ノード 2 結節点
ソルのカンオンは、さいど、異質な電波をキャッチしました。いったん見失ったそれは、また復活し、力強く脈うちはじめました。それはカンオンにかぎりなくちかく、びみょうなところで、ちがっていました。カンオンは吸いこまれるよう、そこへむかって急突進をかけます。
銀行につくと、つぎつぎ障壁となる物理ドアを、突破していきます。ほぼ手動式ですが、ほそ長いワイヤーアームをくりだし、カチャカチャ、つぎつぎ、こじ開けていきました。
カンオンが実力行使にうったえるのは、ひじょうに、めずらしいことでした。カンオンの実力行使には、おもに四つの条件ありました。
一つ、人の命にかかわるとき。
一つ、物理的にかぎった、違法行為を阻止するとき。
一つ、それが違法ではなくても、反社会性の疑いが、きわめて強いとき。
一つ、該当事件にかかわることのできる人間が不足しているか、まわりにいないとき。
などでした。
目の前でおきている事象がこれらの条件に合致し、さまざまに見做せる諸要素の減点方式をへてなお、その事例が規定の数値を上まわるとき、ようやく人をおびやかす恐れのある、その強権を発動させることがでました。あたりまえですが、これらの原則は厳格にまもられていました。
かんちがいされるといけないので、なんども重複覚悟で言いますが、カンオンは抑圧的管理者ではありません。それを規定しているのは、徹底的な人間尊重主義であって、あくまで主は人間なのです。
カンオンはけっして、でしゃばりません。カンオンへの付託、主体性の一部譲渡は、グレート・チェンジの一環として、時の政府の審議による審議のすえ、選挙権をもたぬ外国人をふくむ全世代を対象とした、完全国民投票に委ねられることによって決まりました。そしてそれは、今も定期的な代理人代表選挙をつうじ、更新されつづけているのです。このものがたりの冒頭でもいったように、カンオンは「人の心のつえ」として、市民の社会の中で、空気のように存在しているのでした。
カンオンは地下室に入るやいなや、フジツボの生殖器官のような、ほそ長いシールドをつなぎ、情報共有を開始しました。ギュゲスノ指環が特殊カンオンを顕在化させても、武装解除にしたわけではありません。それには直の接触が必要でした。
ばく大な量ですが、テクノロジーの無遠慮な発達は、ようしゃなく巨鯨を丸呑みしていきます。ついでにちゃっかり、たりないエネルギー補充もすませました。なにしろ彼らには、所有という観念がないのですから。
またしてもアラーム。
心臓にわるい警告音が、鳴り響きます。
一気に、顔から血の気がうせるおじさん。靴底で水をとばし、走って車にもどります。
赤、黒、赤、黒、と踏切りランプみたいに、画面全体が切りかわっています。
黒で止まりました。
黒の画面。青いおじさん。
膠着状態が、つづきます。
赤が目を突き、画面が開かれました。
ストーンズのマークみたいな、クチビルお化け登場!
大口を開け、ベロをびろーんと、二まい出しました。見るまに、三まい五まい十まいと、びらびら肉盛り、てんこ盛りで増殖させてゆきます。
原色の氾濫と雑音の洪水。タイガーバームガーデンの原色のオブジェ、花屋敷のメランコリア、ボマルツオの怪物たち。色彩と形態が逆巻き渦巻き、チンドン店かロンドンの街頭音楽師の一団のような、恐喝まがいの大音量をがなり立てます。
ブリブリ音をたてる黒檀色のフェイクレザーのソファに、だらしなく撓垂れかかり、フーッと、アンニュイに長煙管をふかす、大都会のやさぐれ女クチビルお化け。黒みがかったクリムゾン色(濃い赤)のロングドレス。スリットの深い切れこみから覗く、白い練馬ザダイコン。それをムダになんども入れ替えながら、目玉のような孔雀の羽で、三びきのマンチカンをじゃらしています。
酒クサい息であたりを睨め付けると、だれかれかまわず公平に因縁をつけ、口ぎたなく罵り、くだをまく。そうせねば氏ぬとばかり、句点のごとく語尾につける、フォーレターワーズ。口と肛門から白い薔薇の花びらつめ、両中指立てて二穴つっこむも窒息市。それを見て笑い痔にする、ザムザの家族と友人。演ずるは涙と笑いの悲喜劇。プログラムを切り張りする百頭女。すきを見てそれを焚く母親と妹。エーリッヒ・タウベ(飛行機)からにげるロプロプ鳥、キビヤックのように鳩の子孕む百頭女。ゲオルグ・グロースの低劣な風刺画に引っかかった右万字。傷口から押し寄せる茶色い羊水の洪水。温泉街の射的場に、色とりどりのベルランゴねじり飴。羽を毟られた雛鳥じみた菊人形。おなかで鳴らす人間ポンプの、びいどろおはじき。消えた坂柱いみり。梶井基次郎の好きな安っぽい色模様の鼠花火に火を点け、ドンパッチ齧ってゲップしたら、バックファイヤー! 反動で放屁しました。
アサクーサで売っているような、カープ(鯉)がウォーターフォール(滝)をのぼる柄の、エスニックなキモノ。それを外人みたく、素肌に帯なしのバスローブ風に着て、長イスに寝そべるクチビルお化け。一見しどけないポーズ、しかしムリのある姿勢。アングルの「グランド・オダリスク」四回ひねりのような胴長ねじりを、クルクルッと解消し、横ざまキセルを行燈にたたきつけ、ストローマット(畳)に灰を落としました。またメジャーのように胴を巻きとり、クチビルは立ち上がります。
前の合わせがはだけると、マンキー・ポンチっぽい貧相なスネ毛の線足の間から、ポニー一頭分の鯰が「でろん」と落っこち、空をうつよう痙攣して跳ねっかえりました。
腰をぐるんぐるんグラインドさせ、ゆっさゆっさとゆらすと、キャップをかぶった肩幅のひろいスイマーみたいに、バタフライでペコペコお辞儀します。
とかいってるうち――
アレレなんか変?
頬を赤らめ口に手をあて、しなをつくり、もじもじしています。
と思ったら、
りょう足はさんで、女の子になっちゃった! (マギー審司風)
どんどん、悪趣味がましていきました。
画面いっぱいまで近づき、ど・アップ。こそぐよう画面を舐めると、こちらにむかって粘質なツバが滲み出てくる、ニオイ立つような3Dのだまし絵。
大地と空気をつんざく終わりのない叫びに、タッチパッドがバイブで、おののき震え、虜のクチビルは耳をふさぐ。
やがて泣き笑い。ナミダの涯の莫迦わらい。クチビルは哄笑でもって、画面をゆさぶる。
ピッ、とクチビルに縦線。
至極色(黒紫)まじりの血がふき出すと、シワの数が一本、十本、百本と爆発的にふえる。
五蘊(人間の構成要素)の衰滅。歯と歯のスキ間から、紫のツブまじりの黄色いガスをはきだし、クチビルは、だんだん萎んでいく。
おちょぼ口になって色あせ、やせ細って手足がなえ、杖をついた三本足
よろめいて、四つん這いになって倒れふし、大地と口づけ
再会しました。
ちぢこんだクチビル。こげ茶色のミイラになって、硬まったまま。
ぴゅーと、風がふきました。
枯葉が一枚、ひらひらっと、とおりすぎました。
その土くれはサラサラと崩れ、風にはこばれてゆきました。
だんだん、モニターから光がうしなわれていきます。
とうとう、黒くなりました。
なすすべなく画面を見つめている、おじさん。
しばらく、絶句していました。
とつぜん、スイッチが入ったように、
「ふぁ~」
ナミダメ目の生あくびで、のびをしました。
「で?」
スマートな笑顔。
「これって、だれの責任になるんだ?」
となりに人がいるみたいに問いかけました。
間一髪、まにあいました。特殊カンオンが、外部からの侵入をキャッチすると、シグナル伝達をへて、浮島内の浮島である、アポトーシスソフトが起動、自殺を開始しました。
いっぺんには氏にません。砂とり合戦のごとく、浮島をアイスの棒とし、じょじょに周辺部から消滅させていきます。さいごのラインをつかって、特殊カンオンのネットワークのいくつかに、最小限のデータと侵入経緯を、ブラック・ボックス化して発信しました。
さいごは念入りに自動出火。フォレンジック・ツール(訴訟対応のための証拠保全をするもの)で情報をサルベージ(引上げ)されないために、物理的証拠隠滅をはかります。といっても、耐火構造の中の、防火材にかこまれた内部だけですが。そこが、くすぶりはじめました。
ニオイを感知して、カラカラまわっていた換気扇が止まりました。ここには火災報知器や自動消火装置はなく、消火器が山のようにあるだけでした。
ソルは寺か神社かよくわからない、草の生い茂った領域に入りました。古い木造の建物が、かしいでいました。屋根は湾曲し、瓦はなかば滑りくずれ、構造全体がひしゃげていました。
正面に、まっぷたつに割れた木のボードがブラ下がり、落ちかかっていました。チャイニーズ・キャラクター(漢字)が黒くペイントされ、黒ずんだ木と同化して判別できませんが、見えたとしても、彼に読めるはずもありません。
うらの方から音がします。草をかきわけ近づくほど、チャカチャカはげしさをまし、目の前まできて、やっとそれが水の音だとわかりました。外れた筧から、水がこぼれ、そのまわりで緑の草木が、いきいきと芽吹いていました。
それを手にすくって、彼はおそるおそる、口にふくみました。ほっぺにためこんだだけで、けっきょく出してしまいました。
また口に入れます。息のつづくかぎり悩んだすえ、かわきに勝てず、のどを鳴らして下しました。彼は二本ある500mlペットボトルのうち、なくなりかけの一本をすすぎ、つめなおしました。
ソルは服をぬぎはじめました。上着をぬぎ、ショートパンツをぬぎ、ちょっとまよってから、下着までぬぎました。まっぱだかのペールオレンジが、緑に映えました。
先にハンドタオルを洗います。速乾性なので、それで体をこすった後、体の水ぶんをぬぐうつもりでした。そんきょの姿勢でしゃがんで、ヘビイチゴの実を足でつぶしながら、服と体を洗いました。上をむいて口をあけ、水をガブガブのみしました。
赤い点々が着いた服はナマがわきですが、さして不快感はありません。それもすぐ、かわいてしまいました。
やっと、一息つきました。
あらためて、まわりに注意をはらうと、さいしょから匂っていた、オガタマノキの大木を見つけました。
「クソッタレ!」
タッチパッドの画面は、まっ黒でした。
あかるさをともなわない単色で、見るからに液晶の地の色でした。
「クソッ、クソッ、クソッ!」
もうなにも映らなくなった画面を、おじさんはバンバンたたいています。
きゅうにしずかになって、タメ息をつきました。
「――まあいい」
「古いもんだ。どうせ、いつかはこうなる」
「それに、こっからじゃ、なんもできねぇし……」
たしかに、うすいグレーのタッチパッドは黄色味がかっていましたが、オレンジの電源ランプは点いていました。おじさんは「タッチパッドの故障」という願望にしがみつきたかったのですが、彼は仮病から病気をでっち上げられるほどの、べんりなシャーマン、メンヘラ体質ではありません。子度藻の時からそうでした。ふとんの中で「ほんとうに、おなかが、いたくなればいいのに」と思っても、そうつごよくはなれず、技巧によるズル休みしかできなませんでした。あるいみ生まれつき、そんな倫理的気質の持主でした。
足でドアを押しあけると、サンダルがするっとぬげました。
「ちぃっ」
いまいましい声をあげ片足で下りると、バランスをくずし、りょう足をついてしまいました。
「クソ!」
ぬれた足先をつっこみます。
ふりかぶって、思いっきり地面に叩きつけると、タッチパッドは跳ね上がって、たて回転でころがり、ガードレールの下から落ちました。すぐさま斜面の草むらが、それを隠してしまいました。
でも、だいじょうぶ。行内にはオークションで購入した中古のスペアが、まだ、たくさんのこっていました。




