目覚め 1 エリゼ
(※前に投稿したものを、そのまま再投稿しています。誤字脱字、拙い文章や誤った文法もあろうかと思いますが、手直しする根性がないのでお許しください。※※最後の45「みなし児への意志」を少し付け足しました。)
ざわめきが、イシキを形づくっている。朝。いやおうなく朝だ。彼は目覚めた。古い今日が過ぎ去り、もう新しい今日がきた。また一日が消化されるのをまっている。彼は今日を更新しかねて、目をつむったままでいた。この在り様を、どのタイミングで今日にのせるか、はかりかねていた。結局あきたので、その体を起き上げることに「ソル」として、同意した。
ゆっくりと、時間をかけてあくブラインドが、もう開ききっていました。おさえたトーンのささやきから、ざわめきへ。子らのおしゃべりと空調に、しずかなペールギュントのしらべがまぎれています。
子らがおきだしました。ベッドでねむっている子。長イスにねむっている子。ゆかに、じかにねむっている子もいました。ゆかは足がしずむほど、やわらかです。みんな、チュニックみたいな服を着ていました。ベルトのないスソ長で、あわい色の、色ちがいを着ています。それをスポンと、アタマからかぶっています。
とくに、ソファやユカでねむっている子には、かわったかっこうの子が、たくさんいました。黄色と黒のタオル地のつなぎに、つづれおりのシッポと、耳つきのフードをかぶった子。原色のセーラー服をきた、みじかいスカートの子。第三帝国軍ふうの、カッチリとした制服に、制帽と、赤い腕章をつけた子。ギザギザのセビレと太いシッポで横むきになり、その口から顔の出た子。カイジュウの目が、チカチカ光っています。
おはようのあいさつが、あちこちから、こだまします。みぢかな友だちにではなく、小さな黒い球体に、あいさつしています。フワフワ、みんなの体のまわりにうかんでいるそれは、おもてはツルっとしていて、ハニカム(ハチのす)のラインが入っています。一人につき一コずつ、子らのまわりにうかんでいます。それは電話にもなり、ここにはいないだれかさんとも、おはなしできました。
そのときの旬のナカマとの、おしゃべりがはじまりました。みんなのおしゃべりの合間に、ソルは着がえます。うすくすける生地と、すけない水色の生地をあわせた上着。それに白っぽいホットパンツと、インディゴ・ブルーのスリッポン。彼はあいさつがキライだったから、しなくていいようにしていました。
ソルは休息ルームのはしをとおって、ゲートへむかいます。ひかえめなヘヤの内装のなかで、ひときわ目だつカベの前に、さしかかりました。
カベはぜんぶ、スクリーンになっています。今週のテーマは、海の世界でした。カべいちめんにピンクの海が、えがかれています。光のスペクトルみたいに、ゆらめく海藻。アコヤガイのおさらをはみ出した、にじ色のしんじゅ。ジェリービーンズのような七色の小魚と、海のけものたち。それらにまじって、空想の生きものもいました。クレヨンタッチの絵は、子らがテンプレとトレースをくしして、手をよごさず、空間に素手でえがかれました。
ソルはつよく、せなかをたたかれました。
「かってに、一人でうろつきまわらないでね。まったく」
ジュリでした。シッポのみじかい、そめた赤毛のポニーテール。ソルと色ちがいのジャケットをきています。ペール・オレンジにすけた生地と、テロテロのパウダー・ピンクの合わせ地。白っぽいホットパンツと、クリーム色のスリッポンをはいています。
「あんたが一人でいるってことは、こっちもジドーテキに、一人でいるってことになるの」
「わかる?」
「……」
彼はカオナシの、モノと化しています。
「えー、わたし今すっごい、こどくキャラなんですけど!」
「ぽふっ」
くぐもった音でおしゃべりがやみました。ろうかに引かれたセンターラインりょうがわの、みんなの視線があつまります。その視線の放射線のちゅうしんに、一人の男の子が立っていました。今日のピエロかヒーローか、みんなのねぶみが、彼にささります。
みんなは彼に半分の自分を見る。ソルはそれいじょうに見る。だから彼は前だけ見て、そそくさ、足早にそこを立ちさります。彼のきらいなラベンダー(心をおちつける作用があります)のかおりが鼻をつくのは、さけられませんでした。
ろうかは、特殊表面加工されていて、うわばきは、それへ、ほどよくグリップします。それでも、ころぶ子はいました。想定される0ではない事故確率と、最悪の結果。そのためのエア・バックがありました。ゲルシートの床は、のっぺりとしてこころなし、しめっています。その見えない切れ目から、しゅんじに、ふうせんがふくらみました。もっとも、かどの安全バイアスのせいで、結果誤作動は、仕様でしたが。
この建物の中には、センサーが毛細血官みたいに、はりめぐらされています。それをいってにとりしきっているのが、黒い球体「カンオン」でした。それは個にして全、全にして個として、機能していました。カンオンとは、その総体のこともさしていました。
ソルは、なだらかなカーブにさしかかります。りょうがわのカベのめんは、とてもやわらかくできていました。もし、ぶつかったとしても、体がスッポリかくしてしまうほどの弾力で、うけとめてくれました。そのパターン認識では、エアバックが開かないのをしっている子らが、よくぶつかりごっこであそんでいました。ゆるく設計されたカーブでは、走っても死角は発生しませんが、半透明のカべが、つねに先まわりの映像をていきょうしていました。
ソルたちの今いるところは「エリゼ」とよばれる、解放区です。解放区とは、みなさんの通う学校と、みんなですむ大きなお家を、たしたようなものです。よりせいかくには、建築物ではなく、その敷地と、そこに立った構造群のことをさしていました。
ソルがはじめてエリゼにきた日、それは彼にとって、気がとおくなるほど、はるか昔のことのように感じられました。「すぐ帰れる」と彼は、なぜか、ばくぜんと思っていました。その不可逆性に気づいたとき、自分が無限に引きのばされる、細い糸になったような気分になりました。
解放区は、「子」の時間を保障する、子らのトポスとして誕生しました。「子」というとくべつな時間のために、それはありました。ここエリゼには、子らと、かぎられた大人しかいませんでした。
ジュリが透明な、しきりゲートをとおって、まだ女子でうまりきっていない、前れつの席につきました。ゲートといっても、ゆかにデコボコのないバリアフリーの、アーチじょうのくぐり門でした。ルームのかべは、こしほどの高さしかありません。半透明なカベにそれがかかっていました。
ジュリは、とおまわりになるのに、わざわざソルの横をとおってすわりました。ソルを見ないよう、まっすぐ前をむいて。彼はそのいとに、きづきませんでした。さっきのそうどうの時にも、ジュリは一番前にいました。たいがい、イベントごとの前列は、女子でした。ハン(班)になる時いがいは、席じゅんは自由でした。
ジュリは、ソルの「ソウルメイト」です。ソウルメイトとは、ハンのなかの異性同士の子が、かわりばんこで組むパートナーです。みなさんのいう友だちは「ナカマ」にあたり、親友は「ホントノナカマ」とよばれたりします。
乳白色でまとまった、六面の空間。あわく色ちがいのボールいす。いすの合間に、もうしわけていどの、まるみをおびた小さなテーブル。その上にうかぶ、やや大き目のカンオン。ここは、ルームとよばれています。ルームというのは略称です。ただしくは、共有空間といいます。共有とは、みなさんが毎日うけている、授業とおなじことを意味します。
ざつだんにふける子らは、みんな手ぶらでした。フキダシのバルーンが、ルームの天井まで、ギュウギュウにつまっていました。
「ガヤガヤガヤ……」
大人がはいってきました。
「おはよおぉ」
「おはよう、シュザンヌ。」
子らが、へんじをかえします。
「おはよおぉ、○○」
「あ、おはよおぉ、○○」
前に出したりょう手をこきざみにふり、あいさつの後に、その子の名前をそえます。
シュザンヌ(28)は、キャッチャーです。キャッチャーとは、みなさんの通う学校の、先生のつとめにあたります。児童の方をさすことばは、ともだちの言い方とおなじ「ナカマ」とか、「一員」といいます。キャッチーもふくめ、いつもみんな、ファーストネームでよびあっていました。
ルームのすみっこにはもう一人、べつの大人の人が立っていました。コーディネイターの彼女は、一般公募からえらばれた、ミドルの女性です。コーディネイターとよばれる彼女らの、その審査基準は、せけんのなぞでした。いつもきまったような人ばかりなる、と他の大人たちがいっているのを、ソルはきいたことがあります。子らに「よりそう」のが、その役目だとか。じっさいは、子らとざつだんするていどで、これといったことは、とくになにもしていませんでした。よくわからない、あいまいな存在で、ソルだと、彼女の名前もしらなかったし、はなしたことさえありませんでした。
シュザンヌは、一人一人とあいさつをかわし、おしゃべりをしてまわります。その足どりはいっけん、のたくってみえます。彼女は動作経済の最少単位、サーブロックにしるされた、地図の道じゅんにそって歩いています。各動作の時間配分と、会話メソッドなどがもりこまれたそのライン工程を、一週間のワンセットでループしていました。
カンオンが空中で、ガイドラインを映しています。シュザンヌの正面からしか見えない「視野角0度」で照射されていました。あらゆる備考と、アシスタンス情報が、その道々にころがり、すべきことの優先順位が、色わけされたブロックごとにうかんでいました。
そのラインの先導者として、彼女が設定したのは、懐中時計をもったスーツすがたのウサギ、あわてんぼうのハンスでした。ちょっと、おっちょこちょいな彼がライン上を、とんだり、はねたり、うたったり。彼の軽率なしくじりが、彼女の心をおちつかせる作用をもたらすと、期待されました。
ときには、脳波や血圧、体温SpO2(血中酸素飽和度)などで、彼女の心をよみとり、いっしょに泣いてくれたりもしましたっけ。ハンスはキャッチャーとしての彼女を、つねにはげましつづける、心強い伴走者でした。
ソルはこの朝の時間がきらいでした。あいさつじたいが、きらいでした。
「おはよおぉ、ソルゥ」
子らと目せんを合わせるために、彼女はかならず、しゃがんでからしゃべります。そういうキマリでした。
「ソルは、あいさつしないのぉ」
むねのあいた、ベビーピンクのフリルブラウスつきスーツ。ラメ入りフェイスパウダーで、目のまわりをキラキラさせ、耳にはペール・ピンクのワイヤレス・イヤホン。おかしみたいなグルマン系の、ヴァニラのかおりをただよわせています。
「オハヨ」
たんぱつでかえすソル。
「おはよおぉ」
「……」
「……」
しばらく間があきました。この世界の人たちは、沈黙をひどくおそれますが、それに対してソルは、無頓着というか無責任でした。
キャッチャーは、キャッチャーどうしみんなで共有する、あるノートをもっています。ノートといっても、形がなく、だれのもち物でもありません。カンオンがまとめた情報を、キャッチャーどうしのみ閲覧できる、秘公開の個人情報でした。それをキャッチャーの前で、プライバシー角度の視野角0度でうつすのです。
そのノートのなかの、ソルのフォントの色は、他の子と少しちがっていました。彼をふくめ、三分の二いじょうが、チャートに色わけされていました。
キャッチャーにはノートがあり、サーブロックによるノウハウがあり、なにより全体をみはからう、カンオンのアシストがあります。コトバのつぎほに、こまることはありません。
「ソルの足には、ハネが生えてるのぉ?」
「……」
かた足をひきかけ、やめました。彼は濃紺のフェイク・デニム地のクツをはいていました。その左右の外がわに白い羽が、FONDAのエンブレムみたいに、プリントされていました。
「自分でやったのぉ?」
くびを横にふりました。
「ふぅーん」
ほめられるのをさけるために、彼はウソをつきました。だって、クリックしただけですから。でも、ここでは「えらぶ」と「する」は、おなじことなんです。
「すっごい、センスいいねぇ」
「ねぇねぇこれ見て!」
パッと、タイトスカートの足を上げます。ローズレッドのハートに矢がささり、一対の白い羽が生えています。ふとももの内がわの、アンジェリークなピンポイント。でもなぜか、すぐに足をひっこめました。
「あ、はい」
「あ、はい」
「はい」
「はい」
「はい」
「はいっ」(語尾上がり)
うってかわってシビアな声。なにやら、あわただしいシュザンヌ。
「……」
むかんしんなソル。
ちんもく。数秒間の放送事故をへて。
「フフフ」
シュザンヌはとつぜん、わらいだしました。
「?」
びっくりするソル。
「もぉー、やめてよぉー、フフフフフ」
彼女はやおら、おすように彼をこづいて、ほほえんでみせました。
「……」
たましいが合理的にできている彼は、わらいませんでした。わらえばいいとおもうよ、ソル。
おそらく状況からさっするに、コモンからのしじが、彼女のワイヤレス・イヤホンに、とんだものとおもわれます。
コモンは別室にいて、いくつかのルームを、モニターチェックしています。登録されたキーワード、ポリティカル・コレクトネスでないコトバ、イレギュラーな挙動に、期間契約ソフトが、画面上の色と音で反応して、観察者にしらせるのです。
コモン、キャッチャー、コーディネイターの三位一体によって、責任の所在と負担を分散させる、大人のちえでした。
さあ今から、たいくつな共有の時間のはじまりです。