サヨナラのための嘘
それからも星ちゃんの物欲は治まらず、あれこれと、どんどん物が増えていく。その度に俺と純也が交互に荷物を渡されるのだが、そろそろ俺たちの許容範囲が限界へと達しそうになってきた。それを見かねたのか、天宮さんがこっそり少し持ってくれたのだが、星ちゃんにすぐにバレると、また俺に荷物が戻ってきた。埒が明かないので彼女には、余計なことはしなくていいと伝えておいた。
「そろそろいい時間かしら?」
星ちゃんがスマホで時間を確認する。天宮さんが親切にも腕時計を見せてくれた時には、すでに時間は18時になろうとしていた。
「夕飯の買い物もしちゃいましょ」
星ちゃんは早速食料品売り場へ向かい始めたので、俺は彼女を呼び止めた。不思議そうにこちらを見つめてきた星ちゃんに、俺は今の手荷物のことを伝える。
「せめていったん、車に積もう?」
すると今思い出したかのような素振りを見せはしたが、星ちゃんは納得してくれた。一時的に車へ戻ってトランクへ物を積み込んでみると、それらは8割ほどを占拠するほどの量だった。それを見て呆然としたのは、お嬢様以外の全員だった。
「なんか、いつもより余計に買い込んだね」
冷や汗を流しながら困ったように呟く純也。おそらくしまえる場所があったかどうかに不安があるのだろう。しかし大体は星ちゃんの衣類や小物で、彼自身の物はわずか。俺はその辺りにはノータッチを貫いているので、適当に笑って誤魔化しておいた。
「えーっと……これと、これと、これと――」
そんな純也を他所に、星ちゃんは買った品物から何か物色をし始める。困惑しながら一連の作業を眺めていると、星ちゃんは紙袋を二つ、俺に突き出してこう言った。
「こっちが秀哉さんへのプレゼント。こっちは天宮さんに選んであげた服と小物よ」
「え、なに、これは車に積んじゃいけないの?」
素朴な疑問をぶつけてみれば、星ちゃんは呆れたように溜息を吐く。
「天宮さんをお家に返すのは秀哉さんの役目でしょ。だから、先に渡しておいて忘れないようにしたの」
そう言って彼女は俺に荷物を押し付け、トランクを閉じる。そして、耳打ちをしてきた。
「けじめはしっかりつけてください」
それはおそらく、出発前に話した事柄に対する意見なんだろう。星ちゃんは俺の胸を軽く拳で叩くと、純也と恋人繋ぎをしてまたショッピングモールへ歩いていく。それを見届けていた俺だが、心はどこか、上の空だった。
「どうか、しましたか?」
それに対して天宮さんが覗き込むように視界へ入り込んでくると、心配そうに訊ねてきた。俺はまた、適当に誤魔化して二人の後を追って行った。
夕食の買い物を終えた俺たちは、やはり星ちゃんの運転で自宅へ戻った。純也たちはこのまま夕食の用意を始めるつもりのようだ。俺は彼女を少し待たせ、部屋へ車のカギを取りに行くと、すぐに戻って自分の車に彼女を乗せ、走り出した。
帰り道で心を見極めた俺は、このことを切り出すためにはどうしたらいいのか、運転しながら考えた。しかしこれといった結論の出ないまま、気が付けばもうすぐ天宮さんの自宅となっていた。駐車場の一角に停車させると、天宮さんは荷物を手にする。だが、彼女は何故か車の外へ出ようとしなかった。
「あの……昨日から少しの間、ありがとうございました。その……楽しかったです」
柔らかな微笑みで小さく頭を下げる天宮さんに、俺はこちらこそと返事をする。そのための停止だったのかと思ったが、まだ彼女は出ようとしない。真意こそはわからないが、俺はここしかチャンスが無いだろうと思い、いったんエンジンを止め、ブレーキから足を下ろして彼女を呼んだ。
「天宮さん」
「はい……なんですか?」
俺がいつになく神妙な面持ちだからなのか、天宮さんは改まったように恐縮すると、少し表情を硬くする。その緊張した面持ちに、心が締め付けられるような錯覚を感じる。これから彼女に言うことは、決して嬉しいものでは無いから、良心がチクチク痛む。深呼吸をして、俺はゆっくりと、俺の意思を、俺の想いを告げた。
「俺たち……さ。もう、会うのはやめないか?」
彼女が手にしていた紙袋を手放す。いや、正確にはその言葉の衝撃から、手のひらから力が抜けたのだろう。そんな彼女にごめんと言えるはずもなく、冷たさを感じる言い回しになっていた。
「思ったんだ。俺たち……ほら、歳、離れているだろう? 天宮さんは大学生で、俺はただのサラリーマン。それなのにこうやって話すキッカケになったのは、事故。……事故なんて気持ちの良いものじゃない。俺は今でも罪悪感は忘れられないし、天宮さんもきっと、あの時の不自由さは不愉快だっただろう。そういうのって、心に残るんじゃないかなって思う。俺を見る度に思い出したりしてるなら……そんなの、苦しいだけだ」
建前なのだろうか。いや、これはれっきとした嘘だ。違う、本当の理由はそんなものでは無い。天宮さんの幸せを邪魔したくないだけなんだ。でも、それは彼女のトーク履歴から、事実盗み見たようなものであって、それを言えるわけがない。そして必死に考える嘘は、口の中の血の味のような、不愉快な気分だ。
「お互いに苦しむのはもうやめたいんだ。そうするには、会わないのが一番良い方法じゃないかって思ってさ」
バカバカしい。今の自分を首吊りにしてやりたい気持ちだ。それでも俺はこうする方法しか思いつかなかったんだ。どれだけ嫌な奴なんだろうか。こんな俺は一生許してくれなくていい。呪ってくれ。ごめん、天宮さん。ごめん、歌葉。俺は最低で、最悪で、傲慢で、身勝手で、愚かな男だ。
「連絡もしなくていい。もう縁を切ろう」
知り合って数ヶ月だったけど、今の俺にはもったいないくらいに良い子だった。こんな子と、友達のような関係になることが出来て、本当によかった。だから、もうサヨナラだ。
「せ、のお……さ……」
「行けよッ!」
何かを言おうとした彼女に向かって出た言葉は、精一杯の彼女への想いの表れであり、彼女への叱咤でもあった。
「ッ――!」
彼女は勢い良く扉を開けて、俺から逃げるように走り去っていった。助手席に残った紙袋が、異常なほどに彼女が居たという現実を突きつけていた。
「ごめん……っ」
まるでそれを引き留めていたピアノ線が、プツリと切れてしまったかのように、感情の全てが無数の大きな雫となって溢れ出て、次々零れ落ちていく。
「ごめ、ん。……ッく、――あぁぁぁぁぁッ!!」
けたたましいクラクションが外へ鳴り響いても今の俺にはまるで聞こえていなかった。強く、ひたすらに強く額を押し付け、やり場のない怒りは拳となって肘置きを乱打する。悲しみ、苦しみ、後悔、懺悔、怒り。すべてが俺を覆い尽くし、自責の念は一向に留まる事を知らなかった。




