メエルシュトレエム(大渦巻)
よせてはかえす、さざ波の音がしています
海風がおしよせるたび、砂浜に上がった藻から、磯のニオイが鼻腔に沁み入ります。
サーと潮が引くと、ころあいを見計らっていたコメツキガニが、巣穴から走りだしました。ちっちゃな甲羅が煤けて見えるのは、太陽がまぶしいからではなく、もとからです。
くぐもった音鳴りは、貝がらを当てているように反響します。現実感のとぼしい貧弱な耳触りと、練った超微粒子の液体みたいな青空。透明な貝がらに閉じこめられているような、やわらかな圧迫感につつまれ、もやもや、くらくら、イデア酔いをさそいます。
ときどき、ボヤケたモザイクに変じる砂浜。
しばらく、またされます。形がさだまると、マメつぶほどの砂ダンゴが、巣穴から放射状に散らばっていました。
波が押しよせると、貝がらがゴロンところがり、小さな生きものの住処に水が満ちます。くりかえし、くりかえし、やってきては、またかえってゆくのでした。
スティーブンソン原作、宝島制作委員会による、長編冒険活劇アニメ「宝島」。今ホルスは、それを見おわりました。アニメと原作は、じゃっかんことなる部分がありました。アニメでは、地元の郷士トレローニは女性で、医師のリブシーは黒人でした。
彼は個別認証のない格安カンオンの、ニオイつき立体映像を、かた手をはらって除けました。コマーシャル動画に切りかわり、5秒まってから、わざわざ口頭で停止させました。
お兄さんのダイに買ってもらって、さいしょはウキウキのホルスでしたが、今やありがたみも消えうせ、はやくもそれを、ウザイと感じるようになっていました。
「ちゅん、ちゅん。ちゅん、ちゅん」
電話が、かかってきました。
「今、ヒマか?」
ダイからです。
「うん。ヒマ」
「ちょっと、たのみたいことが、あるんだ」
ホルスはダイにいわれたとおり、テンジン一丁目までトーキン・メトロにゆられ、おつかいにいきました。
くすりクサイ街におり立ち、カンオンのナビをたよりに、雑居ビルへとみちびかれました。とちゅうまでしかないエレベーターをおりると、カンオンの明かりとともに、せまい階段をのぼっていきます。なにもない殺風景なフロアの、のっぺりとしたドアに行当りました。
全体がクリーム色でボタンが黒の、古くなった呼鈴をおしました。押幅が浅く、音もなっている様子がありません。どうせ、だれもでてこないだろうと、油断してると、ぬっと横顔が出ました。
隙間からのぞいたのは、寝ぐせに、うすい無精ひげの男でした。やや口臭があり、ホルスには、なじみのない食べもののニオイがします。まだ若いはずですが、子の彼にはオジサンに見えました。
男はホルスを見ずに、彼の後ろを、うかがっています。のびをして目を細め、階段の下に注意はらい、せわしなくキョロキョロしてから、あらためてホルスを見ました。値踏するよう、上下を往復しました。
「ちっ」
と、舌打ちしてから切り出します。これは他意のない、話しはじめる時の、彼のクセでした。
「これ、もってって」
半袖をめくった、ワキ毛のチラつく片腕だけ出し、なにかを渡そうとします。反射的に手をだすと、甲に当たって落としそうになり、グシャッと指先でキャッチしました。
どっと冷汗が出るホルス。視線をもどすと、男は顔を引っこめた後でした。
カラッポみたいにかるい、たたんだ茶封筒でした。ほんのわずかな紙のような厚みと、ナットかワッシャーのようなデッパリが、手ざわりで確認できました。
みょうな緊張感が過ぎさって、もう用事はすんでいました。三秒ほどドアを見つめた後、ホルスは踵をかえしました。
感覚的には昨日ですが、今日の未明あたりから、エリゼは、あわただしくなってきていました。解放区(学校)の大人たちが、契約時間外に召集され、待機していました。今からお客様がやってきます。カンオンのヘルスチェックでは、大人たちの心拍数と血圧は上がり、サーモグラフィは、体は赤く、顔は青く、映していました。できれば避けたい来訪でした。
最低限の生体反応をのぞき、カンオンの同期がプッツリ切れたこで、四人の子たちは、行方不明という扱いになっていました。カンオンがアラートをならし、関係者に通達、通知がいきわたりました。
まっ先にかけつけたのは、心の医師と体の医師のそれぞれ二名ずつ、看護師四名の計八人でした。それにジュリの母親と、ややおくれてニコライの両親もやってきました。ほどなく、警察官二名と市役所職員二名が到着。マリの母親がやってきて、さいごに二名の刑事もくわわりました。
すべての関係者のPTSD対策として、クララン社会保険協会から、二名のカウンセラーも派遣されました。こころの対策は、なにも当事者家族にとどまりません。今や常識として、当局者側にも配置されました。解放区、警察、行政、医療従事者、それに当の本人たちも対象になります。もっと大きな事件ともなると、カウンセラーのカウンセラーが、マトリョーシカのように、歌のように、つつみこむように、増殖するのでした。先々の先をうち、もっとも守ろうとしているのは、加害者であらぬことの、わが身の人権でした。
エリゼのTrustee(s)は、いつも不在でした。トラスティーは受託者という意味で、数名いました。校長先生ではなく、いわゆる理事というか、まあ学校法人とかの、えらばれた複数経営者みたいなものと思って下さい。一人のサブ・トラ (副理事、これも記載上数名いる) が一番あとにやってきて、手のひらに汗をグッチョリかいて、対応していました。
カンオンの仕事(情報収集、状況分析と判断、最終決定)が、人の仕事に対して確率的てきに勝っているのは、周知の事実でした。なのに、なんでみんな早々とやってきたのかって? たしかに、まだ人手はいりません。ざっくりいうと、話合と談合のためです。アリバイとして、おもに当事者と、用心のために当局者もなぐさめ、みんなで寄りそい合うためです。事後、いかに有利なヒガイシャになれるか、その布石をおくためです。係ってしまうものは、そのつど、そのつど、おたがいの利害グループに分かれ、ヒソヒソ話をしていました。多文化共生にもとづいて、全体で話し合いをもつことは、まれでした。もちろん、未成熟な子××には情報は、ふせられたままでした。
「メイワクをかけて、いなければいいが……」
ニコライの父親が、ぽつりといいました。
「なにいってんの、人命救助が先でしょ!」
母親が食ってかかりました。
「人命って……まだ早いだろ。事故がおきたら、それこそ、とっくに分かっているはずだろ」
「どこにいるか、わからないのよ」
「正確な位置がわからないだけで、生態反応はあるんだ。台風もきてないし、運もいいことに、ずっと晴れがつづいている。それに、みんなといっしょだ。きのうの今日で、一日しか立ってないんだから、まだまだ、ぜんぜん、だいじょうぶ」
「なにいってんの、その正確な位置が分からないのが、いちばん問題なんじゃない。なんの保障もないでしょ」
「……」
彼は、コトバにつまります。
「生体反応がある場合の生存率は、ほぼ99%って、みんなしってるだろ」
「どんなケガをしてるか、わからないじゃない。のこりの1%だったらどうするの!」
「どっちの可能性も低い!」
「どうして、そんなことがいえるの!」
「確率……」
「絶対じゃないでしょ。保障は?」
「……」
そんなもん、あるかよ。と思いつつ、また、だまりこんでしまいました。
「……やっぱり、ムリがあったんだ。だから、ここに入れるのは反対だったんだ」
「なに、きゅうに話題変えてるの。今さらなに? あなただって、同意したことでしょ」
彼女は、あきれ顔でいいました。
「してないよ。したところで関係なかっただろ? 君が強引に押し切っただけだ。それに、どうせ自分のしたいこと、するだけなんだから」
「なんで、そんなこと今さら言うの? 卑怯よ」
「すくなくともニコライの意志じゃなかったろ? イヤがってたんだからな。君の願望なんだよ。うちの子は、その気になりさえすれば、人なみに、なんでもできますっていう」
「けっきょく努力したって、ムリなものはムリ。できないものは、できないんだ。みんなに、他の子に迷惑かけてまで、やることはなかったんだよ」
「そんなこと思ってません。かってに一人で決めつけないで。ちゃんとみんなで話し合ったでしょ? こちらがキチンと対応してくれるっていう、了解があって、入れたんですからね」
「ね、そうですよね」
「――え? ハイ」
ビクッとなる、キャッチャー(教師)のシュザンヌ。
「ほら、おとうさん。ちゃんと話し合ったじゃないですか(笑)」
しどろもどろに答ます。他のアルバイトを休み、今までオーラを消していました。
「そりゃ、そういうよ。ショーバイなんだから。オレでもいうよ」
苦笑いするシュザンヌ。
「口でなら、なんとでもいえるさ。そういことじゃなくって、わざわざ高い金はらってまで来る価値が、ニコライにあったのかが問題なんだ」
「アナタは昔っからそうね。お金のことばっかり」
「よくゆうよ、自分だろ!」
「あたしだって、お金はらってるんですからね!」
「ここただけな! 他は?」
日ごろからニコライをめぐって、二人はケンカが、たえませんでした。しかし、障がいのある子を背中にひかえ、世間という共通の敵をもつことで、かえってこの夫婦は、分かれずにいたのかもしれません。今いじょうに、おたがいが向き合わずにすむからです。
口ゲンカをしている二人の前には、ジュリの母親がいました。彼女には、目の前のわかいカップルが、少しだけうらやましく映っていました。ニガイ過去を思い出しながらも、ケンカをする相手がいれば、今の不安を紛らわすことができたからです。でも、なるべくそうは思わないようにしていました。それより彼女が気になっていたのは、さっきから、ずっとだまったままの、おとなりでした。服のせいかもしれませんが、マリの母親は、じぶんよりかなり年上に見えました。他のエリゼの保護者たちと、だいぶ毛色がちがう感じがしました。なんというか、その、自由民っぽいというか……。
やっと仕事を思い出したのか、カウンセラーの一人が、わって入りました。
「みなさん、おはようございます」
コモンがまず、あいさつをします。
「さっそくですが、緊急をようすることなので、本題に入りたいと思います。それでは副理事を勤めます、ジョーシマから始めさせていただきます。ジョーシマさんどうぞ、おねがいします」
コモンはサブ・トラスティ―ス(副理事)と、外来語ではいいませんでした。現場ではそんなモンです。コモンは学年主任みたいな立場ですが、長がありえないのと、学習や警備などの、外部ソフト会社との折衝役もかねるので、そういわれています。教師の立場であるキャッチャー、ほんらいは学年主任であるコモン、理事であるトラスティ―ス、じつはみんな、エリゼに正式に帰属しているわけではありません。みな外部から委託された、契約期間のきまった派遣でした。けっきょくのところ、だれがほんとうのエリゼの主体者で、最終責任を負うものなのか、みんなよく分かっていませんでした。役員名簿に記載もなく、数社を迂回した代行でした。わすれていましたが、コーディネイターはきていませんでした。
「ゲホン、ゲホン、ウォホン、ゥン」
「えーなにぶん、サマーホリディ中におきましたことなので、えーワレワレといたしましてもぉ、はなはだ不本意ではありますが、現段階におきましては、えー今回おきました事態のぉ、全体的概要はですね、把握しきれていないのがぁ、実情でございます。はい」
ちらっと、コモンを見ます。
コモンはまっすぐ前を見たまま、かるく会釈しました。照射角0度の、まわりには見えないプライベートモードで、危機管理対策アプリを見ていました。いそいで言いますが、これは失礼にはあたりません。今やみんな、やっていることですから。親子の間でさえ、その会話メソッドが使用されたりしていました。そうしないとかえって、公的責任を問われ、ばあいによっては、社会的責任をまぬがれても、世間から私刑に合いかねませんでした。
「夏休み中におきたことだから、カンケイないってことですか?」
だしぬけにニコライの父親がいうと、まわりが氷つきました。
「えー……、そういうことでは、ありません。はぁい?」
コモンにふりむくと、無反応でした。
「ワレワレといたしましてもぉ、できるかぎりの手はですね、うたさせていただく所存にございます。つきましては、保護者の方みなさまのぉ――」
「ことがおきる前に、どうして兆候なり、なんなりを把握できなかったのですか?」
「ちょ、ちょっとあなた」
母親が止めに入ります。
「えーそうですね。ワレワレといたしましてもですね、最善の努力をしてきたつもりですが、なにぶん、前例のないことがらでございまして――」
「前例がないと、なにもできないんですか?(笑) いや、じょうだんですけど」
「はは(笑)、そうでございますねぇ……。いえ、そんなことは、ございません(キリッ)。われわれの自動契約いたしております、レームダック社の警備ソフトならびに、GUMON社、ストレイシープ社(前者は学習用、後者は主に私生活管理)の共有(学習や教育のこと)ソフトは、つねに最新、最高品質のものを毎秒単位でアップデート――」
「聞くところによると、その男の子は、すでに一度、夜中にも抜け出したことがあったそうじゃないですか。どうなんです、そこんとこ。これ、さいきんの話ですよね ?」
「ですから、そこのところはですね、ただ今、警備会社に早急にですね、問い合わせをしているところなんです。はい」
「そっちは後でいいですから、ここの体勢はどうだったんですか?」
「なにぶん、ワレワレといたしましてもぉ、ぜんれ……」
もおー、やめてよ。と母親は頭をかかえます。彼女は度重なる空気をよめない彼の発言に、ニコライの個性(障がい)の遺伝的素因をうたがいました。
「――でもそうなる前に、だいぶ時間てき余裕は、あったわけですよね?」
「えー……そう言われましてもですね、ある一員がタクシーを利用したりといった、われわれにも予測のつかない――」
「ちょっとそれ、どういうことですか」
ジュリの母親が、身をのりだしました。
「うちの子が、原因とでも言いたいんですか!」
「いえ、ぜんぜん、ぜんぜん。そぉーいうことではありません。はぁい。」
副理事がコモンの方をふりむくと、コモンは鼻をすすり、こしかけ直しました。
しつこいようですが、当局者が集まっているのは、現実に対処するためではありません。情報収集も、状況分析も、最終判断も、すべてカンオンのお仕事です。じっさいの人手をかりるのは、すべてが決まった後なのです。ではなぜ、みんなで集まっているのでしょうか? 見ばえのための体です。「いやし」といっても、かまいません。蒸気機関車《SL》が光りより早く宇宙をゆく、むかしの漫画みたいに。それを老害のための回顧主義と、けなす一部の中年世代もいましたが、おおむね社会的同意は得られていました。
でもホンネを明かせば、カラオケとおなじ、かわりばんこの承認欲求でした。プロ(カンオンのはたらき)にくらべ、ヘタクソどうしのシロウト芸を黙認できるのは、いずれは自分も、その檜舞台に立ちたいからです。それをもふくめ、当局者たちがいることは、人心のための保全要員なのでした。
ちなみに、これらの視点は、利益局外者もしくは非上級国民からのものです。
「――ことに、ことに、最優先で細心の注意をはらわねばならないのは、マリとみごもった子の生命、母子双方の心と体の健康のことでございます。おわかりのことではございましょうが、みなさまにつきましても、くれぐれも、くれぐれもぉー、そのことだけは――」
ここだけは、かならず忘れず、力をこめてしゃべるよう、コモンにいわれていました。彼は脂汗をながし演説します。かじつりついてでも、老害あつかいされても、彼はまだ、現職を失うワケにはいきませんでした。年老いた妻と娘をかかえた経済的窮状が、退職をゆるさなかったからです。どうせ年金をもらえるのは、氏んだ後でした。
となりで下から見ているコモンにとって、老害にはオーバースペックの、高級な危機管理対策アプリが、副理事の前で瞬いていました。
たしかに、もっとも懸念されるのはマリの体調ですが、医師と看護師には、当面なにもすべきことがありませんでした。前もった情報もないし、体という物体がない以上、どうすることもできません。この段階では、だれより無責任かつ、のんきでいられました。しかし、もっともな対人接触サービス業なので、いちばん訴訟リスクが高いのは、この人たちでした。そのため、かなりの高給とりでしたが、強制加入と任意の保険に、サラリーの五分の三が消えていました。
今は嵐の前の静さです。医師と看護師たちは、これをささやかな役得による、休暇と心得ていました。ともどもスキをみては、カンオンを弄っていました。じつは、手もちぶさたなのは、みんないっしょです。警察、行政、解放区(学校)、そして親たちもまた、人目をさけ、おなじように内職にはげんでいたのでした。
ホルスの家のちかく、スモウ川の堤わきの公園。
「ハイ、コレ」
ホルスがさし出すと、ダイは奪うようにつかんで、むねポケットにねじこみました。うっすらヒゲが、うかんでいました。
「わすれろ。今日おまえは家にいたことにしろ。いいな」
「……」
「だれにも、いうなってことだ」
「あとコレ」
そういってダイは、セカンドバックを、さし出しました。ホルスはその場で開けて見ませんでしたが、中にはゴムでしばったプリペイドカードの束が、たくさん入っていました。全国コンビニ、ガソリン共通カード。飛行機、船、鉄道、タクシー等の乗物チケット。家電、図書、スーパー、食品、ビール券などの商品券。それに、いちばん金額の大きい、通販会社、国内外の信販会社のギフトカード。さまざま組み合わされ、乱雑に括ってありました。
「れいのとこに、かくしとけよ」
「分散しとくんだぞ」
うなずくホルス。
「今さら言いたくないが、とうぜん分かってるだろうが、だれにもいうなよ」
「絶対、絶対だからな! いいな、わかったな!」
「今から、どっかいくの?」
「へんじは!」
と、声をあらげます。
「……うん」
間をおいて。
「……ちょっとな」
そういってダイは、じぶんの大きなサングラスを、こづくようホルスにわたしました。
「じいちゃん、じいちゃんだからな。ボケたことしないよう、ちゃんとみてろよ」
「いらんよ」
ホルスが返そうとしますが、ダイはわらって、うけとりません。
「おまえも、エリゼにいけたかもしれんのに、クソッ」
ペッと、ツバをはきました。
「はぁ? いきたかねーし」
「今はな。あとで、そう思うよ」
「おもわねーよ。あんなとこはクソだ」
ふふっと、ダイはわらいました。
それから後ダイは、こまごまとした雑事を、ホルスにつたえていました。
「また、なんかあったら、すぐ連絡するから。じゃあ」
そういって、彼は大きなカバンを肩にかけ、足早に立ちさりました。




