雨雲
警報音が鳴り、赤い警告灯がまわりだしました。銀行屋はあわてず、モニターを横目で見ました。
バイクです。バイクを所有しているのは、チェロキーとダイだけですが、スラリとした見た目で、ダイとわかりました。ここらで休憩かねがね、彼は腰を上げました。
ダイを玄関に出むかえ、コーヒー缶をわたし、じぶんの栓を開けました。
「準備できたってよ」
ダイは受けとってすぐ、コーヒーを呷りました。
「なんだ、やけに早いな」
「そりゃ、ママのキモイリだから(笑い)」
またゴクっとやって、
「店の水と食糧を運んだだけだし。後はこまごま、ママの私物とか。いらねーって、言ってるのに、やたらとなんでも、もちこみたがる」
「じゃあ、おれはもう、何もしなくていいんだな」
「いいよ来なくて。ママが怒るよ――ていうか、オレが怒られるよ(笑)」
Umiha、レイヨーの眩い白いタンクに、おじさんは目を細めました。娯楽の少ないこの地で、ダイとチェロキーの二人に先をこされてか、ほんとうは羨ましかったのに、なんとなく、オフ車には手が出ませんでした。
あえて、オモチャに手を出さない大人な自分と、ものごとに飽いて、おっくうになったオッサンの自分。ぶしょうヒゲを生やしているけど、まだ30代の、つるっとした赤ちゃん肌なのが、ちょっとコンプレックス。そんな微妙な狭間でゆれる、むずかしいお年ごろでした。
「こっちは見に来なくていいから、先にあの子をつれてきなってさ」
「わかった、わかった。おまえも、もういいから」
しっしっ、とやりました。
ダイは一気に飲みほし、缶をおじさんの胸元に、つきつけました。
「マックスじゃなく、ノンシュガーか微糖にしときな、オッサン(笑)」
「おまえもすぐ、そうなる(笑)」
缶をうけとり、
「トランシーバーのスイッチは入れとけよ」
と、不測の事態にそなえました。どんなささいな不安要素も、ないがしろにできない性分でした。
おじさんは銀行に入り、そこらを見てまわりましたが、ソルはいませんでした。
「ふ~ん」
つまらなそうに呟やいてから、地下におりていきました。
「ガキ」
ぼそっと言うやいなや、特殊カンオンの反応がでました。想定内の事態。ゆっくりと、電子タバコを手にとりました。
ふつうのカンオンより、二回りほど大きい特殊カンオンは、登録してある認証コードである、ソルのバイタルサイン傾向から、彼を瞬時にキャッチしました。屋上には、プライベート衛星とつながった、多目的アンテナが設置されていました。衛星は軍事政権下の発展途上国で、集団うち上げ委託により、格安におこなわれたものでした。
おじさんは頭の中で、場所を把握しようとしています。小山の中腹の手前あたりに、緑の表示がありました。マップからライブカメラに切りかわり、段階的にズームアップしていきます。うごくものが見えてきました。
「どこにいるんだ、アイツは」
みなれない風景に、失笑します。
「おいおい、どこまで行く気だよ」
こんな山の中は、彼だって、まだいったことがありません。
おじさんは時代おくれの、かさばるタッチパッドをもって、地下をでました。完全に規格外になったそれは、特殊カンオンとだけつながり、万が一にも、外部とつながる恐れのないハードでした。
外に出ると、鉛色の雲が、西の空にかかっていました。
ちょっとドアノブに手をかけ、立ち止まっていました。カサなら荷台にあるし、予備のバッテリーも、ダッシュボードに入っていました。たいがいのものは車に入れっぱなしで、定期的なチェックも欠かしませんでした。
引きかえす用事もないので、ドアを開けました。
シンプルなマップ画面上で、緑の光点が、じょじょに山のおくへ、表記のとぼしい上方へむかっていました。
「ウソだろ……。なに、やってんだアイツ」
ケモノ道のような隘路に入られたら、やっかいです。心もち、アクセルをふみこみました。
トランシーバーに手をのばし、ナカマに応援要請をかけました。早め早めが、彼の信条です。ダイにトランシーバーの火を入れておくよう言ったのは、正解でした。じぶんの判断の正しさに、小さくガッツポーズをとりました。
「な、こういうことがあるんだよ」
ほくそ笑みました。
使命をおえたソルは、頂上へむかって、歩いていました。本気で、この山を征服する気などありませんが、なぜか素直に下りず、反対方向へと、しぜんと足がむくのでした。彼は、ドロと汗にまみれていました。
やぶと化した、神社がありました。拝殿は見えませんが、ヤブカラシや笹竹がおいしげり、小ぶりなオレンジ色の朝顔が、線香花火みたいに、ぽつぽつ、そこらに散見していました。
大きな柱の、黒ずんだ鳥居がありました。もとから赤くないそれが、草をまたいで立っています。その柱の横手から、草をかき分け入りました。
あつい痛みを感じ、脛を見ました。赤く擦れていましたが、ギリギリ、血は出でていません。一歩一歩、ヒザを高く上げ、しんちょうに進んでいきます。
「チッ」
おじさんはニガニガしく、舌打ちしました。
ゆきどまり、土砂崩れです。外に出ると、水滴のツブが、頬に冷たくふれました。
「チッ」
でも、だいじょうぶ。これも想定内です。チェロキーのジープはムリでも、オフロードバイクのダイが、かけつけて来ていました。せまい島です。さっき連絡してからの時間を考慮すると、おいつくのに、早ければ十分もかからないでしょう。ますます、おじさんは「我が意を得たり」と、ニンマリしました。
彼はチェロキーもさることながら、ママもダイも、ばあいによってはソルさえ、その内情について、おりこみ済みでした。熱源や電波の発信源などを感知できる、べんりなモノくらい、彼らが持っていて、とうぜんと思っていました。もっとも、それをいったら、おたがいさまですが。そしてそれは、あたらずとも、とおからず、といったところでした。
「あせることはないさ、ここには、時間は腐るほどあるんだ」
今のところ、すべては順調でした。
雨足が少し強まってきました。フロントガラスに、細かな水滴が目立ちはじめました。ワイパーのスイッチを入れると、キュッ、キュキュキュ―と、なき声をあげ、うす茶色のシマをつくりました。ウォッシャー液をかけていると、パタンとエンストしました。
「またか」
また、チェロキーに、たのまなくちゃなと、ウンザリしました。
どういうわけか、アイドリングストップ機能がしばらくたつと、復活してしまいました。そのたびガードを外さないと、バッテリーがすぐに、いかれてしまうのでした。――この島では電力には、こと欠きませんでしたが(そのインフラも、年々こわれて来ていますが)、すべてが電気中心なので、バッテリーの寿命が陸より短いのでした。島内ではいらない車の機能は、すべてカットされていました。耳の不自由な人のための擬似エンジン音や、アイドリングストップ機能などがそれです。
じつは、おじさんは銀行を出るときから、いえ、もっとその前から、いつになく興奮している、じぶんに気づいていました。想定内のイレギュラーをむしろ喜び、土砂崩れで水をさされるまでは、ひさしぶりのワクワクが止まりませんでした。
「まるでハンターのきぶんだ」
「人間対動物。安全な命のやりとり、人間様のワンサイドゲームだ(笑)」
「おまえがどこに逃げようが、野生の感だけで、おれから逃げきれるかな?」
スコープの照準をあわすよう、かた目をつむりました。
狩猟。むかしから、なにかと物入りで、高貴な貴族のあそび。
これこそ今のじぶんに、もっとも相応しいのでは?
こんなに刺激的なら、ライフルの趣味もわるくないな。
ここならメンドクサイ免許もいらないし。
もぐりで買えねえかな?
こんどヤツらに相談でもしてみようかしらん?
ダイがくるまでの一時を、どうせやらないことを知っているクセに、ゆかいな空想にふけっていました。彼はいきがかり上(ヒステリックな教育ママ)、それを少年時代において来たのではなく、もともと生まれつき、じぶんが行動の人でないことに気づくほど、まだ大人ではありませんでした。
彼は子度藻のころにアーカイブで見た、SFアニメを思い出していました。機関車で宇宙を旅する、少年の物語。もはやじぶんが、そのチビすけの主人公ではなく、人間狩りをする機械伯爵の方の立場なのだと、苦笑しました。彼は大人になった視点から、小さいじぶんを愛おしみましたが、それを唾棄する少年の方は、たしかにおいてきたのかもしれません。
警報がなりました。
しかし、まだ動揺はしません。そのための具体的な要件を、彼は思いつけなかったからです。これまでだってそうだったし、今現在もそうでした。つねに早めに不安の芽をつみとり、心配事のタネを、ぬぐい去ってきました。だから、この異音が、彼の平穏な未来をうばう、知らせなワケがないのです。こんなところにいながら、彼は本気でそう思っていました。
「うるさいな」
少しイラッとしてきました。しかしアラームは、破滅的な音をかなでるのを、やめようとしません。彼の手と、彼のイマジネーションの外で、すでに起きてしまっている事態。これこそ、ほんとうに彼が「おそれるべき」ものでした。人は遠くのものに触れないし、時間を遡ることなんて、なおさら、できやしないからです。
「るっせーな。なんなんだよ」
イライラで恐怖心をおさえようとしますが、ベタに助手席のタッチパッドをつかみそこね、マットに落としました。
「クソ! なんも、あるわけないだろ」
怒鳴って警告メッセージの詳細を、おそるおそるタップしました。ロードされるまでの間、もどかしく画面をまちます。
デジタル数字があらわれました。すでに、カウントダウンがはじまっていました。特殊カンオン再起動のための、シャットダウンへむかって。
「――ちょっ」
数が、どんどん減っていきます。
「なんだよ!」
手がだせません。
「07秒」
二ケタを切っています。時間がありません。
「03秒」
なにをやっても、もう、あとの祭りでした。
「00秒」
まっかな画面がブラックアウトしました。
青いゆらぎのパターンが、おぼろに浮かんできました。
くりかえし、くりかえし、よせてはかえしていきます。
ゆるやかな、無音のさざなみ。
海上で白く泡立ち、海中で青と戯れる気泡のツブたち。
それも、しずかにフェードアウトしていきます。
のこったのは、黒の単色のみ。
おじさんは、ひっきりなしにメガネをふいていました。とにかく、おうえんがくるのを、まっていました。だれが敵で、だれが味方かも、よくわらないのに。それさえ来ればなんとかなる、とでもいうように。なんどもメガネを手にとり、祈るようにふいていました。ただ、まちつづけていました。




