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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
淡い想いと乙女の純情
33/45

明けの月夜、散り行く純情儚くて

境内に入ってみれば、予想以上の人だかりでうまく前に進めない。吾妻を見失わないように度々位置を確認しながら歩いていく。初詣するのはまだ先になりそうだ。


「うぅ……冬なのに暑い」


手のひらで作られた簡易的な扇で扇ぐ吾妻。振袖は相当に暑いだろうなとどこか同情気味になる。こういう時に気の利いた出店が冷えたドリンクを売っていればいいのだが、案の定周囲の出店はアツアツな鉄板焼きと甘酒で占領されている。耐えるしかないかと覚悟を決めたが、ふと自販機を確認できた。


「自販機あるけど、何飲む?」


「この際何でもいいけど……でも今出たら合流できなくない?」


至極正論の絶妙な切り替えしにぐうの音も出なくなり、頭を抱えることに。これほどに混み合っていると、一度離れてしまえば取り返しのつかないことになるし、かと言って二人で抜けてしまえば始めからやり直しなのは確実だ。打つ手無く、そのまま人の流れに身を任せることにした。


「しかし本当に人ばかりだな。はぐれてもおかしくは……あれ?」


隣を見やると見知らぬ女性。幸いにもこの群生の中では頭一つ出ていたので辺りを見渡すと、三歩ほど後ろの方で、吾妻が人の波に飲み込まれているのが見えた。はぐれたら最後、当面再会など出来ないことに危機を感じた俺は人を掻き分け、腕を目一杯伸ばした。吾妻もそれに答え、懸命に腕を伸ばすが、わずか数ミリ足りない。意地でもはぐれさせたりはしないと逆走するように足を進めて無理矢理に彼女の手のひらを握ると、力づくでこちらへ引き寄せる。


「あ、ありがと……」


反射的に抱き寄せていた。吾妻は、胸の中で小さく呟くが、その表情は窺えない。すぐに体を離してやると、彼女は左の裾を軽く引っ張ってきた。


「どうした?」


「あ、いや……ま、またはぐれたくないから」


問いかけるとどこか顔を赤くして、少し素っ気無く返してきた。何も言わずに受け入れると、一瞬間を空けていた雑踏はすぐに元の密度へ戻る。今一度流れに任せて進んでいく。20分ほどで賽銭箱を目前にした俺たちは、同時にお賽銭を投げ入れて祈る。具体的な願いなどなかったが、なんだか頭の中には、あの子の無垢な笑顔が浮かんでいた。


「あー……」


初詣を終えておみくじを引くと、彼女は浮かない顔をする。覗き見ようとすると睨まれた。


「乙女のヒミツ」


「さいですか」


一方の俺。おみくじを開くと現れた、堂々たる末吉の文字にどう反応すればいいのかわからない。仕事運は現状維持、金運は波あり預金を大切に、健康運は細心の注意が吉などと、如何にも末吉らしい、良いようにも悪いようにも取れない何とも微妙な字列だ。恋愛運に目を通すと、近いほど遠く遠いほど近いという、意味深な文体だった。

そんな俺を露知らずと、夜空が途端に煌々と輝く。見上げれば花火が上がり、煌びやかに空を彩っていた。それを見ながらおみくじを巻き付けた後、二人とも微妙な表情のまま境内を歩き、出店を回る。そういえば年越しそばを食べていなかったと思った俺は、代わりに年明けうどんを購入して、近くの簡易テーブルを利用してそれを食べる。出店のものなので仕方ないが、イマイチうどんを食べたという気持ちにならなかった。


「大体の用件は済んだと思うけど」


ゴミを片付け、一息吐きながら吾妻に問いかける。そう言うと彼女はどこか慌て、わざとらしく悩むような素振りを見せてくる。この雰囲気ではの本題を切り出すのが難しいのだろう。とは言え年明けなどムードのへったくれも存在しないような気がして仕方がないのだが、生憎現実はそう簡単ではないようだ。


「餅つきやるよ! 高速餅つきの達人たちが織り成す技だよ、寄ってきなー!」


境内を忙しく走り回る、イベントの広報の人だろうか。手渡してきたビラにはサプライズイベントなどと名目を打って餅つき大会の詳細が記されている。吾妻は、ここぞとばかりに発案してきた。


「こ、これ行こうよ! なんか、素人体験もあるみたいだし、うちめっちゃ見てみたい!」


わざと言っているのがまる判りだが、俺は無粋なことを一つも言わず、彼女に合わせた。会場と言っても出店の一部ではあったが、そこにはすでに多くの観衆がいる。初めは遠くから見守ることにしようとしたが、吾妻がどうしても前で見たいと聞かず、半ば無理矢理、最前列まで入り込んだ。そこに居たのは、テレビでもこの時期よく見かける、高速餅つきの人たち。時の人を目の前で見るのはこれが初めてだった。


「まばたき禁止の超高速餅つき! イッツショーターイム!」


凄まじい迫力の掛け声を交互に繰り出し、見事な手捌きでもちを形付けていく。杵が餅を突くと臼とぶつかるようで、リズミカルな音を立てている。テレビで何回も見ているというのに、思わずその芸に見入ってしまう。気付けば純白の滑らかな餅が仕上がっていて、周りからの歓声もまた仕上がってくる。すると突然、餅を突く手が止まり、先ほど開始の掛け声をした人と達人たちが会議をし出す。そして、その逞しい肉体を動かし、俺たちのところへやって来た。


「お二人さん、若いねぇ。でもなんかカップルって感じじゃない。……気に入った、君たちにしよう!」


俺が達人に連行されると、吾妻も後ろから付いてくる。


「餅つき体験はこのペアに決定! 皆様拍手を!」


大きな歓声と拍手、そしてからかうような声援が上がる。頭が状況を理解するのに多少の時間を要した。体験というのはつまり、俺たちがこの餅を突くっていうことなのか。


「お兄ちゃん、突いてみるかい?」


手渡される杵。柄を持って構えてみれば、前に集中した重心のおかげでバランスが取りにくい。こんな代物を、あれだけ盛大に、連続して振り上げてみようものなら、腕が上がらなくなること間違いないと思えてしまう。


「あー、待って! うちやりたい!」


急に軽くなってバランスがまた崩れる。吾妻が杵をかっさらって握りしめているのに気が付いて、大丈夫なのかと声をかけると、非常に重たそうにしながらも彼女は持てると豪語する。しかし足取りはややおぼつかなく、見ているこっちの心配が増すばかりだ。


「お姉ちゃん、杵ってば結構重いんだ。あんまり無理しないで、連れの兄ちゃんに任せなって」


「いや、うちがやりたいの」


同じ思いの達人の宥めを聞き入れることなくそう言い放つ吾妻。これには達人も止められそうにないのか、俺のところにやってきて、危なかったら助けてやりなと伝えてきた。吾妻に振り方と注意点を一通り説明した達人は、一歩下がって見守るように彼女を見ていた。


「せー……のっ」


吾妻が掛け声と共に杵を振り上げる。しかし上げすぎたのかよろめき、背後に倒れそうになったのを俺は見逃さなかった。駆け寄って杵を掴み、吾妻の肩に手を添えて、体全体でそれを支える。


「大丈夫、じゃねーだろバカ」


「あ……ありがと、妹尾くん」


嫌に歓声が大きくなる。俺たちは恋人ではないというのにアツアツだのデキる彼氏だの囃し立てられ、恥ずかしくて顔が熱い。早いところこの注目から逃れたい思いになった俺は、吾妻と息を合わせて杵突きし、足早にそこを去った。今一度人混みに紛れると、突き終えた餅が配られる。突き立てで非常に滑らかなそれは舌鼓を打たざるを得ないのだろうが、先ほどのこともあってうまく味わえなかった。


「ね、こっちに抜け道みたいなのがあるよ。行ってみよ!」


少し人波から外れた境内の林に、まるで俺たちを呼んでいるかのようにぽっかり拓いた獣道。吾妻に引っ張られるままその道を抜けると、広い高台が姿を現した。美しい夜景のイルミネーションに見惚れた吾妻は、柵から少し身を乗り出すようにしてその景色を焼き付けている。振り返った彼女に差す夜景の後光と花火の閃光は、彼女を神秘的で儚い存在へと生まれ変わらせたかのように燦然(サンゼン)としている。その姿に、心が揺れるような気がした。


「キレイだね……」


柔らかく微笑む吾妻。頷いた俺だが、その頷きは彼女の問いかけに答えたそれではなく、彼女自身を讃える意味合いだった。


「――妹尾くんッ」


穏やかさを持ちながら、しっかりとした芯の強さを感じる声に、俺の身体は硬直する。

――間違いなく、来る。そう思うと大きく心が言葉を拒みたがる。それを必死に押し堪えて、本当は一番聞きたくなかった彼女の想いの丈を、受け止める心構えになる。


「こんなに最高の場所に貴方と二人で居ることが、奇跡だなって思います」


焦らされるような前置き。逸る気持ちを押さえこんで、ひたすらにその言葉を待った。


「どんな言葉が返ってこようと真正面から受け止める覚悟が決まりました。しっかり聞いてください」


そう言う吾妻の瞳には、すでに光るものが浮かんでいるような気がした。


「――好きです。わたしは貴方に恋をしています。わたしの特別になってもらえませんか?」


とうとうその時が来た。堪え続け噛みしめ続けた下唇から、なんとなく鉄のような味がする。答えは決まっているのに、言葉は喉につっかえ、上から蓋でもされているのかと疑いたくなるほどに音が紡げない。情けない自分に怒りすら覚えてしまう。

傷付けてしまうことが、今更になってまた怖いと感じる。謝って済む問題なんかでは絶対に無い。心が苦しい。痛い。いっそ逃げたい。いろんな衝動が一同に俺へ襲い掛かり、押し潰されそうになる。それでも告げなくてはならない。千羽に言われたからじゃない。彼女が嫌いだからじゃない。これが俺の想いで、彼女を――吾妻 綾音を好きだからこそ告げる確かな言葉。無理矢理にでも喉から追い出してやる。言わなくては次に進めないんだ。だから――。


「――ごめん。特別にはなれない」


告げたその瞬間には、目の前で揺れ動いていた水門は壊れていた。響く涙声と嗚咽、小さく崩れていった彼女の身体、背後から聞こえた大輪の花火の轟音。すべてが五感にこびりつきそうなほどに突き刺さる。その身体に、その手のひらに、その髪に、その顔に、触れてやることは敵わない。ただ呆然と立ち尽くし、美麗な振袖を雫で濡らし、肩を震わせる女性を見届ける。なんて自分は無力で、愚か者かと改めて認識される。ただ一つ出来た償いは、片時も離れず傍に居てやれたことくらいだったのだろうか。

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