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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
不幸な出会い
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触れられたくない過去

天宮さんが入院して、早5日。彼女と話せるのも、残り2日となっていた。

彼女が羊羹が好きだと言っていたことを思い出し、ひとつ奮発して、会社から病院までの道にある、話題の和菓子屋へ寄って羊羹を一本購入した。病室に入ると、当人は静かな寝息を立てて眠っていた。

実に可愛らしい寝顔だ。やや大きいのか、寝間着の袖が彼女の手のひらの半分を覆っている。

あまり長居は出来なさそうだと思い、羊羹を棚の上において踵を返した時、衣擦れの音が耳に入った。


「あれ……妹尾さん。いらっしゃい……んにゅ……」


眠たげに顔を擦りながら、天宮さんがこちらを見ている。軽く挨拶してみると、彼女はだるそうに手を振って答えた。


「起こしちゃったか。ごめん」


「ううん……。暇だったから、むしろ嬉しいです。あの人でもないし」


小さく欠伸をする彼女に、微笑ましい思いになる。

このまま帰るわけにもいかないので、ベッドの傍らにある小さな丸椅子に腰を掛けた。


「そういえば、そこの袋のお菓子。どうぞ」


彼女は棚の上の袋をテーブルに置き、中を一見すると、眠気など吹き飛んだのか瞳を輝かせ、こちらに視線を移した。


「これ、今話題のお店の! あっ、それも羊羹!」


いそいそと小包を開封し、艶やかな小豆色が何とも美しい羊羹をまじまじと見つめる天宮さん。まるで目の前のホールケーキに意識をかっさらわれた幼稚園児だ。その様子がどうも可笑しくて、クスリと笑みが零れた。


「た、食べてもいいですか!?」


息をどこか荒げ、こちらを注視してそう問いかけてくる天宮さんに、俺はコクリと頷いて合図を出すと、彼女は慎重に大好きなおもちゃを組み立てる小学生のようにクシをゆっくりと通し、ひと切れを眼前に持っていく。


「こ、これがあのお店の黄金の羊羹……」


小豆色だけどな、などという野暮なツッコミは控えておいた。きっと彼女には、さぞかし煌びやかなものとして映っているのだろう。正直解からないが。


「――ッ!! この程良い口どけに芳醇な香り、滑らかな舌触りの後に広がる味わい深い甘さ……これが、神の羊羹ッ……!」


今までの彼女とはまるで別人だ。これまでの印象を少し切り替えるべきと思えてしまうほどに。


「気に入ってもらえたみたいで、何より」


天宮さんは羊羹にお熱で聞いちゃいないみたいだ。苦笑いになりつつも、彼女の様子を見守っておく。


「んぐんぐ……んっ。あ、そういえば妹尾さん」


彼女が視線を俺に移す。その口元には、羊羹の餡がわずかに付いている。


「妹尾さんは、誰か好きな人とか、いるんですか?」


「えっ?」


突然投げかけられた質問。俺の頭に真っ先に浮かんだのは、高校時代の、苦い思い出。


「……妹尾さん?」


誰かに恋をすること。誰かを愛することは、あの時から億劫になっている。

初めて恋をして、初めて誰かを守りたいと願い、初めて一生を共にしたいと思ったその人は、ある日を境に、会えなくなった。

そのことを思い出すと、口がうまく動かない。


「ごめんなさい……訊いてはいけなかったみたいですね」


「いや、気にしないでくれ。こっちこそ、答えられなくてごめん」


空気が少し重くなる。だからと言って、今の気持ちじゃ気の利いた冗談など言えやしない。

どうしたものかと彼女の横顔を見ると、そういえば口元に羊羹の餡が付いていたことを思い出した。俺は彼女の口元へ指を運び、それを拭った。


「へっ?」


天宮さんは、気の抜けた声を出す。俺は指についた餡を舐め取る。ほのかにだが、ふんわりとした甘さが口に広がる。


「あの……あの……」


「こりゃ確かにおいしいな。今度あいつらにも買ってやるか……」


とは言え、これ一本を安いとは言い切れない代物なので、少し考える必要はある。

ふと天宮さんへ視線を戻すと、彼女はうっすらと頬を染め、うろたえていた。


「ほっぺに餡が付いてたんだけど……」


「そ、それなら言ってください……び、びっくりしました」


どうやら驚かせてしまっていたらしい。少し軽率な行動だったか。


「ご、ごめん」


「いえ……」


空気を変えるはずが、結局また静かな時間がやってくる。

また、何か話せそうなことがないか模索する。そういえば昨日、俺は彼女の容態を見に来ることができなかったんだ。


「昨日、顔見せられなくてごめん。ちょっと仕事が忙しくて、時間無かったんだ」


天宮さんは首を振り、小さく微笑んで答えた。


「いえ、大丈夫です。毎日来てくださいと、お願いをしたわけではないですし、お仕事が大変なのは、何となく悟っていましたから」


実に健気で、気丈な答え。あの男に目を付けられていることが余計に気の毒に感じる。


「……妹尾さんの周りには、どんな人がいらっしゃるんですか?」


彼女は、表情にわずかな翳りを含ませ、そう問いかけてきた。


「弟と、その彼女ちゃんと、その友達。それと同僚が二人いるな。最近なら、その辺りとよく話しているよ」


「妹尾さんのお知り合いやご家族の方なら、きっと穏やかでいい人たちばかりなんでしょうね……一度でいいから、会ってみたいな」


彼女の翳りは、憂いに変わる。苦しい環境に居る彼女は、きっと少しでもいいから、その環境を壊してくれる人を探しているのかもしれない。

同僚たちは分からないが、彼女と同じ大学生の弟たちなら会わせられるかもしれないと伝えてみたが、彼女はそれを断った。


「そんな、皆さんに悪いです。ただの独り言なので、気にしないでください」


せっかくだからともう一度推してみるが、彼女は引いてそれをかわしてきた。

それと同時に、病室のドアが開かれ、看護師が入ってきた。


「天宮さん、そろそろ検診の時間ですよ」


それを合図に、俺は彼女に挨拶をして病室から出ていった

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