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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
恋人未満のクリスマスデイ
22/45

【陽菜視点】 止められない想い

静かな空間。本当に、聞こえる音は時計の針の動く音と、私たちの吐息。闇夜に浮かぶ数多のイルミネーションは緩やかな光で部屋に入り込み、彼を薄く照らす。彼の横顔に、何故だか鼓動が大きくなる。


「な、何か置いてないかなぁ……お、ビールあるじゃん」


何を思ったのか足早にソファから離れ、冷蔵庫を開いた彼は、わざとらしくそう言う。飲むかと問いかけてくる柔らかい微笑みに心が揺れる。

私はどこか気恥ずかしくなり、思わず言葉を出していた。


「あ……えっと、帰れないんだったら、シャワーとか浴びたいかなって……」


言ってから顔が火照る感覚を覚える。何とも図々しく、そして危機感のない提案をしてしまったのだろう。知り合って数ヶ月の男性の自宅でシャワーを浴びたいなど、節操の欠片も感じない。


「あ、あぁ、そうだよな。いいぞ、好きに使ってくれ」


彼は一体、どんな気持ちでそう言っているのだろうか。品の無い女と思わせてしまっただろうか。わからないからこそ怖い。

私は衝動的にリビングを飛び出した。彼が声を大きくして浴室の位置を教えてくれたので、飛び込むような形で入ると、一刻も早く頭を冷やしたい一心でやや無造作に服を脱ぎ捨ててシャワーを被った。凍えるような冷たさに鳥肌が立つけど、すぐに熱いお湯へ変わったそれを調節して、気持ちをゆっくりと落ち着かせていく。まず反省が頭を埋め尽くした。


「バカ……ほんと……バカ」


深く溜息を吐いて、浴室を見渡す。弟さんたちがしっかり掃除をしているのか、水垢ひとつない綺麗な側面。手に取りやすい位置に取り付けられた棚には二種類のシャンプーにコンディショナー、ボディーソープ。考えるまでも無くパステルカラーのノンシリコンシャンプーとコンディショナー、フローラル系のボディーソープは弟さんの彼女、結城さんの物だろう。お嬢様だと言っていたのはやはり真実で、見るからに良い品物なんだというのも察せる。

残りはもちろん、ご兄弟のそれ。安すぎず決して高いわけでもない無難な選択をしているみたいだけど、それが彼の香りなんだと思うと、どこか特別な物に見えてしまう。

そんな風に思ってしまうのは、そう。ちょっと前から何となくわかっていた。私は、きっと。だからこんなに心が高鳴り、温かくなる。彼の真っ直ぐな視線に、気高い姿勢に、凛々しい心に、嫌な過去を背負っていることに、すべてに心が惹かれている。きっと、初めて会った時に感じた不思議な気持ちは、すでにこの通りだったんだ。人間不信なんて、建前だったのかもしれない。でもあの人たちは嫌いだけど。


「けど、言ったってなんにもならない……」


彼は誠実な人だ。私のエゴは彼の妨げにしかならない。彼は25歳の社会人で、慕われている先輩であって、期待されているエリートであって。私のような根暗で生意気で傲慢な鉄仮面女が、大きな道を塞いではいけないんだ。彼に願うのは、私の大きな傷を、舐めて癒してもらうことだけ。心に入り込むのは愚の骨頂よ。

自問自答を繰り返す。しかし脱衣所の幕が動かされる音で、現実に引き戻された。


「せ、妹尾さん……?」


『あ、いや、違う、何かしに来たんじゃなくて、た、タオルを置いておこうと思って』


明らかな動揺を示して発されるおどおどした声に、私は思わず笑っていた。


「ありがとうございます」


『あ、う、うん……。じ、じゃあ、上がったら教えてくれ……』


上ずる彼の声にまた心が揺れる。どれだけ拒んでも拒むことができないくらいに、私の心は満たされていく。いつまでも葛藤したって、変わることが無さそうだ。


「……私は」


心にぐっと焼き付けた気持ち。これでいいの、これが私の答え。

結城さんのボディーソープを拝借して、全身を洗い流していく。多少ならシャンプーとコンディショナーも大丈夫だろうとそれも借りる。頭にかぶるシャワーと一緒に、余計な思考を流しきって、浴室を出た。

ふわふわなタオルでしっかりと水滴を拭き取り、脱ぎ捨てていた服を着なおす。置いてあったドライヤーで髪を乾かし、リビングに戻ると、ソファにだらしなくもたれかかり、静かに寝息を立てている彼が居た。どうやら変に飲んだみたいで、空いた第3のビールの缶が3つほど転がっていた。明日も仕事だと言っていた気がするけど、大丈夫なのかな。


「妹尾さん。こんなところで眠ったら風邪引きますよ」


体を揺すってみても彼はびくともしない。何度か試してみたけど無駄だった。しかし、そんな彼の無防備な寝顔が実に可愛らしくて、愛おしい。これが母性なのか、それとも別の何かなのかは知るよしもない。


「自分の家に上げておいて、先に寝るのはズルいですよ……」


彼がズルいから、私もズルくなってやる。雪降る街並みを横目に感じながら、私は彼の懐に入り込み、脱力している体を支える。そっと顔を近付けていくと、小さな寝息が少しづつかかってくる。優しく頬に左手を添えて、右手はしっかりした男性らしい肩へ引っ掛けるように乗せる。心臓の早鐘はいっそうに増す。そして、彼の柔らかい唇へ自分のそれを重ね合わせた。私のファーストキスは、ちょっぴり苦いビールの味だった。

起きてしまわないかドギマギしていたけど、彼は案の定深い夢の扉へ入っていたようだ。それを良しとし、その甘苦い接吻を10秒くらいした私は、ゆっくりと唇を離した。それでも愛おしさが溢れる一方で、思わず彼の体を抱き寄せていた。


「……ずっと傍に居て……なんて、聞こえていないでしょうね」


ごめんなさい。こんなに身勝手な女でごめんなさい。ダメだと解っていても止められないの。でももう言わない。あなたに恋することが出来ただけでいいの、それだけで。


「……さあ、風邪を引かない内に」


脱力した重たい彼の体を非力でも支えて、彼の部屋に向かう。正直どこが彼の部屋なのかははっきりしていない。勘で判断し、苦戦しながら開けた先の部屋は少し煙草の匂いがした。壁に取り付けられた竿にかかっているハンガーには、今日彼が来ていたコートが吊るされていて、それでここが当たりであることに気が付いた。

安堵の息を吐いて、ベッドに向かっている時、不意にバランスが崩れてしまった。


「きゃっ」


そのままベッドに飛び込む形で倒れ込むと、彼も私に覆いかぶさるように倒れてきた。肩を包み込まれているような錯覚を覚え、鼓動が速くなる。すぐに起き上がりたかったけど、彼を起こしてしまわないか気になってうまく動けない。そんな時、彼が小さく呟いた。


「どこにも行かない……」


驚いて大きな声を上げてしまった。彼を見ると、どうやら寝言だったようで、また寝息を立てていた。まるで私の告白に答えるかのような言葉に、心臓がはち切れてしまいそうだ。

彼の腕をそっと離して毛布を互いの体にかけて、手のひらを優しく握って瞳を閉じると次第と落ち着いてきて、私は夢の世界へと誘われて行った。

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