目覚め 3 リトリート
リトリート(保健室的なヘヤ)には、キャッチャーとしてのドクターがいます。心と体の、いわゆるスクールドクターが、二人ついていました。ソルが鳥をもっていくと、一人だけ、体のドクターがいました。
体のドクターは男の人です。まだわかい彼の頭は、その頭頂部にむかうにつれ、うすくなっていました。頭のてっぺんで、色素のうすくなった髪が、地肌の色と一体になっています。でも顔は、ホリの深いイケメン風。白衣ではなく水アサギ(ごくうすい青緑色)の、サムエみたいなかっこうをしていました。ちなみに、心のドクターの方はサクラ色でした。
「みてください」
単刀直入にすぎますが、ソルのコミュスキルはこんなもんです。
「あーはい」
「それじゃあ君は、手をあらってきて」
すぐにソルは、そこの洗面台で手をあらいました。なぜかジュリも、つづけてあらいました。
ドクターは、収納壁を開け、なにやらゴソゴソしています。中にはこまごまギッシリ、子○ベヤのオモチャバコみたいに、いろんなモノがつまっていました。
じっさい、ほんもののオモチャも、たくさん入っていました。フィギュア、お人形、ドールハウス、ソフト超合金、ミニカー、ミニチュア、おはじき、ビー玉、木わく、すなの入ったフクロ、つみ木、レゴ、食べられるクレヨン。
その他にも、ハコ入りおかしのつめ合わせ、大きい空きカン、生分解性《自然にやさしい》プラスティックのコップ、結婚式のカタログ引き出物のつまったハコ。未開封の中みは、おさらとカップのセットで、チャリティーバザーの残りものでした。ごっこあそびの衣装には、改革によって廃止された、学校時代の制服や、浅草でうっているような着物《KIMONO》、お医者さんとナース服のセット、患者さんようのパジャマに眼帯とギプス、血のにじんだ包帯セットといった、メンヘラっぽいものもまじっていました。それにほんらい必要な、着がえ用の服と下着と紙おむつが、ひき出し部分におさまっていました。一番下のだんには、むかし寄贈された、ホコリのかぶった紙媒体のマンガが全巻ありました。あせた表紙の絵には、スパンコールのついた長い尾の、黄色い鳥が描かれていました。「なんか、なんでもあるな」と、ソルは思いました。
リトリートのカべや、しきりアコーディオンは、おなじみのキャラクターたちで、あふれかえっていました。赤いつりズボンをはいた黒いネズミ、耳のない青い人型のネコ、耳のあるリボンをつけた黄色い人型のネコ、オレンジ色のネコの妖怪、黄色いトラジマの小型モンスター、線の多い可動変形合体ロボット、ホストみたいな髪型のゲームのキャラクター、擬人化された食べモノのヒーローや、エッチなのりモノたち、まほう少女とアニメ化されたアイドル軍団、影の特殊能力使いと、スポーツマンガの競技を超越した、異能な選手たち…… 子らがテンプレトレース手がきした、つたない絵もそこら中にありました。
もちろん、この解放区エリゼは共有目的機関のため、特許使用料は発生していません。さまざまな条件にもとづき、各企業が加盟するカートゥーン・コンテンツ・組合をとおして、キャラクター使用許諾と共に、現物や些少のこころざしが、エリゼにおさめられていました。
「あ、イて」
頭をぶつけたスクールドクターが、おくの方からハコをとり出しました。
ドクターがえらんだハコの絵は、ソルの思ったとおり、女の子がよろこぶ方のパッケージでした。ピンクの地にプリントされた、プリケア戦士。
ドクターのカンオンによると、鳥は「カワラバト」という種類で、よび名としては「ドバト」がいっぱんてきだそうです。おもに気をつける病気として、鳥インフルエンザ、オウム病、クリプトコッカス症、トキソプラズマ症、サルモネラ菌、アレルギーなどなど、リストがずらずらスクロールされました。ソルたちにも見られるよう、広角照射されています。ながしているだけのギシキですが。
プリケアのハコにおさまった鳥は、おちついていました。さっき、CTスキャンと紫外線照射殺菌をした時、ちょっとあばれたので、ソルは少しホッとしました。
「♪ユー・ガッタ・メール♪」
「♪ユー・ガッタ・メール♪」
ハネの生えた手紙がとびまわっています。こな雪がまい落ちるように白いハネが、ヒラヒラとまっては、消えてゆきます。空中のステージでは、緑のロングヘアーの少女が歌っていました。彼女はマイクをスタンドにさし、ヨイショっといって、ステージをとび下ります。小走りでよると、ハニカム笑顔で手紙をさし出しました。その立体動画がスクールドクターの手があくまで、なんどもループされていました。
メールは、クララン市役所の「生きもの愛護課」からでした。要望申請受理確認登録番号通知とあり、手のあいたドクターが、むいみな返信をしました。すでにカンオンが、お役所に、とどけ出をすませていたのでした。
ソルがたずねます。
「これ、もってかえっていいですか?」
ドクターが、
「うーん」
そく、ムリだとあきらめました。「自分の関与は、みのらない」が、彼には常態でした。おまえの中では、そうだろうって? 「いや、ホントにそうに、きまってるから」と彼は、いうでしょう。
「うーん、病気とか、ちゃんと分からないからなー」
「あと、しばらくしたら回収の人とかもくるだろうし、この地区の生きものの手つづきとかは、どうなってるんだろね?」
「解放区としての共有原則にもかかわってくるし、《《みんな》》のめいわくにもなるしなぁー」
ソルはヘラヘラして、
「あー、なんでもない、なんでもない」
「聞いただけ、聞いただけ」
「まぁ、そのほうがいいと思うよ」
「だれかに病気でもうつったら、それこそたいへんだからね」
「うん、この子は行政があずかりに来るまで、ここでキチンと、めんどうみてるからさ!」
「なにやってんの、はやくしてよ!」
「もー、なにやってんの、はやく、はやく!」
早歩きをやめふりかえり、ジュリがもどかしげにいいました。(屋内では、走らないのが原則です)とっくにはじまっている共有に、早くもどろうと、せっつきます。でも、ソルはいそぎません。べつにリトリートの鳥が、なごりおしかったわけではなく、ただヤマシサをともなわない合法的サボタージュを、ひきのばしたかったからでした。帰属からの解放を、なるべくながく、あじわいたかったのです。一時ゆえの安全な脱落を。
半透明のカベに、子らとキャッチャーが透けていました。ソルから見たルームの子らは、水槽の中の子魚のむれみたい。ぎゃくにむこうから見たら、グッピーが二匹しかいない、わびしい水槽みたいかもしれません。マイブームがおわって共食いしたあげく、過疎った水槽みたいに。そうしてみると、エリゼ全体が大きな水族館ともいえました。カベの高さが半分しかないので、ルームの子らも、ろう下がわのソルも、けっきょく、おたがいどうし曝されていました。ワイワイガヤガヤ、音も直接ダダもれです。わずかの間でしたが彼は、|うき世ばなれした根なし草《ニュートラルな状態》に、ひたっていられました。二人の後ろをカンオンが、つかずはなれず、よりそっていました。
ソルは彼の一時所有物である、ベッドにねころんでいます。エリゼすまい館の夕時、あたりには、まばらにしか子はいませんでした。彼はカンオンに、ブツブツはなしかけています。
共有後の午後、たいていの子は、みんなとすごしています。まだねるには早すぎるこの時間、休息ルームにいるのは、子らにとってさけたいことでした。
つぎの共有からもっともとおい、一部の子にとっては希望にみちた黄金の時間帯。その好ましい、子○らしいすごし方は、プレイルームの大きなうき島にいることでした。とくに大きいあつまりはラピュータといわれ、ごく小さいものは沖ノ鳥島から、マシリト(ドクタースランプ編集者で、マシリト博士のモデルの鳥嶋和彦氏から)といわれました。それぞれの島の帰属によって、またその内わでの差異によって、子らの立ちばがデリケートな野蛮さできまりした。
子は今を生きています。その時の立ち位置が、すべてです。いつの時代も、若者は近視眼でした。そうでなければ社会の活力が、うしなわれます。ほんらい「まもるべき子の時間」とは、解放区が謳うような、遠近法《未来の可能性から見た時間》ではなく、破格な今かもしれません。
この時間ここにいる子は、いわば、あきらめ組みでした。ある子いわく、サトリ組みだそうですが。ソルはもともと一人が好きでした。それがやっかいな、彼の個性でした。その感性よりも、それによって生じる社会的結果が、共有されるべき問題でした。ふだんはへい気でも、比較のきかいに出合うと、彼でもやっばり気にしました。ルソーによれば、社会とは比較のことです。彼は自分の空想した、他者との比較をしらない原始人をめでました。人類よりコミュニケーションにうとかった、ネアンデルタール人がほろんだように、彼もまた、駆逐される運命なのでしょうか?
ソルはねころんで、カンオンの映像と、にらめっこしていました。イライラしながら、視野角0度で、鳥のゲージのカタログをスクロールしていました。どれだけたどっても、彼の好みのものが出てきません。ただの鳥カゴ。ガラやモヨウも、キャラクターも、なにも入っていない、ただの鳥カゴ。ロゴもマークも、人や会社のなまえも入っていない、ただの鳥カゴ……
エントリーには、すべからく、なにか入っていました。じょうしきとばかり、彼のジャマをします。彼はだんだん、ハラが立ってきました。がまんしてスクロールをつづけ、やっと無地にたどりつくと、しんじられないくらいドハデな、ショッキングピンクでした。
「氏ねよ!」
空中の映像にむかってケリをいれ、マクラに顔をおしつけ、ふてくされるソル。しかたがないので、さっきマークしておいた漢字ロゴ入りの、うす茶の擬似竹の商品を再チェックして、とりあえずカートに入れたままカンオンをとじました。