私のヒーロー
思えば私が周りから浮いていたのは小学生という肩書きを身に着けてからだった。学年が上がれば上がるほど周りは結束し、私は孤立していた。元々あまり多くを語る性格ではないから必然だったのかもしれない。そんな中、あの子と会ったのは小学5年生の春だった。
「ねぇ、返して!」
お母さんが、小学校に上がったからという理由で買ってくれたピンク色の筆箱。ボロボロになっても使い続けていたそれは、目の前でボール扱いされて宙を飛び交っている。口は開いていて、数回に一回中身が落下し、その衝撃で割れる鉛筆もあった。嫌で嫌でたまらなく、懇願しても返してもらえない。とうとう怒鳴っても大して迫力が無いせいか笑い飛ばされ、いっこうに戻ってくる気配がない。大切な筆箱は、ただでさえボロボロなのに拍車がかかって惨めな姿になりつつあった。そんな時、ヒーローは現れた。
「そらぁッ!」
助走込みで跳び上がったクラスメイトの女の子が、空中で筆箱をひったくると、その勢いのまま一人にかかと落としをキメて撃沈させた。着地の反動でひらりと舞うスカートの裾がすごくかっこよかった。
「アンタらしょーもないことしてんのね。だからバカにゃにょよ」
でもその甘噛みはすごく可愛かった。おかげで涙はすっかり治まり、小さな笑みが零れた。
「ッ~~!! は、はいこれ! 大事なものなんでしょ? ……にしてもボロボロね」
私の手元に返ってきた大事な筆箱はくたくたになり、傷だらけになっていた。それだけでまた涙が込み上げてきたけど、すぐに視界に入った文房具の数々を見てあっさり落ち着いてしまった。
「折れてたのはどうしようもないから、新しいのあげる。いっぱい持ってるから気にしないで」
照れ隠しなのかそっぽを向きながら差し出された物を受け取り、一言お礼を言うと、彼女はすぐに話を切り替えてきた。
「にしなまひろっていうの。あんたは?」
「え……あ、あまみやひな……」
まひろと名乗った少女は満面の笑みを浮かべ、手を差し伸べてくれた。私は半ば無意識に握手したけど、なんだか心は満たされる思いだった。
それからも彼女は私を気にかけてくれていた。少しの間一人で居ただけで何か無かったか訊いてくるくらいの、過保護さだった。でも私にとっては居心地が良く、彼女がいるなら他はどうだっていいと思えていたほど。それから嫌なことは少なくなっていった。
そういえば6年生の時の修学旅行でも、彼女には助けられていた。
「きゃっ!」
ただただ観光をしていただけなのに、いきなりスカートをめくられた。慌てて押さえて犯人を探しても、誰がやったのかまったく見当が付かない。ただ、かすかな石鹸の香りが漂っていた。
「なに?」
「す、スカート……めくられたの……」
様子が変だと思ったのか話しかけてきたマヒロちゃんに状況を話すと、彼女の目つきはヒーローの目つきになった。私は、彼女のその目つきが好きだった。しかしホッとしたのも束の間、今度はスカートを下ろされた。
「いやぁぁぁ!!」
「ちょっと男子は見ないで! 女子はヒナのカバー! 出てきなさいよ恥知らず!」
同じ班の子たちが親身になってかばってくれて、私はスカートを直すことに成功した。あまりにもいきなりすぎて、犯人がどこに逃げたのかもわからない。結局その時に犯人を見つけることは出来ず、旅館に着くまでこの手の嫌がらせは続いた。
その夜、もやもやと憤りが共存する心に頭を抱えながら、お手洗いに運んでいた足を部屋へ向けていた時。なんだか誰かに見られている気がして足を速めていると、目の前に誰かが立ちはだかった。
「あ、あのさ」
身構えそうになったけど、月明かりが差し込んで警戒心は薄れた。私に良くしてくれている男の子だったから。彼は小学生らしくない綺麗な顔つきで、さらに優しい性格なので人気があるけど、いったい何の用なのだろう。
「今日は、いろいろ大変だったみたいだね」
ちらちらとこちらを見てくるけど、その意図は全く読めない。二つ返事で返していると、彼はいきなり私の手を取ってじっと見つめてきた。
「あのさ! おれ……おれ、天宮が好き。可愛いし、静かで大人しいんだけど、でも笑うとキレイで、そのっ……一緒に居たいんだ」
それが好意からの告白であることに気付くのに、少し時間がかかった。初めて好きだと言われたのに、何故か私の心は沈んでいた。鼻腔に入る、かすかな香りがすべてを語っていたんだ。
「……お昼頃の嫌がらせ、全部キミだったんだ」
返事は無しにそう問い質すと、彼は慌てた様子で理由を話した。
「あ、あれは、違う! お、おれが天宮を好きだって知ってた他の奴らが、バツゲーム用意してまでやらせてきたんだ! 確かにやったのはおれかもしれないけど、それはおれの意思じゃ……」
「そういう人、一番サイテーだと思うんだ」
言い訳に被せるようにそう言い放ち、私はもう一度歩みを進める。
「ごめん! 本当に悪かった! だからせめて返事くらいはっ……」
「言わなくてもわかるでしょ?」
硬直した彼を軽蔑の眼で睨み、私は踵を返した。しかし間髪入れずに腕を取られ、私は床に押し倒されていた。
「返事聞くまであきらめないぞ」
彼は片手で私の腕を押さえつけ、パジャマを乱してくる。今までに感じたことのない恐怖におびえ、私の体は硬直し、声も上げられなかった。
「ヒナになにしてんのよッ!」
その時、一瞬で彼がいなくなり、私は解放された。揉め事の物音がする方に視線を向けると、マヒロが彼のマウントを取り、首を押さえつけていた。
「やめなさい!」
すぐに先生が割って入る。事情を説明すると、マヒロは一週間の謹慎、あの男の子は二ヶ月の停学処分になった。そう、この時のまーちゃんは、私にとってのヒーローであり、親友だった。中学に上がるまでは。




