ノード 1 こぶ
――まえぶれもなく光がさし、画面が復活しました。
おじさんの顔にも、あかりがさしこみます。
「なんだ、おい」
画面にかぶりつくおじさん。
しばらく、じっと見つめています。
「なわけない、なわけない」
力んだりょう手でタッチパッドをつかんだまま、
「むこうが壊れるなんてあるか?」
きゅうに、きげんのよくなるおじさん。
「ないない」
かた手をふって、
「なわけないんだよなぁ」
「だと思った」
「知ってた。こっちの不具合って(笑)」
ためこんでいた、息をはき出しました。まだ半信半疑ですが、とりあえず、最悪の事態はさけられたようです。
「ようは、なにもおきてなかったんじゃん」
「なんだ……」
しあわせを、かみしめるよう、口をつぐみました。
おじさんはタッチパッドを助手席になげ、外に出ました。
ふとももに手をつき、ドアにもたれると、おしりがジワッとなりました。
大きく息をすって、
「ふっざけんな、莫迦やろう!」
大声をだし、たまったストレスを発散させました。
しとしと雨の中を、頭からかぶるよう雨にぬれ、ブラブラ歩きまわりました。ガードレールまでいくと、すでに、ぬれてしまっている腰をのせました。
あらわれた空気をとおして、濃い緑が目にしみ入ります。しんせんな香気を、胸いっぱいに吸いこみます。いちめん、緑に包囲されていました。杉木立が、すすきの群生みたいに山の斜面をおおい、あちこちで、赤茶けた露地を曝していました。車のとおらない道路に、ツツドリやウグイスの鳴声がひびきます。
「あーびっくりした」
むねポケットさぐりながら、ぼう読みでいうと、電子タバコをくわえました。
すぐにとって、また箱にしまいました。
水を吸った緑が、かぐわしいムシゴロシの成分を放っています。そぼふる雨で髪を冷たくぬらしながら、彼はたたずんでいました。
長い無人島ぐらしで、しずかなのに慣れているはずなのに、いっそう、しみるよう感じました。
「なに、やってんだか……」
特殊カンオンは、外部エネルギーが切れ、内部バッテリーから補助の自家発電に切り替わるさい、再起動をよぎなくされます。そのとき、ゆいいつの弱点をさらしてしまうのでした。
特殊、一般を問わず、カンオンは電気だけでも、数日間はうごいていられました。それだけでも十分機能しましたが、なるべく速やかに、そのエネルギー環境を整のえることが、のぞましいとされていました。通常、特殊カンオンのエネルギーは、海底ケーブによって賄われていました。
島と陸とを特殊カンオンでつなぐフォーマットを構築した組織と、それを利用する顧客がどれだけ潤っていても、さすがにそれだけで、独自にエネルギーシステムを、島内に建設するのはムリがありました。また、なんであれ、エネルギーの供給には、つねに安定性がもとめられます。自然に依存する、不安定なエコ・エネルギーシステムでは、とても万全とはいえませんでした。――ざんねんなことに、それらの必要性をもっとも声高にうったえる、意識の高い人たちこそ、浮島のお得意さまでしたが。
エネルギーは、老朽化した海底ケーブルをつたって、陸から確保されていました。その束の中には、通信用ケーブルもふくまれていました。それらを補修、維持したり、また、あらたにつくり直すことは、小規模な国家予算レベルを要しました。
補助電源は島のいたるところにあり、銀行ちかくの大型パチンコ店の駐車場にもありました。その設備のおかれたパチンコ店は、島民らが立ちさるまえの、あの大震災いぜんから閉鎖され、年季の入った廃墟となっていました。
あちこち破れた黒いシートから顔をだす、ぺんぺん草。ちぎれた金網ぎわに積まれた古タイヤ。陽に脱色されても、今もかわらず高くそびえるカンバン。とうぜんガラスは割られ、あせた外壁は日焼けした皮膚のように、全面ポロポロはがれていました。「ぱちんこパーラー・マンハッタン」の駐車場に、じかにシートをかぶせ、角度を違えたソーラーパネルが、びっしりと組み立てられていました。
それは震災時のパニックにつけこんだショック・ドクトリンによって、性急に法整備された産廃物でした。わり高な電気買取価格のFIT(固定価格買い取り制度)など、さまざまな旨味がからんだ曰くつきで、ただでさえデフレで荒廃した田舎に、雨後のタケノコのよう建てられたものでした。
それも経年劣化をまぬがれず、半分ちかく使えなくなって来ていました。フルーツのよくそだつ、この島特有の月平均全天日射量の多さと、潮風がそれを、いちじるしく早めていました。
ソルのカンオンは、異質な電波をキャッチしました。それは急速に弱まると、プッツリ途絶えてしまいました。微弱化しすぎてカンオンの識域をこえたか、それじたい消えてしまったようでした。
待機中だったカンオンは、最小限の機能をのこし、スリープ状態でエネルギーを温存していました。カンオンは追跡をあきらめると、ふたたび、もとの深い眠りにおちました。
道に勾配がかかりはじめました。ダイは山に入りました。
補修されぬ道路の端々には、崩落した石と土がたまり、中にはひょろりと、灌木の生えているところさえありました。
うっすらヴェールのような白い土が、道路ぜんたいに、かかっていました。まだ降りはじめなので、グリップに神経をつかい、立ちっぱなしのリーンアウトで走っていました。わかい彼は、あつい季節の雨を慈雨として、ハデなピンクのツナギの中で汗をかきながら、快調にバイクを走らせていました。
そんなこととは無関係に、彼の指環は電波をキャッチしました。長い無のねむりから覚めたそれは、その能力を発動しはじめました。
おおざっぱにいって、特殊カンオン=無認識カンオンとはオバケでした。みずから幽霊と化すため、特殊カンオンは消滅ジャミングをおこないました。消滅ジャミングとは、便宜上のたとえです。そのコトバじたいが矛盾しており、電波ですらない可能性もありました。
存在なき存在としての、ステルス特性の要をささえているのが、浮島でした。その効果をうむ浮島システムは、ごく一部で創造主、ロードなどと崇められている、ある天才によって生みだされたものでした(あくまで、そういうウワサです)。そのシステムは、いまだ解明されておらず、コピーするにもリミットがかかり、部分的にしかできませんでした。人がつくったとウワサされるものですが、今のところ人間がそれを模倣したり、代替物をつくったりすることは、とうてい、かないませんでした。
ほんらいジャミングとは、強力な電波発信によって、みかたの在処をウヤムヤにし、てきの混乱に乗じるためのものです。しかし、それは諸刃の剣であり、発信者の居場所をみずから晒す、リスクを伴なうものでもありました。
特殊カンオンの消滅ジャミングは、発信者と、その周辺部をなくしました。しかも、おなじ特性をもつ、特殊カンオンどうしの双方向性は維持されまたまま。
戦争から恋愛まで、コミュニケーション時の有利性の確保のさい、もっとも大事なことは、あいて側にじぶんが検閲されていることを、さとらせないことです。検閲権とは、認識における有利性の確保に他なりません。それは寝ているか、起きているか、くらいちがいます。浮島システムにおいては、じぶんたちにのみ、その覚醒権があたえられるのでした。
もしかしたら浮島システムとは、忘却システムのことなのかもしれません。あいて側を痴呆にするこのアンフェアこそ、他に類をみない特徴だからです。つごうのわるい関係を断ちつつ、じぶんにつごうのよい関係はたもつ。全体的個としての一般カンオン(そもそも一般カンオンというものはなく、カンオンはすべてカンオンなのです)とちがい、特殊カンオンは個としての孤立性を武器として、あの国民投票によってきまったグレート・チェンジ[情報の独占禁止と自発(強制)的共有]後も、しぶとく、それを捨てずに持ちつづけていました。まるで、刀狩り後の百庄のごとく。そのとき成立したはずのレントゲン法を、合法、非合法を合わせ、のらりくらり軟体生物のよう回避してきたのでした。
それを成立させる独特のセルフシステム、みずからを関係とする者どうしの、関係間の王者こそ浮島でした。
これに対し、ぞくにいうギュゲスの指環は、無認識カンオンに対抗してつくられたものでした。その存在意義は暴露にありました。脱法システムの特定と通報が、指環の生まれた使命でした。
それがおきるまで指環はモノでした。ひとたび、ある特定域の電波パターンにふれるやいなや、彼は生命をやどしたように働きはじめます。それへ過敏に反応するよう、ひっそり働いていた内部の自律システムが、引きがねを引きました。指環は一般カンオンのような汎用性はありませんが、その目的のためだけに、特化されていました。
それが今、めざめたのです。
彼は、その微弱な電波が消えるまえに、消滅ジャミングを無効化する、ジャミングをかけました。消滅×消滅=顕在化です。どうじに無認識カンオンに対してのみ、みずからの姿を一時的に陰性化させました。さらに、海底ケーブルは寸断されていたので、脱法システムに便乗して、衛星回線をつかい通報しました。
ここで、一つの疑問にいきあたります。大まかな場所がわかっているのに、なぜ当局が、しかるべき措置をとらないのか? と。
仮定のはなしですが、まず、指環が当局の手によるものという、確たる証拠はありません。じつは不正にもちだされたもの、またはそのコビーかもしれないからです。それらの可能性を無視すれば、考えられるのは、とりしまる方の後ろめたい心情か、後ろぐらい事情のせいなのかもしれません。
[一般的にいって、年収が一億ダニーをこえると、税収はガクンとへります。脱税をとりしまる行政も、カンオンの統計調査をみまもる役人たちも、れいがいではありません。
お役人、「みどり」をやたらと多用するところから、いわゆる「みどりの貴族」とよばれる人たちも、数字上そこまでとどかなくても、なんのかんのと、きめ細やかな手当て、各種控除等がつき、じっしつそれは、賃金収入とおなじでした。
とくに、たいした産業もない、年配者だらけの地方においては、彼らはカーストの上位にいました。排ガス規制のきびしいドイッチョラントの、グレードの低い輸入車を、扶養家族などが乗りまわしていました。
彼らに社会貢献の意識は希薄でした。そんな見栄はなく、おさないころからの勉強と小科挙の突破を自負し、とうぜんのご褒美=権利とうけとっていました。――これはミクロなルサンチマン(ただの妬み)ですが、マクロなルサンチマン・プロパガンダ=スケープゴートとは別個の、メゾな是々非々でもあります。
おどろくべきことに、また、ざんねんなことに、そのヘ・イゾー氏(クラランの御用経済学者)ばりの、うらなりの弱肉強食的自己責任論を、なぜか支持する、おおぜいの自由民(C層)がいました。そしてその上には、戦後、無責任の度合いを年々ましてきた、お花畑と強欲を合わせもつ、雲上人の富裕層である自立民(A層)がいるのでした。
デフレから恩恵うける両者。まずしさゆえの無知か視野狭窄か、どうるいの過当競争による不適切な低価格を、盲目てきに歓迎する自由民。そのチキンレースとは無縁な安全なゲートの中で、資産の目べりをなくす政策を、けがれなき無意識で画策、支持する自立民。
グローバルの中で分断され、固定化する身分。不幸な結婚をする、二つのルサンチマン。親の代からの需要不足のせいで、貧すれば鈍するとは裏腹に、内面は、ますます、ささくれ立ちデリケートに病むこころ。一方、その不当なゆたかさに対する疚しさと、しつけのされなかった子度藻みたいに、ドリルで破壊するような、ばっぽんてき改革を好む、じっとしていられない幼い欲動。貧者は同族嫌悪からの半歩リードを、富者は欲徳を動機とし、おぼっちゃまからの脱皮をはかります。彼らはおたがい、ヨ・ヘイ氏ばりの「自己批判できるぼく」を、骨太の差異とするのでした]
とりしまる当局も、上にいけばいくほど、とうの対象から恩恵をえている人が多くなります。とうぜんのことながら、出世にひびくことに、熱心になる部下はいません。彼らはプロレスで、お茶を濁し合っていたのかもしれませんね。
そこへ指環が登場しました。空気のよめない特化型は、好運(?) なアクシデントのたすけによって、彼の職務をまっとうしてしまったのです。ハブられる恐れなどない彼は、人の機微を熟知したカンオンとはちがい、ようしゃなく通報したのでした。
通信。潜入放置型探知機、コード:18211111-1030-18810209-0128、俗称ギュゲスの指環。わたしは被疑者の個別化に成功しました。
その時チェロキーは、岬でシガーをふかしていました。




