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婚約破棄に対して、正論と正拳で殴り続けた結果

作者: はむばね
掲載日:2026/08/11

「ターニア嬢、貴姉との婚約を解消とする!」


 ウェーブがかった金髪の美丈夫は、傲慢さを隠そうともせず言い放った。


 彼の名は、アルーラ。

 近しい者からは、アルと呼ばれることが多い。


 アウストラリス王家の嫡男、つまりこの国の第一王子である。


「まぁ」


 対する少女はボレアリス公爵家の一人娘、ターニア。


 切れ長の眼が今は少し見開かれ、その中心で碧い瞳がサファイアのように輝いている。

 アルと同じ金色の髪と併せて、この瞳の色も王家の血に連なる者の証だった。


 ボレアリス公爵家は先々代の王弟が興した家なので、ターニアとアルは再従兄妹の関係に当たる。


 生まれた年は同じで、共に現在十六歳である。


「理由を、伺っても?」


 桜色の小さな唇を手で覆い、ターニアは小さく首を傾けた。


「貴様が、彼女を虐げたからだ!」


 彼女、と言いながらアルは傍らの女性を抱き寄せる。


 歳の頃は、ターニアと同じくらい。


 ピンクブロンドの髪は肩口で切り揃えられ、活発そうな印象を受けた。


 愛らしいと称して差し支えないだろう顔立ちは露骨なまでに恐怖を形作っていたが、その目にはどこか嗜虐的な色が見て取れる。


「その方は?」


「まぁっ、ひどい! あれだけのことをしておきながら、知らんぷりするっていうの!?」


 ターニアが問いを重ねると、今度はその目を真ん丸に開いて見せた。


「私を罵倒するだけに飽き足らず、教科書を破ったり、ドレスを切り裂いたり、挙げ句に毒を盛るわ、さっきは階段から突き落としまでしたっていうのに!」


 見開いた目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。


「……一応尋ねますけれど、わたくしがやったという証拠はございまして?」


「この傷が、何よりの証拠よ!」


「……?」


 ドレスの裾を捲って足首に巻かれた包帯を見せる少女に、ターニアは困惑の視線を向けた。


「それは、貴女……えーと、お名前は?」


「名前さえ忘れたフリなの!?」


「ターニア、グレーズに失礼だろう!」


「あぁはい、グレーズさん」


 激昂する男女の熱量と対照的に、ターニアの口調は冷めたものである。


 なお、フリでも何でもなくターニアはグレーズの名を覚えていなかった。


 それなりに目立つ容姿……何より男性に囲まれる姿がチラチラ視界に入っていたので、自身と同じく学院の生徒なのだろう程度には認識していたが。


「それは貴女が怪我をしているという証明にはなるかもしれませんけれど、わたくしがやったという証左にはならないでしょう? それと……淑女たるもの、あまり軽々しくお御足をお見せするものではございませんわ」


「っ……!」


 ターニアの指摘に、グレーズは頬を赤くしてドレスを掴む手を離した。


「も、目撃者だっているんだから!」


 次いで、ターニアを睨めつけながら指を突き出す。


「あぁ、その通りだ!」


「俺たちが見たぞ!」


「ターニア様が、グレーズを突き落とすところをな!」


 同時に、そんなことを言いながらグレーズの横に三人の男が並び立った。

 服装からして、男爵位といったところか。


 そんな彼らに目を向けた後、ターニアは素早く顔を逸らす。


「……んぶふっ」


 ほぼ同時に、口からそんな音が漏れ出した。


『……?』


 ターニア以外の面々は、その様を不思議そうに見つめている。


「失礼、あまりに典型的な小物の振る舞いだったもので……いえ、何でも」


 顔を正面に戻したターニアは、微笑みを形作る自身の唇をさり気なく手で覆い隠した。


 言葉の前半は小声だったため、他の面々には届かなかったようだ。


「では階段から突き落としたという件については、一旦それを証拠としておきましょう。それで、他の件については?」


「普段から黒魔術に傾倒している貴様のことだ、何をしていてもおかしくはないだろう!」


『そうだそうだ!』


「……んぼふぉっ」


 男性陣から糾弾されたターニアが、再び顔を背けて吹き出す。


「……失礼」


 正面に戻した顔には、涼しい顔が張り付いてはいたが。

 その唇の端は、ピクピクと微妙に動いていた。


「念のため確認なのですが……皆様、喜劇の練習中ということはございませんのよね?」


『はぁ……?』


 脈絡がないように聞こえたのか、ターニア以外の面々が眉根を寄せる。


「と、とにかく!」


 一つ咳払いを挟んだ後、アルが再びターニアに向けて指を突き出した。


「ターニア・ボレアリス、貴様を断罪する!」


「なるほど?」


 仮にも一国の王子から断罪されているにも拘らず、その対象たる少女はいかにも他人事といった調子である。


「諸々、気になる前提はございますが……差し当たり、どういった『求刑』内容でして?」


「む……」


 具体的には考えていなかったのか、アルは眉根を寄せてしばし沈黙を挟んだ。


「まずは、グレーズへの謝罪だ!」


 それから、改めてターニアを睨みつける。


「ふむ」


 顎に指を当て、今度はターニアが考える仕草。


「……何についての謝罪なんですの?」


 次いで小首を傾けながら、心からの疑問と共に尋ねて返した。


「この期に及んで、白を切るつもりか!」


 結果、王子の怒りに油を注いでしまったようだ。


 なるほど確かに、表面上だけを見れば『己の悪事に知らぬ存ぜぬを通す悪女』のように見えるのかもしれない。


 ターニアは、改めて軽く周囲に視線を走らせてみた。


 現在は昼休み。

 学院の中庭には、多くの生徒が野次馬として屯している。


「グレーズに危害を加えたことを、すぐに謝罪するんだ!」


「私、凄く傷付いたんだから!」


 このように民衆の前で公爵令嬢を悪しざまに罵るなど、普通に考えれば正気の沙汰とは思えない。


 よほど腹に据えかねることがあり、万全の下準備を持ってこの場に臨んでいるのだろう。


 それならまずはその全容を把握しようと、ターニアは先程から言葉少なに状況を静観している形なのだが。


「大体、貴様のことは前から気に食わなかったんだ! 普段から魔法に傾倒するばかりで人と禄に交友関係さえ結ばない、その公爵令嬢に相応しくない振る舞いも!」


「そうよ、公爵令嬢のくせに『魔女』だなんて呼ばれちゃって!」


 どうにも、感情論がぶちまけられるばかりである。


「……まぁ、その辺りは一旦置いておくと致しまして」


『まぁその辺りは一旦置いておくと致しまして!?』


 流石にそろそろ飽きてきたのもあってターニアから話を進めようとすると、なぜだか二人して目を丸くされた。


「先程、婚約を破棄すると聞こえたように記憶しているのですが……それも『断罪』の一環という認識でよろしくて?」


「あ、あぁ、そうだとも!」


 気勢を削がれた様子ながらも、アルは大きく頷いて返してくる。


「僕は貴様との婚約を解消し、このグレーズと改めて婚約するのだ!」


 堂々たる宣言に、隣のグレーズはわざとらしく照れた表情で頬に手を当てていた。


 が、そんな様はほとんどターニアの視界には入っていない。


「ということは、陛下もご了承されているのですよね?」


「父上は関係ない!」


「……は?」


 ここでも、ターニアは困惑に彩られることとなった。


 当たり前だが、王家と公爵家の婚姻に現国王の意思が関係していないわけがないのだから。


 というかこの場合、どちらかと言えば当人同士の意思の方が関係ないと言えよう。


「咎人との婚約など、いずれにせよ解消されるに決まっているのだから!」


「あぁ、なるほど?」


 それは確かに、と今度はターニアも頷いた。


 片方に相応の瑕疵(・・・・・)が発生したならば、一方的な婚約破棄も妥当なものと見なされるだろう。


「それでは、改めて本題に戻りますけれど……わたくしの咎とは?」


「は、はぁっ?」


 特に気負いもなく問い返すと、アルは「何言ってんだコイツ?」とばかりに素っ頓狂な声を上げた。


「だから、グレーズを傷付けたと……!」


「……? 先程、その件については一旦置いておきましょうと申し上げたはずですが」


「う、うん???」


「?」


 互いに疑問の表情を浮かべ合うという、不毛な瞬間が発生する。


「わたくしたちの婚約解消となれば、国の今後に関わること。まずは、それを第一に話し合うべきでしょう?」


「さっきからずっとそれについて話しているが!?」


「そのお言葉とは裏腹に、先程から関係のないことしかおっしゃらないので……ほら、そちらの女性がどうとか」


「だーかーらー! それが貴様の咎だって言ってんの!」


 だいぶアルの口調が砕けてきた。


 もしかすると、ごく親しい相手には普段からこのように話しているのかもしれない……などと、あまり関係ないことをターニアが考える傍ら。


「っ……! そういうことでしたのっ?」


 ターニアの脳裏に、ふと天啓が走る。


「大変失礼致しました」


 それから、改めて……あるいは初めて、グレーズと正面から向き合った。


「わ、わかればいいのよ?」


 突然態度が変わったことに戸惑いが隠せない様子で、しかしグレーズは精一杯の虚勢という感じで胸を張る。


「わたくし、寡聞して存じ上げず申し訳ございません……グレーズ様は、いずれの国の王家の御血筋にあらせられますの?」


「は、はぁっ!?」


 かと思えば、続くターニアの言葉に青筋を立てた。


「私が平民だからって、そんな風にバカにしなくてもいいでしょ……!」


「……?」


 そして、今度はまたターニアが困惑に彩られる番である。


「貴女は、平民でいらっしゃる?」


 字面だけ見れば完全に煽りであるが、ターニアにそのような意図はなかった。


「そうですけど!? 父も平民で母も平民、三代遡っても貴族のきの字も入っていないド平民ですけど何か!?」


「何か、というか……では仮に、わたくしが本当に彼女を傷付けていたとして」


 ターニアにそのような覚えはないが、この際そんなことはどうでも(・・・・・・・・・・)いい(・・)


「それが、どうわたくしの咎になるのですか?」


「ど、どうって……人を傷付けることが、咎でなくて何だと言うんだ!?」


何でもございませんが(・・・・・・・・・・)?」


 答えるターニアには、微塵の揺るぎもない。


「公爵家に連なるわたくしが、貴族の血を持たぬ者を傷付けたとて何の罰則を受けることもありません」


「平民を差別する気か!? やはり貴様は……!」


「そのような話はしておりません」


 明らかに気圧された様子ながらも反論しようとするアルの言を、ぴしゃりと遮った。


「殿下が平民を思い、平等に接しようとお考えならばそれは結構。殿下の治世となれば、そのように法を変えていかれればよろしいでしょう。しかし現状、王国法にそのような規定はございません。ゆえに、わたくしが彼女を如何様に扱おうと婚約を破棄するに足る理由とはなりません」


 そこで一息つきながら、「まぁ」と続ける。


「よほど残忍な方法で殺害し、それが一般に知れ渡るようなことにでもなれば……公爵(ちち)から、多少のお小言を貰うようなことにはなるかもしれませんけれど」


「ひっ……!?」


 ターニアに目を向けられたグレーズが、恐怖に顔を歪ませ小さく悲鳴を上げた。


 なお、ターニアに脅すような意図はない。

 単に、事実を述べただけだ。


「そ、そうだとしても!」


 一方、そこは腐っても王族に連なる者と言うべきか。


 明らかに腰が引けた様子ながらも、アルは再びターニアに突っかかってきた。


「学院では、身分に関係なく平等! それが理念のはずだ!」


「いえ、ですから……」


 そのような話はしていない。


 学院には、確かに独自の規則や規範の類が定められていた。

 だが学院内は治外法権でも何でもなく、法の統治下に存在する。


 というか貴族学院は国立で運営されている機関であり、何なら率先して国の法を守るべき道理さえあった。

 国の法で定められている以上、学院内のことだからといって例外になるわけはなかった。


 尤も、逆に言えば。

 学院内に限れば、もちろんその裁量は学院に委ねられている。


 例えば、学生の進退に関わる部分などがそうだ。

 それすら、例えば王族を学院の判断だけで退学にできるかというと……その決定を下した者に、相応に『覚悟』は求められることだろうが。


「……なるほど?」


 しかしそこまで考えて、ターニアはふと思い至った。


 公爵家の令嬢が退学処分になったとあれば、それなりの醜聞。

 それがアルの狙いということならば、ここまでの強引な態度にも納得がいこうというものだ。


「承知致しました。では改めまして、わたくしの『咎』とやらについて話すことと致しましょう」


「お、おぅ……」


 アルが、大層微妙な面持ちで頷く。


 なぜ、貴様の咎について貴様が仕切る感じなんだ……? といった呟きは耳に届いたものの、積極的に無視することにしたターニアであった。


「まず、階段から突き落としたという件については目撃者がいらっしゃるというお話でしたわね?」


『あ、あぁ……』


 件の『目撃者』たちに目を向けると、彼らもおずおずと頷く。


 既に、先程までの勢いはすっかり消え失せているようだった。


「……まぁ、それについて良しと致しましょう」


 多分に思うところはあったが、一旦置いておくこととする。


「他には……教科書とドレスの破損に毒物の投与、でしたわね?」


「そうよ!」


 男性陣とは異なり、グレーズ本人は未だに気勢を吐く気概を残しているようだった。


「ちなみに毒物というのは、具体的にどういったものなのかわかっておりますの?」


「それは、えーと……確か……」


 しかし水を向けられると、途端にしどろもどろとなる。


 視線を、左右に数度彷徨わせ。


「そう! 魔毒! 魔毒よ!」


「まぁ、それを早くおっしゃってくださいまし!」


「うぇっ!?」


 告げられた内容を受けてターニアがズイッと近寄ったために、その分グレーズは後ずさった。


 魔毒。

 それは、魔力に直接作用する毒の名称である。


 魔力が高ければ高いほど劇的な効果を発揮し、一定以上の魔力を持つ者に対しては実質致死性の毒となる。


「貴女は、魔毒を飲まれたと?」


「そうよ!」


「それにしては、随分とお元気なようで……もしかして、魔力無しでいらっしゃる?」


「し、失礼ね! 私は、聖属性の魔力持ちなの! 世にも珍しい、聖属性よ! おかげで、毒も無効化することが出来て……」


「聖属性にそのような特性があると聞いたことはありませんが、今それはどうでもよろしい」


「アンタさっきからそれ多くない!?」


 言葉通りどうでも良さげに遮ったターニアに対して、グレーズは驚愕の表情であった。


「それで、わたくしが魔毒を盛ったという証拠は?」


 それもまた完全に無視して、ターニアはさっさと話を進めていく。


「それも、彼らが証人よ!」


 と、グレーズはさっきの男子三人を指差した。


「そうなんですの?」


『あ、あぁ……』


 目を向けられ、三人はまたおずおずと頷く。


「なるほど……」


 ターニアは、顎に指を当て考える仕草。


「魔毒と言えば、単純所持でも重罪に課される代物。それを人間に投与したとなれば、公爵家の者と言えど最低でも投獄は免れないでしょう」


「へ、へぇ、そうなんだ! じゃあ、アンタはもう終わりね!」


 フフン、とグレーズが得意げに鼻を鳴らす。


「えぇ、終わりでしょうね。確固たる証拠(・・・・・・)が出てくれば」


「っ……」


 けれどターニアが涼しげな目を向けると、ビクッと身体を震わせた。


「ちなみに、一応の確認なのですけれど」


 ターニアは、その目を先程の三人組へと再び向ける。


 彼らもまた、ビクッと体を震わせた。


「逆にわたくしの潔白が証明された場合、貴方方は虚偽の報告をした罪に問われるわけですけれど……本当に(・・・)わたくしが魔毒を盛っ(・・・・・・・・・・)たところを目撃された(・・・・・・・・・・)のですね(・・・・)?」


『えっ……?』


 殊更強調して尋ね直すと、三人は露骨に狼狽えた様子を見せ始める。


「もちろん、殿下も」


「えっ、僕……?」


 久々に水を向けられ、ちょっと蚊帳の外にいた感のあったアルもまたパチクリと目を瞬かせた。


「公爵家の娘を陥れたとあれば、最低でも廃嫡。流石に、極刑までは免れると思いますけれど……国外追放辺りが妥当でしょうか。その覚悟を以て愛する女性を救わんとする男気、感服致します」


「えっ、えっ……!?」


 狼狽するアルの後ろで、男子三人組の顔は蒼白を通り越して土気色になり始めていた。


 第一王子の立場でさえ国外追放であれば、しがない男爵家の者などどうなるものか。

 本人の極刑で済めば超温情、お家お取り潰しの上で三親等辺りまで極刑というのが妥当というところだろうか。


 その程度を察する脳みそはあったようだ。


「が、学院では身分に関係なく……!」


「殿下」


 ここに来て。

 ターニアは、先程から己が抱いていた疑念が正しかったと確信するに至った。


「殿下は、阿呆なのですか?」


 阿呆なのですね、と言わなかったのがターニアなりの温情である。


「ん、なっ……!?」


 恐らく、生まれてこの方そのような物言いをされたことがなかったのだろう。


 アルは、驚愕の表情で口をパクパクさせる。


「貴様、無礼だぞ! この僕を誰だと思っている!」


「我が国の王太子、第一王子たるアルーラ殿下だと思っておりますが」


「なら、その放言がどのような結果を招くかわかっているのだろうな……!?」


「学院では、身分は関係ないのでは?」


「だからといって、尊き血への無礼が捨て置かれるわけないだろう!」


「……なるほど?」


 ターニアは、己の顎に指を当て考える仕草


「であれば、確かにわたくしは最低でも謹慎くらいは命じられるでしょうね。あるいは、投獄という可能性もあり得るかもしれません」


「そうだろう!」


 ターニアが述べる未来に対して、アルは「ふふん」と得意げに鼻を鳴らした。


「ですが、最大でもその程度」


 対するターニアは、鼻で笑うことさえなく淡々と語る。


「一方で」


 次いで、ターニアは目をグレーズへと向け直した。


 その冷めた視線に、グレーズはビクリと身を震わせる。


「平民から公爵家への暴言とあれば、最低でも本人に対する極刑は免れないでしょうね。『尊き血へ無礼が許されない』ということであれば」


 公爵家とは、王家の血に連なるもの。

 王家の者がそうであるというなら、当然ながら公爵家にも『尊き血』は流れている。


「は、はぁっ……!?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、無論グレーズである。


「な、なんで私が、そんなっ……!」


「なんでかと問われれば、王国法でそう定められておりますので」


「ちょっとした悪口くらいで、その、極刑!? とか、ありえないでしょ……!?」


「というか、今申し上げたのはあくまで最大限温情があった場合の処置ですので。『ちょっとした悪口』で、三親等にわたって同様の刑罰を課する例くらい数多ございましてよ?」


「そ、そんな……」


 事ここに至って、ようやく事態の重さを認識したのだろうか。


 グレーズは、自らの身体を掻き抱いて震え始めた。


「ア、アル様……!」


 蒼白を通り越して土気色になった顔を、アルへと向ける。


「………………学院では、身分に関係なく平等。それが理念であり、たとえ王家の血に連なる者であろうと例外ではない」


 苦虫を噛み潰したかのような表情で、アルはそう絞り出した。


「左様でございますか。殿下がそうおっしゃるのならば、それで構いません」


 一方のターニアは、終始涼しい表情である。


 実際、先程からその内の感情はほとんど何の動きも見せていなかった。


「だが!」


 対照的に、アルの表情はその変化が著しい。


 今度は、怒りに満ちた調子で叫ぶ。


「学院には、誇りを著しく傷付けられた際に要求出来る制度が存在する!」


 そして、ターニアへと勢いよく指を突き付けた。


「決闘だ!」


 一方の、突き付けられた方はと言えば。


「そんな……」


 ここに来て、初めてその顔に感情の揺らぎを見せていた。


 口元に当てた手が、細かく震えている。


「そんなの……いいんですの!?」


 歓喜の震えであった。


 正直そろそろ面倒になってきていたターニアにとって、この申し出は渡りに船だ。


「な、なに……?」


 その反応が予想外だったのか、アルは再び目をパチクリと瞬かせている。


「それでは、早速始めましょう! お相手は、殿下でよろしいのでしょうかっ?」


「い、いや……フェクダ!」


「はっ!」


 アルの呼びかけに応じて、一人の男子生徒が前に出る。

 なお、先程の『目撃者』の一人でもあった。


 中でも一際体格の良い彼は、恐らくアルの護衛の役割も兼ねているのだろう。


「決闘には、代理人も認められている……よもや、文句などあるまいな?」


「えぇ、もちろんですともっ」


 いかにもウキウキしながら、答えるターニアの声は弾んでいた。


「後の近衛騎士長になるだろうと名高いフェクダ様にお相手いただけるとは、光栄ですわ」


「ふん……」


 これまでに直接の交流はないが、流石に婚約者──今となっては、『元』と付けるべきなのかもしれないが──の側近の情報くらい頭に入っている。


 その中からフェクダに関するものを思い出しながら口にすると、件の少年は満更でもなさそうに鼻を鳴らした。


「何なんだ、その態度は……」


 他方、アルはターニアの余裕を訝しんでいるのだろうか。


 どこか不気味そうに見ていたかと思えば、ふと何かに気付いたような表情となる。


「そうか……さては、魔術を用いればフェクダにも勝るなどと考えているのだな?」


 そして、ニヤリと笑みを浮かべた。

 いかにも小物っぽい、下卑た笑みである。


「決闘は、騎士が誇りを賭けて剣を交わすもの……当然魔術は禁止とするが、文句などあるまいなっ!」


「えっ……?」


 明らかに後付けのルールを提示されたターニアは、目をパチクリと瞬かせ。


「いいんですのぉ!?」


 先程以上の歓喜を顔に爆発させた。


「もちろん、文句などあるはずもございませんわっ」


 ターニアは、もはやウキウキとした感情を隠そうともしていない。


「……!? で、では、剣をここへ」


「はっ……!」


 アルの指示を受け、傍に控えていた従者らしい少年が走っていった。


 程なく、二本の木剣を携え戻って来る。


「ありがとうございます」


 フェクダが無言で、ターニアが謝礼と共に、一振りずつ剣を受け取った。


 その際、ターニアの笑顔に間近で接した少年は顔を赤くしてドギマギした様子を見せる。

 が、アルに睨まれすぐにそれを青くしてまた引っ込んだ。


「決闘なのだ。多少の怪我程度は覚悟してもらうぞ?」


 それを面白くなさげに見送ってから、気を取り直したかのようにまた下卑た笑みをターニアへと向ける。


「なに、学院には優秀な治療師が控えている。傷も残さず治してくれるだろうさ」


「えぇ、お心遣いに感謝致しますわ」


 ターニアは、ここでも綺麗な微笑みを返すのみ。


 やはり当てが外れたのか、アルはまた面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「……先程からのその態度……よもや、剣も得意なのか?」


 それから、ふとした調子で尋ねてくる。


「いえ? お恥ずかしながら、剣は少々苦手ですの」


「ふっ、そうか」


 しかし、ターニアの返答を受けて今度は満足げに笑った。


「確かに、貴様が剣を握っているところなど見たことがないものな」


「えぇ、そうでしょう?」


 一方のターニアも笑顔なので、ここだけを切り取ると談笑しているようにも見える。


「では、始めるが良い」


「えぇ、合図は……」


 如何なるものなのか、とターニアが尋ねようとした最中。


「はぁっ!」


 素早く剣を抜いたフェクダが、斬り掛かってきた。


 対するターニアは目を丸くして驚きを表しつつも、やや緩慢にも見える動きで抜剣しつつ受け止める。


「ははっ! 実戦では、開始の合図など存在しない! よもや卑怯とは言いますまい!?」


 高笑いを浮かべながら、フェクダは力任せに何度も剣を打ち付けてくる。


「えぇ、えぇ、そうでしょうとも」


 その全てを難なく受け止めるターニアは、顔にすっかり笑みを戻していた。


「せやっ!」


「あらあら」


 フェクダの力強い巻き上げによって、剣が手から離れても尚。


「……ふふっ」


 というか、先程まで以上の笑みだ。


 何か、如何にもおかしいものを見つけたといった風である。


 それはもしかすると、勝利を確信して大きく剣を振り上げたフェクダの姿なのかもしれない。


「失礼」


 わざわざ一言断ってから、優雅に身を翻し。


「えいっ♪」


「おぶふっ!?」


 可愛らしい掛け声と、フェクダの息とも呻きとも取れるような声が重なった。


 同時に、ボギッといった鈍い音もまた。

 ターニアの正拳が、フェクダの鼻の骨を折った音だった。


「………………はっ?」


 まるで異界での出来事でも眺めるかのように、フェクダは自身から離れていく──実際に離れているのは、倒れゆくフェクダの方だが──ターニアの拳を呆けた表情で見送る。


 かと思えば、次の瞬間。


「あっ、ぎっ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 勢いよく迸る鼻血と同時に絶叫が噴き出した。


「ほほほほっ」


 そんな様を前に、ターニアは評判の喜劇でも観ているかのように上品に笑う。


「驚きました。フェクダ様、随分と演技派でいらっしゃるのですね? 学院での剣術の授業では、お芝居の指導までなされるのですか?」


 その目には、嗜虐的な色など少しも存在しない。


「開始の合図を無視する無礼を働きながらあまりに遅鈍な不意打ちに、稚拙な攻め筋。更には、無警戒に鼻先を殴り飛ばされ間抜けな叫びを上げる様まで……まるで、本物の愚者のようですわ。それこそ、これが戦場の緊張感に包まれた場であれば浅はかに追撃を加えんと迫ってしまっていたかもしれませんわね」


 あるのは、純粋な興味と敬意のみだ。


「い、痛、いでぇ……! は、鼻がぁ……!」


 そんなターニアの態度に構う余裕さえないらしく、フェクダは鼻を押さえて叫び続けている。


「あら凄い、そんなに沢山の脂汗まで。うふふ、本当に演技派でいらっしゃいますわね……あぁ、なるほど。先程殿下がおっしゃっていた、『学院には優秀な治療師が控えている』というお言葉。あれが、前フリというやつでしたのね? 確かに、折れた鼻くらいすぐに治るというのにその大げさな痛がりよう……うふふっ、そう考えるとなんとも滑稽さが増して見えますもの」


 くすくすと笑うターニアの印象は、無邪気な少女そのままだ。


「さて」


 笑いすぎた結果目の端に浮かんでいた涙を指で拭いながら、表情を改める。


「次は、何を見せてくださるのかしら?」


「ひぃっ……!?」


 ターニアが一歩踏み出すと、ビクッと身体を震わせたフェクダが尻を地に付けたまま大きく後退った。


 結果、ターニアが近づいた分の何倍もの距離が空く。


「降参! 降参だ! もう勘弁してくれ!」


「えっ……?」


 次いで残った手を突き出し無様に懇願するフェクダを前に、ターニアは大きく首を傾けた。


「あの……フェクダ様? 流石に、『降参』と明確に口に出されては……それは、決闘の終わりを表してしまうのでは?」


 問いかけながら、困ったように眉根を寄せる。


「……いえ、なるほど」


 かと思えば、今度は頭を振った。


「戦場では、まさしくそのような騙し討など常道ですものね」


「ひぇっ……!? なんで……!」


 再び納得した様子で歩みを再開させると、フェクダは更に後ずさろうとする。


 しかし腰が抜けているのか上手くいかず、二者の距離は縮まっていった。


「……っ! 止まれターニア・ボレアリス!」


 両者の間に、必死の形相でアルが割り込む。


「終わり終わり! 決闘は終わりだと言っているだろう! よもや命まで取ろうと言うのか!?」


「……んんっ?」


 他方、目の前に現れたアルに対してターニアは再び首を捻っていた。


 未だ、状況が全く理解出来ていない様子である。


「終わり……決闘が……?」


 だが、少なくとも王子の声は頭にまで届いていたようだ。


 とはいえその意味までは飲み込めない様子で、困惑混じりにとりあえず周囲を見回してみる。


「近衛騎士候補を相手に、一方的な立ち回り……」


「何の躊躇もなく顔面を殴り飛ばしたぞ……」


「それよりやべぇのは、その後の煽りだろ……」


「煽りに煽りまくってたもんな……」


「魔女……」


「むしろ魔王では……?」


「いや、魔術は使ってなかったろ……?」


「なら……拳王?」


「拳王だ……」


「拳王が誕生した……」


 すると、自身に集まる視線はドン引きを体現したようなもので。


「………………んんんっ?」


 改めて、首を反対側へと傾け直すターニアであった。


「……やはり、剣が得意だったんじゃないか」


 そんな中、アルは苦虫を噛み潰したかのような表情だ。


「いえ、剣が苦手なのはご覧の通りだったでしょう?」


「……確かに、剣は巻き上げられていたけども」


 アルの表情が、ますます苦みを増していく。


「ということは、つまり……徒手空拳の方が得意、ということか……」


「えぇ、まぁ、剣よりは」


「仮にも公爵令嬢が、拳を得意武器としていることなんてあるのか……?」


「令嬢が剣を持つ機会などほとんどないのですから、剣を得意としている方が不自然では? 一方で、手足を縛られない限り丸腰で戦う手段は概ねいつでも有効ですので」


「そう言われると、確かに筋は通っているんだが……」


 口ではそう言いつつも、どうにも納得出来ないといった顔のアルだった。


 実際、令嬢が護身術を学ぶことはそれほど珍しいことではない。


 ただ、幼少の頃のターニアほどそれにのめり込みすぎる(・・・・・・・・)者が希少というだけで。


 尤もこの場合は、王族の護衛としてフェクダが不甲斐なさ過ぎたという要素も大きいのだが。


「魔法の腕は、これ以上ということか……?」


「いえ? 別段、そういったことはございませんけれど」


「……? だが君は普段、魔法の授業にばかり傾倒しているじゃないか」


「得意でないからこそ学ぶのは、当然の姿勢では?」


「それもまぁ確かに……」


 微妙な表情を継続するアルに対して、ターニアは微苦笑を浮かべた。


「殿下は、わたくしのことを何もご存知ないのですね」


「………………そうだな」


 流石に思うところがあったのか、アルは少し気まずげな様子だ。


「では、他の者と交友関係を結ばないのにも理由があるのか……?」


「そもそも、別段そんな事実もございませんけれど」


「えっ……?」


 ここも当然の調子で言ったターニアに、アルは目をパチクリと瞬かせる。


「だが僕は君が、例えば誰かと談笑しているような姿など見たことがないぞ?」


「仮にも公爵令嬢が、通りがかりの殿方から見える場所で談笑などしているわけがないでしょう」


「グ、グレーズも、君がお茶会に参加しているのを見たことがないと言っていたが」


「平民の方が参加するようなお茶会に、公爵令嬢が参加していることの方が問題ではなくて?」


「……それはまぁ、そうか」


 アル王子、基本的には言えば理解するタイプのようである。


「だ、だが!」


 それでもまだ不満があるのか、アルは自らを奮い立たせるかのように声を荒げた。


「君は、僕との時間を蔑ろにしすぎる! 例えば、グレーズのように二人きりで……!」


「婚姻前の男女が必要以上に接することも問題ですが……そもそも、王家の嫡男(でんか)公爵家の嫡女(わたくし)が長時間二人だけで密会するなど、何かしらの嫌疑をかけられても文句は言えないかと」


「むむっ……」


 ここでも反論を受け、ついにアルは言葉に詰まった。


「でもでもっ! そんなの、アル様が可哀想だと思います!」


 そんな彼と交代するかのように、再びグレーズが口を開く。


「可哀想、とは?」


「結局のところ、ターニア様はアル様のことを愛していないんじゃないですかっ!?」


 グレーズは悲痛そうな表情を取り繕っているようだが、得意げな調子が消しきれていない。


 痛いところを突いてやった、といった意図が滲み出ていた。


「それはまぁ、はい」


『それはまぁ、はい!?』


 そして、ターニアが普通に肯定すると表情が驚愕に変わる。


 なお、同じく重なった驚愕の声はアルのものである。


「あ、愛のない結婚なんて酷いっ!」


「わたくしと殿下の結婚は、王家と公爵家の結びつけを強めて国家の礎を盤石にするためのもの。愛など必要ないでしょう」


 これは、紛れもないターニアの本心である。


 ……ただ、ターニアとて最初からそう思っていたわけではない。


 彼女も幼少の頃には、『愛のある結婚』とやらに幻想を抱いていたことはあるのだ。

 王子に相応しい妻になるべく、礼儀作法を含むあらゆる花嫁修業を精力的にこなした。


 なお、その中には護身術の類もあり。

 堅苦しい授業の中にあって自由に動けるその時間はターニアにとって最も好ましく、結果的に最も身についた項目となったわけだが……それはともかく。


 完璧な礼儀作法を身に着けて迎えたアル王子との邂逅でターニアが直面したのは、つまらなそうなアル王子の表情だった。


 その時に、ターニアは今の思考に切り替えたのだ。


(今になって思えば……殿下が求めていたのは、この方のような女性だったのかもしれませんね)


 そんな風に、思いに耽っていたためだろう。


 ターニアが、目の前の少女の存在をまじまじと見つめた瞬間。


「それが、酷いって言ってるのよ!」


 パチン! という乾いた音が周囲に響いた。


 グレーズの放った平手に、ターニアが全く反応出来なかった結果である。


「まぁ」


 自らの頬を撫でながら、ターニアは軽く目を見開く。


 痛みは、ほとんどないに等しかった。

 護身術の鍛錬の際に経験してきたものとは、比べるべくもない。


 ゆえに、ターニアは理解した。


「嬉しいわ」


 それが、グレーズからのお誘い(・・・)であると。


 ターニアの流儀に合わせてくれたのだと。


「はっ!」


 ゆえに、返礼(・・)としてグレーズの鼻っ柱に正拳をお見舞いした。


 フェクダの時のような様子見とは違う、本気の一撃である。


「ぶっ!?」


 それをモロに貰ったグレーズは、鼻血を吹き出しながら後ろに倒れ込んだ。


 地面に背を着いた彼女は、完全に白目を剥いている。


「……あら?」


 そのあっけなさに、ターニアは再び自らの頬に手を当てながら首を傾けた。


「……グレーズ!?」


 そこから更に数秒ほど遅れて、アルがグレーズに駆け寄る。


「し、死んだ……!?」


 ピクリとも動かないグレーズの姿に、顔を青くするアル。


「死には至りませんわよ、その程度では」


 それに対して、ターニアは冷静に返した。


 死なないように(・・・・・・・)殴ったのだから、当然である。


「き、貴様ぁ……!」


 そんなターニアの言動をどう受け取ったのか、アル王子は憎々しげな視線を向けてきた。


「決闘だ!」


 そして、先程聞いたものと全く同じ言葉を口にする。


「それは、先程済ませましたでしょう?」


 チラリと目を向けると、未だに止まっていないらしい鼻血を布で押さえながらフェクダはブンブンと首を横に振っていた。


「今度は、僕自身が相手となる!」


「まぁ?」


 意外な申し出に、ターニアは片眉を上げる。


 普通に考えて、アルの剣の腕が護衛であるフェクダより上という可能性は低いだろう。


「先程のフェクダは、貴様に武道の心得があることを知らなかった! ゆえに、油断しただけだ!」


 ターニアが抱いている疑問に、アルはそう答えてくれた。


「……なるほど?」


 ターニアは、そうコメントするに留める。


「では、始めましょうか」


 それから、ニコリと微笑んで拳を構えた。


「……今度は、剣さえ取らぬか」


「えぇ、やはり剣は少々苦手ですので」


 緊張した面持ちで木剣を構えるアルに対して、ターニアは自然体である。


「それでは、始めましょう」


 今回は、ターニアによって開始の合図が設けられた。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 それを皮切りに、アルは木剣を腰だめに構えて駆け。


「はぁっ!」


 勢いのまま、振り上げた。


「……殿下」


 僅かに上体を逸らすことで軽々と木剣を避けたターニアの顔には、微苦笑が浮かんでいた。


「それでは少々、隙が大きすぎるかと」


 言いながら、目線の少し上にある木剣の柄頭をトンと(はた)く。


 握りが甘かったのか、それだけで木剣はアルの手を離れて宙を舞った。


「失礼致しますね」


「ひぃっ!?」


 軽く拳を引いたターニアを見て、アルは引き攣らせた顔の前で両手を交差させる。


 次の瞬間。


「おぐふっ……!?」


 ターニアの拳が突き刺さった……アルの、鳩尾に。


「な、なぜ腹……!?」


「殿下は公務もおありですから、お顔に傷を付けるわけにも参りませんでしょう?」


 今度は自らの腹を押さえながら呻き声のような疑問を投げるアルに、ターニアは事もなげに答える。


「それにしても殿下、思いの外鍛えていらっしゃったのですね。まさか、まだお話をされる余裕があるとは思いませんでした」


「な、舐めてくれるな……有事に備えて鍛えているのは貴様だけでぐぼぁ!?」


 言葉が途中で乱れたのは、突如妙な語尾に目覚めたとかそういったことではない。


 ターニアの拳が、再度その鳩尾に突き刺さったためである。


「~~~~~~~~~~!?」


 今度こそは悶絶し、アルは前のめりに倒れ込んだ。


 と、その時。

 昼休み終了間近を告げる、予鈴の鐘の音が鳴り響く。


「あら、そろそろ戻らないと」


 まるでここまでの騒動など何もなかったかのように、ターニアは口元に手を当てた。


「まだ何かございましたら、次は家を通していただけますか? 今日は、結局お昼を食べ損なってしまいましたので」


 少しだけ物悲しそうにお腹を押さえながら、ターニア。


 目の前に転がる三つの人体からは、もちろん返答はなかった。


「では、失礼致しますね」


 優雅に一礼して、踵を返す。


 周囲からの畏怖の視線を気に留める様子もなく、その足取りは全く以ていつも通りのものであった。



   ◆   ◆   ◆



 なお、後日。


 ボレアリス公爵家へと、正式にアルとターニアの婚約解消を告げる旨の連絡が届いた。


 理由は、アル第一王子の王位継承権を剥奪した上で放逐したため。


 学園での一件を、アルは正確に王家へと報告したらしい。

 自分に正義があると考えたからか……あるいは放逐されることこそが彼の目的だったのかは、定かではない。


 なお同じ一件を理由に、グレーズと共に学園からは退学処分を受けることとなった。

 彼の立場が第一王子のままであれば、また違った対応になったのだろうが。


 アルとグレーズが連れ立って国を出たところまでは確認されているものの、その後の消息は不明である。


 といった一連の報告を受けたターニアは「お幸せに」とただ一言、どこの空の下にいるかもわからない二人に送った。


 本心からの言葉であった。

 既にターニアの興味は二人から失せており、己と関わり合いのない諸人に対しては『幸か不幸であれば幸多い方が良い』と考えているからである。


 なお、国を去る際の二人を目撃した人からは「溌剌とした様子の男と死んだ目の女が対照的だった」といった証言があるそうだが……それがターニアの願う二人の幸せにどう影響するのかは、定かではない。



   ◆   ◆   ◆



 といった未来のことは未だ知らない、昼休み終了直前のターニア。


(……初めて、決闘というものを経験しましたけれど)


 しずしずと歩きながら、そっと自身の手に視線を落とす。


(思っていたより、心躍るものではありませんでしたわね)


 それはあまりに手応えのない相手だったがゆえなのだが、今の彼女は知る由もない。


(面倒な相手を黙らせるのに、拳が有効というのはわかりましたけれど)


 これも周囲に気付かれない程度に、小さく嘆息。


(あまり用いない方が良いのでしょうね)


 そういった判断が出来る程度には、ターニアは常識を身に着けた令嬢であった。


 ……が、しかし。


 今後彼女は、今回『魔女』から変化した『拳王』の字名通り。


 やがて自ら王位に至るまでに、多くの者をその拳で黙らせることとなるのだが──


 それを知る者は、まだ誰もいない。


 今は、まだ。

本作を読んでいただきまして、誠にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
やっぱ殴らないとねw
少なくともグレーズさんの方は、王子様の婚約者に取って代わるつもりだったから、身分を捨てた王子様と国を出ることになって予定と違うってなっていたのかな? いくら王子様というバックボーンを手に入れたからって…
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