんだろうがな」
「クソジジィが!」
怒りをかくす必要も感じないラム。
「あーいーよ。オレだけかえる。後はヨロシクな」
「だめだ。連帯責任になる。お前こそ、いつの時代の人だ? だいじなのは事実じゃなく、手続きをのこすことだって言ったろうが。それともなにか、帰って若頭補佐にでも言いつけるか?」
「テメェ、もっぺん言ってみろ!」
缶を投げつけると、しぶきがとびちって、床に水たまりができました。あまったるいニオイがあたりに漂います。
カタカタと、むごんで作業をつづけるブル。
「もっかい――」
「出口に着いた。引きかえすぞ」
ブルはボタンを五回すばやく押し、電子タバコを消しました。
ソルは8kmの地点をすぎていました。もうかなり、まいっていました。とくに神経がクタクタでした。
「もー、かえろうか」
「もー、かえつても、いいよね?」
「あー、もう!」
わざと声を反響させていました。そうでもしていないと、またあの音に、とらわれてしまうからでした。
ふたたび、あの異音が聞こえてきました。
「引きかえしてきやがった!」
壁棚にひとっとび。ピッタリおなかをつけ、息を頃します。
「シュ―ン」
という音が高なってきました。さっきより早めです。
見るまに、彼の横で止まりました。
ドキンとなるソル。
アキラに出てくる炭団型ロボットを、ひらべったくしたみたいな形。ルンバに足が生えたようなのが、ちょうど彼の下のくぼみに、光をむけています。
うごくか、うごかないか、彼は選択をせまられました。
光が上がってきました。
クソッ! よりによって、こんなところで!
顔をふせ、じっとしたままのソル。
光はフトモモをなめ、天井にあがり、またフトモモを照らし下りていきました。
ロボットはむきをかえ、センターラインにもどり、走り去りました。
???????
ワケがわからず、混乱します。
バレたか? れんらくしにいくのか? いや、そんな必要はないはずだが……。
にわかに閃くソル。
ヒザをつかって着地すると、彼は猛ダッシュをかけ、ロボットにおいつき、そのままジャンプ。ロボットの甲羅にのっかりました。
気づかず走りつづけるお掃除用ロボット。スピードを上げてゆきます。
彼はじぶんでもビックリ。機械の鈍感さと、みずからの無鉄砲さにおどろいていました。
いいぞ、筋斗雲みたいだ。
ノーテンキにも彼が思ったのは、とうぜんアーカイブアニメのDBの方でした。
つかれがピークにたっしていたのか、どうせバレてんだとヤケになったのか、いきなりムチャなことをしてしまいました。でも、彼にも勝算がなかったワケでもありません。なぜなら、ロボットが一度目にきたとき、見つからなかったからです。体をかくしたくらいで、センサーに引っかからないなんあるワケない。視覚センサーだけなんておかしいと、お子さまだって気づく御時世でした。
理由はわからないけど、とりあえず気づかれては、いないみたいw
見られさえしなければ、ヘーキヘーキ、ぜんぜん、よゆうよゆう……なのかなぁ?
ん、でもアレか、これってもしかして、犯人のジンケン、ジンメーへの配慮ってやつ?
このあたりのコトバの教育ならぬ、共有は、それこそ徹底していました。プライマリー解放区(義務教育)に参加(入学)すると、まず、いちばんはじめに共有する(叩き込まれる)ことがらでした。
かんぐってみますが、いくら考えたって、わかりはしません。
まあいいや。
バレてんだったら、だったら、だっただ。
ソルは開きなおりました。というか、開きなおってばっかりですが (苦笑い)。
細かいことはどーでもいいんだよ。そんなこたぁ、むこうに着いてからのはなし。
後はノとなれナントカなれだ。




