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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
淡い想いと乙女の純情
31/45

二人と帰り道と複雑なココロ

それから間もなく、千羽からトークが入った。気を付けて帰れよ、という文は、即ち千羽は二次会に行ったか別で帰ったのか、どちらとも取れる。了解、と味気の無い返事を返しておき、冷え切った風を巻き起こしながらホームを抜ける特急電車を、自販機の傍から見送る。吾妻の最寄り駅はここから5駅ほどあり、おまけに快速が止まらないところなので慎重に時間とにらめっこをする。次の電車はあと5分先だ。


「ほら、ミルクティー」


吾妻の待つベンチへ向かい、温かい缶のミルクティーを放ると、吾妻はそれをなんとかキャッチする。すぐタブを開いて飲みだそうとするが、いつかのように熱さに耐えかねて小さく舌を出した。アルコールのせいでやや鈍感になっているのだろうか。


「おまえさ、いっつもそうだよな」


「早く飲みたいもん」


頬を膨らませて拗ねたようにそっぽを向く彼女を見届けると、ホームに笛の音が響き渡る。重い振動音を鳴らしながら入ってきた電車は、俺たちのお目当てのそれ。ドアが開くとすぐに車内へ入れた。割と酔っているのはわかっているので、空いていた席に吾妻を座らせる。時間帯的には珍しく、車内の人々はまばらだった。


「座らないの?」


不思議そうに俺を見つめてくる吾妻は、隣の席を小さく叩く。座って、と言っているのだろう。座ってみると、吾妻は満足そうに顔を綻ばせてミルクティーを口にした。周りにほとんど人がいないので、それに対してマナー違反だのと言う気は無かった。


「ふぁ……あ」


可愛らしい声の漏れた欠伸に気が付いた吾妻は、恥ずかしそうにその口を押さえて、俺に懇願するような眼差しを送ってくる。誰も気にしちゃいないだろうと返すと、吾妻は小さく溜息を吐いた。


「宴会は楽しかったか?」


何気ない質問に、吾妻は小さく返事をしただけだった。あれだけはしゃいでおいて楽しくなかったのかと聞き返すと。彼女は答えず、また同じように無気力な返事をする。すると、俺の左肩に何かが触れた。そこを見ると、吾妻が頭を預けて、静かに寝息を立てていた。まだ、目的地まで多少の距離はあるのだが、こうもあっさりと話し相手が居なくなると、俺はただ黙って彼女を支え、すっかり暗くなって明かりが煌々と輝きだした街を眺めていることしかできなかった。ふと彼女の足元を見ると、内股とわずかな手のひらでかろうじて支えられているだけの、まだ量のあるミルクティーの缶が目に入った。このまま何かの拍子に零れてしまうと、せっかくの衣類にシミが出来てしまうなと思い、俺は缶を吾妻の足元から抜いた。それと自分の缶を右手で持ってみると、意外とすっぽり収まるものだったことに少し感動する。


――こんな子に好かれているなんてな。


ふと思う。華奢でか細い腕や、俺より一回りほど小さい手のひらを一瞥し、吾妻の横顔を視界に入れる。俺という男に振り向いてもらうため、この子がどれほどの試行錯誤をその身体で表現していたのかなんてまるで想像つかない。俺が人より鈍感なだけかも知れないが、気付いたことなんて一度も無かった。


――そういえば最近、よく近くで話し合ったりしていたな。


クリスマスの予定を聞き出そうとしていた彼女も、説明会の資料のデザインを評価してもらうときも、学校で休憩中に話していた時も、彼女の顔は常に笑顔で、近しい場所にあった。今思えばあれは、彼女なりのアプローチだったのかもしれない。仮にあの時、あの子との約束を優先しなかったら、俺はすでに告白されていたのかな。今となっては判り得ないが、もしもっと早く気付いていたら、俺は吾妻を選んでいたのだろうか。


――やめだ。そんなこと考えてたら、余計に苦しくなって振れなくなる。


俺は決めたんだ。彼女の涙を見ることになるが、それでも決めたんだ。吾妻を振る、と。振ってそれから、俺たちは今まで通りになれるかなんて判らない。でも、もう戻らない。もし壊れてしまったのなら、そのままにはしない。壊れなければ、大切にしていこう。それが俺に出来る、精一杯の彼女への感謝だ。


『次は――』


車内アナウンスが示したのは、吾妻の最寄り駅。彼女を揺すって起こしてみたが、起きる気配は見当たらない。それなら仕方ないが、このままおぶって行こう。缶の飲料を零さないように工夫しながら、俺は吾妻を背負うことに成功した。背負う荷物が込みでも彼女は思っていたよりも軽く、儚さすら感じてしまう。

スカートの中に手が入らないように何とか位置を正すと、俺は開いた扉から流れ込む寒気に逆らってホームへ降りた。幸いにもすぐ目の前に階段があるが、とても片手で押さえているようじゃ不安定で怖い。俺は近くのベンチに吾妻を下ろすと、勿体ないと思い、まずはミルクティーを一気に飲み干した。


「あま……」


それは想像以上に甘ったるく、俺はすぐコーヒーを飲み干す。ゴミ箱へ放り込み、吾妻をもう一度担ぐと、しっかりバランスを崩さないように、階段を一段ずつ登っていく。その時にはすでに、電車の無機質な振動音は小さくなっていた。


――あれ、もしかして俺……。


不意に思う。俺はさっき、一度吾妻が口を付けたものを飲んだ。それはつまりそういうことであるのが理解できると、恥ずかしくなって顔が熱くなった。このことは絶対に黙っておこうと心に決め、改札を出た俺は吾妻の自宅まで歩を進めていった。

道中、何組かのカップルを見かけた。いずれも揃って口にしていたのが、来る大晦日の話だった。吾妻から時間も何も聞いていないが、寝息を立てている以上は聞けないだろうと歩いていると、小さく吾妻の声が聞こえた。


「起きたか?」


「あれ……ここ、どこ?」


自宅に向かっていることを告げる。吾妻は俺の体に自分のそれをぴったりと密着させてくる。なんとなく、彼女の心臓の鼓動が判る。それは、早鐘を打っていた。


「重くない?」


「むしろ軽い。おまえちゃんと食ってるか?」


冗談半分でそう言ってみるが、吾妻はしおらしく反論せず、小さくバカと呟いた。その儚い声色に、少しドキリとしてしまった。


「あのさ……初詣のことなんだけど」


彼女の言葉に耳を傾ける。吾妻はゆっくりと話した。


「集合は年明けの少し前……40分くらい前でいいかな? 場所は、ほら、あの大きな神社……」


鶴来(ツルギ)神宮か? 車で20分くらいの」


そう言うと吾妻は頷く。鶴来神宮とはこの近辺の住民は大体そこで初詣をするところで、全国区ではないものの、近郊の県や地方にも有名で、毎年多くの参拝客で盛り上がるそれなりに歴史があると言われている神宮。電車やバスでも行けるというのも利点だ。

しかし、あまりうるさいところは得意じゃなかったかと聞くと、吾妻はこう答えた。


「それとこれとは別だよ。そりゃあんま行きたくはないけど、今回はワケが違うからさ……」


その言葉に俺は返さなかった。いや、返せなかったというのが正しいのか。彼女の意図が解ってしまっているからこそ、無駄口は墓穴を掘る結果になりかねない。口が頑なになってしまうものだ。


「それよりもさ……ね、妹尾くん。今日は元気無いよね。最近、何かあった?」


無意識に足が止まる。気付かれていたとは思ってもみなかった。

言うべきか言わないべきか。思考が止まってしまい、俺たちを包むこの空間は静寂としていた。車道から多くの車のエンジンの音、行きかう多くの人々の話し声や足音が嫌に耳に入る。こんなにも当たり前に聞いている音の数々が雑音のように感じ、不快で耳障りなものにしか聞こえないのは、初めてかもしれない。


「言えないこと……か。うん、そっか。うちもまだまだだなぁ」


細い声でそう言う吾妻。俺は謝ることすら出来なかった。


「ね、進もう。うちはどんなことがあっても妹尾くんの味方で居るから、後のことなんて気にしなくていいんだよ」


勇気付けられたような気がした俺は、また少しずつ一歩を踏み出す。吾妻の自宅に着いた頃には、街灯が照らす歩道に人の気配は少なくなり、代わりに周囲の一軒家やマンションの明かりが煌々と輝いている。もうそんな時間なのかと溜息を吐くと、金属製のドアが開く音に気を取られた。吾妻はそこに入ると、無垢な笑顔で小さく手を振ってきた。


「今日はありがと。じゃあ、大晦日に駅で待ってるよ。あ、神社のある方の駅だから、間違えないでね。バイバイ」


そしてそう告げて、ゆっくりとドアを閉じた。程なくして鉄格子の先の磨りガラスに光が灯るのを見守った俺は、ドアの先の見えなくなった住人に手を振り返し、帰路についた。

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