オンショア(海風)
銀行屋からの連絡は途絶えましたが、ダイは、しじどおり枝道に入りました。山の中で電波がとどかないせいか、トランシーバーはノイズしか入りません。れいの土建屋さんの広場に出ると、すでにソルの痕跡すらなく、しかたなく、彼は本道にもどりました。
とりあえず彼は、目の前の山づみの土砂を、オフロードバイクでのりこえました。
さて、これからどうすんの?
ダイは湿ったヘルメットの中でつぶやき、鼻水をすすりました。「ハァー」と息をはき出すと、さすがに白くはなりませんでした。
なにも思いつかないまま、サイドスタンドをけって、走り出します。後は、どくじの判断で進むしかありませんでした。
ソルは身も心も、さっぱりしていました。おおむかしに、山の頂きから落ちて来たらしい、とうげぞいの大きな石の上にすわり、かた足を、ブラブラさせていました。ほぼ無人の島では、どこにいてもおなじですが、とりわけ、ここはしずかでした。渚からはなれた、風むきと反対の山面には、海風が強くまわりこむことはありません。陸の里山のような、おだやかな景色に一人たたずんでいると、下界から、けたたましい4ストのエンジン音が、ひびきわたってきました。
下からの音には、とっくに気づいていましたが、ぼんやり、来訪者をまちうけていました。彼にはもう、にげる意味も、気力も、ゆき先もありません。無責任に大人にまるなげするチャンスを、みはからっているみたいでした。さんざんやりちらかしておいて、ズルいようですが、ズルくなくては生きていけないのも、現実の一の側面です。すくなくとも、それを学んだ旅ではありました。それに、今ズルくしておかないと、この先もっとズルくなるような予感がして、今やそちらの方を恐れるのでした。
ピンクのツナギを着たライダーが、バイクからおりました。ひさしのあるヘルメットをぬぎながら、こちらにちかづいてきます。かなりビビッていましたが、彼は根っこが生えたように、けっきょく立ち上がりませんでした。
「よお」
ゴーグルを上げ、ダイはいいました。
あんしんしたソルは、ちょい、かた手を上げました。
ダイがほほえむと、ソルも片頬笑みました。
「おむかえに上がりました。お姫さま」
「かえんの?」
「おたわむれを」
「じゃあ、かえるか」
うながされるまま、さっさと後ろにまたがりました。
「なんかスカスカだな、このバイク」
「オフロードだからね」
ダイはヘルメットをぬいで、ソルにかぶせました。
ソルにとって、宅配(普及しなかったドローン)をのぞく趣味のバイクは、リッターバイクのことでした。もったいなくてオフロードを走れない、クチバシの出たアドベンチャーや、ピカピカのクロームメッキのカスタムパーツでかざりたてた、走る着せかえ人形こと、かち組おじいさんのハーレーデビットソンなどがそれでした。
二人のりのバイクは、エンジンブレーキで、どんどん坂道を下っていきました。とうげを大きく低速でまわりこむと、一気に、青い煌めきと潮風がとびこみます。ソルはヘルメットのアゴをずらし、あたまに風を入れました。彼が山に入ったのは、ほんのちょっと前のことなのに、ふと、その匂いと眼下に広がる青に、なつかしさを憶えました。
道がたいらになるにつれ、海は見えなくなりましたが、風の強さだけはかわりませんでした。底に着くと、島内で一番大きな道、島の外縁を一周する、環状線にのり入れました。
ダイは下っているさなか、背中の圧迫感に、少しだけホルスを思いだしていました。しかし今のじぶんには、どうすることもできません。それいじょうは考えないようにして、港ゆきの道にハンドルをむけました。
まぶしく照りかえす白磁のようなボディに、「ONSHORE」と青く書かれた船は、すでに進水をすませていました。この船がドックから出るのは、一度きりの試運転についで、今回で二度目でした。真空パックづめされたようなオンショア号は、まあたらしさをとどめ、ソルがのって来た船より、二回りほど大きいサイズでした。とうぜんというべきか、帆はついていません。港には、ママが一人だけでした。
「おつかれぇー」
ニコニコ顔のママは、日かげでダイにいいました。風がふくと顔がスッポリかくれてしまう、つば広のボウシ。カマキリみたいに大きなブラウン・グラデーションのサングラス。すけたサマーニットの上にショールをはおり、二の腕までカバーする薄手の黒いロング・グローブ 。ショートスカートの上に透けたロングを重ね、太いヒールのサンダルをはいていました。
「おつかれぇー」
うしろのソルにもいいました。
「ぜんぜんだよ。すぐに見つかった」
「アラ、盛り上がりに欠けるわね」
ちらっと、ソルを見て、
「ちょっとボクゥ、もっと、しっかりしなさいよぉ」
かるく手で、たたくそぶり。
「ハハ」
ひきつり笑いのソル。
「なんか、トランシーバーきかんのよ」
ソルにかぶせたヘルメットをとり、じぶんが、かぶりました。
「じゃあ、これから銀行まで、一っ走りしてくるから」
ママはぐっと、ツナギの腕をつかみました。
「いいのよ、いかなくて」
「はっ?」
「いかなくて、いいの」
「え、なに? またオッサンどうしケンカしたの? それとも痴話ゲンカ? (笑)」
「そうじゃないの、もういいの」
アゴを船にしゃくって、
「これは、やめにするの」
「はぁ?」
困惑するダイ。
「なに、オレのいない間に、きまったの? トランシーバー切れてたとき?」
「まだ、だれも知らないわよ。ここだけの話」
「知らないって? あんたなにいってんの?」
「あらぁ、べつにおどろかなくても、いいじゃない。いまさら」
ママは、口もとに手をあてました。
「今さらって……」
「みんな自分の意志で、ここにきてんじゃいないの、アンタだってわかってんでしょ? たとえ無理強いされなくったって、けっきょくどこにも行き場がなくって、他よりは好条件ってだけで、ここを選んだだけなの知っているでしょ? どうせアンタだって、なんかのヒモつきでしょ?」
「……」
ダイは、だまっていました。めいかくな自覚はありませんでしたが、じぶんを逃がしてくれた背後に、ビンボー弱小教団いがいの、なにものかがいることぐらい、うすうす、かんづいてはいました。しかし他の三人とちがって、それがいったい何なのか知りもせず、その関係者とおぼしき人間とも、会った記憶がありませんでした。彼は対等性をたもつため、わざとだまって、ふくみを持たせました。
「チェロキーは?」
「知らないわよ」
「ん、どっちの知らないなの? チェロキーはこの話し知らないってこと? それとも無視するってこと?」
「いいの、あれはほっといて。これは、ここだけの話し。わかるでしょ」
ダイは、ふりかえってソルを見ました。
思わずソルも、ふりかえりたくなりましたが、しかたなくダイに目を合わせました。
「だってよ」
ママにふりかえって、
「で、どうするの?」
「どーするって、わかんないわよ! ――てか、この船買ったときから、マーキングずみなのぉ!」
だしぬけにいう、ママ。
「ふ~ん。で?」
「ちょっとぉ、マジメに聞いてんの?」
「聞いてるよ。それで?」
「だからー。この船で、のこのこ出ていっても、すぐつかまっちゃうってハナシ」
「で?」
「でって?」
聞き返すママ。
「それで?」
「……」
口ごもるママ。
「いや、なんで、そんなこと話すの? なんで、あんた知ってんの? それをおれらに教えて、なんのメリットあんの?」
やつぎ早に問いただす、ダイ。
「それは……」
ぎゃくギレのように転調、
「――そぉんな、いっぺんに言われたって、答えらんないわよ(笑)」
竹中直人みたいな、おこり、わらい。
「じゃあ、一コずつ、じゅんばんに答えてよ」
「きゅうに利口ぶるんだからぁ、もう。ホーント食えないわねぇ」
「えーと、なんだっけ?」
すっとぼけているのか、たんにボケているのか、よくわからないママ。
「もういいよ」
手ではらうしぐさ。
「どうせ、うまいことはぐらかすに決まってるし。あんただって、自分のラスボスだれかなんて、知らないに決まってるし。自分がなにを知ってて知らないのかすら、知らないんじゃないの? ――ホラよくあるじゃん、ゲームとかで。本人も上位キャラだと思ってたら、使いすての雑魚キャラだったてやつ。その下の、下っぱの下っぱなんでしょ、あんた」
ダイは半分あてずっぽうに、わが身におきていることを、そのまま置きかえていいました。
「よく、舌のまわること。コワイコワイ。そう、ミもフタもないこと言わないでw」
顔はわらいつつ、氏んだ目のママ。
「どうでもいいけど、識別装置とか外せないの」
「やってみる? やつらが後からつけたとでも? 言ってはなんだけど、あたしだってこう見えて、もとはカンオン持ち(自立民)なのよ。今どき製造段階からタグ(個別認識)埋まってるのなんか、常識なのよ」
「――イヤ、知ってるし(笑)」
ダイは苦笑いをして見せました。
「気を悪くしないでね。だから無理なのよ。それとも、ごっそり制御装置ごとぬきとってみる? ほとんど筏になるから。――ていうか、うごかないから。港から出ることすらできないわよ」
「いちおう、聞いただけさ」
ダイは、べつに動揺していませんでした。だって今のところ、ソルをふくめたこの中で、彼がいちばんの部外者ですからね。
「でもよく考えたら、こいつのこと、まだバレてないんじゃ――」
親指でソルを指さしました。
「バレてるに決まってるでしょ!」
二人がドッキとするほどの大声を、ママは出しました。
「銀行屋がとっくに、報告してるわよ」
「あんたの方は、どうなんだい?」
「あたしは……」
「まあいいや。じゃあ、どうしろと? どうでもいいけど、あんたもしかして……、うらぎってる?」
「子度藻はそーんなこと気にしなくて、いいのぉ(笑)」
一変、態度を軟化させました。
「あ、そ。べつにキョーミないし」
おもったよりアッサリダイにいなされ、やや不満気なママ。
「だいたいガキ一人ぽっち、頃しゃしねえだろ。フッー」
ぶっきらぼうにいう、ダイ。
「そぉんなの分かんないわよ。あたしにだって。それに――、むこうについて捕まってからじゃ、遅いし」
「じゃあ、どうすんだよ」
ソルがその音に、いちばん早く気づきました。聞いたことのあるエンジン音です。
チェロキーのゼブラ模様のジープが、防波堤の上にあらわれました。




