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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
ただ一つの信頼、一度きりの深愛
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すれ違う想い

彼女から連絡があったのは、その次の日だった。近い内に時間を空けてほしいと言われたが、来るオーディションの日に万全じゃない状態で挑みたくないので、次の日曜日以降になると伝えると、仁科さんは月曜日の18時にある喫茶店に来るように指定してきた。それから彼女の返信は無かった。


「――以上で、本日の選考会議を終える。明日が最終だ。皆、頑張ろう」


その月曜日。オーディションの二日間で選りすぐった全20名の録音データから最終選考をしていたが、一向に意見が纏まらず火曜へ延期に。朝からひたすらに行っていたというのに、もう終業時間だ。残りは物語の一番の中心となる主人公と、それを支える幼馴染の2キャラとなっているのだが、選別したアクターはどれも質が良く宣伝にも強い、甲乙つけがたい人たちばかりだ。そして、残りのキャラも再度確認し合う必要があるため、明日もまた長い戦いになりそうだなと、小さな溜息が出た。

なんとなく凝っている気がする肩をほぐしながら、駐車場に向かっていると、ロビーで一人黄昏ているようにも窺える吾妻が居た。


「……あ、やっほー」


そっとしておこうとしたが、ややぼんやりした声で呼びかけられる。無視するわけにもいかず振り向き挨拶すると、彼女は力なさげに手を振り返した。小さく欠伸をすると、吾妻は立ち上がって俺に並んできた。待っていたのかと訊いたが、即答で否定された。


「待つつもりなんてなかったんだけど、なんかボーっとしてたら妹尾くんが居たから」


意味不明ではあるが追及はせず、共に外へ出る。送らなくてはならないなと順路を整理していたが、出鼻は早速挫かれた。


「あ、送っていかなくていいから」


思わずひな壇芸人の如くずっこけた。本日はどうやらドライな気分なのか、吾妻は冷めたような瞳で見つめてきた。


「……ねぇ妹尾くん。なんかその……元気無いよね、ずっと。でもこの前ああ言ったし、うちのことじゃないってのはわかるんだけど……他に、何かあった?」


そしてすぐに心配そうに見つめてくる彼女に、俺は言葉を返せなかった。俯き、思わず頭を掻いてしまう。しばらく沈黙していると、耐えられなくなったかのように吾妻が口を開いた。


「だ、大丈夫だよ、きっと! なんだか分かんないけど、妹尾くんなら乗り越えられるって! だから……その……」


必死に言葉を探し、俺を勇気付けようとする吾妻の気持ちがよく伝わってくる。その想いに心打たれた俺は、彼女の頭を軽く撫でてこう言った。


「サンキュ。すぐにいつも通りになってみせるから、そんなに必死こいて慰めようとしなくていいぞ」


俺はそれだけ言うと、吾妻に手を振って駐車場へ歩を進めた。もう一度名前を呼ばれて振り返ると、吾妻は天へ掲げた両腕をグッと力強く引いて、大きな声で背中を押してくれた。


「ファイト! うちの気持ちを無駄にすんな!」


その瞬間に固まった決意。彼女ともう一度会おう。勝手な自己満足に思われようと、諦めたりはしない。この選考会議みたいに真正面から話し合って、謝ろう。そしてこれまで感じた燻った気持ちや、モヤモヤした何かの答えを伝えるんだ。それがどんな結果になろうと……いや、おそらく結果はただ一つだ。それでもいい、すべての後悔を取り除いて、今度は晴れやかな気持ちで終わらせる。そう決めた途端に、喫茶店へと急ぐ足取りは軽やかなものとなっていた。

まずは仁科さんに確かな気持ちを伝えて、それから天宮さんと会う、そんなレールを頭の中で組み立てていたが、それはあっさりと切り捨てられてしまった。18時寸前で喫茶店へ入って辺りを見回す。しかし見つけたのは仁科さんでは無く、まだ会うには心の準備が定まっていなかった天宮さんだった。


「……っ」


せっかく決めたのに、何故か足はすくんでしまう。一旦引き返そう、そう思って踵を返すと、不意にスマホが鳴る。仁科さんからトークが入っていた。そこにはただ一言、“逃げないで”と書いてあった。もしかしたらどこかで彼女は俺たちの様子を確認しているのかもしれない。周囲に気を張って見渡すのは少し道理が行かない気がして詮索はせず、逃げたい気持ちを押さえつけてゆっくりと天宮さんの居る席に向かった。


「え……」


顔を上げた彼女が小さく声を出す。やって来た店員にコーヒーを頼むと、俺は黙って対面に座る。表情に焦りを浮かべた天宮さんが自身のスマホを確認したが、何かを見ると、諦めたようにそれをテーブルに伏せて置く。仁科さんは、彼女にも何か戒めの言葉のみを送り付けたのだろうか。

沈黙。途中頼んだコーヒーが置かれるが、それに口を付ける気になれないくらいの重い静けさだ。普段は気にならないが、遠くで笑うサラリーマンたちの声が今は非常に耳障りに聞こえる。もちろんこのままではダメだ。覚悟も吾妻の言葉もまるで無意味になる。だが、いざこうなってみると、言葉は生まれてこない。俺から話しかけないといけないというのに、だ。どれくらいの時間かはわからないが、苦しくなってやっとの思いで口にしたコーヒーは冷めてしまっていた。


「――、て……」


不意に砕かれた沈黙の空間。俯いた天宮さんが握りしめる拳は震えている。その凛とした声を確かに張り、しかしどこか掠れた切なげな音を並べて彼女はこう言った。


「教えて、ください……!」


睨むような視線。だがそれに気圧されるまでも無く言葉は喉へつっかえて漏れもしない。堪えられない俺に怒ったのか、それともただこの状況が嫌なのか、彼女は独り言のようにささやかな声で思いの丈を言い放った。


「どれだけ考えてもわかんない……あの時のあなたのあの言葉がわかんない……。突然で、予想も出来ない言葉だった。なのに理由一つも言わないままで。気持ち悪くて……苛立たしくて、自分が馬鹿馬鹿しくなって、でも悔しくて、嫌で、嫌で、嫌で……! ずっと知りたかった。知ってどうにかなるわけじゃないけど……それでもこのままなんて不愉快すぎる。本当のことを教えてください……教えてっ……お願いだから……っ」


徐々にしゃくり嗚咽を漏らし、ついには溢れ出るその儚い雫。こんなにも強く願っている彼女へ、このまま黙っていられるはずは無かった。席を立ち彼女の傍へ寄ると、思わずその手を取り、二人掛けのソファに座っている彼女の隣へ割り込み、その震える肩を、体を、そっと抱きしめていた。一瞬体を強張らせた天宮さんは、俺の胸に顔を押し付けるように埋めながら、左腕で何度も力無く殴りつけてきた。

俺は優しく、その繊細な心を傷付けないように彼女の耳元に、囁くようにすべての答えを紐解いていった。


「……俺は天宮さんが好きだ。好きだからこそ、離れるべきだと思っていたんだ。あの時、クリスマスのあの日、天宮さんが少し席を外した時に、天宮さんのスマホを見てしまったんだ。もちろん本来は見るつもりなんてなかったんだけど、画面を消そうと思って近付いたら、その時映ってたラインの内容が見えてしまったんだ。そこに書いてあったのは、天宮さんの言葉で……“私には好きな人がいる”。誰かはわからなかったけど、それ見たら……絶対俺じゃないなって思えたんだ。俺がこのまま天宮さんと関わっていたら、天宮さんの幸せが遠退いていくんじゃないかって思うと、怖くなって。好きだからこそ、俺とではなくてもいいから、あなたが幸せで居ることが一番だって思って……でもスマホ見たとか、好きな人が他にいるんだろなんて聞けなかったんだ。だから……ワケ、わからなくなっちゃって、あんなことを言ってしまった。でもそれからはずっと後悔の毎日だった。おまけに……大事な同僚の子から告白されてさ。断ったんだけど、何故かずっと頭には天宮さんが居て……だからわかったんだ。このままなんて俺も嫌だ。謝らないと、って……。こうして会えて、ようやく伝えられた。……はは、なんか気持ち悪いかな、俺。ごめん、あんなこと言って。ごめん、こんなバカげたことして。もう離すよ」


――歌葉。俺はようやく、あの日から歩き出せたのかもしれない。好きだったんだよ、彼女のことが、おまえの時と同じ……いや、もしかしたらそれ以上に。これで俺は振ってもらえば、また前見て歩けるようになる。ずっとおまえばかりを見ていちゃ、おまえ気持ち悪がるだろ。そうだよ、これでようやく、おまえとの因縁も終わって……おまえを大切な思い出として割り切れる。これで、いいんだ。


「っ……」


突然のことに驚き硬直しているのか、答えは一向に来ない。これは、もうそういうことなのだろう。俺は元の席に戻ると、もう一つ彼女へ伝えたかったことを話し始めた。


「本当は言うなと釘を刺されていたんだけど……仁科 真尋さん。彼女に言われてここに来た……そうじゃないか?」


天宮さんは俯き、視線を逸らす。反応は無いが、構わず俺は話を続けた。


「聞いたんだ、彼女から。今日までの天宮さんの状態を。でも言われたから理由を話したわけじゃないってことは信じてほしい。ただ……気がかりなんだ。こうして呼び出されたから、天宮さんはここに来ている。じゃあなんで、天宮さんは仁科さんを嫌っているんだ?」


じっと彼女を見つめ、反応を窺う。しかし、天宮さんが言ったのは一言だけだった。


「あなたには関係の無い話です」


そう言って店を後にしようとする天宮さん。歩み始めたその腕を俺は掴み、引き留めた。振り払われそうになったが力を強めて抵抗すると、天宮さんは苛立たしそうにしながらも立ち止まってくれた。彼女をゆっくり奥の席に座らせると、俺は彼女の出口を塞ぐようにその隣に座り、力を緩めた手のひらで優しく彼女のそれを取った。


「友達じゃないのか? どうしてそんなに拒もうとするんだ。無理に友達として認めろとは言わない。ただ、教えてほしいんだ。仁科さんと話した時、彼女はすごく寂しそうな表情(カオ)をしていた。あんなこと言ってどうしようもなくなっていた俺たちを、こうやって引き合わせてくれるほどにあなたを想っている彼女なのに、何があなたの嫌悪に繋がっているんだ?」


「それを聞いてどうなるって言うんですか」


「それは――っ!」


仁科さんにも言われたその言葉。彼女に言われても尚、俺はその先に言葉を見つけることが出来なかった。二人が友達であるべきだからと言ったところでそれはおこがましい、勝手な意見の押し付けで、でもそれ以外に理由が探せなくて。返すことの叶わない唇は、ただ何の言葉も紡ぐことなく空を切っていた。


「私はあの子が嫌い。ただそれだけです。他人に言われて気持ちを切り替えるなんてしたくもない。余計なことに口を挟まないでください」


「本当に嫌いなのか」


「だからそうだと何度言えば――!」


「――じゃあなんでここに来る必要があったんだよ」


激昂する彼女の言葉に被せてそう、口調を強めて言い放つと、彼女はどもった。それを見逃さなかった俺は、すかさず次の言葉を紡いだ。


「本当に嫌いならここに来ることもないだろう。でも天宮さんは来た。それは嫌いではないからじゃないのか? 過去にどんなことがあったのかなんてわからないけど、昔からずっと好きじゃないのか? だから今も二人の時間は続いている。だから仁科さんは天宮さんを気にかけている。そして天宮さんも彼女を突き放したりしていない。違うのか?」


それだけ言って反論を待ってみたが返ってこない。それどころか彼女は大粒の涙を流した瞳を覆い、ひたすらに嗚咽している。そっと頭を撫でてみると、甘え下手な子供のように首を振り続け、“わからない、わからない”と涙声を漏らす。彼女は自分の本心にすら嘘を吐き、己自身をだまくらかそうとしていたのだろうか。そして心を造り上げ、それを表にすることで全てから向き合うことを拒んでいたのかもしれない。


「……そっか。もう、解らなくていい。これから解っていこう。解るまでは傍に居る……そして二人が解りあえたなら、そこでサヨナラだ」


「……サヨナラ……?」


「あぁ。だって俺はもう振られたんだ。いつまでも居ちゃあ、気味が悪いだろ? 俺に悔いは無いし、天宮さんだって俺の本当の気持ちを知った上でのサヨナラなら、もう苦しむ必要は無いんだ。だから……これが良いキッカケだよ」


彼女から離れると、俺はすっかり風味も無くなった酸味の強いコーヒーを飲み干し、勘定を切った。次は俺が引き合わせる番だと決意し、どこかまだ、浮かない表情の天宮さんを連れて店を後にした。彼女のことも自分のことも全てひっくるめて、今日はこれで一旦解散し、後日決着を付けさせるべきだと考えた俺は、何も言わない彼女を車で自宅まで送った。胸ポケットに朝からしまっていたあのブローチのラッピング箱を手に取り、より決意を強いものとした。

――最後にこれと、あの服を渡して、君の居た時間に終止符を打とう。

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