乙女ゲームの世界に転生したけど私は百合好き(アイリス視点)
「アイリス、君との婚約は今この場を持って破棄させてもらう」
わたくしの婚約者である九曜エドガー第一皇子の口からその発言が飛び出したとき、わたくしは思わず小躍りしてしまいそうになりました。
計画通り。でもここで笑みなど零してしまったら水の泡となってしまう可能性があります。
ですので皇子からは見えない位置で胸に手を置き、軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせてから皇子と向き合います。
「それはどうしてですか?」
「まさか自分が犯した罪が分からないとは! 見損なったぞ。アイリス」
随分鼻息が荒いですね。
わたくしが"キョトン"とした顔をしていると皇子は埒が明かないと見たのか私達の様子を遠巻きに見つめている群集の中から一人の女性を連れてきました。
「彼女に見覚えがあるだろう!?」
確かにありますね。ええ。
クラスメイトの。
「織姫千里さん。確か伯爵家の令嬢でしたわよね?」
「そうだ。君が階段から突き落としたその人だ」
今この人は何と言ったのでしょう。
階段から突き落とした? あらあら...。あの方達はそこまでやっていらしたのですね。
当然、織姫さんを階段から突き落とすような真似をしたのはわたくしではありません。
織姫さんがエドガー様にちやほやされてるいるのが気に入らない彼の護衛騎士の方々の仕業です。
エドガー様は一応この国の第一皇子様。将来は皇帝となられる方。
その方が公爵令嬢という身分のわたくしとなら釣り合いますが、たかが伯爵家令嬢である織姫さんと恋愛など言語同断。ですので邪魔をしようとしたのでしょう。
ただ彼らはエドガー皇子と同様に頭が悪い様子。
そんなことをしたら一番に疑われるのはエドガー様の婚約者である他でもないわたくしになるということは考えつかなかったようです。
困った方々ですね。根っからのバカとそれに従う脳みそ筋肉な愉快な方々。
ですがわたくしにとってはそれがとてもありがたいことだと感じます。
ええ、ありがとうございます。わたくしの思い通りに動いてくださって。
わたくしは堪らず口角をやや吊り上げます。
それを見て若干引いた表情となるエドガー様。
あら、わたくしそんなに悪い顔していたかしら?
まぁいいわ。ここから本当に悪女となるのですから。
わたくしは前々からエドガー様の愉快な仲間達が織姫さんに様々なちょっかいを出していたことは知っていました。彼女がいない間に彼女の教科書を破ってごみ箱に捨てたり、お弁当に自分達の唾液を零したり。
うっ...。今のは思い出すべきではありませんでした。気持ち悪すぎですね...。
他にも運動着を破いたり、貴族の嗜みである楽器を壊したりなどなど。
わたくしは全部知っていながら今まで黙認してきたのです。
今日この日の為に。
静まり返った社交会パーティの場。
多くの貴族が集うこの場でわたくしはわざとらしく嘆息して顔を伏せます。
数秒。伏せていた顔を上げたら精一杯の悪女顔を作り上げてエドガー様に言います。
「そうですか。ついにエドガー様のお耳にまで届いてしまったのですね。つい魔がさしてしまいましたの。だってわたくしから貴方を攫おうとしているんですもの。わたくし、それが怖くって」
エドガー様の愉快な仲間達が「うっ」と呻いた気がしますが気のせいでしょう。
わたくしがエドガー様の追及を否定することを期待していたのでしょうね。
そうじゃないと困るのは自分達なのですから。
ですがわたくしは敢えて肯定させていただきました。
さて、エドガー様はどう出るでしょうか。
わたくしが内心"わくわく"していたらそれよりも前に意外なところから声が上がりました。
「今の話は本当なのか? アイリス」
わたくしのお父様・美月アレックス公爵からです。
この社交会は白星学園主催で出席者は学園内でも有力な貴族群に属する生徒達。
ですが特別枠もあり、それが学園に多額の寄付をしている貴族の人々。
その中には当然お父様も含まれているのです。
「ええ、本当ですわ。お父様」
「お前は...なんということを」
膝を折り、その場に崩れ落ちて顔を両手で覆うお父様。
まさかお父様がそこまでなさるとは思いませんでした。
お父様、演技お上手ですね。
ええ、こうなるのであろうことはお父様も知っておられたのです。
わたくしが事前に公爵家にありのまま全て報告をしておりましたから。
あら! お父様の肩が震えていらっしゃる。
あれは、笑い出しそうになるのを堪えているのですね。
お気持ち察します。頑張ってください。お父様。
「これで、我が美月家は...王族との関係が...切れてしまった。...くっ」
ちょっ! 声が震えていますよ!! それに最後堪えきれませんでしたよね!?
わたくしは慌てて周りを確認します。
何名かはすでにこれが茶番であることに気付いていらっしゃる方々もいるようですね。
ですが黙っていてくださるよう。安心しました。これでまだ続けられます。
「お父様申し訳ありません...」
「アイリス。お前は卒業次第国外追放処分とする」
「分かりました...」
お父様からの処分を聞いた後は情けなく沈んだ表情を作りエドガー様と向き合います。
親子の会話のやり取りに唖然としたかと思えば次の瞬間には勝ち誇った表情となるエドガー様。
隣で彼に抱かれている織姫さんもエドガー様と同様の表情を浮かべていらっしゃいます。
「アイリス。これで君と俺は赤の他人だ!!」
「ええ。これまでありがとうございました。エドガー様」
エドガー様の言葉を聞き終わったわたくしは彼に背を向けて歩き出します。
会場の出口まで差し掛かった時、ついガッツポーズをしてしまったのは失敗でした。
誰にも見られていなかったでしょうか??
こうしてわたくしとエドガー様との関係は完全に切れたのでした。
◇
エドガー様とわたくしが婚約関係となったのはわたくしがまだ10歳にも満たない頃でありました。
突然王宮に呼ばれてエドガー様を皇帝陛下から紹介され、将来の結婚相手とされたのです。
貴族。特に女は政略結婚が当たり前。わたくしに断る権利など初めからありませんでした。
この時隣にいらしたお父様が微妙な顔をなさっていたのが印象深く残っています。
お父様とお母様はいわゆる親バカ。わたくしには幸せになって欲しいと常々言っています。
幸せ。それがエドガー様ではわたくしを幸せになど出来はしない。或いは王族相手とは言え可愛い子供を馬の骨にやりたくないと思っていたのでしょうか。
貴族としてはよくないことだということは重々承知していますが、わたくしはこんなにも愛されていることを幸せだと思ったものです。
お父様が微妙な顔をなさるのには理由があるのです。
わたくしのお相手となるエドガー様には悪い噂があったからです。
頭が悪すぎる、女の尻ばかりを追いかけていて陛下がほとほと困っているという噂が。
そんなエドガー様でしたがわたくしも貴族の女。
なんとか愛せるようになろうと努力はしました。
「家」の為だと自分に言い聞かせて。
その価値観が砕かれたのは白星学園に入学してから数ヶ月後のこと。
星乃明日香という女性に出会ってからでした。
彼女は口には出さないもののこの国の在り方に疑問を持っているようでした。
何故それが分かったかと言うと態度で示していらしたから。
女性は男性に劣るという世間一般の刷り込み。
彼女は魔法の模擬戦に置いて男性を完膚なきまでに叩きのめした他、他の学門においても男性達を大きく突き放して優秀な成績を一学期終了時残しました。
「家」の為となる告白も断っていたという話も聞きました。
驚いたものです。何故そんなことをしたのか!!
完全に異端児。驚愕しかありません。
しかしわたくしの心は騒いでいました。
まるで、自分をもっと大切にしていいんだよ! 女性だって男性に勝てるんだよ。劣ってなんかいないんだよ。
女であることを誇っていいんだよ! そう言われているような気がして。
気が付けばわたくしは明日香さんのことを自分でも知らず知らずのうちに目で追っていました。
いいえ、わたくしだけではありません。
女生徒の皆さんは明日香さんに引き込まれていっていたのです。
彼女はあっという間に白星学園の人気者となりました。
いつも誰かしらの女生徒に囲まれて朗らかに笑っている。
春の柔らかで暖かな日差し。そのような感じをわたくし達に与えるその笑み。
わたくしが明日香さんにどうしようなく惹かれるようになるまでそんなに時間はかかりませんでした。
彼女のことを思うだけ、拝見するだけで痛くなる胸。
他の方から彼女の名前を聞いたり、噂を聞くだけで締め付けられて苦しくなる胸。
恋――――。
分かってはいましたが、わたくしは何も行動出来ませんでした。
見守っているだけでも幸せ。そう思っていましたから。
ですがクラスメイトの方の一人が「明日香さんに告白する」という言葉を上げた時、わたくしは胸にこれまでにない激しい痛みと焦燥を感じて、いてもたってもいられなくなりました。
あの方の笑顔が一人の方のものとなる。
それはわたくしではない。
嫌。嫌よ。そんなの嫌――――――――!!
数日後、わたくしは明日香さんを中庭に呼び出しました。
ここで告白した者は必ずその相手と結ばれる。なんて噂のある桜の木の下。
数年前に卒業なされた先輩が広めた嘘の話ということは知っていましたが、この時はそんな嘘にも縋りたい気持ちだったのです。
「急に呼び出してごめんなさい」
「いいえ、気になさらないでください。美月様」
黄昏時。わたくしから少し離れた距離に立つ明日香さん。
彼女のことはこれまでずっと見てきましたけど、そんな近い距離で本人を見るのは初めて。
胸の鼓動が煩いです。なんて、なんて可愛らしい方――――。
全体的にあどけない顔。でも栗色の大き目な双眸には芯の強さがうかがえます。
肩のあたりまで伸びた栗色の髪、メリハリのある程よい肉付きの身体、その身体から伸びるしなやかで健康的な四肢。白よりもほんの少し日焼けした肌の色。
実年齢よりも幼く見えますが、女性らしい身体つきの女性だと思います。
頬が熱いです。今のわたくしはきっと現在世界を照らしている夕日よりも赤くなっていることでしょう。
「まぁ。わたくしの名前を知ってくださってるのね」
明日香さんを意識しながらわたくしの口から出たのはそんな言葉でした。
違います。そんなことが言いたいのではないのです。
自分の弱さにがっかりしてしまいます。
「常に学年首席の成績を残していらっしゃる方なんですもの。この学園で美月さんの名前を知らない方はいませんわ。それでなくても王族に最も近い公爵家の方ですし...」
明日香さんがわたくしの言葉を受けてそうおっしゃいます。
確かにその通りです。ですがそれは明日香さんの影響を受けたから。
わたくしは負けたくない、明日香さんに釣り合う女性でいたいと彼女が一学期優秀な成績を収めた後から死に物狂いで勉学に励みました。
その甲斐あって魔法学以外では彼女に勝っています。
ですがそれでも、彼女の背中は遠く遠く感じるのはきっと気のせいではないでしょう。
「でも魔法学では貴女に一度も勝てたことがありませんわ。生まれつきのものとはいえ貴女は凄いですわね。星乃さん」
「美月さんにお褒めいただけるなんて嬉しいですわ。あの、それで...私にご用と言うのはどのようなことでしょうか?」
「そうね。あの............」
「はい」
「・・・・・」
「・・・・・」
幾らかの会話の後、わたくしはついに黙ってしまいます。
言葉が出て来ません。想いを伝えたいのに胸がいっぱいになってしまって言葉にならない。もどかしいです。
ふと明日香さんを見ると何故か彼女も固まっていました。
....よく見るとわたくしを真っ直ぐに見ていらっしゃるような?
そんなに見られると顔から火が出てしまいそうです。
「星乃さん?」
堪らず彼女に声を掛けます。
それで我に返ったように「あっ! ごめんなさい」明日香さんの謝罪。
その声がまた可愛らしく...。鈴を転がすような。とは彼女の様な声のことを言うのでしょう。
わたくしはそう思うと、ついに気持ちが爆発してしまいました。
「わたくし、貴女のこと...」
一歩一歩明日香さんに近づいていきます。
その時明日香さんが妙なことを言い出しました。
「もしかして私が転生者だってバレたのでしょうか?」
「...? テンセイシャ?」
転生者ってなんでしょうか? よく分からず首を傾げると明日香さんは苦笑いをされます。
その苦笑いされた顔さえとても可愛らしくて――――。
反則ではないでしょうか? 何もかも可愛らしいなんて。いいえ、凛々しさもわたくしは知っています。
とても素敵な女性。わたくしは貴女を。
明日香さんの首に手を回して顔を近づけます。
その瑞々しい唇にわたしくは自分の唇を押し付けました。
自分でも思わぬ大胆な行動。
今更身体が震えだしますが、もう後には引けません。引くつもりもありません。
「わたくし、貴女のことが...好きです。恋人になってくださいませんか...」
明日香さんに右手を差し出します。
彼女からどのような返事が来ても受け止めるつもりです。
例え「いいえ」と言われても、辛いですが構いません。
だってわたくしに真の想いを与えてくださったのですから。
長い長い。実際にはそんなに長くないのだと思いますが時間が経ちます。
わたくしの傍で明日香さんが動く気配。断罪か、それとも――――。わたくしの心臓が飛び跳ねます。
「はい。喜んでお受けいたします。アイリス様」
夢だと思いました。
期待はしていましたが、まさか本当に受けてくださるなんて。瞳が潤みます。明日香さんの姿が滲んで見えます。
「....! ああ、夢ではないかしら。ありがとう、星乃さん」
「そんな。私こそありがとうございます。アイリス様」
アイリス様。様を付けられるのは少し嫌です。
恋人と認めてくださったのなら名前で呼んで欲しいです。
早速我が儘を言ってしまいました。
「アイリスと呼んでくださらないかしら?」
「はい。では私も明日香と呼んでくださいますか?」
「分かったわ。明日香」
「アイリス」
幸せ。幸せです。わたくしと明日香さんは互いの首に手を回して距離を近づけます。
伝説の桜の木。風でその木が揺れる中、わたくし達は二度目のキスを交わしました。
今度は愛を確かめ合う為に。
◇
それから数年後。
白星学園を卒業した私達は自由を手に入れ、明日香のアイデアの元小さなパン屋さんを経営しています。
パンは硬いのが普通だと思っていた為に明日香が作った柔らかいパンを触り、食べた時は最初はびっくりしました。
それに味。今までのパンとは全然比べものになりません。
そのパンはあっという間に大評判となりました。
おかげで連日大忙し。開店時から閉店までほぼお客さんが途切れることはありません。
特に昼時は戦争です。もう大分慣れましたけど、正直毎日死にそうな思いがしています。
想像してみてください。あなた方は魔物ですか? というような顔でパンに人々が群がるのです。
それを必死で捌く私と明日香。ちょっと泣きそうになることもあります。
「明日香」
国外追放になってこの国、街に来てから今日で一年。
口調もすっかり平民ぽくなった私は隣で在庫確認をしている明日香の名前を呼びます。
「ごめん、ちょっと待って」
「うん」
その時お店にお客さんが来たことを知らせるドアベルの音。
「いらっしゃいませ。...お父様、お母様!」
そこに立っていたのはお父様とお母様でした。
そう、たまにこうやって私に会いに来てくださるのです。
私達の卒業後、国・王家はいろいろ揉めたようでした。
エドガー様と愉快な仲間達はそれぞれやったことが陛下の調べで明らかになってエドガー様は廃嫡。
愉快な仲間達は全員平民に墜とされたのだとか。
それにしても仕事が遅いと思うのはきっと、陛下がわざとそうしたからでしょう。
私達の安全が保障されるようになるのを待ってから事を起こしたのだと思います。
恐らくお父様達が陛下にお頼みになって。
王家は公爵家に少なくない借りがありますからね。
その借りを少しでも返すべく陛下はお父様の望みを聞いてくださったのだと思います。
「元気そうで何よりだ」
お父様。
「星乃さん、娘を幸せにしてくれてありがとう」
「いえ、そんな...。頭を上げてください。お義母様」
お母様。
頭が上がりません。
私はこんなにも愛されているのですから。
幸せです。二人の子供に生まれて良かった。
「ゆっくり滞在出来るのですか?」
「いや、これからすぐ仕事だ。まったく参るよ。たまにはゆっくり休みたいものだ」
「ふふ、ゆっくり出来る時間が出来たら温泉にでもいきたいですわね」
「そうだな。その時はアイリスと明日香も一緒に...」
「貴方、ダメですよ。二人はラブラブなんですから。邪魔をしたら」
「うっ...。そうだな。だがたまには親子水入らずでだな」
「そうですよね。すみません...アイリスが帰れるように予定を調節します」
「何を言ってるんですか。貴女もですよ、明日香」
「ああ、その通りだ。君も私達の大事な娘なんだから」
「.....ありがとうございます」
感極まったのでしょう。
明日香が涙を零し始めます。
それを見ながら私は思うのです。
彼女のご両親も同じように思ってくださるでしょうか。
一度ご挨拶にうかがった時はそれはもう大変恐縮された様子でした。
私が公爵令嬢だからでしょう。正確にはその時にはもう「だった」になっていたのですが。
「貴方」
「むっ。もう行かねばならんか。それではまたな。アイリス、明日香」
「「はい」」
店から慌ただしく出ていく私の両親。
二人でその様子を見守って完全にその姿が見えなくなったら私は明日香にそっと身を寄せます。
そうすると抱き寄せてくれる明日香。
少しの間見つめ合った後、どちらからともなく顔を寄せて。
深く深く、長い時間口付けあい――――。
「これからもよろしくね。明日香」
「こちらこそアイリス」
私の大好きな明日香の陽だまりの笑顔。
店の中にも春の暖かな日差しが入り込んできています。
私達は微笑み合って、制服の袖を捲って。
さぁ、午後からも頑張りますよ!!
END.
勢いに任せて書いてみました。
アイリス視点。いかがだったでしょうか?
前主人公とは違う世界の見え方を皆さまにもお届け出来ていたらいいなぁ...。