安堵と拒絶
「お疲れーっす」
午後の一服、喫煙所に足を運ぶ。先客がいるようにも思えたが、気にしてはいなかった。
「随分と眠たそうだな、うちのエース君は」
堂々と椅子に座り込み、不敵な笑みを浮かべて声をかけてきたのは、うちの部署の部長――一条 静留女史。その存在に気づいた時は、まさしく心臓が飛び出る思いだった。
慌てて悪の組織の下っ端よろしく何度も頭を下げて失礼を謝った。
「何をペコペコと。気にしていないよ、私は」
うちのリーダーは、空いている片方の席を軽く叩き、暗黙の指示を示してきた。俺は仕方なくその指示に従い、部長の横で一息入れる。
「……で、件の話は纏まったのか?」
「まあ……なんとか。自分のやったことは自分で何とかするんで、大丈夫っす」
そういえば部長には話したけど、あいつらには話していなかったな、あのこと。
でも彼女の退院は近く、言ったところであいつなら面倒事にしてくれる気がする以上、言わない方がいいのかもしれない。
「そういえば、吾妻と千羽。あいつらにもこのことは伝えてあるぞ」
「ヴぇエ!?」
あっさりと現実を告げられてしまった。変な声が出た。
「当日にな。彼らにだけ、真実を告げた上で、他言は無用だと言ってある」
それを聞いて、俺はどこかほっとしていた。煙草を吸殻入れに押し付けた一条女史は、立ち上がり、言葉を続ける。
「しかし、実にいい部下だな彼らは。誰にも、告げ口していないようだ」
「……そうっすか」
俺がそう言うと、部長は喫煙室を出ていった。
すっかり縮んだ煙草の吸殻を消火させ、俺も彼女に続いた。
「ういーっす妹尾っち!」
少し通路を歩くと、背後から突撃された。犯人は誰だか、わかりきっているが。
「千羽か……なんだよ?」
「ちょ、暗くね? いつもの爽やかスマイルはどこいったんだよ?」
千羽 真琴。彼は俺の後輩だが、歳は一緒という複雑な位置。彼は背中をバシバシと叩いてくる。
「妹尾っちが暗いと、おれたちもなんか気分落ち込むって~」
今度は体を揺さぶられる。しかし、何をどう言えばいいのかわからず、言葉が出てこない。
「……まぁ、なんも訊く気はないけどさ。たとえ妹尾っちが人傷つけちまってても、それを責める気もないし、妹尾っちだから理由もちゃんとあるっしょ。あんまし気負うのはよくないよん?」
千羽の言葉に、なんだか一気に、気分が楽になった気がした。自然と、微笑んでいた。
「さんきゅ。じゃあ俺、行くとこあるから」
足を踏み出すが、今度はやけにデカい声に戸惑った。
「妹尾くぅぅぅぅん!!」
猛スピードで通路を走ってくる陰有り。しかし、その行く先に居たのは、運悪くも俺とタッチの差で喫煙所を出た、我らが恐れるリーダー様。
「通路走ってんじゃねぇぞこの青二才!!」
「っひぃ!? ごめんなさい!!」
元ヤンと噂高い彼女の怒号は地響きをも起こすようだ。
「あぁ、そういえば吾妻が話したがってたぜ」
「今更言わないでくれ」
例の大声の原因はすぐそこにいるので、仕方なくそこへ歩いていく。
「妹尾くん……あの人怖いの」
彼女は涙目で訴えかけてくるが、詳細をしっかりと見ていた俺がかけた言葉は、ただ一つ。
「因果応報」
「ヒドいにゃ~!!」
どことなく小うるさい吾妻 綾音は、言うだけ言ったら、気持ちをコロッと切り替えて別の話題を振ってきた。
「あっ、そういえば、もう大丈夫なんですかぁ?」
俺は首を縦に振る。彼女は、その天真爛漫な笑顔で答えた。
「でももし何かあったら、うちは絶対に妹尾くんを助けるよ? ……ってか!? そのアザ何!?」
「痛い痛い」
吾妻が、あの時根津につけられた頬のアザをベタベタと触ってくる。地味に痛い。
「こ、転んだんだよ」
「……アヤシイ」
苦し紛れの言い訳はバレバレだったのか、吾妻は俺に言い寄ってくる。俺は後ずさりしながら隠し通そうとし、助けを求めて千羽を見た。
「あー……吾妻、そういえば次の企画の資料に訂正が出たから教えるわ」
「ちょっと待って、このアザの真相を聞かないと気が済まないの」
さらに歩み寄ってくる吾妻。間違いなく歩幅が大きくなっている。
「観念しなさ~い?」
「うぐ……」
千羽なら軽く聞き流してくれると思うのだが、この子はそう甘くない。言ったら確実にめんどくさくなる。頭を必死に回転させて言い訳を練るが、どれもイマイチ説得力に欠けてしまう。万事休すか、そう思っていた。
「そーいや妹尾っち、この後用事あるんでしょ? こんなところに居ていいの?」
千羽がさらなる助け舟を出してくれた。俺はその好機を逃さず、すぐに吾妻をかいくぐって先を急いだ。
「あっ、逃げないでよ!」
「わりぃ、今度機会があったら話すわ!」
まもなく時刻は17時30分になろうとしていた。少しでもいいから、彼女の様子を見ておかないと安心できない以上、足早に車を走らせた。
病院へ着いた時、時刻は面談終了時間のわずか10分前。早足で彼女の病室に向かうと、そこの扉はわずかに開いていた。取っ手に手をかけ、引こうとした。
「いい加減にして」
腕がピタリと止まる。隙間からそっと病室を覗くと、天宮さんともう一人……あの風貌は、おそらく根津だろうか。
「どれだけ言ったら気が済むの? 私はあなたの恋人になったつもりはないし、これからも気持ちを切り替えることはない。カレシ面するの、やめて。……正直、気持ち悪い」
その声色は、やはりあの、拒絶の色。
「……疲れてるんだよ、陽菜。そりゃそうだ、いきなり病院送りされて、あんなわけのわかんねぇ男が毎回来て」
「あの人のことを勝手に犯罪者扱いしないで!」
根津の言葉に被せるように、彼女は声を荒げる。
「いや、だからケガさせたのはあいつなんだろ? 何がいけないって」
「何も知らないくせに知ったかぶりしないで! もう来ないで、出ていって!」
今一度強い言葉を根津に浴びせ、天宮さんはベッドの中に潜った。一方の根津はしばらく呆然としていたが、打ちのめされたようにとぼとぼと歩き、こちらへ向かってきた。
俺は慌てて、おそらく根津に気付かれないと思って体ごとそっぽを向いた。
「……テメェのせいで」
しかし病室から出てきた根津は、ハッキリと俺に対して言葉を発してきた。
「テメェのせいで陽菜がおかしくなっちまったじゃねぇか!!」
呆れるほどの逆恨みで、根津は俺の胸ぐらを掴みかかってきた。振りかぶり、俺は歯を食いしばったが、鈍痛は響かなかった。
「何をしているんですか!」
偶然通りかかった看護師が割って入ると、根津は強い恨みの視線を俺に放ち、足早に去って行った。
「それと、申し訳ありませんが本日の面会は終了となりました」
看護師は俺に視線を変え、そう言ってきた。時刻は18時を回っていた。
「す、すみません」
俺は仕方なく、来た通路を戻って行った。
明日もう一度来て、適当に理由を見繕って説明しておかなくちゃいけなくなってしまったな。