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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
淡い想いと乙女の純情
30/45

千羽の願いと振る覚悟

水を一口含むと、それを口内で少し弄んでから飲み込む。同じようにすうっと息を吸い、小さく吐き出す。無意味に騒々しくなる周囲から一歩引いて、俺はポケットから煙草を取り出す。火を点けようとしたがあまりに周りがうるさく、そして踊り惚けている。もしこっちに転んできて、煙草の火が触れてしまえば大惨事になりかねないと睨み、俺は会場から席を外した。誰にも見つからず、こっそりと。店員にはワケを話しておき、今一度冷たい空気に晒された外へ赴く。近くに入店待ち用のベンチがあったのでそこへ腰かけ、おそらく今日初となる煙草に火を灯した。携帯灰皿をショートバックから取り出し、灰をそこへ叩き落とす。


「ふぅ……」


なんだか気疲れを感じる。体も、アルコールのせいではないが重い。煙と共に溜息も吐き出した。


――俺はどうしたらいいのだろう。


自問自答。俺は元旦に、間違いなく吾妻から告白をされるだろう。当然暴露の方ではなく、異性愛としてのそれ。知らぬ内に同期で同僚の女性から好意を向けられていた。その事実は、人間として男として、非常にありがたく、嬉しいと思う。しかし。


――俺は吾妻の想いに答えることは出来ない。


誰か他に、俺が恋い焦がれる女性がいるわけでも無ければ、仕事を優先し続けたいわけでも無い。俺自身、吾妻 綾音という女性に対して、好意的な方だ。彼女はそれなりにトラブルを引き込んでくる存在ではあるが、俺のグループの中心人物であって、彼女が居るからこそ今の温かな環境で、全員が仕事に集中出来ている。明るく前向きで、簡単にめげたりしない強い心を持った、最近の若者としては稀有な女性というのが、俺から見た彼女であって、絶対に欠かすことは出来ない存在だ。


――恋人として、女性として見ることが出来ない。あいつは、友達だ。


割り切れば割り切るほどに心が悲痛な叫びをあげる。こんなにも近く、大事な存在を壊すことになると恐れている。引き裂かれているかのように心臓が痛い。落ち着かせようと吸う煙草も、味も心地良さも何も感じない、極めて味気の無い不味いものになっている。募る不安をすり潰すように、それを灰皿へ押し付けた。それでもわだかまりは消えるどころか、その存在をより明確なものに仕上げてくる。どうしようもなく、缶の灰皿をベンチに叩きつけていた。虚無感すら覚える乾いた金属音が、返って心を締め上げてくる気がする。

自分が腹立たしい。過去ばかりに引きずられて、仲間を次々と悲しませる自分が大嫌いだ。今一度募る怒りは拳となって、ベンチに転がる缶のすぐ横を大きく殴りつける。荒くなった息を整えていると、不意に誰かの気配を感じて顔を上げた。そこには、さっきとは打って変わって真剣な表情で俺を見ている、千羽の姿があった。


「おまえ……宴会はいいのかよ」


「それはこっちのセリフだっつーの。妹尾っち、今日は一応、おまえが主役なんだよ。なのにいないとか、つれないにも程があるっての」


嫌に素面(シラフ)のような饒舌さだ。俺の隣にどっかり座り込んだ千羽は、急に大声を上げて深呼吸をした。


「あーあ、辛気臭すぎて酔いが醒めちまった。妹尾っちのせいだぞー」


そう言うと俺の額に拳を押し付けてくる。払いのけると、千羽は表情に少し影を落として口を開いた。


「おれ、クリスマスに振られましたっ」


声は明るいが、空元気なのは一目瞭然だ。吾妻から聞いたと返すと、何がおかしいのか千羽は途端に笑い出した。


「はははっ! バッカでやんの、ホント。無理だとわかってコクっておいて、当たり前に振られたのにさ、おれ今日まで立ち直れなかったわ」


これから俺が吾妻に送ることになる結果を予知されたような錯覚を覚える。そんな様子の吾妻を思い浮かべてしまい、またチクチクと心が痛む。


「妹尾っち、吾妻ちゃん振る気でいるでしょ」


そして、その鋭い言葉に、身も心も硬直する。彼女を幸せにしないなどと以ての外だと責められる気がして覚悟するが、千羽は全く的外れのことを言ってきた。


「振るんならさ、いっそ清々しくて気持ち良いってなるくらいにキッパリ、一刀両断してやってくれないか?」


思いもよらない千羽の提案。驚愕する俺に、千羽は空を見上げてゆっくり補足した。


「妹尾っちは優しいからさ。きっと如何に傷付けないようにするか、ばっか考えてるでしょ? でもそれじゃ、かえって振られた側は苦しいんだよ。おれがそうだったから言えるんだ。吾妻ちゃんも優しくていい子だからさ、すっげーやんわりした断り方だった。振られたんだって気付くのに、しばらくかかったくらいにさ。そうわかった瞬間の絶望感は、過去最悪だったよ。おんなじ苦しみを、恋愛未経験だっていう吾妻ちゃんが受けたら、もうどうなるかなんて検討もつかねー。それに……」


俺の方へ視線を向き直した千羽が、鋭い視線で俺を見つめて続けた。


「失恋が後を引いて泣き続けてる吾妻ちゃんの姿なんて、絶対に見たくないんだよね」


頭に浮かんだのは、先ほどと同じような、苦しむ吾妻の姿。俺だってそんな彼女を見たくなんてない。しばし千羽と向き合い、俺はゆっくり頷いた。


「おれ、吾妻ちゃんのこと諦めてないから」


千羽は立ち上がり、頑張れと言うように俺の肩を叩いて店内へ戻って行った。

一人取り残された俺は、大きく溜息を吐く。良いのか悪いのかは別として、それがおそらく最善なんだと心に言い聞かせた。千羽の思いも依らない言葉で、心のわだかまりが少し和らいだ。もう一度吸う煙草は、しっかりと味を感じることが出来た。

会場に戻ると、あれほどバカ騒ぎしていたのに、その名残をまるで感じない。周囲を見渡すと、皆々しっかりといびきを立てて眠っていた。呆れ半分に息を吐くと、氷のぶつかる音が聞こえる。そこを見ると、千羽が水を飲んでいた。


「忘年会だってのに、みんなはしゃぎすぎてもう寝てやがる。二次会は行かねぇのかっての」


俺は千羽の言葉を聞きながら、傍に居た数名を起こしてみる。目を覚ました彼らは、途端に二次会だと言いだして、部長を探し始めた。


「ん……なんだ、もうみんな寝ていたのか」


間髪入れずに顔を出したのは部長だった。どうやら二次会の会場を予約していたようで、スマホがその手に握られている。先ほど起こしたメンツが我先にと部長に参加を進言すると、そのうるささに目を覚ましていくメンツがちらほらと。状況を説明してやると、彼らもまた、部長に詰め寄っていた。


「吾妻。起きろ、吾妻」


その様子を尻目に、同じように寝息を立てていた吾妻の体を揺すって起こすが、起きる気配が一向に無かった。俺は膝枕をして、上着を体にかけてやった。


「妹尾は行くか? どこか行っていたみたいだし、騒ぎ足りなくないか?」


そんな俺に部長が声を掛けてくれる。ありがたい提案だったが、あまりそういう気分ではないと返すと、どこか残念そうに口を尖らせ、部長はまだ目を覚ましていないメンバーの元へ歩いていった。


「んー……あれぇ、妹尾くんだぁ……」


部長を見送っていると聞こえた声。足元を見ると、まだ眠たそうに目元を擦り、小さく欠伸する吾妻が映った。


「二次会行くか?」


聞くと吾妻は、俺はどうなのかと聞き返してきたので行かないと告げる。すると、吾妻も気だるそうにしながら行かないと答えた。そして纏っていた俺の上着に気付くと、一瞬戸惑いを見せたが、すぐにその香りを嗅ぎ出した。


「妹尾くんの香りがする……」


そう言ってもう一度まどろみだしていたようなので、俺は上着を引っぺがして、吾妻の頭を撫でるように叩いた。彼女は名残惜しいのか跳ね起きて、上着を取り返そうとしてきた。


「じゃあこうだ!」


しばらく意地悪していると、痺れを切らしたように俺の体に抱き付く吾妻。それを押しのけてみると、不満そうに頬を膨らまして睨んできた。


「送って行ってやろうとでも思っていたけど、そんだけ元気ならやめるわ」


そこでこの手を使ってみると、吾妻は解りやすく青ざめて座り込んだ。冗談だと告げると、拗ねたように睨んできた。


「罰としてうちを駅じゃなくて家まで送って」


すると吾妻はそう言う。怒らせたことに変わりはないので受け入れると、周りが意味も無く茶化してきた。俺は軽くあしらっていたが、吾妻はどこかあたふたしたように抗議している。その様子を見ていると、やはり彼女はそうなんだなと、改めて思い返された。


「じゃあ、そろそろ二次会組は行くぞ」


部長が頃合いを見計らったように言うと、野次は見る見る内に彼女へついて店から立ち去っていく。変に疲れを感じながらも、俺は吾妻と二人で、荷物を持って店を後にした。

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