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パソコンを立ち上げて、ネットに繋げる。映像サイトへ。
前に響子が観たいと言っていたWGPのレース。
1991年のドイツGP。チャンピオン、レイニーのヤマハ。ライバル、シュワンツのスズキ、そして当時は若手の最注目株だったドゥーハンのホンダ。
三つ巴の高速バトル。
俺ももう何回も観ている。結果は知っているけど楽しめるレース。
モニターが大きくないから大迫力とまではいかないけど、それでもスマホで観るよりは楽しめるはず。
この目論見は見事に的中する。響子はモニターに顔を近づけて真剣な表情でレースを追っている。
このレースは終盤がすごいんだよな。
まさかあんな展開になるなんて。そしてファイナルラップのバトルも熱い。
さあ、そこまで進む前にトイレにでも行ってこよう。ついでに、インスタントのコーヒーも淹れてこよう。
そう思い立ち響子に告げる。
返事がない。
見入っている、いや魅入っている。
俺はなるべく音をたてないように静かにドアを開けて外に出る。閉める時も注意を払う。
楽しみを邪魔するのは野暮っていうもんだ。
二階のトイレに駆け込み、用を足そうとする。
「きゃ」
悲鳴のような声が突然俺の背後で上がった。
何でだ?
慌てて後ろを見るとそこには響子が。
「お前、なんでついて来ているんだ? レースを観てただろ」
「分からないよ。観ていたら急に体が何かに引っ張られて部屋の外の出ていたんだもん。そしたら竜ちゃんの後を追うように勝手にトイレに中に入っちゃうし。こんなの見るつもりなんか全然なかったのに」
「……分かった。それはいいから早く出てくれ」
誰かに見られながら排泄を楽しむ趣味なんか持っていない。世の中に、そういう性癖をお持ちの方がいることは知っているけど、それを体験したいとはこれっぽっちも思わない、そんな特殊な趣味は持ち合わせていない。
「うん」
響子の返事が返ってくる前に決壊してしまう。
出そうと思っていたところに、思わぬ珍客が来襲したから我慢して止めてはいたものの、ついには俺の意思とは関係になく外へと放出してしまう。
トイレという個室の中では当たり前の音のはずなのに、すごくシュールに聞こえた。
「原因は私が竜ちゃんに憑いたからかな」
パソコンモニターからはレースの映像が流れ続けているけど俺も響子も観ていない。
それよりもさっきのことを考えるのが先決だった。
「……多分そうだろうな」
以前は学校自体に取り憑いていた。だから、学校の中を自由に行動できたけど、そのかわり外には一歩も出られなかった。その対象を俺へと移すことに成功した。結果外に出られるようになったけど、その反面動ける範囲が狭くなったというか、俺について回るようになってしまった。
「……ゴメンね、なんか」
「まあ、憑けと言ったのは俺だから」
こんな風になってしまうなんて想像もしていなかった。けど、今更憑くのはやっぱり駄目なんて言えないし。
「まあ、それよりどの程度離れると駄目なのか調べないとな」
響子が自由に行動できる範囲を把握しておかないと。そうじゃないと、またあんな悲劇が、いや喜劇が起きてしまう。
実験の結果、畳一枚分、響子の言葉によるとおおよそ一間までが自由に動ける範囲らしい。それよりも外に出ようとすると引っ張られてしまうらしい。
まあ、それ位なら問題ないか。
今後、トイレも風呂も壁の向こうで待機してもらえば大丈夫だろう。




