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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
思わぬ再会
14/45

傷だらけの野良猫

15時に大学近くのコンビニで落ち合う約束だが、着いた時には多少の時間があったのでコンビニの中を見回る。最近出来たところなのか店員の呼びかけが拙く、商品も割と品薄になりつつあったのだが、何より一番驚いたのはイートインが設けられていることだった。さらにはレジ前にドーナツが並べられていたりと、いったいこの会社のコンビニはどこへ向かっているのか謎だ。


「お待たせしました」


若干挙動不審のようになっていたところにかけられた声。声の聞こえた方に顔を向けると、天宮さんがホットコーヒーを片手にそこに居た。


「あ、俺もコーヒー飲もう」


軽く挨拶してすぐ、ふと思ったので彼女をイートイン側に待機させて、コーヒーとドーナツを購入した。準備を整えて、彼女を車に案内した。


「……おやおやぁ?」


背後に突き立てられた視線に気付くことなく。


「これからどこへ向かうんですか?」


コンビニの駐車場で彼女を乗せたまま停まっていると厄介なことになりかねないので、少し道外れの車道に停車させる。買ったドーナツを頬張りながらスマホを繋いで流している音楽に耳を傾けていると、助手席の天宮さんが訊いてきた。


「友達のところに、ちょっとな。今日、そいつの記念日なんだ」


敢えて吐く嘘は、彼女ではなく、あいつへの罪悪感に苛まれた。本当のことを言うにはまだ早いからと理由付け、すぐそこまで来ている真実をコーヒーと一緒に飲み込んだ。


「お友達……。私、いない方がよかったですかね……?」


不安げな表情で訴えてくる彼女に、首を振って答える。


「むしろ喜ぶんじゃないか? 美人な子を連れてきたって」


冗談半分にそう言ったが、彼女は頬を朱に染めて視線を外してきた。俺もどうすればいいのかわからなくなり、何故か同じように視線を外し、雪が積もりゆく外を眺める。


「その……どんな方なんですか、その人って」


なんとなく気まずい雰囲気を天宮さんが破る。予想外な質問だったが、動揺を隠して俺は答えた。


「歌を歌うことが好きな奴なんだ。隙あらばいつも歌ってて、明るくて、笑顔が似合う子で……」


思い出される、あの無邪気な笑顔、俺を呼び掛ける声、手のひらの温もり。蘇る記憶のほとんどが温かく、繊細で、切ない。


「そっか……なら、早く会いに行かないとですね」


軽くはにかんだ彼女が言ったその言葉に、俺の心は締め付けられる。当然知っているはずもないのに、何故か天宮さんがあいつのことを知っているかのような錯覚を覚えた。

車を走らせて15分ほど。大きな公園の一角にある花屋で花束を購入して、雪化粧を飾った多くの石柱を視界に捉えながら、とある区画の傍らに車を停める。不思議そうな面持ちで俺を見つめる天宮さんは、もしかしたらすでに、俺の友人の居場所を察しているのかもしれない。

桶に水を貯え、小石の絨毯をしっかり踏みしめてたどり着いた1畳分もないであろう一角。積もった雪を素手で払いのけると、その瞬間に指の感覚が麻痺して、感じるのは柔らかな触り心地だけだった。


「ここ……」


「俺の友達が存在した証だよ」


天宮さんは口元を手のひらで押さえているが、きっと驚愕か、唖然か、戸惑いを感じているのだろう。


三枝(サエグサ) 歌葉(ウタハ)。……享年、17。彼女が俺の友達だ」


親御さんがしっかり管理しているようで、活けられた花束は真新しく、入れ替えをするのがもったいないくらいだった。名残惜しくも花を入れ替え、雪を退ける。横の墓標の、彼女の名前が刻まれた部分をひと撫ですると、なんだか、彼女にありがとうって言われたような錯覚を感じた。あの、無邪気な、屈託のない笑顔で。


「……歌葉に、挨拶してやってくれないか。いきなり知らない女の子が来たんだ、あいつも不思議がってるだろうからさ」


線香とロウソクを入れ替え、彼女の葬式の時から持っている数珠でお参りして、天宮さんにそうお願いした。ゆっくりと考えていた様子だったが、天宮さんは小さく頷いてくれた。数珠を渡し、その様子を見届けた。

振り返った天宮さんの瞳が潤んでいたような気がして、思わず訊ねていた。


「いえ……。理由はまだ聞いてないけど……なんだか、とても苦しかったのではないか、ずっと助けを呼んでいたのではないかと考えてしまって……」


頬に滴る雫を見ないように、視線を外す。きっと、彼女の胸の中に、共感する何かがあったのだろう。もし歌葉が生きていて、天宮さんと出会っていたら、良い友達になれていたのかもしれないな。


「歌葉……また来るよ」


墓石をゆっくりと撫でる。歌葉は今、はにかみながら手を振ってくれているに違いない。

車に戻り、一息吐いていると、ふと天宮さんが訊いてきた。


「歌葉さん……彼女は、何故17歳で命を?」


いずれは訊かれるだろうと、その質問の答えは用意していた。無論、嘘偽りのない真実を。


「結論から言えば……学校中から嗤われ者にされ、孤立し、自分で命を絶った」


天宮さんは瞳を閉じ、しっかりと聞き耳を立てていた。俺は構わず、続けていく。


「歌葉は当時の学年……いや、学校中でも飛び抜けていた容姿と、親しみやすい性格から、マドンナのような存在だったんだ。だから黙っていてもいろんな人が近付いてきて、常に歌葉の周りは明るく、笑顔に満ち溢れていた。でも、無論全員が歌葉を好んでいるはずが無く、一部の生徒からは煙たがられていたんだ」


俺が出会ったのは3年生になってからだったが、事態が大きく変わったのもちょうどその時期。まずは有りもしない噂の風当たりが強くなった。

『C組の三枝は男を食い漁っている。ご自慢の美貌で誘惑して、そのまま食い尽くす節操の欠片も無いビッチ』、そんなあまりにも大袈裟な噂は、彼女を深く知ろうとしなかった大半の生徒に影響を及ぼし、歌葉は居場所を無くしていった。俺はこの噂を広めた奴を知っていて、そいつの行いこそが噂そのものであったことに気付いていた。歌葉に真実を伝え、犯人を吊し上げてやろうとしたが、タイミングが悪すぎたのか、おまえこそが三枝に買われ、駒として使われているのだろうと疑われて敵視される始末。あまりの頭の悪さに呆れ果て、優先するのは弁解ではなく、卒業までの残りの時間を、彼女と共に生き続けることだと確信した。それからまもなく、同じ時間を過ごすことが多くなった俺たちはお互いを意識し合い……恋に、落ちた。


「それは何かを変える力にはならなかった。言葉の暴力はさらに勢いづいて、とうとう、物理的な暴力や、より明確な精神的暴力に発展したんだ。上履きの中に画鋲や虫の死骸が入れられているのは当たり前。机の中やカバンの中にアダルトグッズが敷き詰められ、元々入れてあった彼女の私物や教科書なんかは、泥や水、チョークに油性ペンで台無し。ケータイが掏られることも稀じゃなくてな。画像の捏造、番号やアドレスが流出されて酷い件数の悪戯電話に悪質なスパムメール……どれだけ言っても、言い切れないほどだ」


少しずつ壊れていく大切な女性。感情の起伏が激しくなり、口を開けば暴言や、救済を求める悲痛な叫び。とても見ていられるものじゃなかったが、それでも俺は歌葉を愛していた。常に彼女のそばに居て、強く抱きしめ続けていた。時にぶつかることもあったが、それでも共に歌い、笑い、愛し続けた。でもそれは、届かなかった。


「休みがちではあったがそれでも根気強く来ていた歌葉が、一週間も登校せず、俺とも接触しなくなった時があってさ。久々に登校してくれたと思ったら、授業にも参加しないで、屋上で歌い続けていたんだ。そしてその日の昼休みに、あいつは……」


『シュウくん、大好きだったよ』

歌葉の最期の言葉。それは時に悪夢となって俺を苦しめる。そうして誰も愛せないまま、今まで生きてきた。


「……そのまま動かないで」


助手席から身を乗り出し、天宮さんが顔を近づけてくる。わけもわからず硬直していたら、彼女はそっと、俺の頬をハンカチで拭いてくれていた。そうして気付く。


「泣いてたのか、俺……」


思えば目頭が熱い。視界もどこかかすみ、体が震えている。しかし俺の涙を拭う彼女もまた、瞳は潤み目は赤く、頬にひとつ、ふたつと雫が伝っている。


「私たちは……似てますね」


優しく呟いた天宮さんは、顔を背け嗚咽する。小刻みに震えている彼女の肩に、手を触れることは出来なかった。少しずつ治まってくると、彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私は……裏切られ、省かれ、騙され、しつこくまとわりつかれ……どんどん人が信じられなくなりました。妹尾さんの人を愛せないココロと、私の人を信じられないココロは、……似ています」


そして彼女は、その小さい手のひらで俺の手のひらを優しく包み込み、はにかみながらこう言った。


「どうでしょう。傷だらけの野良猫同士……傷の舐め合いでもしませんか? 今度、どこかへ一緒に行きましょう。ちょうどほら……もうすぐ、クリスマスですし」


「クリスマス……」


会社でも、誰かがそんな言葉を口にしていた気がした。俺は半ば反射的に、こう答えていた。


「そうだな……そうしよう」


天宮さんの満足げな輝いた笑顔に、俺はどこか嬉しい思いだった。初めて見た、彼女の本心の笑顔だと思ったからかもしれない。

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