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言われるがままに中に入ったが、することがなかった。
あの先輩は窓際の席に腰を下ろして黙々と本を読んでいる。まあ、文芸部なのだから読書をするのは部活の範疇だろうけど。
所在もなく俺も適当な席に腰をおろす。先輩の近くに座ったほうが良いのかという思考が働いたけど、いきなり距離感なしに隣に座るのは不躾なような気もするし、それにあの時の図書室での注意の印象があって少し怖いというか、近寄りがたいというのがあって、結局離れた席を選んでしまう。
しかし、座ったものの何をすればいいのか?
それは俺だけではなく響子もだった。
「ねえ、どうしよう? 歓迎されていないのかな」
ここに来るまでとは真逆の不安そうな声。
そうだな、この素気のない態度は全然歓迎されてなんかいないようだ。まるで、一人を楽しんでいる、堪能している空間に突然闖入者が現れ、一刻も早く退場してくれないかと願っているように感じられる。
「どうする? 入部するの止めるか?」
まだ入部届を提出したわけじゃない。今ならまだ引き返せる。
「……うーん。……でも、入ってて言われたし」
ああ、そうだ。入室は一応許可されたんだ。だからこそ、こうなっている。
「けど、歓迎されていないみたいだし。俺達のことを放っておいて一人で本を読んでいるし」
席が離れているとはいえ普通の声で話すわけにはいかないから、響子にだけ聞こえるようなできるだけ小さな音で話す。
「どうしよう?」
「どうする」
互いに顔を見合わせるだけで打開策が浮かんでこない。
「とりあえず、響子。お前先輩の様子を見て来いよ」
「……分かった」
力なく宙を漂いながら響子が窓際の先輩へと近付いていく。俺はそのお尻、というか後姿を追っている。
クルクルと先輩の周りを数周した響子が帰ってくる。
「どうだった?」
「本を読んでた」
真剣な顔と声で響子が報告する。
そんなのは俺の場所からでも分かる。もっと他の情報は、有益な報告はないのか。
「古そうな薄い本を見ていた」
追加情報が。
が、薄い本という単語にいらぬ妄想が浮かんでくる。俺の知る限り、薄い本=エロ同人誌。未成年の購読および読書が禁じられたジャンルの本。そんな本をあの先輩が校内で読んでいるのか。あんなに真面目そうな雰囲気なのに。人は見かけによらないな。
「ああ、でも女性向けの同人誌もあるか」
思考の最後の部分が声になって出てしまう。
「そう、同人誌を読んでいたの」
俺の独り言に響子が反応する。もしかして俺が知らないだけで、高校という場所はその手の本が意外とありふれた、当たり前の環境なのか。
いやー、高校って思ったよりも大人なんだ。
「あれずっと読んでみたかったんだよねー」
お前もその手のものに興味があったのか。
「文化祭前に部員みんなで集まって同人誌を楽しそうに創っていたんだよね。最初は思考錯誤で手作り感満載だったけど、それでも熱意があったのは覚えている」
懐かしむような響子の声。
手作りの同人誌。この言葉を聞いた瞬間、そういえば同人誌という単語を最初に教えてくれたのは叔父さんだったということを思い出した。
思い出したことは事実なのか、それを確かめる術がこの部屋には多分あるはず。
教室の後ろを見やる。そこにはスチール製の本棚。もちろんそこには何冊かの本。その中には薄い本も混じっている。
「どうしたの?」
「ああ、ちょっとした確認だ」
響子の選択がどうなるか分からないけど、もしかしたらこの教室には二度と来ないという可能性もある。そうなったら思い出したことを確認できない。
まあ、本人に直接聞くという方法もあるけど。
とりあえず行動だ。座っているだけというのは性に合わない。
先輩の読書の邪魔にならないようになるだけ音を立てないように椅子を後ろに引く。席から立つ。
「君はどうして、この部に入ろうと思ったの?」
気を付けたつもりだったけど、案外大きな音を出してしまったのだろうか。けど、それならば、こんな質問がくるはずなんてないしな。
先輩の問いに俺はしばし沈黙してしまう。
この部に入ろうとしたのは響子の願いを叶えるため。だが、俺にしか見えない幽霊がこの部活に所属して活動してみたい、かつて賑わっていたのに今や部員は一人しかいないから廃部になるのを阻止するために入る、なんてとてもじゃないが言えやしない。口が裂けても言えない。
変人扱いを受けるは真っ平ゴメンだ。
「えっと……叔父がこの部活のOBで。小さい頃からその話を聞いていて、それで興味があって。……それに俺高校でとくにやりたいこともないから、丁度いいかなって」
さっき思い出したのは叔父さんがこの部活に所属していたという話。確か正確には、ここだけではなくいくつもの文科系の部活を掛け持ちしていたらしいが。本を作ったと言っていた。ならば、もしかしたらその同時に作った本がここにあるかもしれない。そこに名前が残っているかもしれない、そう考えて確認するために立ったというわけだ。
「そうなのー」
驚いた顔をする響子。と、同時に、
「そう」
先輩の素っ気ない声。
「なんでもっと早く言ってくれなかったのよー。だったら、私が覚えているあの光景の中に竜ちゃんの叔父さんは居たのかな」
ああ、多分な。けど、もしかしたら俺の記憶違いという可能性もあるけど。
「それじゃあ悪いけど、明日もう一度来てくれるかな。入部のための申請用紙を準備しておくから」
はしゃぐ響子。それとは反対に事務的な口調な先輩。ずっと本に落ちていた視線が俺の方へと向いている。
「……ああ、でもまだちゃんと入部するかどうか決めかねていて」
そう、決めるのは俺じゃない。俺はあくまで付き添いだ。
「来ても来なくてもどちらでもいいから」
ポツリと小さく先輩は言い、再び本へと目を落としていた。




