乗り掛かった船
彼女が退院してから、二週間が経った。あれから会うことはなく、結局一期一会で終わるものなんだろう。
なんとなく彼女のことを思い出しながら一服をしていると、部長が喫煙所へ入ってきた。
「隣、いいか?」
俺が頷くと、彼女はすぐ隣の席に座り、煙草を加える。しかしライターを出す様子が見られないことに、俺はなんとなく嫌な予感を感じた。
「……わかるだろう?」
部長のその言葉がすべてを裏付けた。仕方なく俺はライターを取り出し、彼女の煙草に火を点けた。
「すまないな、出すのが面倒だったもので」
「ホント性悪なんだから」
冗談交じりにそう言うと、物凄い形相で睨まれた。命は惜しいのですぐに謝る。
「まあ冗談はさておき。妹尾、君に朗報を言い渡すとしようか」
「朗報?」
いつも掴みどころのない人なので、半信半疑でそう聞いた。
「安心しろ、本当にありがたい話だ。時に妹尾、そろそろどういう時期か、わかるよな?」
そう聞いて一瞬背筋が凍ったが、よくよく考えれば異動のシーズンはまだ先だ。今は、冬へと歩を進めていく晩秋。冬と言えばなんだろうか。クリスマス、お正月、節分、雪……後は、学生たちにとっては受験の時期にもなるか。
「……まさか分からないとは言うまいな?」
うちのリーダーはそう言うが、俺の頭ではこれ以上出てくることがなく、俺は苦笑いを見せた。
「君という男は……。そろそろ、学生たちに我々を知ってもらう時期だろうが」
額を小突かれる。そういえば就活の面接追い込みシーズンにもなるんだった。すっかり忘れていた。
「で、それがどうしたんですか?」
「大学3年生の諸君には早めのアピールが必要となる。少し急にはなるが、二週間後から、説明会を各地の大学をはしごして行うことになった。とりあえず2校だ。そのプロジェクトのリーダーを、妹尾。君に任せたいんだ。説明をするなら、彼らに歳の近いヤツの方が効果は高いからな」
「あー、確かに俺も、年齢の近い部長さんが説明していたのが要因で、ここに入った……え、俺っすか?」
起きている事態が把握できなかった俺は、如何にもバカ丸出しの問いかけをしていた。
「不満か?」
鋭い視線でそう語り掛けてくる部長。俺は少し考えにふける。
と言うのも、俺はここに入ってまもなく九州の支部に異動の命を受け、実際にこの本社に居る期間は、同期の吾妻より短い。そろそろようやく一年と言ったところだ。それなのに、ここの良さを、今の楽しさを学生たちに伝えられるのか、不安だ。
「君は……私があまり好まない言葉になるが。いわゆるエリートだ。だから早期に異動を経験し、上が本社に必要と判断したから呼び戻した。それくらいの力量と、そのコミュニケーション能力の高さを買って、今回の起用に至ったんだ。どうだ?」
「俺、そんな大した奴じゃないっすよ」
手を振って強調してみたが、一条女史はいい笑顔で頭にゲンコツを押し付けてきた。
「バカを言うなこの優等生。おまえがそう思っていても、私たちは決してそんな風に思っていないんだよ。試しに千羽と吾妻を呼びつけて、公開処刑にしてやってもいいんだぞ?」
「痛いっす」
そんなことされたら余計に面倒なことになりかねないと続け、俺は答えを口にした。
「……わかりました。やります」
そう言うと部長はゲンコツを解き、俺の頭を撫でてきた。
「ふふ、おまえならそう言うと思ったよ」
この歳になってこれは結構恥ずかしい。熱くなるのを感じて顔を背けた。
「メンバーには、例の二人に入ってもらうよ。慣れたメンツの方が、やりやすいだろうと思ってな」
「わかりました」
メンバーは俺と千羽と吾妻の馴れ合いトリオ。役割分担もしやすく、早速イメージが浮かんでくる。
「その顔は、先をすでに見据えているようだな。それが君の秀でたところなんだ。頑張ってくれたまえ」
部長はそう言うと喫煙所を出ていった。俺はイメージを書き起こすべく、早々と吸殻を片付け、オフィスに急いだ。