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君がいるから  作者: 七瀬幸斗
思わぬ再会
12/45

会いたかった人

説明会初日が終わった。二週間という短い期間の中、ここまでクオリティを上げることが出来たのは、もはや奇跡に程近い。すべての内容を終えて三人で礼をした時に受けた拍手と、少しずつまばらになっていく生徒さんたちの多くがくれたお礼と、楽しかったという言葉は、きっとこれからも忘れられない。人目も憚らず、三人で小躍りしていた。

名残惜しさを覚えつつも会場を解体し、吾妻と二人で一服をしに外へ出た。


「ヤバい、やりきった感がハンパない。うちこのまま死んでもいいかも」


近くの自販機で購入した缶のミルクティーを、感極まってグイッと飲もうとした吾妻は、その熱さに身悶えていた。足をバタバタさせているが、拍子にチラチラと見えなくもないので軽く視線を逸らしておく。


「しぇのーきゅん……あちゅいの……」


涙目で訴えてくるが知らんぷりをして缶コーヒーを飲む。

大学という場所に入るのは実は初めてだ。そこでヒーヒー言いながら座り込んでいる吾妻や弟の純也たちとほとんど変わらない歳の子たちばかりだと言うのに、何故だか彼らは幼く映る。逆に吾妻は大人っぽく見えてしまう。一体何が、そこまで差を付けてしまうのだろうか。違いと言えば、吾妻はすでに社会人であり、純也は付き合い上社交界に出ることがあり、彼らはまだ一般の学生と言うところだが、それだけでこうも見た目の印象が変わってしまうものなのか、いまいちわからない。

吾妻に視線を向けていると、彼女は何か興味津々そうにこちらを見つめてくる。にやけた笑顔が実に腹立つ。


「妹尾くん、ダメだよ? そんなに見つめられたら……むふふ」


「下心や邪な感情は一切合切無いぞ」


「ちょっとぐらい興味持てー! これでもまだ乙女なんだぞー!」


乙女かどうかは別として、こいつに興味が湧くのはせいぜい性欲盛んなおっさんかチョロイだろうと考えるナンパ野郎くらいだと心の底から思った。そういや吾妻って男の気配を一切感じないけど、この先大丈夫なのかと、思わず口に出してしまった。


「ひぇっ!? お、おおおおお男くらいぃ? ひ、ひひひ、一人や二人くらい居るしぃ? ぜ、ぜぜ、全然この先安泰ですしぃ? おすしぃ?」


「とりあえず確定で男がいないことはわかったから日本語を話せ」


すでに顔が真っ赤な吾妻にそう言うと余計に真っ赤になって、まるで茹でダコのようだ。


「なによ、自分がイケメンだからって女の子に変な解答させてぇ! 悪かったわね一度も彼氏居たことのない処女でぇッ!」


「俺はイケメンじゃな……え?」


訊いてもいないし訊く気もなかった情報を手に入れてしまった。やらかしたことに気が付いた吾妻は、口を無意味に動かして明らかな動揺を見せた。


「……うち、今なんて?」


「……自分の経験人数を明かした」


そう言い返すと、吾妻は見る見る内に縮こまった。体が小刻みに震えている辺り、大変な羞恥心に駆られているのだろう。これ以上追い打ちをかけないようにどうすればいいか考えていると、強い風が吹けば真っ先にかっさらわれそうなほどの、か細い声が聞こえた気がした。


「あ……あの……」


振り返ると、そこに居たのはあまりにも予想外な人物で、開いた口が塞がらないと言うのはこういうことなのかと身を以て感じた。

俺の肩ほどもない背丈なのに存在感を感じるおさげに縛ったセミロングの栗毛と透き通った黒目の大きな瞳、寒さからか仄かな桜に色づいた頬を見栄えさせる透明感を覚える白い肌、かすかな音でも耳に入ってしまう透き通った声。どう見ても、彼女だった。


「なん、で……」


もう会えないと思っていた。会えるはずはないと思っていた。笑顔が似合い、羊羹が好きで、周りの環境に取り残された薄幸な境遇を持ち合わせたその女性は、間違いなく今目の前に居る彼女だ。俺の心は、歓喜と、困惑と、切なさと、驚愕と、その他様々な感情で埋め尽くされ、こんがらがっていた。


「ここ……私の通っている大学、です……」


彼女はゆっくりと言葉を紡ぎ、にっこりと微笑んで続ける。


「また……会えましたね」


また会えた。いや、また会ってしまった。どうすればいいのか見解が掴めず、俺は呆然とせざるを得なかった。


「だ、誰、この子?」


吾妻に揺さぶられ我に返った俺に投げかけられた、俺以上の困惑と戸惑いの質問。吾妻の瞳は、不安の色で染められているように窺えた。面倒な説明を省き、俺は結論だけ述べた。


「俺が事故でケガをさせてしまった子……だ」


吾妻の動揺はひどくなり、何度も俺と彼女を交互に見やる。仕舞いには指の運びがしどろもどろとなり、せわしなくなっている。言葉足らずで状況把握が困難だったかもしれないと思い、ゆっくり説明しようとするが、吾妻は混乱して聞く耳持てていなかった。


「え、え、ちょっと待って。妹尾くんが事故した時に巻き添えくらったっていう子がここに居て、今その二人がバッタリ遭遇して、この気まずい空気で……ま、まさか裁判沙汰の修羅場に丸腰で放られてる!? 慰謝料とかそう言う生々しい話ボッパツ的な状況!? は? えぇぇ!?」


混乱する方向が斜め上過ぎて、説明しようとしていた時間がとんでもなく無駄だったと思えてくる。どうすればいいのかさっぱりわからん。


「妹尾さんは私が退院するまでずっと面倒を見てくださっただけです。お金の話はとうに拒否しました」


「検察に責められ続けて高額の慰謝料請求された妹尾くんがクビになってうちの癒しがいなくなってあぁぁぁぁ……え、拒否した?」


随分長い前置きをして我に返った吾妻は、何故か鬼の形相で俺の眼前にやってきてこう言った。


「まさか生娘を買春してイヤラシイことして口止めしたの?」


「なんでそこまで話が無重力飛行してんだよ」


「痛い痛いグリグリ禁止ぃぃ……」


顎をしっかりホールドしてゲンコツを押し付ける。慈悲はない。

飽きたところで吾妻を解放すると、鬼だの甲斐性無しだのDTだのと罵られたのでデコピンで黙らせた。DTなどと処女に言われたくはない。そんなものは高校の時に捨てた。


「仲、良いんですね」


「同期だからな」


小さく笑う彼女の姿を見て、なんだか気持ちが安らいだ。


「さっきの説明会、参加させていただきました。とても面白くて……参考になりました」


彼女のその言葉に、俺は吾妻と目を合わせてガッツポーズをした。

それを微笑ましそうに見ている天宮さんへ、ふと思い出したあの男のことを訊ねてみた。


「……同じ学校なんですよ。でも、それだけです。私にとってはどうでもいいこと……」


彼女は表情に影を落として憂鬱そうに言った。それ以上訊くわけにもいかず、少しの間静寂が訪れた。それを打ち破ったのも、彼女だった。


「こんな話はよしましょう。何のメリットにもならないから。……それよりも、あの、妹尾さん?」


小首を傾げてこちらを見てくる天宮さん。どこか気恥ずかしそうな表情だ。


「その……えっと。ら……LINEのアカウント、持ってますか?」


スマホをこちらに差し出して彼女はそう言った。QRコードが画面に映っているのを見た俺は、すぐにコードリーダーを起動させてそれを読み込んだ。雛というアカウント名が画面に映し出された。それを見せると彼女は大きく頷いた。


「登録、しておいたよ。カタカナでシューヤが俺」


天宮さんは即座に一覧を開き、俺のアカウントを探し出した。こちらも確認を催促されたので頷いて答えた。


「なーんか……ラブコメの波動を感じる」


吾妻が俺たちの間に割って入り、膨れっ面でそう言う。何か悪いことをしたのかと問うてみれば、余計にふて腐れてそっぽを向かれた。


「今度メッセージ送ってみますね。それじゃ……」


踵を返した彼女に、どこか名残惜しさを感じた俺は、思わず呼び止めていた。


「いつも何で帰っているんだ?」


そう訊くと天宮さんはバスだと答えた。せっかくだから、送ってもいいと告げてみると、彼女はあたふたした様子でこう言った


「いえ、そんな、悪いですよ」


「いいよ。時間だって遅くなってるし」


まもなく19時を迎えようとしている冬に変わりゆこうとしている外の空気は、ひんやりと冷たかった。


「せっかくだし、いいじゃん。妹尾くんの車の中、すっごい快適だから」


さっきまで、俺に対してつっけんどんな態度だった吾妻が天宮さんの腕を引っ張る。彼女は観念したのか、小さく息を吐いて答えた。


「わ、わかりました……お願いします」


「もちろんうちも乗せてよね?」


どうやらそれが狙いだったようだ。悪い表情をした吾妻に思わず溜息が出たが、仕方なく承諾した。

今回は荷物が多く、彼女に助手席を薦めたがやんわりと断られ、結局狭い後部座席で落ち着いた。初めて乗る人が居る際は煙草を吸わないようにしている俺は、吸いたい衝動と戦いながら運転していた。指定された住所が近づいてくる中、吾妻との会話に彼女を混ぜようと呼び掛けたが、返答が無かった。


「あの子、寝てるみたい。初めて乗る車で寝られるって、あの子がすごいのかこの車が快適すぎるのかどっちなの」


信号待ちをしている時に後ろを振り返ると、小さな寝息を立て、穏やかな表情で脱力している天宮さんを見ることができた。吾妻と二人で、寝顔が可愛いと微笑ましい思いになっていると、吾妻は不意にこう訊いてきた。


「煙草、吸わないの?」


「初めての人を乗せる時は吸わないようにしているんだよ。苦手かもわからないだろ?」


そう言うと、吾妻はどこか不満げに小さく呟いた。


「煙草吸ってるとこ、カッコいいと思うんだけどな」


しっかり耳に入った呟きだったが、俺は聞かぬフリをしてハンドルをきる。その真の意図は汲み取れないが、吾妻の口からは聞き慣れないフレーズに困惑しているのは確かだ。

ナビゲーションが案内の音声をやめたことに気が付きエンジンを切ると、そこは4階層ほどの小規模なマンションだった。運転席から身を乗り出し、天宮さんの体を揺さぶると、彼女は小さく反応して瞳を開き、辺りを見渡して状況を把握したようだった。


「あ……もう、着いてしまったんですね。ごめんなさい、初めて乗せていただいたのに、寝てたみたい……」


「寝顔可愛かったよ。良い目の保養になった」


吾妻が何故か低音でそう言う。俺の心境を勝手に解釈してアテてきたようだが、俺は出しゃばるなと額を小突いた。


「は、恥ずかしいところを見せてしまいましたね……。あ、あの、今日は本当にありがとうございました。こうして送っていただけるなんて……」


「それは俺の提案だから気にしないで。じゃ……また、いつか」


「あっ、あの、事故には気を付けて……。ま、また、いつか……れ、連絡しますので!」


何度も何度もお辞儀をする彼女に手を振り、車を進めていった。ルームミラーにはその姿が見えなくなるまで手を振り続ける彼女が映っていて、本当に礼儀が良く、とても人間不信だなんて思えないなと思った。


「いい子だね……あの子」


「あぁ……今まで会ったことのないタイプだよ、天宮さんは」


ようやく煙草にありつけるのがすごく嬉しいのだが、なんだか彼女に失礼な気がしてしまう。


「……なんかさ。妹尾くん……楽しそうだったね」


「そうだったか?」


意図したものでは無かったが、そう映っていたのだろうか。でも実際彼女といる時間はなんだか心地が良く、楽しんでいたかもしれない。


「悔しいなぁ……あ、でも」


一瞬を盗んで吾妻を見やると、彼女は組んだ手に顎を乗せ、はにかんでいた。その姿はとても艶やかなものだった。


「こうやって煙草吸ってる妹尾くんを、あの子は知らないもんね」


もう一度一瞬吾妻を見ると、とても満足そうだが、どこか切なげな、何とも言えない表情だった。夜の街道は車通りが少なく、吾妻を送り届けるまでの時間がいつもより長く感じていた。

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