二人で過ごす初めての朝
ゆっくりと体を起こす。何か良い夢を見ていた気がするが忘れてしまった。それにしてもなんだか体が重いし、頭も痛い。
「そうか、俺昨日ビール……」
何か気がかりになる状態で、恥ずかしさを紛らわすために飲んでいた覚えはかすかにあるが、肝心な部分が抜けている。はっきりしているのは、この体調不良は紛れもなく二日酔いだということ。一気に3缶は肝臓が堪えたか。
「ん……?」
ベッドから抜けようとするが、何かに腕を引っ張られている。不思議に思って振り向くと、見覚えのある面立ちの女性が一人。
「……ん、女性?」
はっきりしない意識ながらに顔をその人に近付ける。小さく可愛らしい寝息を立てているのは、天宮さんだった。道理で見覚えがあるはずだ。
「なんだ天宮さん……天宮さん!?」
その瞬間にはっきりと思い出した。昨日うちのプチクリスマスパーティーに招いた彼女が電車に乗れなかったから、泊める形になっていたんだ。しかし謎なのは、何故彼女が俺と同じベッドで寝ているのかということ。俺は昨日、酒に任せて何かとんでもないことをしてしまったのかもしれない。そう思うだけで嫌な汗が止まらなくなる。
恐る恐る彼女を揺さぶって起こしてみる。ゆっくり瞳を開いた天宮さんは、小さくこう言う。
「ぁ……おはよ……もう朝……?」
頷くと彼女は静かに起き上がり、目元を擦る。前に伸びをしてこちらを見据えると、怪訝な表情で小首を傾げながら訊いてきた。
「どうか、しましたかぁ……?」
首元が緩み、やや開いた空間から、白く艶やかな、確かな膨らみが覗いている。視線を外して見ないようにするが、余計に嫌な汗は噴き零れる。
「く、首元が緩いんじゃないか、その服」
苦し紛れにそう言うと、天宮さんは首元を確認して服を少し上に上げる。しかしそのせいで突起がやや浮き彫りになった。これじゃまるで意味がない。
「な、なぁ」
「はい?」
「その……ふ、服の下って……」
天宮さんは不意に自分の胸部に視線を落とす。しかし焦ったり動揺することなく、平然な顔で答えてきた。
「寝る時にブラなんてしませんよ……ホック痛いし、擦れてケガするし」
あまりにも予想外な答えにこっちが動揺し、一瞬思考がそれを想像しそうになった。そんな風に直接言われたら心臓の鼓動が速くなってしまうに決まっている。
「妹尾さん」
「は、はいぃ!」
急に名前を呼ばれて声が上ずる。優しい微笑みを浮かべた彼女は、頬を赤く染めて訊いてきた。
「昨日の夜……何があったか、覚えてますか?」
俺は懸命に首を振り続ける。すると安堵からなのか溜息を吐いて、天宮さんは続けた。
「それならいいんです。誰にも内緒だから……」
いろんな意味を孕むことができそうな意味深な発言に、俺の緊張は余計に加速する。4つも年下の女の子に手を出してしまったのかという恐ろしい思考で頭がいっぱいになる。
「妹尾さんが思っているようなことは起きていないです。私がイタズラをしただけなので」
悪戯な微笑みでそう言った天宮さん。その真意はまったくもって謎だ。
「それよりも、今日もお仕事なんですよね?」
「あ、あぁ、そう、そうだった!」
予想外な出来事の連続で忘れていたが、こんなことをしている場合ではないんだ。そう思って慌てて立ち上がるが、激しい頭痛とめまいに襲われて座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
すぐに傍に来た天宮さんが背中をさすってくれる。気持ちは少し落ち着いたが、調子は戻りそうになかった。
「昨日久々に飲んだからさ……」
「とにかく一旦、転がってください。酷くならないように」
促されてベッドに転がる。頭がボーっとして、少し息が荒くなっている。熱にも似た感覚だ。
「お水、持ってきますね」
天宮さんはそう言って部屋を出た。変に彼女を意識しすぎて自分で招いたことだというのに、何とも情けない。
戻ってきた天宮さんからコップをもらう。少しずつ冷水を口にしていくと、もうろくしていた意識が平常に近付く。その間も彼女は優しく気遣ってくれていた。
「……? 何か、聞こえませんか?」
静寂の空間で彼女の声が部屋に響く。よく耳を澄ませてみるが、どうにも聞こえない。
「リビングの方から……。ちょっと、行ってきますね」
彼女がまた部屋を出る。すぐに戻ってくると、天宮さんは何か手に持っていた。そして、確かに聞き覚えのある音が聞こえてきた。
「あの……部長、さん? から、お電話みたいです」
手渡されたスマホ。部長の名前が表示されている。まだ始業の時間ではないから遅刻に関する電話ではないのはわかるのだが、それでも仕事関係以外では滅多に連絡を取らない部長からのコールは少し肌寒い思いになる。やや落ち込んだ気持ちで応答した。
「はい……妹尾です」
『あぁ、朝早くからすまない、一条だ。というか、やけに声が苦しそうだな。何かあったのか?』
痛いところを早速突かれて小さく声が出るが、慌てて見繕って、ちょっと喉を痛めたと言い訳を話した。しかし一条女史はそこまで興味がないのか軽く聞き流し、すぐに別の話題を振ってきた。
『今日なんだが、妹尾。おまえを有給扱いにしたいんだ。どうだ?』
「え? 俺なんかしました?」
まさか担当のリズムゲームの企画でミスがあったのだろうか。そういったいろいろな憶測が頭の中で巡る。ただでさえ寒気で冷や汗が出ているが、余計に多くなる。
『あぁ、いや、違う。むしろ妹尾には感謝したいくらいに企画は進んでいる。だからこそ、おまえに慰労の意を示したいんだ。まだリリースは当分先だろう。そして、今の進捗は本来、年明けに達成する手はずだった。ここまで順調に進めてくれたんだ。一日程度ではあるが、もう妹尾には年末休みに入ってもらおうと思ってな。何、今日の予定は私が代行する。悪い話ではないだろう?』
初めてのことではあるが、今の俺の体調を考えると好都合の話。部長直々に伝えてくれたということは、信憑性は極めて高い。ここは、甘えてもいいのかもしれない。
「本当にいいんすか?」
『私がキミを貶めているとでも?』
「滅相もない」
部長の声がやや冷たくなったのが恐ろしく、急いで否定する。すると、部長は小さく吹き出し、からかっただけと言ってきた。
『交渉成立だな。近い内に忘年会もある、ゆっくりしてくれ。今年一年、お疲れだった』
「はい、部長こそ。ちなみに日程は決まっているんっすか?」
『28日頃が、みんなの予定の合う限界だろう。今日最終的な話し合いはするから、決まり次第吾妻辺りにでも連絡させる。それではな』
最後に俺がお疲れ様ですと言って電話は切れた。思わぬ事態だったが、結果オーライと言ったところか。
「何か、あったのですか?」
やや心配そうに訊いてきた天宮さんに今の電話の内容を話す。すると彼女は俺の両手を取って、柔らかい微笑みでこう言った。
「やったじゃないですか! すごいですね、進捗が捗ったから休みにさせてもらえるなんて、妹尾さん、やっぱりエリートだ!」
上機嫌なその笑みに、どこか心が揺れ、照れ笑いしてしまう。
「二日酔いもバレずに済みますね」
「痛いところを……」
しかしそんなさりげない毒に照れより恥ずかしさが込み上げてくる。クスクスと悪戯に笑うと、天宮さんは今一度背中をさすってくれた。
「もう、大丈夫そうですか?」
それに頷いて答える。それにしても、今日の天宮さんはやけに機嫌が良いように窺える。こんなに笑顔な彼女を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「そうなると……朝ごはん、どうしましょうか」
立ち上がってそう訊いてくる天宮さんは、昨日の大雪など嘘のような朝の陽射しに照らされて、一層輝いているように見えた。言わば、天女のようだった。




