マッチ◯売りの少女
タイトル入力したら、すでに同名の作品があって笑った。
ちょっと変な感じなのは、そのせい。
寒い風が吹き荒ぶ、冬のある日のことです。通りを歩く人々は、コートの襟を立て、風の侵入を防ぐのに躍起になっていました。
空には、重苦しい灰色の雲があります。レンガだたみのように敷きつめられた雲は、人々の心も灰色にしてしまいそうなほどでした。
上を見れば灰色の雲、下を見れば薄汚れたレンガの道。
世の中は、寒さが厳しい冬の真っただ中にありました。
そんな暗い通りに少女が一人、声をあげながら歩いていました。
傍らに、ムチムチの何かを連れて。
「マッチョはいりませんかー?
たくましい筋肉を持つ、素晴らしいマッチョはいりませんかー?」
素足にぶかぶかのスリッパ、糸のほつれた服、くたびれた薄い帽子。
少女の姿は、貧窮に喘ぐもののそれでした。
けれど、少女はそんなことお構いなしに声をはりあげます。
「マッチョはいりませんかー?
今なら、通常の三倍の筋肉を持ったマッチョでーす!」
少女の傍らにいたもの、それはマッチョでした。それも、通常の三倍の筋肉を持ったマッチョです。これは、少女の育成の賜物なのでした。
「マッチョ、マッチョはいりませんかー?」
売り文句と共に、少女はマッチョを引き連れ、寒空の下を歩きます。
しかし、誰もマッチョを買おうとはしませんでした。
「駄目だわ…。マッチョが売れない…」
少女は悲しくなりました。
全てのマッチョを売り切らないと、家に帰れないからです。
少女の父親は、「マッチョが全て売れるまで、家に帰ってくるな」と言って、彼女を家から放り出しました。
父親は今頃、家で酒に溺れていることでしょう。愛する妻を亡くした五年前から、そういう生活を送っているのでした。
そして今、冷え切った家庭を支えるべく、少女は寒い冬空の下でマッチョを売っているのです。
けれど、現実は非情でした。誰もマッチョを必要としていないのです。
肩を覆う三角筋も、胸を美しく魅せる大胸筋も、お腹の顔である腹直筋も、ムチッとした太ももの大腿四頭筋とハムストリングスも。己の体を美しく魅せる筋肉たちは、必要とされていませんでした。
少女は目の前を過ぎ去っていく人々から目を逸らし、冷えた手を自らの吐息で温めようとしました。はぁはぁと息を吹きかけますが、一向に温かくなりません。
「あぁ、とても寒い。懐も寒いけれど、寒さで体が冷えてしまったわ…。
指はかじかんで、つま先は感覚が鈍い…。私、死んでしまうのかしら…」
少女の可愛らしい口から説明的な言葉が紡がれた後、澄んだ瞳から涙が一滴流れていきました。手足は、歩いている間に、さらに冷たくなってしまったようで、よく見ると紫色になっています。唇も同じ色をしていました。
「このままでは死んでしまうわ…。仕方ない、マッチョで暖をとりましょう」
少女は、マッチョを使って温まることにしました。
「あぁ、とても温かいわ。寒空の下にいるのが嘘のよう…」
マッチョは少女を温めてくれました。冷え切った少女の体を、その見事な筋肉を用いて、温めてくれたのです。
そのまま温かさに身を委ねていると、少女はだんだん眠くなってしまいました。疲労が溜まっていたのでしょう。少女は、針仕事やマッチョの育成に追われ、碌に寝ていなかったのでした。
やがて、少女は夢の世界に旅立ってしまいました。
◇◆◇
夢には、少女のおばあさんが出てきました。おばあさんは、少女に優しくしてくれた者の一人でした。すでに亡くなってしまいましたが、厳しい生活の中で少女を救ってくれたことが何度もあり、少女はおばあさんのことがとても好きでした。
そのおばあさんが温かい笑顔で、少女に笑いかけてくれました。
「おやおや、よく来たねぇ。さぁさ、お入り」
夢の中のおばあさんは、一軒家に住んでいました。大きくはないけれど、それはそれは素敵なお家でした。
家の中に入ると、テーブルが一つと椅子が二つ、暖炉が一つありました。テーブルには、たくさんの料理が置かれていて、少女は思わず、のどをゴクリと鳴らしました。
ライ麦パン、牛ヒレ肉のステーキ、鳥のささみサラダ、ふかしたサツマイモ、バナナ入りヨーグルト、リンゴの盛り合わせ、などなど。
普段からマッチョの育成のことばかり考えているからでしょうか。夢の中の料理は、筋肉の発達に効果があるものばかりでした。少女はマッチョの育成に、文字通り心血を注いでいたので、夢の内容にも影響したのかもしれません。。
筋肉に優しい食事が済むと、少女とおばあさんは暖炉の前で話をしました。
「おばあさま、私、このままでは凍えて死んでしまうかもしれないの…。
何か良い案はないかしら?」
少女はおばあさんに尋ねます。
おばあさんは少女の悩みについて考えてくれました。
「そうだねぇ…。今、お前の元にはマッチョがいるね?」
少女はうなずきました。
「そのマッチョを売り歩いているけれど、誰も買ってくれない…」
少女は、今度は悲しそうにうなづきました。夢の中でも涙が流れそうになりました。
「でもそれは、マッチョを必要としていないからではないのかもしれないよ?」
少女は意味が分からず、目尻に溜まった涙を拭って、首をかしげました。
「そうだねぇ…、マッチョを別の形で活かしてみるのはどうだろう。例えば、マッチョ同士を戦わせてみるとか…。生き物が戦っている姿は、胸を熱くするものがあるからね。殿方ならなおさらさ」
少女は驚きました。そんな方法があったとは思いもしなかったからです。
やはり少女を何度も救ってくれたおばあさんです。綺麗に割れたシックスパックのような、そんな安心感があります。
そうして、おばあさんから名案を聞いて希望を抱いていると、少女の意識が何かに引っ張られました。心なしか、肩を揺すられている気がしました。
「おや、もう時間のようだね。あまり無理をしてはいけないよ」
その言葉を最後に、おばあさんの笑顔が静かに遠ざかっていきました。
◇◆◇
少女が目を覚ますと、マッチョの一体が肩を揺すっていました。心配そうな顔をしています。
「あ、起こしてくれてありがとう」
少女がお礼を言うと、マッチョはポージングで応えてくれました。どういたしまして、と言っているのでしょうか。筋肉は雄弁です。
少女が和んでいると、他のマッチョが少女の顔を見ながらどこかを指さしました。
その指の先には、男性が一人、ポツンと立っていました。
「あのぅ、マッチョを一体売ってくれないかい?」
男性はお客さんでした。
「あ、はい」
お金と引き換えに、少女は男性にマッチョを一体、売りました。
男性が去ろうとする間際、少女は恐る恐る尋ねてみました。
「あのぅ、一つお聞きしたいのですが…」
「はい? 何でしょう?」
「マッチョ同士を戦わせるような、そんな見世物があったら、あなたは見たいですか?」
男性は、興奮した様子で答えました。
「マッチョ同士を戦わせる見世物だって? …それは良い!
躍動する筋肉、熱いぶつかりあい…。あぁ、それはきっと素晴らしいものだろう。
いや、素晴らしいに違いない! そんなものがあったら是非見てみたいねぇ!」
少女は驚きました。そして、嬉しくなりました。この男性のように、世間にはマッチョ同士の戦いを見たいという人がいるのだ、と確信できたからです。
寒さを忘れて舞い上がる少女に、男性は言いました。
「僕は結構お金持ちでね。といっても、商人の三男坊なんだが…。
それはさておき、君の言うマッチョ同士の戦いは面白い。お金儲けの臭いがする。
是非、僕の商会で催したい! ついては、君を雇いたいんだが…」
そして、一人の少女は一つの出会いをきっかけに、『マッチョ売り』から『マッチョ武闘会会長』へとジョブチェンジを果たしました。
寒さに震える厳しい冬は、終わりを告げたのでした。
<おしまい>
以下、予想される疑問について考えてみました。
お暇な方、しりたくて夜も眠れないという方はお読みください。
当作品をお読みいただき、ありがとうございました。
○予想される疑問に対して
Q.何故「マッチョ」なのか。
A.マッチとマッチョ、違うのは「ョ」があるかどうか。つまりはそういうこと。
<補足>
『マッチ売りの少女』は、最終的に天に召されてしまいます。私はこの少女を幸せにしたかったのです。生存ルートを書かなければならない、そういう想いがありました。そんな時、マッチョをネタにした小説を読みました。冬の童話祭の投稿作品です。
ピンときました。
マッチと一文字しか違わない、「マッチョ」ならば!
あの少女を幸せにすることができるかもしれない!
その結果がこの小説です。
Q.マッチョの外見など、詳しい描写がないのだけれど?
A.仕様です。妄想力を高めてください。
<補足>
初期段階では、もっと詳しい描写を書いた方が面白いのでは? そう思っていました。しかしそこで、悪魔的な閃きが私を襲いました。
「はっきり書かない方が、かえって筋肉の不思議さが表現できるのでは?」
決して、「書くのが面倒だった」とか、そういうのではありません。
あれです、ハリー・なんたらと似たような方法です。あちらは挿絵が無い。こちらは、はっきりとした描写が無い。故に、想像力が活発に働くのです。
皆様の妄想力…失礼、想像力で話を補完してください。
筋肉には、夢と希望と可能性がつまっています。
Q.最後の方は、展開が急すぎない?
A.そこまで書くと物語が長くなりすぎる気がしたので、カットしました。
<補足>
何にせよ、少女が幸せならOKなのです。
○書き終えての感想
深夜のテンションのまま一気に書き上げた段階では、二千字に少し足りないくらいでした。冬の童話祭に参加したいと思っていましたが、要項を見ると、三千字以上しか駄目ということで、しばらく放置していました。それからチョコチョコ書き加えたものが、今の状態です。童話だから、もっとすっきりした文章の方が良いのではないか、と思う部分もありましたが、「まぁ、ネタのようなものだし、少女は幸せにできたし、これで良いのでは?」と思い、完結させました。
少しでも読者の皆様の気持ちを明るくできたのなら幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。