ようこそ! お姫様!
歌舞伎町の夜は、ネオンと嘘でできている。
初めてホストクラブ「Eclipse」の扉を開けたとき、香織は胸の奥が熱くなるのを感じた。煌めくシャンデリア、甘い香水の匂い、そして女を見つめる男たちの瞳。
その中でただ一人、漆黒のスーツを着たホスト、隼人の視線に射抜かれた。
「君、綺麗だね。俺だけを見ててよ」
耳元で囁かれる低い声。香織はその瞬間、自分の人生が変わると信じてしまった。
⸻
隼人は優しかった。LINEをすぐ返してくれ、会えない日も「会いたい」と言ってくれる。香織は彼に好かれたい一心で、アルバイトの給料をつぎ込み、借金をしてでもシャンパンを入れた。
だが、一度でも高額なボトルを開ければ、それが当然になっていく。店のシステムも、彼女を縛る。
「次はもっといいの入れような? 俺を一番にしてくれるの、君しかいないんだから」
笑顔で言われると、拒めない。いつの間にか、借金は百万円を超えていた。
⸻
ある日、店の裏口で他の客の女の子とばったり会った。彼女も同じように隼人を追っている客だった。
「隼人クン、私にも“君だけ”って言うんだよ」
女は泣き笑いしながら煙草を吸っていた。その腕には無数のリストカットの痕。
「……嘘つきだよ。あの人に騙されちゃだめ」
けれど香織は信じなかった。隼人は特別だと、必死に思い込んだ。
⸻
数週間後、その女は姿を消した。店に来なくなり、SNSも更新されない。スタッフたちは「ああ、飛んだんだろ」と笑っていた。
しかし香織の耳には別の噂が届く。
――隼人の客だった女は、次々と行方不明になっている。
⸻
ある夜、香織は酔った勢いで隼人に尋ねた。
「ねぇ、隼人……あの子たち、どこに行ったの?」
隼人は一瞬笑顔を崩したが、すぐに唇を寄せた。
「気にしなくていい。君は俺の“特別”なんだから」
甘い声に酔いしれつつも、背筋が冷たくなるのを感じた。
⸻
その夜、香織は店で飲みすぎて意識を失った。
目を覚ますと、そこは暗い部屋だった。コンクリートの壁、むき出しの配管。どこからか水の滴る音がする。
足元には鉄の檻。中に女たちが閉じ込められていた。痩せ細り、瞳から光が消えた女たち。見覚えのある顔も混じっている。隼人に貢いでいた“客”たちだ。
「……やっと気づいた?」
檻の奥から声がした。最初に出会ったリストカットの女だった。
「私たち、ここに閉じ込められて、食われるの」
言葉の意味を理解する前に、扉が開いた。隼人が現れた。黒い瞳が、今までとは違う冷たい光を宿している。
「やっと目覚めたか。ここは俺の“本当の店”だ」
彼が手を掲げると、女たちが一斉に震え出す。口々にすすり泣き、怯える。その身体から、まるで霧のように淡い光が立ち上る。それは魂のように見えた。
隼人はそれを吸い込む。喉を震わせ、恍惚の表情を浮かべる。
「女の欲望は甘い。愛されたい、認められたい……その渇きが最高の滋養だ」
⸻
香織は叫ぼうとしたが声が出なかった。身体が動かない。隼人の視線に捕らわれるだけで、意思が奪われる。
「君の瞳はまだ澄んでいる。壊すのが楽しみだ」
彼が近づいてくる。頬に触れられると、全身が痺れるような快感に襲われた。抗えない。愛されたいという欲望が、自らを縛っていく。
⸻
気づけば香織も檻の中にいた。周囲の女たちの瞳は既に虚ろで、ただ隼人を渇望する人形のようだった。
隼人は一人ひとりから光を吸い取り、残骸のようになった身体を床に捨てていく。やがて骨と皮だけになった女は動かなくなる。それでも笑っている――「隼人に愛された」と。
⸻
香織の番が来た。
「最後に、君からもらうよ」
唇が重なる瞬間、香織は悟った。これは愛ではなく、ただの捕食だ。
意識が闇に沈みかけたとき、彼女は必死に心の中で叫んだ。
――私は、お前なんかに喰われない。
その強烈な拒絶の念が、一瞬、隼人の動きを止めた。彼の瞳にわずかな驚きが走る。
だが次の瞬間、彼は笑った。
「いいね……抵抗するほど、もっと甘くなる」
香織の視界は、闇に呑まれた。
⸻
数日後、ホストクラブ「Eclipse」の看板は新調されていた。眩しいネオンの下、隼人は変わらぬ笑顔で新しい客を迎えていた。
その足元には、香織が履いていた赤いハイヒールが、まるで戦利品のように置かれていた。