夜の外出
いつまでまってもホルスから、鳥がおくられて来る、けはいはありませんでした。ホルスにおくった、エリゼあての、着払いのもうしこみ。その送信から、もうだいぶたっていました。あいつ、バックレやがったな。ソルは日に日に、そのかくしんのどを、ましてゆきました。
「まぁ、現実ってのは、だいたいこんなもん」「さいしょっから、しってましたけど?」とかなんとか、自分をなぐさめていました。彼はものごとに対し、つねに悲観的でした。それが心の保険だったわけですが、事前事後にかかわらず、それがほんとうに役立ったことは、一度もありませんでした。
午前中のエリゼすまい館の休息ルームは、人影まばらです。夏休みに入り、子らのさわがしい声も、やんでいました。ソルは彼の一時所有物である、ベッドにねころんでいました。カンオンあいてに、あいかわらず一人で、ブツブツいっていました。
「こんなんじゃないんだよ、こんなんじゃ」
「だから、ちがうって」
「いや、だかさらぁー」
カンオンの照射映像を、視野角0度でスクロールしています。彼は、鳥の飛行機のオモチャをさがしていました。
それは羽ばたき機、もしくはオーニソプターといわれています。鳥やこん虫のように、バタバタと羽ばたいてとぶもので、人間が考えた、さいしょの飛行機とおなじ形をしていました。ソルはおそらく、今までなんども無料放送されてきた、スタジオ・フグリの作品「天空の城ラビア」あたりから、見しったものと思われます。
ソルのさがしているのは、ミニカンオンが組みこまれた、高価な自律無人機でなはく、もっと素朴なものでした。できれば鳥の形をしていて、ゴム動力の簡単な構造のもの。自律型でなく個立型。よそからの情報に掣肘されつづけ、姿勢制御するのではなく、はじめに放ったコマの回転力だけで、みずからよって立つもの。孤立無援で足をひっぱられない、立たされずに立っていて、力つき、たおれてしまうもの。これは彼がそう思っていた、というより、ニュアンスの要約です。
カタログは、どれもこれもドハデなカラーリングでした。しらない会社のロゴやキャラクターが、うるさく踊っていて、しかもそちらの方が、おやすいときています。
「う~ん」
「この」
「なんだよ……」
彼は完成品をあきらめ、中古をあきらめ、組立てモデルをあきらめました。どれもこれも「伝説」とか「レジェンド」とか、もったいぶったカンムリとプレミアがついていて、大人の独壇場でした。
「なんだよ、このシキイの高さは」
「やらせる気ないだろ、アフォが」
もうやめようとして、さいごの確認のため、さっきマークしておいた、本、雑誌のカテゴリーを開きました。
紙の科学マガジンで、ふろくに「羽ばたき鳥の組立てキット」がついており、創刊号とありました。ふろくというより、そちらがメインのようです。かなり本格的なもので、オークションにかけられていました。
しらべてみるとつづきがなく、どうやら創刊号で、廃刊になったようでした。じょうたいは「わるい」とありました。裏表紙がやぶれ、天と地と小口(本を閉じた状態で露出している、ページ端の三方の部分)が黄ばみ、全体的にかすれていました。
ソルは自分で組み立てる気など、まったくありませんでしたが、ねだんのやすさで、とりあえずカートに入れていました。その確定ボタンを、今おしました。
「ふぅー、時間かかったー」
ただ、えらんだだけなのに、一仕事おえた気ぶんになりました。
3時間後。
ソルは無料の、配信動画を見ていました。配信停止のがれのユーザーと、CM効果だけのぞむメーカーの、規制と希望のせめぎ合いによる、コマギレ縮小画面のアニメを見ていました。
民営化された前島逓信局 から、バイト派遣の人が配達にきました。顔出しアゴなしジェット型のヘルメットのまま、玄関をくぐりぬけ、私服の上に、おしきせの緑のベストをきていました。ふたむかし前のみなりで、おじさんか、おばさんか、よくわからない人でした。
「えー、ホントにきちゃったよ」
「どうすんの、コレ?」
ソルは手にしたものが、おもいのか、かるいのかさえ、はんだんつきかねました。そのまま、つつみの封もあけず、ベッドの下のひき出しに、しまいました。
夜半。
みんなはねしずまっていましたが、ソルはおきていました。うすくらがりの中、目くばせすると、カンオンがやわらかく、てまえをピンポイントで、てらしました。よういしておいた圧縮ぶくろを、手さぐりで見つけ、トイレでもいくようなそぶりで、ふいっとぬけだします。ろう下に出て、個室しかないトイレに入りました。すそ長のチュニック風のパジャマを、頭からぬぎました。
「ぷしっ」
ふくろをあけ、外むきのふくに着がえます。パジャマをいれたふくろを、トイレ台にのり上がって、しきりの角上におきました。
ろう下に出ました。ここからは、だれにも会いたくありません。グリップのよすぎる、スリッポンのクツをぬぎ、手にもちます。よこくミラーとして、先回りの風景をうつす半透明な壁は、グレーになっていました。機能停止しているのではなく、ただの省エネです。教材アプリを提供している、GUMONのペールブルーのロゴだけ、すみっこで点っていました。
しずかな館内にひびく機械音。空調のコンプレッサーかなにかが、とつぜんやんだかと思うと、またうごきだしました。
ソルはこんな夜おそくに、エリゼから外に出たことは、一どもありませんでした。玄関ホールにちかづいたことさえ、なかったはずです。エリゼという、せまい世間すら疎い彼は、他の子の冒険譚も、よくしりませんでした。さっき思いついて、カンオンで前例をしらべようとして、バカバカしくなってやめていました。
気をぬかず、あかりを最低限にしぼって、階段を下りていきます。低反発と高反発を組み合わしたゲルの階段は、くつ下だけだと、いたく感じます。先っぽのすべり止めをさけ、いっぽいっぽ、まん中に足をおいていきました。
玄関ホールにつきました。ここから先については、彼はまったく、無策でした。しばらく逡巡して、時間をムダにします。
けっきょくわからないことは、やってみなければ、わからないのです。ソルは、おそるおそる、かた足をゲートにふみ入れていきます。自分のしていることを、意識しないようにして。ゲートといっても、いかめしい機械類などなく、ゆかとマットとガラスの扉だけでした。目やすの白いラインが、ガラスの扉の前に、わざと大きく引かれているだけです。
ガラスの内扉と外扉の間の天井には、監視カメラがつられていました。一目でデコイダミーとわかる、こっけいなサイズでした。二回り大きくした半円のカンオンが、ボコッと、天井の中心から出ていました。映像は24時間、防犯映像解析されている、というふれこみですが、とうぜんそれは、個々《ここ》のカンオンのことでした。
玄関には、子の絵と低俗な標語入りのステッカーが、ガラス扉の内にも外にも、はられていました。
足をいったん引きもどし、さっきはいたクツをまたぬぎました。それを手にし、ガラス扉にむかってなげます。
「コフッ」
はねかえった時の方が、ヒヤッとしました。マットレスにころがって、ラインの内がわで止まりました。
ぐっと、みがまえます。
力んだまま、いくらまっても、なにもおきませんでした。クツのもう片方を手にとり、こんどは、かるめになげます。
「ホフッ」
力を入れ、なにかを、まちかまえます。
が、なにもおきません。
彼はさっきとおなじように、自分のしていることを意識しないようにして、ソロソロ足を入れていきます。心の中では先まわりして、大音量のブザーがなっていました。
体をななめに、半身でラインをこしていきます。まえ足を入れ、のこされた方のモモをもって引きぬきます。しせいをおこすとちゅう、鼻息がガラスにかかりそうな気がしました。
頭がカラッポのじょうたいで、なにを思ったか、ふと、足をマットにのせてしまいました。
「シュィ―ン」
扉が開きます。あわてて引っこめると、足がさっきとべつのポジションに! 反射的に出したり、ひっこめたり。キョどって足をジタバタ。
「シュィ―ン」
「シュィ―ン」
ピーンと、ちょくりつポーズで固まるソル。センサーのさかい目にいるせいか、扉が止まりません。血の気が失せ青ざめ、全身心臓と化します。
「シュィ―ン」
「シュィ―ン」
「シュィ―ン」
開いたり閉じたり。開いたり閉じたり。そのつど、寿命がちぢむ思いのソル。たまらず中にとびこみました。
後ろの扉が閉まり、止まりました。にげばのない、とじこめられた状態になりました。二重扉の中の、かごの鳥です。しばらく身構えたまま、ホールの先をのぞいたり、時々ふりかえったりしていました。
ドタバタやらかしましたが、けっきょく、なにもおきませんでした。耳をすますと、かすかに外のさざめきが聞こえます。ソルの中で、あらためて時間がながれはじめました。
天井を見上げ、みせかけのカメラを、マジマジと見ます。それと不必要なサイズのカンオンいがいは、思ったいじょうに、なにもありません。他にすることがないので、あっさり、もういいやと外扉のまえに立ちました。
ガラスの扉があくと、ムッとした外気に呑みこまれ、無音ヘッドフォンを外した時みたいに、音が「わっ」と、とびこんできました。
「無音、消音ヘッドフォン。外部の音に相殺するべつの音波をぶつけ、外耳道(耳の穴)に人工静寂をつくりだす耳あて。自閉症スペクトラム、パニック障がい、極度の過敏による嫌音症などの人たちの、生存権をまもるための騒音遮断装置。その人が苦手な音だけを、除去することも可能である。現在、健常者の屋外使用は、禁止されている。
外見指定の外出用医療専用器は、不人気で使う人はまれである。ふつうのおしゃれなヘッドフォンでも、ソフトを違法ダウンロードしさえすれば、おなじ機能をもたすことができ、でっかいサングラスとマスクと共に、メンヘラ御用達アイテムとされる」 ――アンサイクロンペデイアより。
まずは、げんかんロータリーの、小さな花時計を半周します。せまい前庭をとおり、境界がわりの、ざわめくポプラなみ木をくぐりました。パーキングメーターにとまった車を、あみだクジのようにぬい、うす暗がりをぬけ表通りに出ると、そこはもう明るい繁華街でした。
光とノイズの炸裂。ミニ太陽だらけで暗部がなく、反照する月をもたない。体中の水分を震わす騒音。それらが街を構成している、おのおのに、共鳴振動をおこしていました。
ウインドウからもれる明かり。コンビニ、ファミレス、ファストフード、居酒屋チェーン。ファション紙のような、女の写真をつかったパチンコ店。規制緩和で24時間営業になった、消費者金融。外には、自販機の横におかれた、ガチャガチャみたいな形の、ゲームつき自動契約機。飲料メーカーみたいに、他社同士があいのりしていました。
行きかう車のLED。道路に光でプリントされたキャラクターの絵と、本人にだけわかるメッセージ。こうこうと光る青白い街灯。それへ上からのしかかる、ライトアップされた巨大看板。飲食物取扱店前の、バチバチとなる紫の紫外線殺虫灯。
暗くなったオフィスビルに、ながれる緑の数字、英字、もうしわけていどのローカル自国文字。緑のフォントが群れをなし、列をみださず、窓面のRを回りこんでいきます。
直線曲線とわず、あらゆる面の余白にうたれる、光の刻印。
自販機、看板、タクシーの社名表示灯、トラックのコンテナの4面と風切り、バスのボディの5面、店のレジスター、自由民=依存民のための格安仮認証カンオン……
それらに表示されたものは、たいはんが被った内容でした。芸能スポーツニュース、コマーシャル、時刻、天気予想、血液型星座占いによる、明日の運勢など。
音楽も、たえまなくたれながれています。コマーシャルのリフレイン、セールのよび声、どなるような店員のあいさつ、保身のためのしつこいアナウンス、内外にアク充(アクチュアルな充実、リア充のこと)であることをアピールするための、なかまどうしの大声と笑声。
サイレンが、けたたましくひびきます。
「ハイ、道を開けてください」
「緊急車両がとおります」
「道を開けてください、パトカーがとおります」
お礼をいう、おしゃべりな機械たち。自動ドア、自販機、道端におかれたゲーム機、駐車券発行機、キーでロックを解除すると、車も萌え声をはっし、自分の位置をしらせます。
とおりを歩いてゆくと、二階にEECCの入った、テナントビルがありました。
「EECC、エスペラント会話教室。Esperanto Educational Communication Communism エスペラント語の実践教育によって、地球上の人々の意思疎通と相互理解を深め、繁栄と平和の社会共同体を目指す。総合教育関連団体の語学部門」 ――Wikkipediaから。
一階にはドンキー・ホッティーが入っていて、バナナがらのパジャマをきた子が、ウロウロしています。べつのコーナーにいる親は、ジャージの上下、黒地にブディズムの、金ぬきサンスクリット。四天王が紅蓮の炎を背負い、憤怒の表情で邪鬼を踏見つけています。それに銀ネックをあしらっていました。
そのとなりには、薬局スーパーのマツトモ・キヨシがあります。店の前のカードレールにこしかけ、休憩するメイドール。パーマネント・セブンティーンが背をまるめ、スーパースリムのメンソールで一服していました。
真夏の真昼より明るい店内では、コスロリファッションの娘が、一人でお買いもの中です。グレーのカゴの中には、グミチョコストロベリー、ミネラルウオーター、DeHCのボリュームマスカラ、つけま、生理用品、カラフルな輪ゴム、黒いドクロのイカツイさいふ。手首の内側には、ネコに引っかかれたあとがありました。
ソルはもう、ターマ川のスーパー堤防の上にいました。川のせせらぎを聞きながら、ナビは消し、しらべた近道にそって、ホルスの家のある方へ歩いていました。街灯もいらないくらい、街あかりが差していました。
「ジー……」
クビキリギリスのなき声がします。ソルは虫の音と気づかず、あげもののニオイをただよわす、食品スーパーうらの、機械(変圧器)の音だと思っていました。企業グラウンドの照明が、とてもまぶしいので、早歩きでそこをすぎました。