宴会の席
一瞬でも室内に入ってしまうと、再度外へ赴いた時のあまりの寒さに身震いが起きてしまう。ひんやりと冷たい風が吹き付けてくる。吾妻は、ミトン型の手袋で口元を覆い、自分の吐息の温かさを感じているようだ。淡いピンクのマフラーは風でたなびき、白のニット帽には細かな雪が纏わりついている。吾妻はこちらを一瞬見て俺を確認すると、ゆっくり言葉を紡いだ。
「実はさ、クリスマスの夜、千羽と二人でご飯食べてたんだ。あいつがしつこく行こう行こうって聞かなくて」
小さく笑みを零す吾妻。そしてうんと伸びをすると、だいぶ衝撃的なことを言ってきた。
「告白されたんだ、千羽に。好きだ、付き合ってくれーって」
俺はそれを聞いて、思わず彼女を見やる。吾妻は俺に目を合わせると、首を横に振って話を続ける。
「でも振ったよ。千羽は、ただの仕事仲間って感じだから。ふふ、驚いたでしょ?」
かがむようなポージングで微笑む吾妻。しかし、その声はあまり笑っていないような気がする。本人としても、面識の深い同僚に告白されて驚きもするだろうし、それを振るのにそれなりの勇気も必要だったはずだ。苦しい気持ちが強いのだろう。
「でね、今度はうちがその番だなって」
「は?」
そう思っていたのに、吾妻はそう言って俺をじっと見つめてきた。展開が不明すぎて困惑してしまう。しかし彼女は、それを説明することなく話を進めていく。
「妹尾くん。初詣に行こうよ。次の大晦日明けに」
俺は思わず硬直する。意味はちゃんと理解できている。だが、唐突なお誘いに頭が追い付いていないようだ。戸惑う俺に、吾妻はさらに詰め寄る。
「さっき駅前で待ち合わせたのも、本当はこのお願いを聞いてほしかったからなの。でも、話せなかったから。……一緒に行こう?」
ね、と吐息混じりに催促し、返答を待つ吾妻。頭の整理が間に合ってくると、別の意見が頭を過る。今の話を踏まえた上で彼女がそう言っているのなら、遠回しに、俺に告白をしたいから時間が欲しいと言っていることになる。それに気が付くと、何故だか不意にあの子の顔が脳裏に浮かんだ。
「ダメならいいんだ。っていうか、ダメだよね。妹尾くん忙しいっしょ? ほら、弟くんとかいるんだから、そっちと行くよね。うん、ごめん。変なこと聞いちゃった」
しばらく無言の俺に不安を抱いたのか、吾妻は取り繕うようにあれこれ言うと、店内へ戻ろうと歩き始めていた。俺は、彼女の腕を取り、それを差し止めていた。驚いた吾妻が、ほんのり顔を朱に染めて、上ずった声を上げた。
「弟は恋人と行く。俺は誰とも予定は無い」
そう言うと、吾妻はワンテンポ遅れて聞き返してくる。それに頷き、頭に響くあの子の声を振り切るように、吾妻に返事を出した。
「行くか。どうせなら」
吾妻は一気に表情を明るくして、俺に飛び掛かってきたが、足の痛みに耐えられずその場にしゃがんだ。患部を軽く撫でながら、俺は肩を貸した。
「ありがと……忘れないでよ?」
それでも初詣のことを気にする吾妻に頷いて、俺は店内へ入って行った。
会場に戻ると準備が終わっていて、それからすぐに参加のメンツが全員集まった。頃合いを見た部長が音頭を取ると、乾杯という掛け声と共に、冬にもかかわらずキンキンに冷やされたビールジョッキがぶつかり合う甲高い音が響き渡る。それを合図としたように、次々と料理が運ばれてきた。枝豆から始まり、ピザに鍋物、餃子に唐揚げ、さらには大皿の刺身盛り合わせなどと、あっという間に全ての席に料理が行き渡るが、並びきるより早く皿は片付いていく。見る限りでも20人近い人数の宴会に、店も慌ただしく対応してくれる。
俺はそんな様子を眺めながらも、酒はあまり進んでいなかった。どうにも気がかりになる、吾妻の件と、あの子へ伝えた最後の言葉。交錯する脳内は、複数の演算を一気に処理するコンピューターのようにはなり得ないものだと思う。
「妹尾っちまだ1杯目じゃん、飲め飲め~」
千羽がすでに酒臭い吐息を漏らしながら詰め寄ってくる。顔ごと押しのけてやるがのらりくらりとかわし、俺の肩を抱き寄せて語り出す。
「おまえは吾妻ちゃんの魅力をぉ、何にもわかっちゃいねぇ! いいか、まずあの子は天使だ。それを踏まえてよぉ~く聞けぇ!」
何をキーにしたのかわからないが、途端にそうやって、目の前にいる吾妻をこれでもかと言うくらいにべた褒めし、どさくさに紛れて手をかけようとする千羽。しかし怒った吾妻が千羽を罵倒する。こいつらは早速出来上がってきたんだなと、溜息が零れた。
「キモいんだよこのチャラ男―! うちにキスしようなんざ100万年早いわボケェ!」
「吾妻ちゃん俺のビッグボスを召し上がれ!」
「いらねーよんな粗末なモンはァ!」
「アッ――!」
ベルトを外してルパンダイブのような何かをしようとした千羽は、見事なI字キックで強襲されてその場で悶え苦しむ。見た限り吾妻は本気のようで、その光景に、ここに居る男性諸兄は肝を冷やした。しかし唯一吾妻を対面に見ていた俺は、彼女の大胆な攻撃に顔が熱くなるのを感じている。それは見事な黒だった。
「いっそ潰してやろうか?」
「吾妻、よせ。俺まで悪寒を感じる」
まるで飲む前と人格が違うように見える吾妻だが、彼女のような女性なら、おそらく青春時代はこんな口調だったのだろうと、最近になって悟ってきた。もちろん最初は驚いたが、今日を迎える以前も、幾度か酒を酌み交わしている以上は慣れてしまったものだ。
「えー。こいつのピンポン玉とかいらないんですけどー」
「そういう問題じゃねぇよ」
そんな光景、俺のゴルフボールですら激しい痛みを錯覚する。
俺は千羽を見下す吾妻に近寄り、これを羽交い絞めする。暴れるかと覚悟していたが、案外彼女は大人しかった。
「んみゃっ」
奇妙な声を上げた吾妻を、お構い無く壁際まで引きずり込む。座らせて拘束を解こうとすると、何故か吾妻は羽交い絞めしていた俺の腕を脇で押さえつけてきた。
「……もっと好きなトコ触ってもいいんだよ?」
急にしおらしい表情になった吾妻は俺の手首を掴むと、自身のソフトなボールへそれを導こうとしてきた。人間としての社会的地位を損なう寸でのところで、俺は彼女の手のひらを振り払って、その頬を気付けするように挟んだ。小さく悲鳴のような声を上げた吾妻は、恨めしそうに俺を睨んできた。
「意気地無し」
困惑する俺を尻目に、吾妻は自らビールをジョッキへ注ぎ、一気に飲み干す。すると今度は部長が吾妻を捕まえて、カラオケ機器の目の前へと連行する。少し話すと、途端に音楽が掛かりだし、気分の良くなった大人たちが盛大な拍手を送った。
「アイドル綾音ちゃん、歌いまーす!」
などと調子の良いことを言うと、高らかに歌いだした。歌声は綺麗なのだが、いかんせん酔っていて歌詞があやふやだ。だがそんなのを気にするメンツはもはやおらず、みんなで盛大に盛り上がっている。それに多少でも参加しておきながら、俺は軽く刺身を摘まむ。程良い脂が乗っていて甘くておいしい。
「ラブラブラブリー綾音ちゃーん!!」
目の前ではいつの間にか復活していた千羽が、謎の合いの手と共に見事なヲタ芸で盛り立てる。さすがにこのテンションにはついていけず、俺は部屋の隅で、水の入ったグラスを片手に落ち着いていた。




