星のセンス
国道を快調に飛ばしている黒のセダン。フロントには煌々と輝く、放射線状に広がる三本の線のラインが美しいエンブレム。言わずと知れた高級外車の室内は実に快適だ。運転席に座る彼女は軽やかにクラッチを切る。実に惚れ惚れする動作だ。俺の隣に座る女性はそれを興味深そうに見つめている。どこか落ち着かない様子だが、どうかしたのかと訊ねてみた。
「あ、いや……こ、こんな高い車に乗ったの初めてで……そ、それに、星さんが運転されるんだなぁと……」
「純也はまだ免許持ってないのよ」
信号で停車すると、運転席に座る星ちゃんはサングラスの脇から視線を覗かせそう言う。彼女がインパネに取り付けられたスマホを軽く触ると、流れていた楽曲がポップスからロックへ変わった。
「じ、時間が無くて」
「俺は短大行きながら取ったけどなぁ」
懐かしい思い出だ。あの頃はバイトと短大と自動車学校を纏めてこなしていられたが、今となってはとてもそんなことは出来ないだろう。
「ミッションなんですね……この車」
「そりゃ、外車でオートマはカッコ付かないでしょ?」
信号が青に変わると、車がゆっくり進みだす。そういうことをさらりと言ったのが20そこそこの女の子だと思うと感慨深い気もする。
純也が振り向いて、天宮さんに免許の有無を訊いてきた。
「一応持ってる……けど、あんまり乗らないの」
でも親が取りなさいって言うから、と苦笑しながら天宮さんは言葉を続けた。純也は未だ取っていないことに少し悲しい思いになったのか、小さく頷いて俯いた。星ちゃんが夏の短期でも受けたらと訊いたが、彼は渋って答えを出さなかった。
「根性無し」
「面目無いです」
拗ねたような口調で呟いた星ちゃんに申し訳なさそうに謝る純也。天宮さんが、そうまでして免許取得を進めるのは何故かと訊ねると、星ちゃんはしおらしいか細い声で、恥ずかしそうに答えた。
「彼の運転する車でドライブしたいもん」
聞いてるこっちが恥ずかしくなるような台詞に、俺と天宮さんはお互いに顔を背けた。たぶん彼女も、顔が熱くなっていることだろう。
「おい純也、嫁が甘えてるぞ」
「うぅ……そうまで言われちゃうと弱ったなぁ……」
からかってみると、純也は真剣に困っていた。星ちゃんほどの美人にそうやって言われたら、そうなるのも頷ける話だ。
「夏で取りなさいよ」
「んー……」
信号が赤になり、車が止まる。星ちゃんはクラッチを下げると、サングラスを外し、純也の両手を握り、おじさんはイチコロな上目遣いで究極の猫なで声を披露した。
「取って一緒に、ドライブしたいなぁ……」
「是非取らせていただきます」
瞬殺された純也はデレッデレに顔を綻ばせてそう答える。衝動的に言っていたようで、すぐに青ざめた表情をしていた。
「言ったわね?」
「やられた……」
小悪魔の微笑みで純也を見つめた星ちゃんに、彼は溜息混じりに頷いていた。
「じゃあ早いうちにメドを立てておかなくちゃあね」
「お金無いよ」
「それくらい出すわよ。むしろ車だって買ってあげてもいいくらい」
今の会話に星ちゃんの凄さが改めて垣間見える。さすがにお嬢様なだけはある。遠慮がちな純也だが、星ちゃんに見事に言いくるめられていた。
それからまもなく、いつの間にか立体駐車場に来ていたのか周囲が暗くなる。ある程度進むと星ちゃんはハザードを点灯させ、クラッチをバックギアに入れ、駐車行動に取りかかっていた。
駐車を終えて車を降りると、弟夫婦が先行してショッピングモールへ歩いていく。仲良く恋人繋ぎをして。天宮さんと、その様子を見守りながら苦笑していると、星ちゃんが彼女を呼び掛けてきた。早足で二人の元に向かう彼女を見送りながら、俺もゆっくりと歩を進めた。
「あ、これあんたに合いそうね」
「パスケースかぁ……そういえば、だいぶボロボロになってきてたなぁ」
まず向かった男性ものの財布や名刺入れと言った皮物の店を物色し、じゃあ買いね、と星ちゃんはシックで落ち着いた色合いのパスケースを大事そうに握る。それがあった、立てかけ什器の傍にある値段を確認すると、いきなり2万という数字を叩き出していた。しかし彼女のセンスはそれに留まらなかった。
「これはお父様にプレゼントしようかしら……。安いかな?」
「10万円……!?」
凡人の金銭感覚ではとても安いとは言えない値段のキーケース。天宮さんも驚きを隠せていなかった。しかし気にも留めない星ちゃんはあっさりと会計に向かい、一括クレジットで購入していた。
「純也よ」
「いつものことだから……あはは」
俺の言いたいことを悟った純也が苦笑いをしながら答える。確かに20歳で高級外車を乗りこなし、有無を言わせずバンバン買い物をしている彼女は、まるで自然体そのもの。純也から多少は聞いていたが、こうして実際の姿を見るのは初めてな気がする。
「次は天宮さんよ」
「え、いや、そんな、いいから……」
「遠慮しない!」
ノリに乗ってきた星ちゃんは、天宮さんの手を引いて次のお店に向かう。実に男が入りづらい、可愛らしい店構えのアパレルショップに入った二人、いや大体星ちゃんが突っ走っているのだが、商品を次々に物色していく。
あれこれと手に取ると、星ちゃんは天宮さんを連れて試着室へ飛び込んでいく。純也がその前で見送っていたが、途端に俺を連行し、自分はショップの外へ逃げて行った。
「あ、おいおまえ!」
声を掛けたが、純也は申し訳なさそうな表情で手を振っていた。何だか店員さんから異様に視線を感じる。フリルやフレア、プリーツといったあからさまに女の子の衣類に囲まれた空間で、俺は顔が熱くなるのを感じていた。
「ま、待って、こんな恰好恥ずかしい……」
「大丈夫よ、天宮さん。すっごく似合っているから」
星ちゃんが勢い良く試着室のカーテンを開放する。後姿を見せた天宮さんは、果たして冬物なのかと疑いたくなるほどに背中を開けた、長袖のトップスを纏って、清廉な白いロングのマキシスカートを穿いて、髪型もポニーテールになっている。彼女のホクロ一つない綺麗な背中やうなじに見惚れてしまった。
「ここに、これを合わせて……」
星ちゃんは柔らかいミントグリーンのポンチョコートをそっと天宮さんに着せ、硬直する彼女を力ずくで振り向かせた。真っ赤になった彼女は上目遣いでこっちを見てくる。これは間違いなく感想を求められているのだが、うまく言葉が出てこない。
「あ……え、えーっと……」
星ちゃんがすごい形相で俺を睨んでくる。冷や汗が尋常無く溢れ出てくるのだが、頭の整理が追い付かず、どもってしまう。
「……やっぱり、変ですもんね。こんなの、私じゃない……」
「いや、そんなことは無い!」
表情に翳を落とし、かすれそうな声で呟いたその言葉を、反射的に全否定していた。それを皮切りに、次々と言葉は生まれてきた。
「いつも少し落ち着いた装いだけど、その、髪型だって違うし、服がむしろ印象にピッタリで絶妙なんだ。それでいて、その、上着取ったらちょっとセクシーだし、それはそれでギャップがあって思わず二度見しちゃうくらいに似合ってて、だから、その……ああもう、言葉がわかんねぇ!」
それだけ言い切ると、天宮さんは驚いた表情をして涙を流していた。なんで泣いているのかと訊いてみたら、彼女はまるで今気が付いたかのように動揺し、小さく答えた。
「な、泣いてる? あ、ホント……やだ、ごめんなさい。違うんです、これは悲しいとかじゃなくて……その、あの、そんなに言ってもらえたのが初めてで、う、嬉しくて……」
しゃがみ込むと服を濡らさないように手のひらだけで顔面を多い、嗚咽する天宮さん。困惑が隠せないが、俺はとにかく、そんな姿をあんまり公衆に晒すのは気分が良くなかったから、ハンカチを差し出して、星ちゃんに合図してカーテンを閉めてもらった。室内で泣きじゃくる彼女が心配だったが、俺の出来る事が無い以上どうしようもないので、ゆっくり店舗の外へ出た。状況を把握できていない純也が心配そうに見つめてきたが、大丈夫だと伝えて二人を待つことにした。
「イケメンは違うなぁ~」
「羨ましいなー……あたしもあんな風に言われたいかも」
店員さんからそんな声が聞こえた。過大評価な上に俺は凡人のリーマンなんだ。やめてほしい気はする。
少し待つと試着室から出た星ちゃんがそのまま会計に臨んでいた。相変わらずのカード払いのようだ。お待たせ、と手を小さく振った星ちゃんは俺に買い物袋を持たせてきた。その後ろから恥ずかしそうにやってきた天宮さんは、俺と目が逢うとすぐに逸らしてしまう。
「つ、次行くか」
ちょっと落ち込んだ気持ちになったが、それではいけないと思いそう言って歩みを進めた。




