宣戦布告?
終業時間が過ぎ、オフィスも人の気がだいぶ少なくなった。煙草を吸いに出ていたが、戻ってみればこの有様。しかし、俺たちのチームデスクでは千羽と吾妻がまだ作業を行っていた。
「おまえら、帰らなくていいのか?」
そう声をかけると、千羽は無言で片手を挙げてサインを出す。一方の吾妻はこちらへ寄ってこう言ってきた。
「この作業は今日の内に終わらせないと、時間ないじゃん。だから、ね?」
彼女はやけに腕に密着させてくると、そのまま俺を引っ張って自分の席に座らせてきた。
「どうどう? いい感じに出来てると思わない?」
彼女に頼んだのは広報と女性視点での説明。先に部長からもらった資料には女子校の名前もあったので、彼女がいないと話にならないというわけだ。
吾妻はデザインイメージがとても秀逸で、最近出したアプリの美術監督も任されているほどのお墨付きだ。そんな彼女が、午後のほんの4時間程度の短い時間で作り上げたイメージが映されたモニターに、思わず釘付けになった。
「これは……予想よりもクオリティが高いな……」
「マジで? どれどれ?」
俺の呟きに反応した千羽が、イスのまま近寄ってくるが、吾妻はそれを弾き返してあらぬ方向へ彼を突き飛ばした。壁に衝突した千羽は頭を打ったのか、頭を抱えて悶絶していた。
「乙女のヒミツを覗こうなんて100年早いわ!」
「何で妹尾っちはオッケーなんだよぉぉぉッ」
正直俺も、チームリーダーとは言え優遇される理由は検討も付かない。何やら本人はニコニコしているが、それが余計に混乱させてくる。
「そんなことより、修正する箇所はある?」
「強いて言うなら、ロゴの大きさかな。もう少し細い線にして、その分カラーリングを、背景色との相乗効果でより目立つものにする、って感じ」
「うんうん……つまりこういうことだ」
吾妻が俺の前に体をねじ込ませて修正を始める。ほんのりと香るフローラル系の匂いに、少し緊張する。
「これでオッケー?」
「……ん? あ、あぁ。そうだな、これでいい」
その香りに思考が止まってしまっていた。吾妻は鋭く、何か怪訝な眼差しで俺を見つめていた。
「今ちょっと反応遅れたね。……疲れてる?」
「かもな……せっかくだし、この辺りで今日はやめようか」
本当のことを察されないように誤魔化すと、千羽が元気に手を挙げた。
「はいはーい! おれも丁度終わったとこでーっす」
パソコンをシャットダウンさせると、俺たちはオフィスのカギを閉めて受付に返し、冷え込みが増してきた秋の夜を感じながら駐車場へ向かった。
どうやら普段バス通勤の吾妻は、俺たち車通勤組に送ってもらう気満々なのか付いてきている。俺の、あの時の傷跡が残る車を見つけると、彼女は物珍しそうにそれを眺めた。
「うわ、ひどい傷。こんなになってたんだ?」
元々新車でなければ、それなりに走っている中古物を買っただけだから問題はないと告げると、吾妻は興味が薄そうに頷く。早速乗って帰ろうとロックを解くと、我先にと吾妻が助手席に乗り込んだ。俺の車で帰るつもりだったのかこの小娘。
「元からこのつもりだったな?」
そう訊くと、彼女は悪戯好きの悪ガキよろしく満面の笑みを見せると、こう言った。
「あっちの車うるさいもん」
さりげない毒を吐いたら、スマホを取り出して触り始めた。見かけと性格に依らずうるさいところがあまり好きじゃないのは本当に珍しく思う。
仕方ないから運転席に入ろうとすると、千羽が俺を呼び掛けて手招いてきた。開きかけたドアを閉じて彼の元に寄ると、千羽は肩を組んできた。
「妹尾っちばかり優遇されてるのツラい」
「俺に言うな」
何故こいつがわざわざそう言ってきたのか見当も付かない。だが、何か意味はあるものだというのは感じた。
「おれ、負けないからな。妹尾っちには絶対」
「はぁ? 営業の話ならとっくにおまえが本社1位じゃねーかよ」
そう言ってみるが、千羽は溜息を吐いてきた。バカにされた気はしないが、それでもなんだか頭に来るものがあった。
「……あのさ妹尾っち。あの子のこと、ぶっちゃけどう思っているワケ?」
いつもヘラヘラしている千羽が、珍しく真剣な眼差しで訊ねてきた。その本意は汲み取れない。
「あの子?」
「言わせんな、吾妻ちゃんだよ。うちの部署のきらきら星」
チラリと彼女を見やる千羽の視線に俺のそれが釣られる。当の本人はゲームに夢中なのか見向きもしなかった。
うちの部署のきらきら星なのかは置いておくとして、彼女のことをどうと言われても、俺には似た前例がいるため、思うことはひとつだけだった。
「……妹、みたいな?」
「あー、そうきましたか……。わかった。呼び止めて悪かったな妹尾っち。安全運転で送ってやれよ」
千羽はそう言うと、俺の肩を軽く叩いてから運転席に入り、そのまま挨拶をして去って行った。
あいつの質問の意図はさっぱり意味が解らないが、何だか解ってしまってはマズい気がするのでそっとしておくことに決め、俺も運転席に乗り込む。
「何話してたの?」
エンジンを掛けると、吾妻が問いかけてきた。何とも言えないことだったので適当に流しておき、俺はアクセルを踏み、車を動かした。




