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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
淡い想いと乙女の純情
34/45

思いも依らない来客

こんなにも心に苦しみを抱え続けた年末年始は今までになかった。仕事が始まってもなお心の余裕は全くない。苦しみ、自分への憤り、二人への謝罪の念。そう言ったものすべてが影響し、心にぽっかりと穴が空いているような感覚だった。気晴らしに吸う煙草も、不味いとしか思えなくなり、いつもは午前で3本は吸うのに、1本で留まってしまう。大きな溜息を吐いて、寄ったものの煙草を吸うことなく喫煙所から立ち去った。オフィスのガラスの大きい引き戸の扉を開いて中へ入ると、いきなり目の前に現れた誰かに、気付けのように頬を叩かれた。


「痛って、誰だよいきなり……」


俯いていた視線を振り上げると、そこにはさぞかし不機嫌そうに頬を膨らませて俺を睨む、吾妻の姿があった。続けようとした言葉はあっという間に霧散し、体も頭も硬直した。


「……なに? まさか今更振ってゴメンとか言うつもり?」


鋭い視線が突き刺さる。やや声色を落とした吾妻のプレッシャーに、頷くことすら叶わない。


「いい? うちはなんにも気にしてない。気遣いとかされるのはウザいの。妹尾くんはいつもの妹尾くんで居ていい。罪とかそんなのはいらない。だから、そんなジメジメした顔するな」


吾妻は、力強く俺の胸を殴りつけてくる。肉体的に痛くはないが、精神的に心に響くその振動を、瞳を閉じて真摯に受け止めた。ゆっくりと目を開き、吾妻の真剣な表情を焼き付ける。そして自分のこれまでの感情を後悔した。すべての思いを払拭し、改めて、自分を好きでいてくれた女性と真正面から向き合うべく気持ちを切り替えた。


「……あのさ、さすがに照れるよ。そんなに見つめられたら」


吾妻がほんのり頬を染めて顔を背け、恨めしそうにこちらを見てきた。理由に気が付いた俺は、苦笑いで誤魔化しながら謝る。


「いいけど……さ」


空気を切り替えるように俺の肩を軽く叩きながら仕事仕事と呟いた吾妻に、思わず微笑んでしまった。そういえばまもなく選考オーディションの日付だったと思い出した俺も、自分のデスクに急いで念入りに日程などの確認を行う。会場設営は簡易的ではあるが必要なので、それの指示に明日は向かうことになる。参加者たちの待機室なども作る必要がある。とは言え会場はうちの会社の応接室だが。


「妹尾っちー、明日のことー」


そう呼び掛けて手招きする千羽のもとに向かう。彼もまた選考審査員の一人であり、そして吾妻は参加者誘導と説明に任命してある。千羽と連携の取り方を確認すると、いくつかの資料の束を持って部長のもとへ俺は向かう。


「部長、選考オーディションの参加者一覧と名簿、そして審査員の名簿です。あと、これから時間が作れるのでしたら、各キャラ選考用の台本の最終調整をお願いしたいのですが」


オーディションに集まった人数は予想倍率を大きく上回り、全5名の枠に100人近くの応募があった。よって日程は2日がかりとなり、俺たちはその間ほぼずっと拘束だ。それ故に念には念を込めた確認や調整を行っていかないと、何かあった時に苦労するのはこちら。やることはまだまだある。

頷いた部長を開放的なカフェエリアへ案内して、千羽を含む全4名で調整を始める。飲料の配膳を務めるのは、一番勤務年数の短い千羽の役割だ。一方構成や設定制作を務めたのは俺なので、それぞれのキャラに合った台本をプレゼンしていくのは俺の役割。ちなみにキャラデザイン監督と背景美術監督に吾妻は名を連ねている。


「彼女は生真面目さの中に垣間見える歳相応の茶目っ気がポイントになるので、これらの内容で行く予定ですが、いかがですか?」


「生真面目か。それなら、敢えてこう言った砕けた言い回しではなく、堅苦しくしてもいいと思うぞ? それこそ普段がこのように小難しい少女なら、羽目を外す瞬間のギャップがいっそう映えると感じるが?」


こう言った意見を纏めていき、当日までに刷り直す。ここで台本が最終選考となる以上、一字一句誤字は許されないので、ペンを書き進める手が微かな緊張を纏う。その後もある程度の修正案をもらい、この会議が終わるときには、終業時間を1時間跨いだ18時になっていた。オフィスの施錠は部長が受け持つと言ってくれたので、お言葉に甘えて会社を出る。


「妹尾っち~、ちょっと棍詰めたし、これから一杯行こうよ」


千羽がそう提案する。車だから酒は飲めないと言ったが、どうやら酒は関係無しに、彼はとりあえず一緒に食事をしたかったようだ。少し考えて答えを出そうと千羽を見ると、彼の視線が一点に集中しているのに気が付いた。それを追ってみると、そこに居たのは一人の女性。ハーフアップに結ったロングの黒髪、横顔でも判るくらいに大きく綺麗な二重の瞳。鼻立ちも良く、潤いとハリのある薄い桜の唇。ボア付きのトレンチコートで服装は判らないが、恐らくスタイルはとても良いだろう。傍目から見ても美女と呼ぶのに相応しい彼女は、不意にこちらを見ると表情を綻ばせ、小さく手を振る。千羽の知り合いなのかわからないが、千羽がそれを振り返す。しかし近付いてきた彼女が一点に見つめていたのは、何故だか俺だった。


「おまえふざけんなよ」


「何だよその理不尽」


クスリと微笑む謎の美女。よく見ると薄化粧のようで、地の素質というのが如何なるものかを思い知らされる。彼女に対抗できる知り合いの女性は、星ちゃんのみではないかと思う。


「初めまして。……とは言え、アタシはお兄さんのこと、知ってますけど」


千羽が余計に睨んでくる。暑苦しいと顔を押しのけて何か用かと訊ねた。すると何故か彼女は千羽を見つめ、ゆっくり近付いて彼に何かを吹き込むと、千羽はあっさりと走り去って行った。あいつが居ると何かマズい内容だったのかと尋ねた。


「そーですねぇ。それよりも、こんなところで立ち話してると、誰に何言われるか判ったものじゃなくないですか?」


一理あった。ましてや最近の出来事からその辺りには嫌に敏感だ。それを認めて、俺は彼女を自分の車の付近まで案内した。


「こう見ると、ホントお兄さんってイケメンですね」


「……何が目的なんだ? 君は一体、何者だ」


少し警戒を強めて女性を睨む。それに物怖じもしない彼女が発した言葉に、俺は硬直せざるを得なかった。


「アタシは仁科 真尋。大学3年生、華の21歳で……天宮 陽菜を誰よりも知っている、幼馴染です。休みが明けてから陽菜は学校に来ていません。単位こそは足りてますが、何があっても休むことは無かったあの子が来ないんです。そしてそれは、貴方が関係していることくらい、陽菜がどれだけ話さなくったってアタシには解るんです。だから、話してもらいますよ。……“妹尾 秀哉さん”」

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