ウェーイノ・ミュージアム
クララン市の外縁部を、カンダタ川はながれています。それへかかるヒンジリ橋は、エリゼのまちなかの橋とくらべ、かなり古びていました。
ここらあたりにくると、いつもへんな薬品っぽいニオイに、つきまとわされました。触媒加工されたソルの服にはニオイはつきませんが、カミの毛ついニオイは、しばらくとれませんでした。
いつものようにバスは、ウェーイノ・ミュージアムちかくの池をすぎます。緑が池一面をおおい、ハスの葉から、ピンクの花やつぼみが立っています。水の色まで緑色で、ソルは水に色がついているのがふしぎでした。
シュザンヌルーム(シュザンヌのうけもつクラス)の屋外共有(校外学習のこと)のいどうちゅう、ソルはハン(班)の中にいました。ソウルメイト(性差などの多様性理解のための、入れかえバディシステムのこと)どうしのジュリとソル、マリとミチオ、ニイナとニコライの、六人こうせいでした。
バスをおりるとき、身重のマリをみんながかばい、てまどりました。ジュリは、そっせんしてさまざまな配慮をていあんしましたが、じっさいのところ、さしてすることもありませんでした。ジュリ、マリ、ニイナの三人で、リフトのタラップまで歩いていって、手をつなぎ合っておりただけでした。
ウェーイノ・ミュージアムの見た目は、ひょうめんがデコボコしています。自然にはない(?)直線に基づく文明の崩壊を予感し、断固それを排し、曲線を尊ぶ外観の、いびつな化粧壁――もちろん骨組みの鉄骨は除く――で仕立てられていました。
海外からタダで輸入した、ふぞろいで多色なレンガは、輸送費の方が高くつきました。それらをふんだんに用い「自然界に同じものは二つない」という計画趣旨のもと、おなじパーツが一つとしてない「みんなちがって、みんないい」寄木細工の、メルヒェンちっくな建物でした。
ざっくりいうと、効率的 で画一的な近代建築が生む病理を否定し、自然との調和をはかる思想 の、鉄骨造、鉄筋コンクリート造で、工期短縮と精度向上のための、スリップフォーム工法が採用されていました。
――めんどうなのでリアルにいうと、金玉と青いキューポラでおなじみ、大阪市都市環境局舞洲スラッジセンター。施工大林組、外観デザイン:フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(オーストリアの芸術家)、デザイン料約9000万円、総事業費約800億円のようなデザインでした――。
ソルはきまったように、静画歴史館のシュルレアリスムのコーナーへむかいます。サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、ルネ・マグリットなどの代表的な画家たちが展示されていました。
こじんまりとした、平日のしずかな美術館。微音量のサティのながれる館内を、子らの声がコダマします。ほとんどの子らは、動画歴史館に併設された、遊戯近歴史館の近現代コーナーへいっていました。いつもどおり画質がクソとか言いながら、立体感にとぼしいシューティングゲームや、あらいポリゴンゲームに、うちきょうじていました。
ソルの前には「ナルキッソスの変貌」がありました。ダリの絵を複製したもので、かざられているほとんどの絵やオブジェは、3Dプリンターで額縁ごとプリントアウトされたものでした。学芸員補によると「ほんものは大切に保存、管理されています」とのことですが、じつは回数制限された複製と区別がつかず、とりちがえ騒動がたえませんでした。さわいでいるのは、専門家だけで、とっくのむかしにふつうの人たちは、オリジナルには、こだわっていませんでした。彼らにしてみたところで、職をいじする体の、パフォーマンスにすぎませんでしたが。
ソルはここに展示されている絵には、ほとんど関心がありませんでした。ほかの子らと同様、うごきもせず、うごかすこともできない墓石みたいな絵には、きょうみをもてなかったからです。ただ人が少ない方へ、しずかな方へと、ながれついた結果でした。
――シュルレアリスム絵画にとって、無意識は重要なモチーフの一つです。無意識こそ、彼女ら彼らの神でした。理性にまつわるあらゆるものを純粋否定する、デタラメでアナーキーなダダ。それをひきつぎつつも、心理学という意匠(思想)と、イノセンスを武器としたことで、アカデミズムと市場と大衆うけが、すこぶるよかったのが超現実主義でした。彼らは子○○じみていたからこそ、資本主義社会で、大人として自立できたのでした。ひろくあさく、低みに《《よりよく》》応ずる共感《自己正当化》が、庶民《B層》の可処分所得を回収する、肌理の細かい漁網になったからでした。
あるとき、ダリは亡命先のロンドンにいたフロイトをたずね、彼の自信作「ナルキッソスの変貌」を、嬉々《きき》として見せました。無意識の実質上の発見者フロイトは「古典的な絵画には、私は下意識をさがしもとめる」「シュルレアリスムの絵画には、意識をさがしもとめる」と、ダリにいいました。彼は無意識を、一生懸命えがいてしまったのです。
もともと、スペイン伝統のリアリズムを継承し、卓抜した職人技のもちぬしだったダリ。わかいころはフェルメールに私淑して、一斤のパンですら、崇高な宗教画に仕立て上げました。
フロイトにとって無意識とは、本能というより「気がついているけど、知りたくない本当のこと」でした。西洋のむかしの画家は、社会的評判や自身の道徳心をおそれ、けしからん女のはだかを描きました。聖書などの教訓話をこうじつに、説教エロの手口で。
インテリのマックス・エルンストはダリの轍をふまず、あえて技法(視覚現象の必然性)をすて、ジョルジュ・バタイユ(フランスの哲学者)のように偶然の幸運に賭けました。彼は稚気をかぶき、受動的に見えるよう、意匠をととのえました。文学者のアンドレ・ブルトンが自動記述といいながら、こっそり推敲を重ねていたように。だれだってみんなに認てもらいたいし、お金もほしいですからね。
理性、合理性というラスボスに対抗する最終兵器は、不意打ちのような偶然、シャンパンのような幸運への賭けでした。最後に偶然に陥落した詩人のマラルメや、哲学者のジョルジュ・バタイユなどがそれに当たります。
ダリは大人の職人技をもっていましたが、もともとあった彼の過剰さを半分利用し、幼稚さをデフォルメしました。太宰治のように、おのれのわずかな他者との違い(個性)をしんじ、賭けたのです。ですが、そのような個性の質(好みによる趣向)を生んだ起源は、じつは心理学、小説、思想といった商品であり、大本の近代産業革命という名の量でした。
生きている内に社会的な成功をおさめた人に、しんに個性的な人なんかいません。右も左もみんな常識人ばかりです。どんな業種であれ、おちついてこの世に逗留していられない人間なんか、だれらも信用(共感)されず、他者を感化できないからです。みんなであぶない橋をわたる革命家や、海賊こそ、安心できる人物が、みんなから押されるのです。
ダリのもくろみはあたり、人々の琴線にふれました。そのわざとらしさは天然であり、かつ商売でした。幼さは、わざとらしさを好みます。ヒーロー戦隊ものや宝塚を、女子○○(腐女子と児童)が好むように。
「ナルキッソスの変貌」をはなれ、ソルは長イスにこしかけます。やわらか仕上げのフェイクレザーがはりつき、ももがヒヤッとしました。大人ほどの背丈の棕櫚がわきにおかれ、素焼風の鉢にうわっていました。ろう下がわから、ちょうど彼を、かくすかっこうになりました。カンオンでゲームか動画でも見て、時間をつぶそうと、ゴロンと横になりました。
「また、こんなところにいて」
ビクッとなります。
「ハン《班》のときに、かってに、うごきまわらないでって、いったでしょう」
こしに手をあて、タンッとユカをたたき、口をとがらせジュリがいいました。
「だいじょうぶだよ、みんなあそんでるだけじゃん」
ジュリにとって、あそんでいることが問題ではなく、みんなといっしょにいないことが問題なんです。彼女は、それをうまくいいかえせません。
「マリをほったらかしにして」
「ドクターじゃねーし、なんもできないじゃん」
「だれかが、みんなが、ついてなきゃダメなの」
「カンオンいんじゃん」
「そういうことじゃないでしょ」
そういうことだよ、と口にださずにつぶやきました。
「あなたがマリのたちばだったら、そうはおもわないはずよ」
いや思うよ、うっとうしいだけだが? なんでそんなに人といたがるのか、ソルにはわかりません。推理しかけて、やめました。めんどくさ、なんでこっちばっか、ゆずってんの? 不公平じゃん。たまにはそっちが考えろよ。ブツブツブツ……
ソルはジュリにつれられて、みんなのいるところへもどります。それぞれハン行動でしたが、ところどころ、ダンゴ状にかたまっていました。
ポリゴン画像の、カクカクしたゲームであそぶ子ら。RPGは時間がかかるので、シューティングゲームか、格闘ゲームがおもでした。3回たおれた(死んだ)ら交代。順番をまもって、コントローラーをわたします。そのつど、カンオンが紫外線照射殺菌をしていました。美術館の展示品なので、オンラインにしたり、エミュレータ機能もつかえません。ふだんはバラバラでできることも、かたまらざるを、えませんでした。はなれたり回りこむと、映像をなくすというのは、キミョウな感覚でした。
「ユー、ウィン」
「ラウンドワン、ファイッ!」
ニコライが、はしゃいでいます。ゲームをしているミチオに、かぶさろうとします。
「くっつくなよ」
「ピロロン、ピロロン」
「ハドーケ、ハドーケ」
「ヤッタネ」
「さわんなよ」
ニコライはニコニコしています。
「ア、イテッ」
「ハドーケ、ハドーケ」
「おい、はなれろよ」
「ピロロン、ピロロン」
「ソニッビー、ソニッビー」
「ア、イテッ」
「タツマセンプー」
「ア、イテッ、ア、イテッ」
「ヤッタネ」
「ユー、ルーズ」
「むこういけよ」
二コライはミチオにじゃれつき、やめようとしません。
「ラウンドツー、ファイッ!」
「ピロロン、ピロロン」
「ヒョー」
「あっちいけって、いってんだろ」
イラつくミチオ。
「ヤッタァ」
「ア、イテッ、ア、イテッ、イテイテ」
「ヒョー」
「タツマセンプー、タツマセンプー、タツマセンプー」
「ヒョー」
「ア~」
「ユー、ルーズ」
「やめろよ」
ニコライはミチオにとびのって、おんぶされようとします。
「お、おい、いいかげんにしろよ」
「ラウンドスリー、ファイッ!」
「下りろよ!」
「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」
「ヤッタネ、ヤッタネ、ヤッタネ」
「ショーリュー、ショーリュー、ショーリュー」
「下りろ!」
「スピード、アップ!」
「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」
「アイグー、アイグー」
「ピロロン、ピロロン」
「下りろって、いってんだろ!」
ニコライは、ほほを背中にのせて、だらりとミチオに体をあずけています。
「ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ、ハドーケ」
「ショーリューケ、ショーリューケ」
「アイグー、アイグー、アイグー」
「ショーリューケ、ショーリューケ、ショーリューケ」
「今すぐ下りろ!」
切れる、すんぜんのミチオ。
「アイグー、アイグー、アイグー」
「ア、イテッイテッ、イテイテイテイテイテ」
「ヤッタネ」
「ユー、ルーズ」
ニコライはミチオの顔に手をかけます。顔がゆがみ、変顔になりました。
「てめぇ、いいかげんにしろよ!」
ふり落とそうとしています。ニコライは棕櫚のはっぱをつかんで、いっしよにたおれこみました。
「ぽふっ、コッン、コンコン……」
空気が凍りつきました。素焼風の鉢は、かろやかにバウンドしてわれませんでしたが、棕櫚の幹が、まっぷたつにわれていました。3D材料のポリ乳酸が、白くさらされていました。
またラベンダーかよ。ソルはもう完全にこのニオイが、きらいになっていました。彼にとって幸いだったのは、ニコライが卒倒しなかったことです。ソルは、ほっとしました。
ニコライはうってかわって、にくにくしげな目で、ミチオをにらみつけます。負けずにミチオも、にらみかえします。ミチオの中で、やりきれない怒りと、はずかしさと、この先の不安とが、うずまいています。赤くなっているのか、青くなっているのか、血の気がうせているのか、よくわからない顔をしていました。それを見ているソルの方が、いたたまれなくなりましたが、ないしん自分でなくてよかったと、あんどしていました。
にらみあいが、つづきます。だれも口をきけませんでした。
「もうやめろよ、そろそろシュザンヌがくるぞ」
空気(みんなの無言の期待)におされてか、べつのハンの子がわって入ります。この中での事実上のエースが、やっと口をひらきました。
「きたからなんだ、なにがどうかわるんだ」
「もう、おわりにしろ」
エースが、ミチオにいいました。
「なんでオレの方に、いうんだ?」
「……」
ミチオが、いやみったらしく笑います。
「たしかに、オレはもう終わってるよな!」
「いや、なにも終わってないだろ。きちんと、じじょうを説明して―
「ハア、せつめい」
半笑い。
「いつの時代の人ですか?」
「いいなアク充は、いつもポイント高くて、他人事で」
アク充とは、Actualな充実という意味です。わたしたちで言うところの、リア充とほぼ同じです。
「カンオンが記録してるし――」
「カンケーねーよ!」
フツメンのミチオは、はきすてました。
彼のいうとおり、現象と解釈はちがうのです。それがおなじなのは、エデンの住人か昆虫くらいのものです。
とりあえずエースは、はけ口は買って出たかっこうには、なりました。こまった顔も、彼はチャーミングでした。
みんなは戦戦恐恐、火の粉センサーをはりめぐらし、自己防衛の臨戦態勢に入りました。
その中にあって、ソルだけは時間をきにしています。すでに彼の目には、今おこっていることが、儀式として映っていました。消化ゲームにつき合わされている、補欠の心境でした。ようは他人事です。つまるところたしかに、当事者以外は、他人事でした。ことが長引くのだけを、彼はおそれていました。
シュザンヌがいそぎ足でやってきます。他の子らも、いずこからか、ワラワラあつまりだしました。
開口一番。
「マリがどうしたの?」
「?」
みんなの頭の上に、いっせいにクエスションマークがうかびました。
それを聞いて、マリはきゅうにすわりこみました。
「気分がわるい」
といったきり、泣きだしました。
「あなたたち、ダメじゃない」
「……」
ニイナとジュリがしゃがんで、二人でマリをだきかかえます。
「おっかしいなぁ、なんでまだ、タンカはきてないのぉ?」
「……」
「……」
「おかしいなぁ、なんでだろぅ?」
ひとりごとのようにつぶやく、シュザンヌ。
「……」
「……」
「……」
みんな、いつものソルみたいに、なっていました。