相反する意思
「……妹尾さん」
不意に零れた彼の名前。トークアプリで彼のアカウントを表示する。あの時学校で見かけた女性と、もう一人の男の人と、楽しそうにお酒を酌み交わして笑い合っているその写真が印象深い。屈託のない真っ直ぐな笑顔は、見ているだけで心が洗われて行くような気がする。
昼間の食堂は人で溢れかえり、遠くからおばさんたちの声や、怒号が聞こえてくる。私は席で、黙々とサンドイッチを口にしていた。
「ひ~なっ」
私のスマホがさらわれる。振り返るとそこでは、まーちゃんがニヤニヤしながら私のスマホをいじっていた。口に咥えたアンパンが彼女の行儀の悪さを物語っている。私は慌ててスマホを取り返した。
「勝手に触らないでよっ!」
画面を見ると、トーク内容が映し出されており、私は顔が熱いのを感じながら彼女を睨みつけた。
「内容見てたわけじゃないから気にすんなって」
許せないと告げてスマホをしまうと、まーちゃんは頼み込むような姿勢で平謝りしてくる。これは彼女の癖だ。
「この前近くのコンビニで会っていたのはどんな人だったのかなってね~」
平謝りをシカトして席に着いた私に、鋭くその言葉は刺さった。さっきまで熱かった顔は、一気に寒気を覚えそうになるくらいに青ざめた。あれは誰にも見つからなかったはずだったのに、どうして知っているの。
「どれだけの付き合いだと思ってんのよ~。親友の色恋沙汰に興味が湧くのは当然だろ~? 今までそういった様子が全く見えなかったあんただから、なおさら」
肩を抱き、まーちゃんはそう言う。彼女はいつの間にかパックの抹茶ラテを吸っていた。
「あの人、なんか見覚えあるんだよね~。誰だっけ?」
「あなたには関係のないことでしょ!」
彼の正体を解って言ってることがまる判りで、思わず叫んでいた。辺りの視線が一気に集まる。
「……ちょっと、いい?」
まーちゃんは私の腕を引っ張って食堂を飛び出した。連れていかれたのは空き教室。席に腰をかけるよう促されてその通りにすると、まーちゃんはニヤリとほくそ笑んで問い質してきた。
「前の時からなーんかアヤシイと思ってたんだけど……まさかの収穫だわ。あの陽菜が、男と連絡取りあっているなんて。それも画面見て笑ってさ」
私が聞かないフリをして黙秘すると、また肩を抱かれて囁かれる。
「わかってるよね?」
その言葉に背筋が凍りつく。優しい囁きではなく、絶対零度の口撃。
「アンタにはもう男がいる。なのにその人と楽しそうに連絡し合っている。サイテーのやることだよ?」
言い返したかったけど言葉が出てこない。悔しいのに、こっちがふざけるなって言いたいのに、ダメみたい。まーちゃんに右手を握られ、恐ろしい視線を向けられる。
「根津くんはアンタのカ・レ・シ。みんなが周知の、唯一無二の事実」
それでも私は必至の力を振り絞って彼女を振りほどき、声を張り上げていた。
「あんな奴はこっちから願い下げよ! 私の何も知らないのに好き勝手言わないで!」
「陽菜……あんた、正気?」
彼女の今の視線はどんな感情だろう。きっと、憎悪か嫌悪だ。でも、私は抗う。睨み返してはいるけど、激しい動機に正直吐きそうだ。
「私は元から至って正気。あなたには何も関係ない。だからもうやめて」
そう言うとまーちゃんは笑顔になり、ゆっくり私に近づくと優しく手を取り、謝ってきた。でも私は答えなかった。
「変な話してごめん。お昼、食べよ?」
食べかけのサンドイッチとカップサラダが入った私の買い物袋が目の前に置かれる。私は一切彼女と口を利かず、黙々と残りを平らげた。
午後の講義が終わり、誰とも挨拶をしないまま教室を出てすぐに、私が一番会いたくない人物が視界に入る。気にせず歩みを進めていくが、その人は当たり前に近寄って気安く話しかけてくる。
「今日オレ暇なんだよ。どっか飯食べに行かないか?」
誰も聞いていないのにベラベラと口は動く。いくつかあった気がする問いに答えもしないで、私はひたすらに歩いた。ひたすらに、無のままで。
「……そーいや仁科から聞いたぞ、中学の頃とかの話」
不意に耳に入った言葉は、川をせき止めるダムのように頭に留まり、歩みも自然と止まっていた。これ見よがしに、あの人は私の前に立ちはだかり、叩き割りたくなるような銀縁メガネを動かし、その奥の瞳を私に集中させて口を動かし始めた。