白
両側二車線の、大きな通りだ。
横断歩道を渡ろうとする彼女を、俺は引き留めた。
彼女の後ろで、青信号が点滅して、赤へと変わる。
夜も遅く、ほとんど車は通らない。静かだった。
「好きです」
俺がそう伝えた時、彼女は驚く素振りを見せた。
嘘くさい、と思った。
敏い彼女が、俺の気持ちに気付いていないはずがない。
だからといって、俺の告白に対して「知ってたよ」と微笑む彼女も想像できなかった。
もし知っていたなら、俺が告白する前に、告白されないようにしていたはずだ。
でも、そうはしなかった。
いや、してくれなかった。
自分で終わらせないと、きっといつまでも続く。
外灯の下、俺の影が彼女へと伸びている。
彼女は考え込むような仕草をしている。
まるで絵を見ているような気分だった。
風が彼女の前髪を揺らす。
大きすぎるマフラーに巻き込まれた髪がたわむ。
ちらちらと雪が舞っている。
「……ごめんなさい」
謝られた。
何に対する謝罪なのだろう。
俺は、彼女に何を求めたのだろう。
「君とは、今は、付き合えない」
台本を朗読するように彼女は言う。
舞台の上で光を浴びる役者みたいだ。
きっと彼女は、ずっと光の中にいる。それが当たり前で、観客がいるのが普通で、だから俺の言葉もただの日常なのだと思う。
「そっか」
彼女の返答に、どこかほっとしている自分がいた。
俺は、怖かったのだと思う。
気が付くと彼女のことを考えている自分が。
彼女の姿を目で追ってしまっている自分が。
街で偶然会わないかと期待している自分が。
彼女の存在が自分を蝕んでいくような、そんな気持ち悪さが常に付きまとってくる。
彼女がいなければ生きていけない、みたいな依存感情が、無意識のうちに俺の中に刷り込まれていく。
それが、とても、嫌だった。
今まで積み重ねてきたものが、まるで最初から無かったように、彼女に染められていく恐怖。
このままだと、一人で歩けなくなるんじゃないか。
自分のために生きられなくなるんじゃないか。
どんどんと、彼女に侵食されていって、自分がいなくなっていく。
きっと俺は、彼女に拒絶されたかったのだ。
彼女の一挙手一投足を、都合よく解釈してしまう自分を、否定してほしかったのだ。
「謝る必要なんてないのに」
笑ってみせる。
乾いた風が頬を撫でる。
ひび割れた唇に血が滲む。
結局、俺は観客でしかない。
「うん、ごめんね」
申し訳なさそうに微笑む彼女。
それは優しさじゃない。
無責任に笑う彼女は、決して俺を想ってはいない。
彼女の感情は、表面には出てこない。彼女は、彼女ではない、理想的な誰かを演じている。
俺の告白は、彼女の本心を引き出すには至らなかった。
彼女は舞台を降りてきてはくれなかった。
「……それじゃあ、また」
歩行者用信号が青に変わる。
彼女は俺に背を向ける。
雪に隠れた横断歩道を渡っていく。
引き留めようとは思えなかった。
俺が想いを寄せていた彼女は、彼女ではなかったのだ。
息を吐き、踵を返す。
無数の足跡が、白い雪の上に残っていた。